第221話 ディアスVSスーリオ



 ――――歓声が包み込む中庭の様子を眺めながら ジュウハ



 大理石作りの屋敷に囲まれた庭の一画、緑の草が生い茂る区画で、派手な上着とマントを脱いだディアスと、上着を脱いだスーリオがお互いの手をつかみ合う形で組み合っている。


 転んだら負け、手を地面に突いたら負け、その区画から出てしまったら負け、相手を殴ったり引っ掻いてしまったりして傷つけてしまったら負けという単純なルールの下で二人は力比べをしていて……そんなディアス達のことを見やりながら周囲の人々はなんとも好き勝手な歓声を上げている。


 やれ、倒せ、そこで押し切れ、力任せにぶん投げろ。


 そんな歓声の中でディアスは静かな笑みを浮かべていて、スーリオは不敵な笑みを浮かべていて……ディアスの家族達はその区画のすぐ側で周囲の人々と一緒になって歓声を上げていて、そのすぐ側に敷かれた絨毯の上のエルダンやカマロッツといった一部の者達はなんとも苦々しい表情をしながらその頭を抱えている。


(ま、ディアスが相手で助かったってことなんだろうな。

 ディアス自身も周囲の人間もこの状況を不快に思うどころか楽しんでくれているようだし……ディアスの性格からしても後でどうこう言ってきたり問題にしたりはしないだろう) 


 絶え間なく響き続ける歓声の中で、ジュウハはそんなことを考えながらなんとも気楽な態度でその光景を楽しんでいて……楽しみながらも頭の中であれこれと小難しいことを考えていく。

 

(この屋敷に集まっているマーハティ領の幹部連中にディアスの力を見せつけられるてのは、中々どうして悪くないんだよな。

 救国の英雄だろうが何だろうが、所詮は人間族だとディアスを軽んじているヤツや甘く見ているヤツは未だに結構な数いやがるからなぁ……その意識が変われば俺様への評価もいくらかは良くなるはずだ。

 というか連中もスーリオもディアスを甘く見すぎなんだよなぁ、人間族どうこう以前にディアスは二十年も最前線で戦い続けてきた歴戦の戦士なんだぞ? 

 いくら肉体的に……力だとか体力で勝っていたとしても、つい最近まで奴隷だった連中が勝てる訳無いだろうに)


 そんなことをジュウハが胸中で呟くと、まるでその呟きの正しさを証明するかのようにディアスと組み合っているスーリオがじりじりとディアスに押され始める。


 単純な力だけの勝負であればスーリオはディアスに勝っていた。

 ディアスよりも少しだけではあるが大柄で、膂力に優れた獅子人族の生まれで、今が一番若々しく力に満ち溢れた年齢で、毎日のように贅沢な食事を口にしながら体を鍛え続けていて……。


 そうやって身につけた力をただ比べ合うだけならスーリオが勝っていたはず……なのだが相手と組み合っての力比べとなると……相手をどう押すのか、相手の力をどういなすのか、隙を見せれば投げられてしまい、相手の隙を逃さず投げようとしなければならない、そんな駆け引きのある競い合いとなると、話は全くの別物だった。


 ディアスが二十年という長い時間をかけて、戦場という過酷な場で培ってきた勝負勘は並大抵のものではない、単純な力だけでどうにか出来るものではない。


 相手の目を見て、呼吸の仕方を見て、伝わってくる力を感じ取って、相手が何を考えているのか、何をしようとしているのか完璧なまでに読み切って……その上で深く考え込んだりはせずに瞬間的な直感でもって対応をするという勝負勘は、ディアスが深くものを考えず、直感に全てを任せてしまう性格だったのもあって、達人だとかそういうレベルではない更に上の領域へと至ってしまっていた。


 スーリオがあらん限りの力を振り絞って押そうとしても上手くいなされ受け流され……スーリオが少しだけ深く呼吸をしようだとか、一瞬だけ力を弱めて仕切り直そうだとか考えると今度はその隙を咎めるかのように尋常ではない力を込めてきて。


 その力に対応しようとすると今度は力を抜いてスーリオを転ばそうとしてきて……ディアスが余裕を見せる中、スーリオは僅かな瞬間も油断することが出来ない。


 余裕を見せるどころかディアスはスーリオの隙を突く形で呼吸を整えてしまっていて……ディアスが静かな笑みを浮かべ続ける中、スーリオの顔だけが酷い形に歪んでいく。


(……そもそもディアスは本気じゃぁない。

 若いスーリオを鍛えてやろうだとか、エルダン様の部下を鍛え直してやろうだとか、そんな考えでスーリオに付き合ってやっているだけで……ディアスが本気なら一瞬で勝負が付くはずだ。

 スーリオはそのことに気付かずに本気でやっているようだが……いや、そもそも本気がどうこうと言うのならスーリオが提案したこのルール自体に問題があるよなぁ。

 スーリオが本気で勝とうと思ったのなら、その種族的な優位点を……その鋭い牙や爪を活かせる戦い方でないと話にならないだろう。

 傷つけ合わない殺し合わないなんて戦い方じゃぁ獅子人族本来の力を発揮することが出来ない訳で、そんなんでディアスに勝とうなんてのは甘いにも程があるって話だが……本気で殺し合うなんてことになったらなったで、ディアスにはアレがあるからなぁ……)


 そんなジュウハの思考を遮ったのは、力比べをするディアス達のすぐ側に立ちながら歓声を上げる女性達の声だった。


「そこだ! ぶん投げてしまえ!」


「ディアスー! 頑張れー!」

「がんばれー! おせおせー!」


「ディアスさん、油断しちゃ駄目ですよ!」


 アルナーとセナイとアイハンとエイマと。

 更にそこにエリーやセキ、サク、アオイの三人とメーア達の声までが重なって大歓声となっていく様に苦笑しながらジュウハは思考を再開させる。


(こういった騒ぎを嫌がる訳でもなく、騒ぎから距離を取る訳でもなく、笑顔で最前列に立ってもっとやれとばかりに大声か。

 あのディアスと婚約するくらいだから、それなりに肝の据わった女性なんだろうとは思っていたが……なるほど、お似合い夫婦って訳だ。

 それでいて抜け目がなく、妙な魔法を使う上に森人の養子というカードまで持っていて……。

 ディアスという存在が無かったとしても、やはり隣領には下手な手出しをせず、仲良くやっていって……その土地と力が欲しいとなったら、力尽くや計略で奪うんではなく、仲間に引き込む形が最良だろうな。

 ……公爵と公爵という同じ立場だからやり合うって発想が出てくる訳で、どちらかが上の立場に立って仲間に引き入れるという形ならば全ては丸く収まるはずだ。

 ……公爵の上、か……。

 ディアスはその座に座れといっても座る男ではないだろう、下手をすれば公爵の座すら断りかねなかった男だ。

 だがエルダン様であれば―――)


 ―――と、その時、歓声が響き渡っていたはずの中庭に雄叫びが響き渡る。


「グオォォォォォォ!!」


 雄叫びを上げたのはスーリオだった。


 劣勢も劣勢……後1歩後退したなら負けるという所まで追い詰められてしまったスーリオが……ディアスの腕を振り払って一旦組み合うのを止めて、その鋭い爪と牙を立てての本気での攻撃をディアスに仕掛けようとして……そうしてそんな雄叫びを上げてしまっているようだ。


 そのことを察したエルダン達が泡を食って制止の声を上げる中、アルナー達は気にした様子も無く笑顔のまま歓声を上げ続けていて……そしてジュウハは馬鹿なことをしやがってと大きなため息を吐き出し―――それと同時に真顔となったディアスから凄まじい殺気が放たれる。


 ディアスの殺気は他の者達が纏うそれとは全くの別物、特別製だ。


 ジュウハもまた長年戦場に身を置いてきただけあって、ディアスにも負けないと自負する程度の剣の腕を有しており、それなりの勝負勘を備えているのだが……それでもディアスのような殺気は放てないままでいる。


 ディアスにどうしたらそんな殺気を放てるのかと聞いてみても、本人的には全くの無意識で放っているものらしく、参考になるような答えが返ってくることは無かった。


 恐ろしい程に鋭く、血の気が一気に失われる程に冷たく、一瞬でもそれを浴びてしまったなら、それに呑み込まれてしまったなら、どんな猛者であっても戦意を失ってしまい、その動きを止めてしまう。


 ディアスが戦場で生き残ることが出来たのは、その殺気のおかげでもあるとジュウハは考えていた。


 命のやり取りをするような戦いの中で、それが一瞬であっても動きを止めてしまうというのは致命的なことで……ましてや相手があのディアスだ、その一瞬を見逃してくれるはずがない。


 そんな風に恐ろしい上に回避しようのない殺気に呑まれてしまったスーリオは、訳も分からずに目を丸くし、鋭い爪を振り上げたまま、牙をむき出しにしたまま硬直してしまう。


 ……傍から見ればそれはディアスを傷つけることに対しての躊躇のように見えたのかもしれない。


 そしてどうやらディアスもまた、スーリオの硬直をそう捉えたようで……真顔から柔らかな笑みとなり、握っていた拳を開き……スーリオを傷つけないように平手でもってそっとスーリオの胸を押す。


 そんな柔らかな一撃を受けてスーリオは、区画の外に出てしまった上に尻もちを突いてしまって……そうして今回の勝負は、ディアスの勝利という形で幕を下ろすのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る