第125話 戦闘開始


 ――――イルク村 ディアス



 夜が深くなり、太陽が残した熱が失われていって……更に北からの風もあって寒さが厳しくなってきた頃、産屋となった集会所の入り口が開き、マヤ婆さんが姿を見せる。


 寒さに身震いしてから厠にでも行こうとしているのかゆっくりと歩を進め始めるマヤ婆さんの側に駆け寄った私は、同じ歩調で足を進めながら中の様子が知りたいとの一心で声をかける。


「どうだ? フランソワ達の様子は? 

 それとアルナーやマヤ婆さん達にも問題はないか?」


「心配する必要はないよ。

 妊婦達は皆順調だし……あたし達も交代で休んでいるからね、お産が長引いて四日も五日もかかったとしても、支障なく赤ん坊達をこっちに引き寄せてやるともさ」


 私が声をかけてくることを予想していたのだろう、マヤ婆さんはさらりとそう言って厠の方へと足を進めていく。


「……引き寄せる?」


 その言葉の中で一つだけ引っかかる単語があって私がそう尋ねると、マヤ婆さんは半目で大きなため息を吐き出してから、言葉を返してくる。


「まったく……良い年をした大人がそんなことも知らないでどうするって言うんだい。

 良いかい、妊婦達のお腹はね、神様の世界に繋がっているんだよ。

 赤ん坊はその世界からの贈り物で……あたし達が引き寄せてやらないとこちらの世界での生を得ることが出来ないんだよ。

 ただ産めば良いってもんじゃぁないんだ。精一杯の手を尽くしてやって、上手くこちらの世界に引き寄せてやって、薬草入りの産湯に入れて清めてやって……それでも赤ん坊はあっちの世界に近いからね、ちょっとしたことであっちの世界に帰ってしまうもんなんだよ。

 ……ま、フランソワも犬人の嬢ちゃん達もお腹を痛めながらも元気に笑っていたからね、あの様子なら問題は無いだろうさ」


 マヤ婆さんのその言葉に「なるほど」と私が頷いていると、マヤ婆さんは半笑いになって言葉を続けてくる。


「産屋が何度か騒がしくなっただろう? あれは妊婦達の笑い声だったのさ。

 篝火の灯りを受けて壁に写り込んだ、右往左往するアンタの影姿を見て、まるで迷子になった熊みたいだってそんな冗談を言い合ったりしてね……本当に頼もしい限りだよ」


 そう言ってマヤ婆さんは片手を軽く振って、見張りに戻れと促してきて……私は素直に従い、集会所の方へと足を向ける。


 そうして篝火が消えないように薪を足してから……それで皆が笑ってくれるならと、熊のように両肩を持ち上げて、のっしのっしと歩き回るのだった。




 ――――草原北部、仮設ユルト クラウス



 夜が深まり月が動き、マヤが襲来を予言した翌日となって、北の山から冷たい風が吹き降りてきた頃……何かの気配を感じ取ったのか、ユルトの中で待機していたマスティ達の様子に変化が表れる。


 匂いを感じ取ろうと鼻を突き上げ、漂う空気をいっぱいに吸い込み、落ち着かない様子で立ち上がり、ぐるぐるとユルトの中を歩き回って「何か」の正体を懸命に探ろうとし始めたのだ。


 アースドラゴンの素材から作り上げた竜牙と呼ばれる戦闘用のマスクと、竜鱗のマントと呼ばれる防具を揺らしながら忙しなく歩き回り続けるマスティ達を見て、ユルトの最奥で胡座をかいていたクラウスは、側に置いていた槍を手にとって、静かに立ち上がりユルトの外へと足を向ける。


 するとユルトの外、篝火の側で見張りをしていたマスティ達の氏族長マーフもまた「何か」を懸命に探ろうとしていて……クラウスは周囲を警戒しながら体をほぐしていつでも動けるようにと備え始める。


 そうしてクラウスが十分に体をほぐし終えた頃……離れた地点での見張りを任せていたマスティ氏族達の威嚇の声が北の方から響いて来る。


 その声を耳にするなりクラウスとマーフと、ユルトの中にいたマスティ氏族達は、すぐさまにユルトから北に少し進んだ一帯へと足を進め、そこに篝火を立てて、いざという時の為の戦場を整え始める。


 見張りのマスティ達はクラウスの指示通り、まずは威嚇をしているようだ。


 それで相手が退かなければ足への攻撃が開始されて……それでも相手が退かず、かつ手に負えないようならこちらに誘導するという手筈になっている。


 簡単な落とし穴などの備えをしたこの一帯で、連携しながらの攻撃を仕掛け、それでも手に負えないようならイルク村に居るディアスに頼ることになる……が、そこまでの強敵が現れるなんてことは、そうそうあることではない。


 ディアスでなくとも自分達ならば、これまで毎日欠かすことなく訓練をしてきた自分達ならば十分にやれるはずだとクラウスが鼻息を荒くしていると、威嚇をしていた見張り達がマントをはためかせながらこちらへと駆け戻ってくる。


 どうやら相手は彼等の手には負えない厄介な相手であるらしい。


「ロアン! センガ! トクデ! 報告を!」


 駆け戻って来た者達にクラウスがそう声をかけると、名を呼ばれた三人は慣れた手付きでマスクを外し、声を返す。


「モンスター! 大きい! 遅い!」

「柔らかい! 竜牙で貫けた!」

「でも怯まない! 止まらない!」


 そう言って息を整え、体勢を整える三人にクラウスは、しっかりと頷いて、


「よくやった! 消耗しているなら後方に下がって休め!」


 と、声をかける。


 相手が何者であるのか、どのくらいの大きさであるのかはっきりとしない報告だったが、雲の多いこの闇夜の中ではそれも仕方ないことだろう。


 むしろ己の鼻だけを頼りによくやったものだと、クラウスが彼等の頑張りを誇らしく思っていると、クラウスの表情からその思いを察したのだろう、体勢を整えた三人は尻尾を激しく振り回しながら、マスクを被り直し、クラウスの側で戦闘態勢を取り始める。


 そうしてクラウスと、マーフを含めて七人となったマスティ達が戦闘態勢を取っていると……そこに何かを引きずるような、大きな音が響いてくる。


 その音から少し遅れて大きな黒い影が姿を見せて……クラウス達の周囲に立つ篝火が、ゆっくりと動くその影の正体を照らし出す。


 黒い鱗に覆われた大きな体、それを支える四本の太い脚、引きずられながらゆらゆらと揺れる長い尻尾。

 顔の両脇についたギョロリとした独特な目と、大きく前に長い顎と、上顎の先端にある鋭い角が特に目を引くその正体は、クラウス曰く、


「……なんだ、ただの大蜥蜴おおとかげか」


 であった。


 モンスターではあるが、火を吐くこともなく、特別な能力も持たず、身に纏う瘴気も大したことはない。

 その巨体と、巨体に見合った力と生命力だけが特徴とも言える大蜥蜴を前にしたクラウスは、安堵のため息を吐きかけて……いやいや、油断は良くないと大きく息を吸って、弛緩しかけた体を引き締め直す。


「こいつは人間も一呑みにしてくるからな! 一番に大顎を! 次に振り回される尻尾に気を付けろ! 

 正面には俺が立つからお前達は左右に立って、まずは足、次に脇腹を攻めろ!

 無理に攻めず、怪我をしないことを第一に! 巨体に潰されないようにも気を付けろよ!!」


 続いてそう声を上げたクラウスは、マスティ達が指示に従って大蜥蜴を囲うように広がったのを見て、満足そうに頷き……そうして槍を構えてその先端を大蜥蜴の方へと突きつけるのだった。


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