第35話 アルナーの歓喜


「これから移動されるのでしたら、折角ですのであちらの4頭引きの馬車の手綱を握ってみては如何でしょうか?

 これからあの馬車はディアス様の所有物となるのですから、扱い方を学ぶのに丁度良い機会かと思います」


 エルダンからの手紙と目録を読み終わり、一旦イルク村に移動しようとなって、カマロッツからそんな声が上がる。


 私が貰う馬車であるらしいあの4頭引きの馬車は中々に扱いが難しい物であるらしく、移動のついでに御者から扱い方の指導を受けてはどうか、ということらしい。


 御者台は横に広いので、手綱を握る私の横に御者が待機してくれて、馬車の扱いを教えてくれながら色々と補助もしてくれるそうだ。


「あちらの馬車に繋がれたディアス様にお譲りする4頭の馬達は、どれも素直な駿馬ばかりになりますので、彼らの指導があればすぐに扱えるようになることかと」


 カマロッツのそんな言葉に、それならば指導を頼もうかと私が口を開きかけたその時に……隣に立つアルナーから声が上がる。


「……なぁディアス。

 さっきから馬車が所有物になるだとか、馬を譲るだとか言っているが……それは本当か?

 本当に馬を貰えるのか?」


 そんなアルナーの言葉に私は少しの間、首を傾げて……ああ、そういえば目録の中身をアルナーに教えて無かったな、と思い至る。

 

「ああ、馬が貰えるというのは本当だ。

 エルダンが随分と気を使ってくれたみたいでな、馬や馬車だけで無く、砂糖や紅茶なんかも用意してくれたらしい」


 私がそう言ってアルナーに目録を手渡すと、アルナーは食い入るようにして目録を見つめてから……バッと顔を上げて、輝くような笑顔へとその表情を変えていく。


「馬が4頭も手に入るのか!

 ディアス!馬だぞ、馬が手に入るんだぞ!

 こんなに心嬉しいことは無いぞ!」


 突然そんな大声を上げたアルナーは、馬達の方へと駆け寄っていって、馬達を一頭一頭丁寧に撫で始める。


 そうしながらアルナーの口からは次から次へと歓喜の言葉が溢れて来て……どうやら余程に馬が貰えることが嬉しいようだ。


 それらの言葉によると、鬼人族にとっての馬は、移動や運搬の要であると同時に、武力の要でもあるそうで、その価値はメーアと同じくらいかそれ以上であるらしい。

 しかもそれが駿馬であれば、当然にその価値は更に高くなるのだとか。


 多数の馬を所有することは、裕福さの証であり、男気の証でもあるそうなのだが、アルナーの実家は馬を持てる程裕福では無かったそうで、他家から馬を借りるのが精一杯な状況であったらしく……アルナーはそんな実家に思う所があったようで……色々と込み上げてくるものがあるらしい。


「子供の頃から馬持ちの一族になるのが夢だったんだ!

 ディアスは男気があるから、いつかは手に入れてくれるものと期待はしていたが……それがまさかこんなに早く叶うとは!」


 そう言ってますます興奮を加速させていくアルナーを見て……兎にも角にも一旦落ち着かせようと思い、アルナーの側へと駆け寄ると……アルナーは興奮のあまりに私に抱きついてきてしまう。


 アルナーの突然の言動に驚いていたカマロッツや護衛達、御者達は、そんなアルナーの様子が微笑ましいのか、穏やかな表情へとなりながら、なんとも言えない視線をこちらへと向けてきてしまって……私はなんとも気恥ずかしい思いをするのだが、アルナーはそんなことには気付きもしない。


 そうして私に抱きついたままのアルナーは、自分は幼い頃から馬の世話や馬の扱い方を勉強してきただとか、馬車だって扱えるから任せて欲しいだとか、馬のことは全部私に任せて貰っても構わないなんてことを言って来る。


 アルナーはそれ程に馬が好きであり、それ程に馬の世話がしたいのだそうだ。


「あ、アルナー。

 分かった、分かったから落ち着いてくれ。

 馬の世話に関してはアルナーに全て任せるから……!」


 私がそう声をかけると……アルナーは嬉しそうに笑顔を深くしたかと思えばハッとした表情となって……ようやく自分が何をしているかに気付いてくれたらしい。


 周囲の視線にも気付いて、そしてその顔を真っ赤に染め上げて……バッと物凄い勢いで私から離れたアルナーは、何も言わずにただただ俯いてしまう。


 そんなアルナーが気を取り直すまでには……結構な時間が必要になってしまうのだった。


 

 結局、先程のカマロッツの話にあった御者による指導や補助については……必要無いだろうということになった。


 馬達や馬車の出立の準備を整える中で、アルナーが十分な知識と手慣れた様子を見せたからだ。


 これ程の腕なら指導の必要は無いだろうということになり……私がそれらを学ぶ必要がある時は、


「アルナー様から学ばれた方がよろしいかと思います。

 わたくし共では不足があることでしょう」


 とカマロッツ。

 ……先程のアルナーのアレで……どうにも変な気遣いがカマロッツ達の中に生まれたように思えるのは気の所為だろうか……?


 イルク村への道中についても、アルナーが4頭引きの馬車の手綱を握り、私がその隣に座るなんてことがいつの間にやら決まってしまっているようだしなぁ……。


 ……私は別に馬車に乗らずの徒歩でも構わないのだが……そんな私の意見は満場一致の却下となってしまっていた。


 そうして出立の準備が終わって、イルク村へと向かう車列が走り出す。


 先頭は道案内もあるので、私とアルナーが乗る馬車が務め、その後にカマロッツが手綱を握る馬車が続き、最後尾が白ギーが引く馬車だ。


 ちなみにではあるが、戦斧は馬車の荷台に押し込んである、御者台の上では邪魔になるだけだし、車列の周囲には護衛の姿もあるので、わざわざ持つ必要は無いだろう。


「……ディアス、さっきはすまなかった。

 嬉しさのあまり我を忘れてしまっていたんだ」


「んん?まぁ……気にしなくて良いんじゃないか。

 少し恥ずかしい思いもしたが……アルナーのことを知る良い機会にもなったしな」


 車輪が回る音と馬車が軋む音、馬達の息遣いの音が響き合う中で、覇気の無いアルナーの声が小さく聞こえて来て……私はそんな言葉を返す。


 思えばアルナーとの生活が始まって以来、日々の生活や領民をどうするかなどの会話ばかりで、お互いの好みや家族のことを話す機会は一度も無かったように思う。


 アルナーが馬好きだとは知らず、アルナーがそれ程馬を欲しているとは知らず……それらのことを知っていれば、馬が手に入ることをもう少し上手く伝えられただろうし、アルナーがああなるのも予想出来たはずで……アルナーを責めることなど出来ようはずがない。


 ……私がアースドラゴンを倒した時や、婚約のことを知った時のアルナーは、もっとこう……色々と凄かったので、あれくらいで済んで良かったとも言えるだろう。


「だが……私は人前であんな……。

 ディアスは嫌だったのではないか?怒ってはいないのか?」


「……他の女性ならともかくアルナーなら構わないさ。

 嫌では無いし、怒るようなことでも無いが……恥ずかしくはあるので人前では程々にして欲しいかな」


 私がそう言うと……アルナーはそれきり何も言わなかった。

 何も言わないまま、何度か頷いて……それ以降は前だけをじっと見つめて、馬車を御することに集中し始める。


 それからは私もアルナーも何も言葉を発しないままの馬車旅が続くことになった。

 なんとものどかで、穏やかな時間が過ぎて……太陽が少し落ち始めた頃に、白い布に覆われたユルトと、槍を手に持ちながらイルク村の周囲を警戒するクラウスの姿が視界に入り込んで来た。


 クラウスは村に近付いてくる馬車の存在に警戒心を強めて槍を構えていたが……馬車の御者台に座っているのが私とアルナーだと気付くと、慌てた様子で槍を構えるのを止めて、こちらへと駆けてくる。


 そうする途中で訝しげに私達が乗る馬車と、私達の後に続く馬車達をじっと見つめたクラウスは、なんとも困惑した表情になりながら話しかけてくる。


「ディアス様、この馬車の列は一体何事ですか?」


 そう言うクラウスに、アルナーの感知魔法に反応したのはカマロッツ達だったこと、エルダンが農具以外に色々な品物を用意してくれたこと、それでこの数の馬車となったこと、積荷だけでなく馬車や馬なども貰えることなどを伝えると、クラウスはたちまちに良い笑顔となって、


「凄いじゃないですか!馬だけじゃなく馬車まで貰えるなんて……!

 分かりました!村の皆さんにも今の話を伝えてきます!」


 と、そう言って村の広場の方へと駆け出してしまう。


 しばらくすると何か白い塊を手に持つセナイとアイハンと……毛を刈り取られたばかりといった様子のフランシス、フランソワが姿を見せて、それを追うようにしてマヤ婆さん達も姿を見せ始める。


 その様子からどうやらフランシス達の毛刈りの最中だったようだ。


 そうして手に持つ毛の塊をそのままに、私達が無事に帰って来た!と元気に声を上げて両手をぶんぶんと振り回すセナイとアイハンに出迎えられながら、私達はイルク村の中へと馬車を進めるのだった。



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