第212話 家族旅行 一日目、隊商宿の夕暮れ


 皆で広い隊商宿の壁の中を見て回ったなら、貸し切りとのことなので一階の入り口近くの辺りの適当な部屋を見繕ってその中へと入る。


 すると絨毯が一面に敷かれた光景が視界に入りテーブルやソファなどの随分と良い作りの家具が置かれており……そして部屋の中にも外で見た石造りのアーチの姿がある。


 石造りのアーチはそれ程高くはなく、そこを通るためには私の背丈だと少しかがむ必要があって、アーチを通ったなら雰囲気ががらりと変わった暖炉のある部屋が現れる。


 どうやらアーチは部屋と部屋を遮る壁というか、ドアのような役目を与えられているようであり……暖炉の間から正面に見えるアーチの向こうにはベッドが並んでおり、右のアーチの向こうには食堂のような空間があり、左のアーチの向こうにはなんとも言えない不思議な空間がある。


 一切の家具がなく、絨毯も敷かれておらず、地面にレンガを組んで作った四角い変な区切りがあって……その隅には穴が空いている。


 一体この部屋何なのだろうか? と、私が首を傾げていると……私の足元へとセナイとアイハンが駆け寄ってきて、セナイの頭の上にちょこんと乗っかっているエイマが声を上げる。


「ああ、この部屋は水浴び用の部屋ですよ。

 エルダンさんのお屋敷にもありまして、ボクも何度か使ったこともあります。

 入り口のアーチのとこにある金具に目隠しの布をかけて、汲んできてもらった水で体を洗って、そしてそこの穴から使った水が排水されるという仕組みになっています。

 排水穴は地下の水路に繋がっていまして、そのまま川へと流れていくんだそうです」


「それはまた……随分と大掛かりな作りになっているんだなぁ。

 川までの地下水路とは……自然に出来上がったものなのか?」


 排水穴とやらの側にしゃがみ込み、穴の奥はどうなっているのかと覗き込みながら私がそう返すと、エイマが地下水路に関しての説明をし始めてくれる。


「いえいえ、井戸と同じで人工的に作ったものですよ。

 横に掘った井戸、といえば分かりやすいですかね? 水源となる山から人が住む場所へとながーい横穴を掘って、飲用水にしたり畑に撒く水にしたりするんです。

 山から水を引く水路と、排水するための水路は別になっていまして、飲用水が汚れないようにとの工夫までしているんですよ。

 更にですね、風の力と言いますか、風が流れる際に起こる特別な力を利用する採風塔というものもありまして、ほら、ここの壁の四隅にもあったじゃないですか、あの塔が強い風を受けると、塔の中で風の力が巻き起こって塔の中の空気が吸い上げられて、地下から室内にすーっと冷たい風が吹いてくるんですよ。

 今はまだ涼しい季節なので採風塔に繋がっている穴は塞いでいるみたいですけど、夏場になるとそこを開けて、そこから冷たい空気が流れてきて室内を驚くくらいに冷やしてくれるんですよ」


「へー、なるほどな!」


 エイマの説明に対し、私は笑顔でそんな言葉を返す。


 なるほど、と言ってみたものの、私にはその内容のほとんどが……特に後半部分がさっぱりと理解出来ていなかった。


 だがまぁ、とにかく夏になるとこの部屋は風のおかげで涼しくなるのだという部分は理解出来ていたので、それで良いかと説明の全てを理解することをすっぱりと諦める。


 するとそこに鼻をすんすんと鳴らすフランシス達を連れたアルナーがやってきて、


「ふむ、なるほど。

 絨毯や家具で塞がれていた変な穴はそのためのものか」


 と、何故か短剣を手にしながらそんなことを言ってくる。


「……なんで短剣なんか手にしているんだ?」


 と、私がそう尋ねるとアルナーは、不思議そうな顔をしながら首を傾げて、当然だろうとでも言いたげな表情で言葉を返してくる。


「カマロッツの紹介とは言え、初対面の相手の家だ、何処に何が潜んでいるか、どんな仕掛けがあるか分かったものではないからな、家具の中から絨毯の裏まで確認するまでは油断は出来ないだろう?

 一度寝入ってしまうと何かがあっても中々起き上がれないものだからな、そうなる前に寝所をしっかりと確認しておくことは必要なことで……いざ何かがあった際に突き立てる為の短剣を手放すなんてのはありえないことだ。

 イルク村の中ならばそんな心配をする必要はないが……一歩でも外に出たなら油断をする訳にはいかないだろう。

 当然セナイとアイハンにも懐の中に短剣を隠しておくように言い付けてあるし、エイマにも短剣は流石に無理だが、特別頑丈な針を持ち歩くようにと渡してあるし……ん? エイマ、あの針は何処にやった?」


 そう言いながらエイマのことを見やり、それに対してエイマはニコリと笑い、革製の肩掛け紐でいつも肩から下げている小さな本をタシタシとその小さな手で叩いて見せる。


 それはつまり本の中に、ページとページの間にその針を挟んであるということなのだろう……そんな態度を受けてアルナーは、なんとも満足げな笑みで力強く頷く。


 そうしてからアルナーとフランシス達は、他の場所を確認するためなのか短剣を手にしたまま……警戒心を顕にした表情で歩いていって……それにならおうとセナイとアイハンも懐に潜ませていたらしい短剣に手をやりながらアルナー達の後を追いかけていく。


 うぅむ、誰かが部屋の中に潜んでいるかもしれないから、変な仕掛けがあるかもしれないからの警戒、か。

 そういうことは大体部屋の中に入った瞬間になんとなく直感で気付けるものだから深く考えたことは無かったが……そうか、女性も子供も居るのだからしっかりと確認はすべき、か。


 そしていざという時のために懐に武器を忍ばせておく、か。

 戦斧はそう使い方には向いていないからなぁ……いざとなったら素手でもそれなりにやりあえるつもりだが、それでも何か持つようにすべきなのかもしれないな。


 そうなるとやはり短剣か……短剣……。

 戦地に居た頃、ジュウハに持てと言われて持っていたことがあったんだが、どうにも頼りないと言うか、いざ何かがあっても上手く扱えなくて相手に投げつけるくらいしか出来ないんだよなぁ。


 うぅむ、手斧ならまだ扱える方だから、携帯しやすい大きさの手斧でも用意してもらうべきだろうか?


 と、そんなことを考えながら私も周囲の確認をしておくかと、神経を尖らせながら室内を見て回り……なんとなく感じるものがあったので、その直感に従い一旦部屋を出る。


 そうして中庭に出たなら視線を上げて……壁の上部にある歩廊へと視線をやる。


 するとそこには周囲を見張ってくれているのか、視線を外へとやりながら歩き回っているカマロッツの部下達の姿があり……更に視線を上へとやると、普通の鳩よりも大きな体をした鳩が夕暮れ空を円を描きながら飛んでいる。


 よく見てみればその鳩は服のようなものを身にまとっていて……鳩人族のゲラントの仲間なのかもしれないな。


 どうやらカマロッツ達……というかエルダンもまた私達の安全面だとかに結構な気を使ってくれているようだ。


 これだけ立派な壁があって、歩廊と上空からの目もあって……外の敵が何かをしてくるなんてことはまず無いだろう。

 壁の内側へと意識をやっても、忙しそうにあちこちを行き交っている職員が居るだけでおかしな動きをしている者も、変な気配を漂わせている者も見当たらず……それでもあえて感じるものがあるとすれば、夕食の支度でもしているのか、何処からともなく香辛料を焼いているらしい良い香りが漂ってくるだけだ。


 これならば心配する必要は無いだろうと安堵し小さなため息を吐き出し……そうして部屋に戻ろうとした、その時だった。


 まず上空の鳩人族が何かに気付いたのか動きを見せ出し、次に歩廊の上の見張り達も何かに気付いたようで、落ち着かない態度を見せ始める。


 それらの動きを受けて私もまた警戒心を高めるが……どうにも様子がおかしい。


 歩廊の見張り達の動きが敵を見つけた者の動きではないというか、声を上げて内側の者達に危険を報せることすらしておらず、ただただオロオロとして動揺しているだけといった有様だ。


 エルダンの護衛をすることもあるらしいカマロッツの部下が、なんだってまたそんなことになってしまっているのだと訝しがっていると……そんな様子に気付いたカマロッツが歩廊の上へと続く階段を駆け上がっていって、見張りと言葉を交わし始める。


 そしてすぐに見張りが指し示す方向へと視線をやり……カマロッツもまた露骨なまでに動揺し始め、オロオロとし始め……そしてすぐに私の視線に気付いて、凄まじい勢いで階段を駆け下り、こちらへと駆け寄ってくる。


「でぃ、ディアス様! 大変申し訳ないのですが、その、急な来客がいらっしゃったようでして……!」


 駆け寄ってくるなり息を切らしながらそんなことを言ってくるカマロッツに私は首を傾げながら言葉を返す。


「カマロッツがそんなにも驚く来客とは一体全体誰がやってきたって言うんだ?」


「ね、ね、ね、ネハ様です!

 エルダン様の御母上であるネハ様専用の馬車がこちらに向かって来ているようでして……!

 前々から事あるごとにディアス様にお会いしたいと仰ってはいらしたのですが、まさかこんな強硬策に出るとは……。

 明日になればあちらのお屋敷でいくらでも時間を取れるというのに……!」


 そう言ってカマロッツは両手のひらを上に向けてわなわなと震わせる。


 以前エルダンからエルダンの母親は立派な人であるのだが、同時に自由過ぎて豪快で厚かましい人でもあると聞いていた私は、なるほど、聞いていた通りの人物であるようだと納得する。


「まぁ、うん、エルダンの母親であればこちらとしては何の問題もないぞ。

 明日会う予定だったのが、今日会うことになった……ただそれだけのことだ」


 納得した私が頷きながらそう声をかけると、カマロッツは今までに見たことのない類の、救われたとでも言わんばかりの笑顔を見せてから、


「で、では、ネハ様を出迎えるための準備をしますので、一旦失礼します!」


 と、そう言ってから黄色いドアの食堂の方へと駆けていく。


 その姿を見送った私は……アルナー達にこのことを知らせるかと、部屋の中へと戻るのだった。

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