第三章 領主様、奮闘す

第28話 薬草栽培


 ドスンッといきなり、何かの衝撃が私の腹を襲う。


 その威力に私はウッと呻き……痛む腹を押さえようとするが、何故だか両腕が動かない。


 何故腕が動かないのかと混乱しているうちに再度の衝撃が私の腹を襲って来て……二度、三度と衝撃が繰り返されていく。


 続く衝撃に私は呻き、悶え、止めろと声を上げようとして……しかし声が出せず、そしてそこでようやく自分が夢の世界に居るのだということに気付く。


 夢の世界から脱しようとぐっと瞼に力を込めて、残る眠気が軽い頭痛となっていく中、瞼をゆっくりと開くとユルトの天窓が視界に入り……そこから入り込んでくる陽の光は、朝というに弱々しく、周囲は薄暗い。


 尚も私の腹を襲ってくる衝撃の正体を探るべく、軽く周囲を見回してみると……私の右腕はセナイに、左腕はアイハンに抱きつかれてしまっていて……なるほど、どうりで腕が動かせない訳だ。


 セナイとアイハンはどうやらまだ夢の世界の中にいるらしく、その夢の中でかけっこでもしているのだろうか、バタバタと元気に足を動かし続けていて……どうやら2人仲良く同じ夢を見ているようだ。


 そんなセナイとアイハンがいつも一緒に寝ているフランシスとフランソワの側では無く私の側で寝ている理由は―――何だったかな……と腹へ繰り出され続ける激しい蹴りの衝撃を受け止めながら昨日の出来事を思い返す。




 昨日はエルダン達と会って話をして、畑を作ろうと決めて……。

 それでエルダン達はこの草原では畑作りは難しいんじゃないかと忠告してくれながらも、協力すると言ってくれて……。


 ああ、それで今度エルダンが農具だとかを用意してくれると言ってくれたんだったな。

 準備が終わり次第にカマロッツが持ってきてくれると決まって、そんな話をするうちに夕暮れ時が近付いて、エルダン達が帰らなければならない時間になって……。


 そして草原を去るエルダン達を見送ってからイルク村へと戻り、クラウスやマヤ婆さん達に事の次第を報告した後に……ああ、そうだ。


 私が帰るのをずっと待っていたらしいセナイとアイハンに「早く帰って来てって言ったのに!」と怒られてしまったのだったな。


 酷く泣かれて、これでもかと拗ねられて……そんな2人を懸命に宥めながらセナイとアイハンと一緒に就寝した……と。


 その結果がこのやたらと寝相の悪いセナイとアイハンの攻撃か。

 フランシス達と寝る時は寝相が悪くなったりしないのに何故私と一緒の時だけ?などと考えつつ、これ以上腹を蹴られ続けてもたまらないのでさっさとこの寝床から抜け出してしまおう。


 セナイとアイハンを起こしてしまわないように気をつけながら、まずは2人に押さえ込まれてしまっている腕を抜き出し、次にセナイ達の足をそっと私の腹から下ろし……セナイとアイハンの寝相を簡単に正してから静かに立ち上がる。


 散々に蹴られてしまった腹を撫でながらユルトの中を見渡すとフランシスとフランソワは既に起きていたようで、寝床でゆったりと構えながら私にご苦労様とでも言いたげな視線を投げかけてくる。


 そしてアルナーの姿は……ユルトの中には無く、どうやら既に起き出してユルトの外で何かしているらしい。


 早起きだとは知っていたが、まさかこんな朝早くからユルトの外に出ているとはなぁ。

 今の時間だと……朝食の準備中だろうか?


 アルナーの手伝いでもするかとユルトを出て、薄暗く肌寒い草原を包む朝靄を払いながら、とりあえず井戸の方へ行ってみるかと足を進めると……井戸近くで腰を下ろしながら桶の中の井戸水で食材を洗うアルナーとマヤ婆さん達の姿が見えてくる。


 マヤ婆さん達は私を見つけるなり、やれ私にしては早起きだとか、それでもまだ寝ぼけ顔だとかの笑い声を上げて……そしてアルナーもまたセナイとアイハンの足に起こされたのだろうとの笑い声を上げ始める。


 ああ、うん、アルナーが起きた時にはあの2人はああなっていたんだな……なら寝相を正すだとか、せめて足を私の腹から下ろすとかして欲しかったが……いや、まぁ、うん……朝は忙しいみたいだからそこまでは言うまい。


 まずは身支度をしようと井戸水で顔を洗い、残っていた眠気を綺麗に拭き取って……たまには手伝うよとアルナーに声をかける。


 とは言っても私に出来ることは竈の火の手入れだとか、鍋を多少かき回す程度のことなのだが、それでもアルナーは手伝ってくれるのは助かると喜んでくれた。


 陽が昇りきる頃には朝食は完成となって、今日は雲ひとつない青空なので朝食は外でと決まった。

 アルナーがセナイとアイハンを起こし身支度をさせている間に、私と少し遅れ気味で目を覚ましたクラウスとでユルト前の広場に敷物やらテーブルやらを用意して……そしてマヤ婆さん達の手でそのテーブルの上に朝食達が綺麗に並べられていく。


 そうして皆の顔を見ながらの朝食が始まり、食事をしながら皆の体調には問題無いか、だとか、何かして欲しいことは無いかなどの確認を済ませていく。


 皆の体調に特にこれといった問題は無く、むしろマヤ婆さん達は以前の暮らしより元気になっただとか、体が軽くなって寝起きが良くなっただとかの報告をしてくれる。


 恐らくそれはアルナーの薬草の効果だろう、私もあれを口にするようになってからだいぶ体が楽になったからな。


 毎日毎日薬草入りの食事に薬湯に……そう考えてみると私達は結構な量の薬草を毎日口にしているのだなぁ。


「イルク村でも結構な量の薬草を消費しているが、鬼人族の村の方はあの人数だととんでもない量を使っていそうだな。

 それだけの量の薬草となると……どうやって手に入れているんだ?何処かに群生地でもあるのか?」


 ふとそんなことが気になってアルナーに質問を投げかけてみる……と、意外な答えがアルナーから返ってくる。


「群生地を見つけては採取したり、ペイジンとの取り引きで手に入れたりもしているが、基本的には栽培で数を増やしているな」

 

 ん?栽培?薬草を栽培しているのか?

 栽培しているってことは―――。


「それはつまり鬼人族の村には薬草畑があるということか?」


「……ディアス、馬鹿なことを言うな。

 いつ土地を捨てるかも分からない生活をしているのに畑なんて持つはずないだろう。

 畑では無く持ち運びの出来る鉢植えで育てているんだ」


 ああ、なるほど、それもそうか、鉢植えか。

 畑があればそのまま畑作りの参考にさせて貰うかとも思ったが……いや、鉢植えでも参考にはなるかもしれないな。


「アルナー、薬草栽培のことについて詳しく教えてくれないか?

 畑作りの参考にしたいんだ」


「すまないがディアス、私は薬草栽培のことは知らないんだ。

 詳しく知りたいなら族長に聞いた方が早いと思う」


 薬草に詳しいアルナーが知らないのか?と詳しく話を聞いてみれば、薬草栽培は老いたり怪我をして狩りが出来なくなった者達の仕事だとかで、アルナーは一度も栽培に関わったことは無いらしい。


 なんでも鬼人族の村では健康で元気に働くことの出来る者が薬草栽培に関わるのは『不吉』なことなのだそうで、若い者に薬草の扱いは教えても育て方は教えないのだそうだ。

 そして老いた者達の中心になっているのが族長のモールなので、栽培のことならモールに話を聞くのが一番話が早いだろうとのこと。


 ならば早速今からモールから話を聞いて来ようじゃないか、何しろ特にこれといって今出来ることが他にないからな!


 誰か一緒に鬼人族の村に行くか?と聞いてみると、アルナーとマヤ婆さん達は家事があるからと留守番を希望し、クラウスは私が村を離れるならここを離れる訳にはいかないと留守番となり、セナイとアイハンは知らない人がたくさん居る場所には行きたくないというので留守番となって……結果、鬼人族の村へ行くのは私とフランシス、フランソワということになった。


 イルク村と鬼人族の村までの往復ならそう時間もかからないだろうし、危険も無いと思うし……まぁ戦斧はいらないか、と簡単な準備を済ませ次第にイルク村を後にする。


 道中フランシス達の食事などを済ませたり、畑を作るなら何処が良いだろうかと草原を眺めたりと寄り道をして……それでも昼前には鬼人族の村に到着となった。


 村の入り口に立つ見張りの者達に来訪の目的を告げ、入村の許可を貰い、一部の男衆からアルナーを村から奪った男だと睨まれたりしながら、村の中を抜けていって村の中央の一際大きなモールのユルトの前に立つ。


「モール、居るか?

 聞きたいことがあってな、邪魔させて貰うぞ!」


 と私が声を上げるとすかさずに。


「そんな前置きなんて良いからさっさと入ってきな!」


 と老人のものとは思えない大声での返事が返ってくる。

 まだまだ長生きしそうだなとそんなモールの声に少しだけ笑ってしまいながら、入り口の布をめくり、フランシスとフランソワと共にユルトの中へと足を踏み入れる。


 奥へと進み、最奥に鎮座するモールの前に腰を下ろすなりに早速、畑を作ろうと考えているのでその参考にここで行われている薬草栽培のことを知りたいのだとの今日の来訪の目的を伝える。


 私の目的を聞いたモールは途端に渋い顔になってしまって……先程の大声を出した元気は何処へいったのやら顔全体の皺を深くしながらゆっくりと口を開き始める。


「畑作は……ここでは無理だと思うよ。

 何故だか知らないけどこの草原では全くと言って良い程に作物が育たないんだよ。

 それでも何代か前の鬼人族達は特殊な方法で畑作をやっていたらしいがね、戦争やらのごたごたでその方法も途絶えてしまってねぇ……。

 薬草栽培の方法ならいくらでも教えてやれるんだけど、畑作はねぇ……」


 エルダン達も背の低い草しか生えないこの草原では畑は難しいだろうとか、そんなことを言っていたが……そうか、そこまで厳しいのか……。


 しかしだからといって諦めるつもりは全く無いぞ、何代か前にそれが出来ていたというならばその方法を探せば良いだけの話だろうしな。


「……薬草栽培のことを教えてくれたらそれで構わないんだ。

 この草原での畑作が難しいというのは他でも言われたんだが……それでもやるだけやってみたくてな、薬草栽培の仕方を参考にさせてくれないか」


 そう私が言うと、渋い顔のままでモールは頷いて、ユルトの隅に置いてあった薄汚れた革袋を手に持つ杖で引き摺り寄せて、その中に入っていた拳大の緑色の宝石を取り出して私の目の前にコトリと置いてみせる。


「そこまで言うのなら……教えるくらいはなんでもないよ。

 薬草栽培は、そう難しいことは無いのさ、この葉肥石を使えばそれで上手く行く。

 土を掘り返して鉢植えに入れて、水と砕いた獣の骨と、それとこの葉肥石を砕いた物を混ぜてやってね、後はしばらくユルトの中で鉢植えを寝かせておく。

 それで土は出来上がりとなって、後は種か薬草の根を植えておけば良い。

 葉肥石を混ぜていない土では薬草の育ちが酷く悪いか全く育たないかのどちらかだね」


「石……?

 石や骨の力で薬草が育つのか?

 水が必要だと言うのは分かるんだが……」


「そう言われてもねぇ……。

 それで上手く行くんだからしょうがないじゃないか。

 ただ同じようにして野菜の方を作ってみても、不思議とそっちは上手くいかないようだね。

 畑にこれを撒いてみても全く駄目で、鉢植えで芋や豆を育てようとしたときも葉が生えるまでは育つんだが、それからは枯れたり実が生らなかったりで駄目だったね」


 モールのそんな説明に、この石にそこまでの力があるのかと驚きながらに目の前の葉肥石に手を伸ばす。

 そして葉肥石を握り、その硬さを確かめながら持ち上げて……太陽の光を吸いながら緑色に光るそれをじっくりと観察する。

 この宝石を砕いて土に混ぜれば薬草が育つ……か。


「これを土に混ぜれば薬草は育つが、畑の作物は育たない。

 薬草と作物の違いは一体何なんだろうな?

 私にはどちらも同じ草の仲間に思えるのだが……」


「そんなこと私に聞かれても分かるもんかい。

 どうしても知りたければ森人でも探し出して聞くといいよ」


「んん?その森人ってのは何者だ?」


「言葉そのままの存在だよ。

 森に住んでいて、森のことに詳しくて、草木や畑のことにも詳しくて、森人が一度その手を振るえばどんな荒れ地だって緑溢れる世界になったそうだよ。

 ただまぁ、私もその姿を見たことは無いし、話に聞いたことがあるだけの、伝説のような存在だけどねぇ」


 ああ、うん、なるほど……。

 確かにそんな存在を見つけることが出来れば畑の何もかもが上手く行くのかもしれないが……伝説の存在を探すというのはなぁ……。

 

 ……今はそんなことよりも鬼人族達がかつてやっていた畑を上手くやる特殊な方法とやらを見つけ出すことの方が先決だろう。


 こちらは伝説という程に当ての無い話ではなく、明らかに異質で特殊な葉肥石というヒントが目の前に転がっているのだから、やる価値はあるはずだ。


 この石を畑に撒いてみながら色々な作物を育ててみて……骨と石以外の色々な組み合わせを試すというのも悪くない案だ。

 ……となると、聞いておかなければならないことがあるな。


「それで……この葉肥石という宝石はどれくらいの価値の物なんだ?

 砕いて使う以上はあんまり高価でも困るんだが……」


 と葉肥石を見つめながら、取り引きするなら安くしてくれとの気持ちを込めながら私が質問すると、モールはハンッと鼻で笑いながらの答えを返してくる。


「何を言ってるんだい、この程度の石が宝石な訳が無いだろう。

 何かの魔力は含まれているようだけどね、それを引き出すことも出来ない、活用することも出来ないとなれば、砕いて土に混ぜるのが精々のただの石っころだよ。

 南の方に行ってちょっと土を掘り返せばいくらでも手に入る石に価値なんてもんは無いよ」

 

 これがそのまま土に埋まっているのか?岩から掘り出すとかでは無く?

 しかもいくらでも手に入るだって?

 それは……なんというかあまり想像の付かない光景だな。

 それにこれだけ綺麗に輝いている石が宝石では無いというのも……なんというか相変わらず私と鬼人族の価値観には差があるのだと思い知らされるなぁ。

 

「いくらでも手に入るというなら、これを分けて貰うことは出来るか?

 いくつか持って帰りたいんだが……」


「こんなもんで良いならいくらでも持っておいき。

 足りなくなったらその都度取りに来たらいくらでも分けてあげるよ」


 とモールは杖でもって先程の革袋を私の方へとグイグイと押しながら寄越してくれる。


 その扱いの悪さを見ても本当にこれが鬼人族にとって価値が無い物なのだと思い知らされる。


 ちょっと磨いてやって王都で売れば一財産になりそうな程に綺麗な色をしているんだがなぁ……価値観の違いというのはなんとも凄まじいものだな。


 と、そんなことを考えながら革袋を受け取ってその中身を私が確かめていると、何故だかモールは神妙な顔になりながらに私のことをじっと見つめて、ゆっくりと言葉を吐き出し始める。


「葉肥石はいくらでもやるし、知恵だって貸してやる、何だったら人手だって貸してやるさ。

 ……その代わりと言ったら何なんだけどね、畑作がもし上手くいったらコツの方を私達にも教えてくれないかい?

 食糧事情が安定すれば子供も増やせるし、村の拡張だって進めることが出来る。

 私達にとってもここでの畑作は念願なんだよ」


 神妙な顔をしてまで何を言うのかと思えば……そんなことわざわざ言われるまでも無いことだ。


「ああ、勿論構わないぞ。

 鬼人族の村が大きくなれば私達も助かることが多いからな。

 元々畑が上手くいけば教えるつもりだったし、コツだけじゃなくて山程の芋も一緒に持ってきてやるさ」


 と、私がそう言うとモールは皺だらけの顔をくしゃりと歪め、前にも見た優しい笑顔を見せてくれる。

 そしてしわがれた声でカッカッカッと笑いながらに言葉を漏らし始める。


「そうかいそうかい、流石青のディアスだねぇ。

 ならアンタの成功に期待させて貰うとするよ。

 ああ、勿論、アルナーとの子供にも期待しているからね。

 何だったら子作りの為の薬草も用意してあげようか?

 あれは中々貴重な物なんだけどねぇ、畑仕事にかまけてたら子作りする暇も無いだろうし……アンタにだったらくれてやっても構わないよ」


 ああ、うん、その話はまた今度……というかそんな薬草まで存在するのか……。

 そんな薬草使う予定は無いし、必要も無いぞ、いや、本当に必要無い。

 第一子作りの為ってどんな効果が……理性を失う程の男用興奮剤?


 そんな危険な薬草、私に黙ってアルナーに渡したりもしないでくれよ……?


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