第213話 エルダンの母


 隊商宿の門が開かれ、慌てて集まったカマロッツとその部下達、職員達が一列に並ぶ。


 すると立派な馬車……幌馬車ではなく、天井にも壁にも窓にも車輪にさえも、上等な細工のされた白塗りの箱馬車がやってきて……ゆっくりと速度を落とし、カマロッツ達の前で停車する。


 すると馬車の周囲を駆けていた護衛達が馬車の扉を開いたり、馬車の後部に引っ掛けてあった階段を設置したりし始め……ギシリギシリと音を立てながらがっしりとした体つきの大柄の女性が姿を現す。

 

 以前エルダンが見せたような大きな耳に長い鼻があり、髪の毛を頭の天辺で結っていて、温和そうな表情を浮かべていて……いかにも象を思わせる姿をしている。


 赤い布に金糸での刺繍をした派手なスカートドレスに、大きな耳飾り、肩にとても長い透き通ったショールのようなものをかけていて……大きな足によく似合った大きな靴も、上等な革に金細工をあしらったものとなっている。


「ああ、なるほど、エルダンにそっくりの目をしているじゃないか」


 カマロッツ達の後方に控える形で、私の隣に立つアルナーがそう感想を述べて……足元のセナイとアイハンは馬車やドレスが気になるのか、目を輝かせながらじぃっと馬車や彼女のことを見つめ続けていて、後方のフランシス達は特に気にした様子もなく、毛繕いをしたりと自由に過ごしている。


「ネハ様、わざわざご足労いただきありがとうございます。しかしなにゆえわざわざこんな所まで―――」


 階段を下り、しっかりと大地を踏みしめ辺りにぐるりと視線をやる女性に対し、カマロッツがそう声をかけると、ネハと呼ばれた女性……エルダンの母はカマロッツの声を遮る形で言葉を返す。


「カマロッツ、貴方はもう良い年なんですから、遠出なんてしないでエルダンの側に居て頂戴な。

 いくら体調が良くなったからと言って、人には限界というものがあるのですから、エルダンの側か血族の側に落ち着くようになさいな。

 貴方の仕事に関しては後を継いでくれる者がいるのでしょう? 彼らに任せても良いのではなくて?」


 その言葉を受けてカマロッツが一言も返せずにいると、ネハは更に周囲の者達に声をかけはじめる。


「ああ、貴方達も久しぶりですね、どういう訳かしばらくの間、顔を見ませんでしたけど……。

 ケーラル、婚約出来たからといって安心して、お相手に随分と粗雑な態度を取っているそうですね? 感心しませんよ。

 カルナータ、過ぎた酒は身体にも心にも毒だと何度言ったら分かるんですか。

 アーンドラ、踊り子に入れ込んでばかりで良いお相手を見つけられていないなんて、子供じゃないんですからいい加減になさい。

 クラージュ、見張りの役目を負っているというのに、こちらに気付くのが随分遅かったようですね? 油断が過ぎるのではないですか?

 こらっ、露骨に嫌そうな顔をするんじゃありません! アタクシだってお客様の前でこんなこと言いたくはないのですよ! 貴方達が中々アタクシの前に顔を出さないから仕方なく、仕方なくこんな場で声を上げることになったのではないですか!

 貴方達はマーハティ領の顔でもあると同時に、あの子の……エルダンの器を示す存在でもあるのです! そんな体たらくでは困りますよ!」


 そんなネハの言葉には名前を呼ばれた者は勿論のこと、他の者達も言葉を返すことが出来ず、ただ俯くのみで……そうやって誰もが言葉を発しなくなるとネハは、手仕草でもってカマロッツ達にそこをどくようにと伝えて、カマロッツ達が静かに左右に分かれて控えると……そうやって出来た道をのっしのっしと歩いてネハがこちらへとやってくる。


「雄々しく、凛々しく、偉丈夫で男前……話に聞いていた通りの容姿で、まるでアタクシが見た夢の中から出てきたかのよう!

 ああ、こんなにも素敵な出会いになるなんて! 今ならアタクシ運命に感謝出来てしまうかもしれません!

 はじめまして英雄ディアス様……いえ、メーアバダル公。

 アタクシはネハ……ネハ・マーハティ、この地を治めるマーハティ公エルダンの母親をやっております。

 こうしてお会い出来たこと、心より嬉しく思います」


 一歩一歩、しっかりと踏みしめて、まるでその脚に想いを込めるかのようにしてこちらへとやってきて、そう言ってくるネハ。


 柔らかく微笑み、その瞳を潤ませ、色々と思う所があるらしい彼女に、私は伯父さんとヒューバートに教わった胸に手を当て、自分が何処の何者であるのか……メーアバダル領の公爵であるディアスだと、そう名乗り挨拶をする。


 続いてアルナーは私の婚約者と、セナイとアイハンは私の子供と、エイマはセナイ達の家庭教師と、セキ達は従者と、そしてフランシス達がメァーメァーと名乗りを上げて……それを受けてネハは、目を細めて本当に嬉しそうな表情をする。


「ああ、嬉しい、本当に嬉しい、だってだってこんなに嬉しいことはないでしょう。

 あのディアス様にお会い出来ただけでなく、こんなにもよき隣人達にもお会い出来るだなんて……。

 こんなにも良い隣人達に恵まれたならあの子の未来も安泰ね……アルナーさん、その顔に手を触れても良いかしら?」


 なんとも嬉しそうにしながらネハがそう言ってきて、アルナーが首を傾げながらも角が青く、強く光ったのを見て承諾するとネハは、大きな両手でアルナーの頬を包み込み、そういう挨拶でもあるのかアルナーの頬に自分の頬を当てる。


 そうしてからしゃがみこんだネハはセナイとアイハンにもそうしてから、にっこりと微笑んで立ち上がり……「皆様に祝福を」とそう声を上げる。


 その行為に一体どんな意味が込められているのかは分からないが、何か特別なものであったのだろう、カマロッツ達やネハの護衛達がわずかに動揺したような姿を見せて……そんなカマロッツ達のことを鋭い目で見やったネハが声をかける。


「カマロッツ、ディアス様達にお出しするお夕食はどんなものを用意したのかしら?」


 するとカマロッツは背筋を正し、なんとも緊張した態度で言葉を返す。


「はっ……こ、この隊商宿で一番のメニューをご用意している最中で……」


「この隊商宿で? 駄目よ、そんなもの駄目に決まってるじゃないの。

 我が領で一番のメニューでなければ話にならないでしょう、何事も最初が肝心、ここで躓いてしまったらお帰りになる時まで尾を引いてしまうじゃないの……本当にまったく……。

 嫌な予感がして足を運んだ訳だけど、正解だったようね……鍋を用意なさい、アタクシが腕を振るうことにしましょう。

 香辛料とお肉はこちらで用意しましたから、お野菜はそちらで用意したものを使わせていただきます。

 すぐに炊事場で作業を開始するから、その旨を伝えて頂戴な」


「はっ……了解いたしました。

 ところでその……用意されたという肉についてなのですが、どのくらいの量を……?」


 申し訳無さそうな態度でそう言ってカマロッツは、ネハが乗ってきた馬車へと視線をやる。

 ネハの馬車の後部にはいくつかの鞄が縛り付けられているが、それらの鞄は見るからに服飾品などをしまうもので、肉などといった食料品をしまうものではなく……仮にそれらに肉が入っていたのだとしても、私達とカマロッツ達、それとネハ達の分があるようにはとても見えず……そんな不安を態度ににじませるカマロッツにネハは、事も無げに言葉を返す。


「お肉ならもうすぐ届きます。

 道中、質の良い家畜のお世話をしている方がいらっしゃったので、その方に解体したての新鮮なお肉をここまで運ぶよう依頼しておきましたの。

 ああ、もちろん支払いは十分な程にしておきましたから、余計な心配の必要はありませんよ。

 急なお話でしたからね、負担にならぬよう相場の倍は払っておきました。

 流石に市場にまで顔を出す余裕はなかったのでお野菜は調達できませんでしたが、流石にそのくらいはねぇ、カマロッツでも用意はしているはずですし? 頼りにさせていただきます」


 その言葉を受けてカマロッツは一瞬目を見開き、驚きを顕にするも、すぐに冷静になって……調理場のある方へと駆けていき、あれこれと指示を出し始める。


 カマロッツのその動きを受けて、ネハを出迎える為に集合していた一同も、それぞれの行動を開始し始めて……それを受けてうんうんと満足そうに頷いたネハは、私達の方へと振り返り、声をかけてくる。


「ディアス様、ここまでの長旅で随分とお腹が空いていらっしゃるのでしょうけども、もう少しだけお待ちくださいな。

 アタクシが調合した特製の香辛料をたっぷりと使った、あったかくて美味しくて、どんな病でもたちまちに逃げ出す、おいっしいご飯を山のようにご用意しますから。

 アルナー様もセナイちゃんもアイハンちゃんも、お肌がつやつやすべすべでとっても美人さんですけども、少しだけお肉の付きが悪いようですから、ふっくら美人になるように、たくさんたくさん食べていってくださいね。

 ……あ、勿論メーアちゃん達の分の上等な飼い葉も手配してありますのでご期待くださいね。

 貴方がたのことはエルダンとカマロッツから飽きる程に聞いておりますから、えぇ、ぬかりはありませんとも」


 そう言ってネハは柔らかく微笑んで……まるで私達の母親であるかのように優しく微笑んで、カマロッツ達の後を追いかけるようにこの場から去っていく。

 

 そうして騒がしかった一帯が一気に静かになって……日が傾いて辺りを覆う空気が冷え始めた頃に、今までずっと静かだったセキが、なんとも強張った緊張した声を上げる。


「……まさか、まさかこっちにも象人族のお方がいらっしゃるなんて……」


 その言葉を受けて私やアルナーが振り返り、何事かと視線でもって問いかけるとセキは……口元に拳を当てて悩むような素振りを見せてから、覚悟を決めたような表情になり、周囲を見回し……サクとアオイに周囲を警戒するように指示を出してからすぐ側まで近づいてきて小さな、私達にしか聞こえないような小さな声をかけてくる。


「象人族はその、獣人国における貴種と言いますか、貴族みたいな立場にいる人々なんです。

 その身体は大きく、他者を圧倒する程に力が強く、その肌は矢を弾くほどに頑強で、その心は誰よりも温かく優しい。

 獣人国に王国のような貴族制度はないのですが、それでも象人族は象人族というだけで特別な目で見られ、敬われているんです。

 そんな方がまさかこっちにも居るなんて……驚きました」


 そんな説明を受けて私は……まぁ、そういうこともあるかと、軽い態度で頷くのだった。

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