第52話  第一王子リチャード

――――王都 王宮 ある一室で



 王都にある王宮には『リチャード王子のダンスホール』と呼ばれる部屋がある。


 人々が激しく踊り、いくつも楽器で音楽を演奏する部屋だからと、音が漏れることの無いよう、頑丈な……特別な造りとなっているその部屋の床には豪華な刺繍のされた分厚い絨毯が敷き詰められていて、四方の壁を見ればそのあちらこちらになんとも豪華な宝石混じりの装飾が飾り付けられている。

 

 まさに豪華絢爛という言葉が相応しいそのダンスホールには、無粋な邪魔が入らぬようにと扉は一つだけしか存在せず……その扉の前には、常にリチャード直属の護衛達が見張りに立っており……ダンスホールの中の様子を直接自らの目で見ることが出来た者は王宮内でも極僅かな者達に限られている。


 中の様子を見たことは無いが、その存在を聞き及んでいるという人々は、そんなダンスホールに毎日のように足繁く通うリチャードを蔑み、せせら笑うが……当のリチャードはそんなことなど何処吹く風と言った様子で気にも留めず、今日も今日とてダンスホールへと足を運んでいる。

 



 首にかかる程の長さの美しい銀の髪、涼やかで鋭い銀の瞳……そして透き通るような白い肌の美青年リチャードが、何人かの護衛と従者達を引き連れながら扉を開け放ち、ダンスホールへ足を踏み入れると……途端に喧騒に包まれていたダンスホールは静まり返る。


 ダンスホールの中に居たのは青年といえる程の年齢の、派手な服に身を包んだ貴族達で……彼らは俗に『第一王子派閥』と呼ばれる貴族達だ。


 そんな貴族達はそれぞれがその手に様々な何枚もの書類を持っていて……先程までの喧騒はそれらの書類に書かれた内容についての会話であったらしい。


 王国……サンセリフェ王国の軍政、農政、財政などについてが書かれた書類を片手に、激論を交わしていた貴族達のその目には……善良だが愚かな王と、そんな王に群がり得利を貪る官僚達の手によって壊されつつある国をなんとか立て直そうという確かな強い意思が宿っている。


「ディアーネの下に潜り込ませていた者がディアーネの動向についての情報と共に帰還した。

 どうやらあの馬鹿は建国王様の王墓を襲撃したようだ」


 ダンスホールに入るなりのリチャードのその一言で、ダンスホール内の空気が一気にざわつく。

 いや、誰一人として言葉は発していないのだが、貴族達の怒気と殺気が混じりあい、そうした空気がまるでダンスホール内がざわついているかのように錯覚させてくる。


 そうした空気の中、リチャードが片手を上げての指示をすると、側に居た護衛の一人がリチャードの言う所の潜り込ませていた者……プリネシアが持ち帰った情報、ディアーネの所業についてを仔細に報告し始める。


 そうやってディアーネが何をやったかが明らかになるに連れて、ダンスホール内のざわめきは更に大きくなっていって……ついには何人かの貴族達がたまらずに言葉を漏らし始める。


 この事態にどう対処すべきか、第一王子派閥はどう動くべきか。

 どうしたら王国の、第一王子派閥の利となるのか。

 大罪を犯したディアーネにどんな罰を与えるべきか……などと様々な意見が貴族達の間で交わされていく。


 そんな騒ぎに反応を示すこと無くリチャードは、王家の者のみに身につけることを許された外套を脱ぎ、近くに居た従者へとそれを預ける。


 そうやって白いシャツに黒いベスト、黒いズボンという派手なダンスホールに似合わぬ地味な姿となったリチャードは、従者の一人が部屋の隅から持って来た無骨な造りの椅子へとゆっくりと、やや仰々しい仕草で腰を下ろす。


 そうして一つ息を吐いたリチャードはゆっくりと口を開く。


「今回の件に関しては一切の手出しは無用だ。

 追討しようにも今からではもう間に合わん。

 ……仮に間に合ったとしてもディアスと鉢合わせになってしまう危険性がある」


 リチャードが椅子に腰を下ろすなりに発言を止めて、その側へと集まり、姿勢を正し整列していた貴族達は、リチャードのその言葉に驚愕し困惑し始める。

 そんな風に貴族達に困惑が広がる中で、一人の貴族がリチャードに向かって声を上げる。


「……その決定には以前に殿下から下された、何があっても決してディアスに関わるなとの、あのご命令が関係しているのでしょうか?」


「……そうだ。

 お前はディアスを知らんのだろうが……アレは相手が誰だろうと構うこと無く噛み付いてくる狂犬と呼ぶに相応しい男だ。

 ディアーネがあの狂犬に関わろうとするのであれば……間違いなく噛みつかれて、相当な痛手を負うことだろう。痛手で済めば良いがその命を失うかもしれん。

 ……そんな狂犬にわざわざ近付いて危険を冒すなど馬鹿のすることだ」


 その貴族はそう言われて……そんなリチャードの言葉をなんとか腹の底に飲み込もうとしてはいるようだが、心の底では納得していないのか露骨に渋い顔をしてしまう。


 そんな貴族の様子を見たリチャードの護衛の一人……後方に控えていた老齢の騎士が一つのため息を吐いてからリチャードに声をかける。


「……殿下、若い彼らにディアスの所業についての具体的な話をして差し上げては如何でしょうか。

 知らぬ者からすればディアスは救国の英雄。ただ関わるな……だけでは納得しようにもし難いのでしょう」


「……ならば、お前が話してやれ。

 お前ならアレのことをよく知っているだろう」


 リチャードにそう言われた老齢の騎士は分かりました、と頷いて……リチャードが座る椅子の横脇へと進み出る。


「……説明する前にまず皆様にお聞きしますが、皆様はディアスという男について、どの程度の情報をお持ちなのでしょうか?」


 老齢の騎士のその質問に対し、貴族達はそれぞれが知る情報を口々に漏らし始める。

 孤児出身の救国の英雄ディアス。血斧と敵国に恐れられたディアス。

 平民の味方だと謳われるディアス。どういう訳だかお人好し、玉無しとの二つ名で呼ばれるディアス。

 

 戦場に出たことが無い為か、ディアスを直接見たことが無い為か……如何にも噂で聞き知ったと言わんばかりのそれらの情報に、老齢の騎士は内心で嘆息してから口を開く。


「……では、そうですね。

 ディアスが何故、お人好しと呼ばれたか……その由来をご存知の方は?」


 老齢の騎士のその言葉に答える者は一人も居なかった。

 調べようと思えば調べられるだろうに……と、そんなことを思いながら老齢の騎士は語り始める。


 戦時中、敵地を占領した際には敵国民を皆殺しにせよと、徹底的に略奪せよとの王命が発せられていた。

 これはサンセリフェ王国のいくつかの都市が敵国の手によって、略奪、虐殺の被害を受けたことへの報復を目的とした命令であった訳だが……ディアスは一度も、戦時中ただ一度も敵国民を害することをしなかったのだ。


 王国軍と共にあった時も、王国軍と別行動するようになっても……志願兵達をまとめる立場となった後も、一切の虐殺、略奪をせず、またディアスが率いる志願兵達にもさせなかった。


 故にお人好しのディアス。


 そうした老齢の騎士の説明に、貴族達からは次々と疑問の声が上がる。


 何故ディアスは王命に逆らって罰せられていないのか。

 戦略的に考えてすべきことをしないでは、それは救国の英雄というよりも戦犯と呼ばれる類の行為では無いのか。

 そもそも略奪をしないでどうやってディアスは、志願兵共は糧食を得ていたのか。

 

 それらの疑問に対して老齢の騎士は、


「王命に関しては他の誰でも無い陛下自身が寛容さを示されていましたので、罰が下されることはありませんでした。

 戦犯との意見については当時も存在していましたが……そもそも彼らは平民を寄せ集めた素人集団ですので、そんな彼らがどう動こうとも、たとえ命令を無視しようとも、そんなことでは貴族様方の考えられた大戦略が揺らぐはずが無い……ということだそうです。

 そして糧食に関してですが……ディアスは占領地で、略奪以外の方法で手に入れていました」


 と、答えていく。


 そもそも戦時中、志願兵達には……王国からは一切の糧食の支給がなされていなかった。

 国の為に戦いたいというのであれば武器を普通に扱える程度には訓練をしてやる、いくらかの武器も与えてやる。

 後は好き勝手に戦え、そして国の為に死ね……というのが当時の王国の志願兵達に対するスタンスだったのだ。


 それ程に……志願兵に分けてやる糧食が無い程に当時の王国は追い詰められていた。

 

 そうした状況下でディアスは、戦争の合間に獣を狩って、その肉を得ていた他に……モンスターや盗賊達を狩るなどして、あるいは農作業を始めとした様々な労働をすることで、その対価として占領地の敵国民から糧食を……分けて貰っていたのだ。


「……結果的にですが、ディアスのそれらの行動は王国に利をもたらしてくれました。

 貴族様方が想定していた以上に戦が長引いてしまって……20年。

 その間、ディアス達が占領し管理していた村々からは、税収としてかなりの糧食を得ることが出来ましたので……。

 戦後、王国の領土となったそれらの村々が王国に対し好意的で、統治が問題無く進んでいるのもディアスのおかげと言えるでしょう」


 そんな言葉で老齢の騎士が一旦その口を休ませると……貴族達は様々な疑問や驚きの言葉を口にしながらざわついていく。

 そんな貴族達の様子を少しの間、眺めていた老齢の騎士は、ざわついたままの貴族達に構うことなく次の説明を始めようと口を開く。


「次に玉無しの由来ですが……こちらに関しては口にするのが憚られるような事件が由来でありますので、聞くまでも無く皆様方はご存知無いことでしょう。

 そもそも巷で言われている玉無しのディアスは間違いであり、玉無し刑のディアスというのが正しいのです」


 王国軍には若英部隊と呼ばれる部隊がある。

 貴族の子弟達を中心とした、戦場に出て箔をつけたい、戦果を上げたいと願う者達だけを寄り集めた、戦場観光を目的とした部隊だ。


 そんな若英部隊が戦時中のある時に些細な問題を起こしてしまった。


 戦場の程近い王国のとある村で……若英部隊が自国領土の自国民に対し略奪、暴虐を行ったという……些細な問題。


 戦場での略奪行為を是非にやってみたいとの理由で若英部隊に参加したとある貴族の子弟達が起こしたそんな問題行為を……偶然近くに居たディアスが聞きつけて、そしてすぐさまにディアスはその場へと駆けつけた。

 

 そうしてディアスは暴虐行為に参加していた貴族の子弟達を一人残らず殴り飛ばし、縛り上げて……一体何故こんなことをしでかしたのかと問いただし、たまたま見かけた村娘が美人だったからと答えた子弟達を……力いっぱいに踏み潰したのだ。


 故に玉無し刑のディアス。

 

 幸いにして回復魔法を心得た者が近くに居たので、子弟達は命を失うことは無かった……が、治療は完璧に行えたとは言えず、その子弟達は未だにその時の後遺症に苦しんでいるという。


「まっ……待て待て待て待て。

 一体なんなんだ、その話は!?

 そんなことをしでかして一体何故王宮裁判が開かれていない!? 何故ディアスの首は今も繋がっている!?」


 貴族の一人がとんでもない話の内容に、たまらずといった様子で大声を張り上げる。

 が……老齢の騎士はそう反応されることは予想していたのだろう、涼しげな顔でその大声を受け流す。


「当然、すぐさま王宮から調査官達が現地に派遣されました。

 調査官の手によりディアスは捕縛され、王宮裁判にかけられる運びとなりました。

 ですが王宮裁判が開かれると耳にした様々な方々が……例えば騎士団長などがディアスを庇う為にと声を上げ始めたのです。

 あれ程の戦力を今の戦況で失う訳にはいかないと。

 他にもその事件の起きた地の領主であったサーシュス公爵もディアスを庇い始めました。

 ディアスの行いは正義の下に行われたものであると……」


 老齢の騎士のそんな言葉に、ちょっとした混乱の最中にあったダンスホールは更に騒がしくなっていく。


「……そうして子弟達の立場が悪くなっていく中、調査官達が聞き出したディアスの言い分がトドメとなりました。

 曰く、貴族とは国を、国民達を守る為に存在する特別な生まれの者達であると両親から教えられた。

 ならば自分ディアスが殴り飛ばし、踏みつけたあの馬鹿者達が貴族であるはずが無い。

 あの場に貴族は一人として居なかった……というものです。

 これを聞いた陛下はディアスを大変に絶賛しまして、一人の王国民として全く正しいことをしてくれたと……裁判を開く前の公の場で発言してしまわれたのです」


 貴族が関わるような重大事件を裁く場合、王宮にて王宮裁判が開かれることになっている。

 国王の名の下に開かれ、国王が裁く、王宮裁判。


 その国王がディアスの言い分を正しいと公言してしまうという行為は、それは最早判決を下すに等しい行為だった。


 被害を受けたのが嫡男であるならまだしも、そうでは無い愚息達の不始末の為に、国王や騎士団長達の機嫌を損ねる訳にはいかず……更には始まる前から判決が決まってしまっている裁判で、ディアスのその言い分が正しいなどと認定されてしまっては愚息達だけで無く、自分達の立場にまで累が及ぶ可能性がある。


 そう考えた被害者の親達は、その事件自体を無かったことにするとの方針を決めたのだった。


 そうして王宮裁判は開かれること無くこの事件は終息し、詳細を知る者は一部に留まり……しかし、あまりの事件の内容から噂の火種は燻り続けて……結果、玉無しディアスなどと中途半端な形で噂が広まってしまったのだろうと、そんな言葉で老齢の騎士は説明を終える。



「……この事件もまた王国の利となったと言える。

 馬鹿貴族共が相応の罰を受け、そんな馬鹿共を育てた家も相応の損害を負ったのだからな。

 その家は今、マイザーの……第二王子派の派閥に参加していると言えば、それがどんな家であったのかは想像が付くだろう」


 老齢の騎士に続く形でリチャードがそう口を開くと、ざわついていた貴族達は一斉に静まり返って……そして頷き、リチャードの言葉に同意を示す。


「……しかし問題はそこでは無い。

 利が有った無かったではなく……ディアスが王命に従わぬ男で、貴族を貴族とも思わぬ男であるということが問題なのだ。

 ディアスは戦時中、他にも様々な問題を起こしたが、どうしたことか毎度のように運に恵まれて、一度として罰らしい罰を受けていない。

 罰を受けず反省もせず……自分がそうしたいと思ったなら、躊躇無く俺の首どころか父上の首さえも落としかねん狂犬……それがディアスという男だ。

 アレには決して関わるな、近寄るな、何があっても絶対に手を出すな」


 貴族達はそんなリチャードの言葉を受けて……それぞれに顔を見合わせながら訝しがる。

 そしてその口から漏れ出てくるのは疑問の声の数々。

 

 しばしそうやって言葉を交わし合っていた貴族達の中から、一人がおずおずといった様子で前に進み出て声を上げる。


「お言葉ですが、殿下。

 確かにディアスは道理を知らぬ男であるようですが……しかし話を聞く限り、そう悪しざまに言うような男でも無いように思います。

 平民らしく短慮な愚か者であるというだけで、王族に手を上げるなどと大それたことは流石にしないのではないでしょうか。

 やはり我々でディアーネ……様の討伐を―――」


「ディアスは実際に王族に危害を加えたことがある訳だが……そうと知ってもその意見は変わらないのか?」


 貴族の言葉を遮る形でリチャードがそう言うとダンスホール内が再び静まり返る。


 今度は先程と違い、ただ静かになるだけで無く……まるで真冬になったかのように錯覚してしまう程に場の空気が冷え込んで、貴族達のその表情から血の気が一気に失われる。



 そうしてそのまま貴族達は、誰一人として言葉を発することも出来ずに、ただただ黙り込んでしまうのだった。


 

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