第57話 戦いの幕が上がり、喊声が響く



 ――――ディアス



 戦鐘が鳴り響き中央の敵軍が突撃してきて、動きを止めて……それから少しの時が経ったが、敵軍にこれといった動きは無いままだ。


 遠眼鏡を覗き込み、敵の各軍の様子を見てみると……中央の兵士達は相変わらず周囲をキョロキョロと見回していて、前進しようともせず後退しようともせずに、ただただその場で立ち尽くしている。


 左翼の傭兵達は、武器を構えもせずこちらを見ようともせずに……何やら話し合っているというか、揉めてしまっているようにも見える。


 そして右翼のエルダン達はというと……一体何がどうなって、そんなことをしようと思い立ったのか、陣の後方の荷馬車から引っ張り出して来たらしい白いテーブルといくつかの椅子を並べ始めていた。


 テーブルの上にテーブルクロスを敷いて花瓶を飾り、花を飾り……そのすぐ側では竈の設営まで始まってしまっている。


 一体エルダン達は何をしようとしているのだろうか……。


「あ、ディアス様。

 ディアーネ達に動きがありましたよ、ディアーネの下から従者達がそれぞれ1人ずつ、左翼と右翼に向かって駆け出しました。

 ……伝令を使うのなら最初から戦鐘なんか使わなければ良いのに……」


 私と同じく遠眼鏡で敵軍の様子を窺っていたクラウスからそんな報告が入り、そちらへと遠眼鏡を向けてみると……ああ、本当だ、従者達が必死の形相で駆けているな。


 伝令……にしては足が遅すぎるし、そんな彼らを伝令にしなければならないような不測の事態が起きた、ということだろうか?


 ……一体何があったのやらなぁ。


「……このまま敵軍に動きがあるまでは様子を見よう」


 敵軍に一体何が起きているのか、敵軍は一体何がしたいのか。

 何も分からないままではあるが、兎にも角にも敵軍の動きを待つかと私はそんな指示を出したのだった。



 ――――ディアーネ軍、右翼


 

 戦地用の簡易竈の設営が終わり、竈に火が入れられて……竈の上に置かれた細長いケトルが湯を沸かし始める。

 竈のすぐ側ではカマロッツが茶葉とティーポットの準備を始めていて、そんなエルダン達の下にディアーネの従者……絹のブリオーと脚衣を纏った太身の中年男が駆け込んでくる。


「え、エルダン殿、一体どういうおつもりなのですか!?

 何故全軍突撃の指示があったというのに軍を動かさないのです!!」


 駆け込んでくるなりに声を荒らげる中年従者に対し、ゆったりと椅子に腰掛けたエルダンは涼やかな視線を送るだけで何も答えない。


 武器も持たず、鎧も身につけず、普段と変わらない格好のエルダンは、無言のまま優雅な仕草でテーブルの向かいに置かれた椅子に腰掛けるようにと促し……困惑する中年従者がその椅子に腰を下ろすと、ようやくその口を開く。


「ティータイムであるの」


「……は?」


「大事な大事なティータイムであるの。

 父エンカースの遺言で、どんな時でもどんな状況でも貴族らしく、貴族の嗜みたるティータイムを欠かさないようにと言われているの。

 だから今は軍を動かすより、ティータイムを楽しむことの方が大事であるの」


 予想もしていなかったエルダンの言い分に、中年従者は驚きのあまり何も言えなくなってしまう。


 何かを言おうと口をパクパクと動かしてはいるが、何を言って良いものやら言葉が出てこず……中年従者がそうこうする間にティータイムの準備が進んでいく。


 エルダンの前に質素ながらに高級さを感じさせる白いティーカップが置かれて、カマロッツの持つティーポットから琥珀色の紅茶が注ぎ込まれていって……そこでようやく考えがまとまったのか中年従者が言葉を吐き出す。


「よ、よもやそんな妄言を理由に王命に逆らうつもりなのですか!?

 エルダン殿は王命を一体何だと考えているのですか!!」


 そんな中年従者の言葉を受けてもエルダンはその涼やかな表情を崩すことなく、紅茶の色を目で楽しみながら静かに冷静に言葉を返す。


「貴殿はおかしいことを言うであるの、僕はちゃんと王命に従ったであるの。

 王命書の通り、糧食に資金、武器に兵力と、十分過ぎる程の協力をしたのを忘れないで欲しいの」


「ぐ、軍を一歩も動かそうとしないで何が協力ですか!!

 すぐにでもあの敵を討つべく、軍を動かしなさい……!」


「……敵? 何処に敵が居るであるの?

 まさかあそこに見えるディアス殿達を指して敵と言っているであるの?

 たった2人で、この大軍を前にしても堂々と立っているあの2人が敵だというつもりであるの?」


 そこでエルダンは一旦言葉を切り……鋭くした視線で中年従者を睨み、その声を冷ややかなものへと変えてから言葉を続ける。

 

「僕には敵には見えないの~。

 正装でたった一人の従者を連れて挨拶をしに現れた、この地を治める立派な領主様にしか見えないの~。

 仮にあのお二人が敵なのだとしても、1000人もの僕の軍を動かす必要性は無いと思うの~。

 ディアーネ様ご自慢の、あそこにいる精鋭達だけで十分だと思うの~。

 何しろ相手はたったの二人! 

 僕がわざわざ、1000人もの軍を動かして援軍を出す必要は全く無いと思うの~。

 ……大体においてあの宛名すら書いてない王命書には協力せよ、としか書いてなかったの~。

 僕は既に十分過ぎる程の協力をして王命を遵守しているであるの~。

 ディアーネ様が何かを成したいというのであれば、ディアーネ様自らの手でなさると良いの~。

 ……それでも、どうしても軍を動かして欲しいというなら、ティータイムが終わるまで待つのが協力を乞う側の礼儀というものであるの」


 エルダンのその言葉に中年従者が何かを言い返そうとするが、そんな中年従者をエルダンは片手を上げることで制止し、ティーカップにもう片方の手をそっと添えて、そこから漂ってくる香りを堪能し始める。


 そんなエルダンを見て中年従者があれこれと感情のままの言葉を投げつけるが、エルダンはそんな言葉達を完全に無視して、ゆっくりと優雅にティーカップを持ち上げて紅茶の味を楽しみ……ティーカップを空にしたかと思えば直ぐ様にカマロッツにおかわり! と声をかける。



 結局中年従者は、そのティータイムがいつまでも終わらないものであると、エルダンが三杯目の紅茶を飲み始めた所でようやく察し……それ以上は何も言わずに憤慨した様子でその場を立ち去るのだった。

 


 ――――ディアーネ軍、左翼



「……おかしいとは思ってたんだよぉー。

 えらく金払いが良いのに、他の連中がなんでこの仕事を受けなかったんだろうってなぁー。

 賊の討伐だってのに西へ西へと向かってるのも変な話だしよぉー……。

 荒れてる東の方が賊は多いだろうがよぉー……。

 でもよぉ、まさか標的がディアスだなんて……王女がディアスを討とうとしてるなんざ思いもよらねぇってんだよぉー……。

 戦争が終わって食い扶持が減ったからって焦るもんじゃねぇなぁー……」


 左翼に陣を敷く傭兵達をまとめ上げる傭兵隊長ゴードンはこの草原に布陣してからというもの……ディアスの姿をその目で確認してからというもの、そうして一人でボヤき続けていた。


 ゴードンが従える傭兵達がいくら声をかけても反応せず、肩を叩いても掴んでも反応せず、ボサボサ灰髪と髭にまみれた頭を抱えたまま、ただただボヤき続けていた。


 戦鐘が鳴り響き、全軍突撃の合図がなされても、尚もその状態でボヤき続けていたゴードンは、そんなゴードンの正気を疑った傭兵の一人が剣の柄に手をかけたことで、ようやく自らの頭をその両手から解放する。


「撤退だ。

 そんなナマクラを抜く暇があったらさっさと準備を始めろ。

 ディアスに目付けられる前にここから逃げ出すぞ」


 頭を抱えるのを止めるなり、剣を抜こうとした傭兵の事を見もせずにそう言い放ったゴードンに、周囲に居た傭兵達はギョっとする。

 

「そのくらいの気配を読めねぇで傭兵隊長がやれるかよ。

 俺は正気だ、余計な心配をしてるんじゃねぇよ。

 ……ほれ、時間はねぇぞ、さっさと撤退の準備を始めろ」


 そんなゴードンの指示があり……傭兵達は素直に指示に従って撤退の準備を始める者達と、指示に従わずにざわついて、あれやこれやと言葉を交わし合う者達に分かれる。


 そうしてゴードンの周囲が騒がしくなっていく中、一人の下っ端傭兵が嫌々渋々といった態度でゴードンに言葉をかけてくる。


「……あ、あの、隊長?

 な、なんでまた撤退なんて話に? 相手がいくら救国の英雄だとはいえ、たったの2人ですよ?

 成功報酬だって凄い額なんですし……撤退なんかしないでいつも通りにやりましょうよ。

 ら、楽勝ですよ、あんな奴ら!」


 恐らくはゴードンの指示に従っていない傭兵達に、下っ端のお前が聞いて来いとでも言われてしまったのだろう。

 下っ端傭兵は見るからに及び腰でオドオドとしている。


 ゴードンはそんな下っ端傭兵の様子に深い溜め息を吐いてから……指示に従おうとしない者達全員に聞こえるようにとの大声を上げる。


「なーにが楽勝だ、この馬鹿共が!

 あそこに見えるのは血斧だの皆殺しだの、狂戦士だのと言われたあのディアスだぞ。

 おまけにその隣に見えるのはディアスと一緒になって敵陣に突っ込み続けた命知らず部隊のクラウスだ。

 楽勝だとか夢見てんじゃねぇぞ!!」


 そんなゴードンの大声に怯んでしまい、下っ端傭兵が何も言えなくなってしまうと、仕方ないかといった様子で別の傭兵の一人が声を上げる。


「……だけど、こっちの戦力は200人ですよ。

 2人を相手に200人のこっちが負けるとか、それはいくらなんでも……」


「……そりゃぁな、200人も居ればディアスとクラウスがいくら強いっても勝つことは出来るだろうさ。

 ……勝つことは出来るが、その為に何人殺されるかって話なんだよ。

 30か、40か……もしかしたら50人はやられるかもしれねぇな。

 その上、此処はあいつらの縄張で地の利が向こうにあるってのも問題だ。

 罠だの伏兵だのがあったらもっとひでぇことになるぞ……最悪の場合100人以上はやられるかもしれねぇ。

 何があったか知らねぇがカスデクス公の軍も動かねぇようだし……それでも割に合うと思う奴がいるなら俺が逃げた後で好きにやれ。

 前金も成功報酬もやりたい奴にくれてやらぁ」


 そう言ってゴードンは金貨がたっぷりと詰まった袋を懐から取り出し、声を上げた傭兵目掛けて放り投げる。

 だが、その傭兵は袋を受け取ろうとはせず、何かおぞましい物を投げつけられたかのように飛び退いて金貨の詰まった袋から距離を取る。


 他の傭兵達にもゴードンの言葉と態度が重くのしかかっているのか、誰一人としてその袋に近付こうとしない。


「……賢明だな。

 仮にディアスの討伐が上手くいったとしてな、ディアスに危害を加えたと知られたらもうこの国じゃ生きていけねぇよ。

 んなことやっちまったらこの国中の傭兵達が敵に回ると思え。

 あの戦いの中でディアスに命を救われたって傭兵は多い。そうで無くともディアスは国と故郷を守ってくれた恩人だ。

 業界のジジイ共がそういった義理だの人情だのを大事にしてるってのはお前らも知ってるよな?

 ……今、俺達が最優先でやるべき事はさっさと此処から逃げて、ジジイ共に頭下げて釈明することなんだよ。

 ……この業界でディアスに手を出そうとする馬鹿は、あの戦争に参加してねぇお前らみたいな腑抜け共か、盗賊紛い共くらいだろうよ」


 ゴードンがそう言うと、また別の……ゴードンが顔も名前も覚えていないような傭兵の一人から声が上がる。


「しかしですよ、王女の依頼を蹴っちまうってのもそれはそれで問題があるんじゃぁ?」


「問題はあるだろうが、それでも国中の傭兵達を敵に回すよりかはマシだ。

 それに、あの王女が死ねばその問題自体が無かったことになるってことも忘れるんじゃねぇぞ。

 ……ほれ、くだらねぇ問答はこれで終いにして、さっさと撤退の準備をしやがれ」


 この場から去り、王女よりも先に街へと戻り……そこで状況を見て場合によっては王女に対処する。


 ゴードンの言葉の裏にあるそんな意図を察した傭兵達は、これからもゴードンに付いていくのか、付かないかの算段を頭の中でしながら、撤退の準備を始めるなり、既に始めていた準備を再開するなりしていく。


 武器をしまい、マントで体を覆い、かさばりそうな物はそこらに捨ててしまって……と準備が進む中、ディアーネの下より従者が駆けてきて、戦鐘の合図に従い進軍せよとの要請をしてくるが、ゴードンは一切の耳を貸さず、金貨の入った袋をその従者に押し付けて、ディアーネの下へ帰れと追い払ってしまうのだった。

 

 

 ――――ディアス



 伝令が役目を終えてディアーネの下へと戻って行ったのだが敵軍の状況は変わらず、一歩も動かないままだ。


 ……いや、エルダンが紅茶を飲んでしまっていたり、傭兵達が撤退し始めている辺り、敵軍の状況はまだ何も始まっていないというのに、悪化していると言って良いだろう。


 エルダンがそうしている理由は……まぁ、なんとなく察しが付くが、傭兵達が撤退しようとしている理由の方はよく分からない。


 戦争中に私が知り合った傭兵達はたとえどんな状況でも敵前逃亡などは絶対にしなかったし……そもそも今の状況は敵側の方が圧倒的に有利であり、撤退する理由など一つも無いと思うのだが……。



 遠眼鏡を覗き込みながらそんなことを考えていると、ディアーネ達に動きがある。

 

 先程伝令に走った従者達と、ディアーネの側に控えていた従者達が何やら武器を持たされて……中央の軍へと合流する為だろうか、中央の軍の方へと向かって悲壮な表情を浮かべながら駆け始める。


 そんな従者達の後方では馬上のディアーネが派手で目立つ杖を振り回しながら、杖で戦鐘を連打しながら狂気に染まった顔で何かを叫んでいるようで……従者達が合流した中央の軍は、そんなディアーネの叫びに背を押されてしまってか、士気低く勢い無くこちらへと進軍し始める。


 ああもう、まったく……エルダン達も傭兵達も動かせず、どうしようも無くなったというのなら、一度退いて作戦を練り直せば良いものを、一体どうして無闇無謀に兵士達を進軍させるのか。


 ディアーネに呆れ、ディアーネに従う者達にも呆れて……そして両者に同情していると、クラウスとマーフ達と、私の懐の中に居るエイマの視線が私に向いていることに気付く。


 ……そうだな、今は敵軍の心配をしている場合では無かったな。何しろ敵がこちらへと進軍して来ているのだからな。


 ……よし。


「……敵の数は50と少し、士気は低く、見たところ練度も低い。

 私達が力を合わせれば負けることはまず無いだろう―――」


 私のそんな言葉の途中で、クラウスがニッと笑い、マーフ達が尻尾を激しく振り始める。


「―――と、いう事で作戦を変えたいと思う。

 とりあえずあの兵士達全員、此処でこのまま迎え撃ってぶん殴った上で武器を取り上げて無力化しよう。

 全員を無力化したらディアーネの下へと駆けて、ディアーネも一発ぶん殴る。

 一発殴ってやればあの馬鹿共も目を覚ます事だろう」


 と、私が言葉を終えると、クラウスは一瞬だけ驚きの表情を浮かべてから大きく笑い、マーフ達はマスクの中でワフッワフッと小さく吠えながら尻尾の振りを更に激しくする。

 

「ど、どうしてそうなっちゃうんですかー!!

 手加減が出来る数の差じゃないでしょーーー!!

 そんな危険な真似、絶対に駄目ですー!!」


 と、唯一作戦変更に反対であるらしいエイマが私の胸を激しく叩いてくる中、私はどう戦うのかの細かい作戦をクラウス達と練っていく。


 そうしている間に敵兵がこちらへと近付いて来て……私は敵を威嚇しようと、味方を鼓舞しようと、全身に力を込めての雄叫びを上げる。


 その声を合図に、クラウスが駆け出し、マーフ達が草の中をカサカサと移動し始めて……戦いの幕が上がるのだった。



 ――――????



『……うん、良い喊声かんせいだ。

 これは私達も負けていられないな。

 ……よし、ディアスがアレを討たないと言うのなら……せめて草原の呪いの一端でもって、あの馬鹿頭にこれ以上無い恐怖を刻み込んでやるとしよう』


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