5 ルールなしの三巴

「葵……」


 人の国の今風の格好をし、色素の薄い茶褐色の長い髪を無造作に後ろで束ねた二つ鬼の青年──。突然現れた碧霧は、冴えざえとした眼差しでこちらを見下ろしていた。


 紫月は、思いがけず現れた恋人にほっとして泣きそうになった。ものすごく怖い思いをしたとか、与平が片足を失ってしまったとか、そもそも今朝、心にもないことを言ってしまったとか、言いたいことがありすぎて声が口の中でつかえた。

 一方、碧霧は紫月の姿を確認してから、屋上にいる他の面々を見る。状況はいまいち分からないが、刀を持った赤目の人間(なのか?)は全て敵だと認識した。

 案の定、突然現れた新たな鬼に、モッズコートの男たちが気色ばんだ。彼らは碧霧に向かって刀を構えた。


「はっ、またすごいの出てきたな。人間の世界に、鬼が次から次へと──。あやかしのバーゲンセールか?」

「……」


 碧霧は黙ったまま片手を突き出し鬼火を宿す。ぶわっと燃え上がった青白い炎は、しかし、彼の手元で凝縮され、青鋼あおはがねのような球体になった。

 刹那、長柄がはっとして声を荒げた。


「おまえら、けろ! 受けるな!!」


 そう長柄が言ったのと、碧霧が鬼火の玉をどんっと放ったのが同時だった。

 高速で飛んできた銀青色の球体が三人の鬼斬を直撃する。そしてそれは、屋上から建物全体を突き抜いて、地上で大きく爆発した。一階部分の窓が全て吹き飛び、衝撃で建物がガタガタと揺れる。

 後には、辛うじて避けることができたらしいモッズコートの男が、大きく空いた穴のそばで倒れていた。残りの二人は、まともに受けてしまったのか姿がない。周辺の床が一階まで全て崩れ落ちてしまっていて、もはや生死を確認することは困難だった。


「まずいな。結界もなしにこんな派手な攻撃──、さすがに人に気づかれる」


 紫月の傍らで、女宮司がごくりと息を飲みながら呟く。

 確かに、さっさと決着をつけないと大騒ぎになってしまう。紫月が再び碧霧に目をやると、彼はすでに新しい鬼火の球体を作っていた。そして今度は、鷹也と長柄に狙いを定める。


「え?」


 紫月はぎょっとする。

 待って。まさか、二人まとめて消し飛ばすつもり? 自分たちは結界に守られているからいいとして、大穴の空いた建物にそんなことをしたら今度こそ建物自体が崩壊する。

 いくら状況が分かってないとしても、乱暴すぎる!


「やめて、葵! 鷹也は敵じゃない!! 鷹也、ひとまず逃げて──」


 碧霧に訴えつつ紫月はおろおろになって鷹也にも呼びかける。と、さっきまでいたはずの鷹也と長柄の姿がない。

 次の瞬間、手をかざす碧霧の頭上で、長柄が刀を振りかざしていた。


「おまえ、さっきのやつよりヤバいな」


 気配を消した高速の移動と人間とは思えない身体能力は何度も見た。結界術を駆使して足場を作り、空中であろうと鬼斬は関係がない。

 振り上げられた刃がぎらりとひらめく。が、そこに鷹也が割って入った。


「させないよ。もう終わりだって、言ってるじゃない」


 言って鷹也は、寸でのところで長柄の刃を受け止めて、力任せに押し返した。そして、空中を蹴って鋭く長柄に斬り込んだ。

 あり得ない人間同士の空での斬り合い。しかし、碧霧にはどうでもいいことだ。彼は青鋼あおはがねのような鬼火の玉を、至近距離から二人に向かって放った。


「いっ?!」

「──!!」


 鬼斬二人が「嘘だろ」という顔で迫りくる鬼火を受け止めた。鬼火が大きく爆ぜて炎が二人を包む。


「鷹也! ──葵、やめて!!」

「紫月、帰ろう。与平も心配だ」

「話を聞いて。鷹也は敵じゃない。彼を助けて!」

「さっきから……鷹也、鷹也って、なに? どちらにしろ俺たち鬼には関係がない。殺し合いでもなんでも、後は好きにすればいい。人の国には不干渉が大原則だ」


 紫月は、「は?」と顔をしかめた。


「まるで白銀の子みたいなことを言うのね。もう私は思いっきり巻き込まれている。それが分からない? 最近の葵は、私の話を何も聞いてくれない!!」


 碧霧はむっとする。こちらは心配して助けに来たのに、いきなり不満をぶちまけられた。でも、今は言い争っている場合じゃない。

 その時、鬼斬を包む爆炎の中から漆黒の刃が伸びる。碧霧の鬼火を刀で斬り裂いて、長柄が碧霧めがけて斬り込んできた。

 真一文字の軌跡を描いて伸びてきた切っ先を、碧霧は素早く式神を浮上させて避けた。


「なんだ、もう少しダメージがあるかと思ったけど」

「大ありだ、この──ふざけた奴め」


 冷めた顔で言えば、不遜な顔が返ってきた。長柄が返す刀でもう一太刀、想像以上に剣先が伸びてくる。ジンベイザメの腹部が斬りつけられた。

 刹那、式神がすっと形を失い、碧霧はいきなり宙に投げ出される。


(さして深くもないのに、斬られただけで式神が消えた──!)


 さすがに驚いて体勢を崩した碧霧に、長柄が再び刃を振り上げたたみかけた。

 あ。これ、どこか斬られるやつ──。ふと、片足を失った与平を思い出す。

 同時に、さっき式神が消えてしまったことも合わさって、直感的に碧霧はまずいと思った。

 丸腰で来たのはさすがに失敗だった。かすり傷程度なら大丈夫だろうか。

 思いを巡らし碧霧が覚悟した時、ふいに飛来したカラスが割って入り、碧霧の代わりに長柄の刃を受け止めた。


 カラスが長柄に一刀両断され、闇夜に消える。このカラスは、猿師の式神である。碧霧は師匠に感謝しつつ、体勢を整えて鬼火を繰り出した。しかし、長柄はそれさえも刀で斬り捨てた。


「ちっ」


 いちいち反応が人としての予想を越える。碧霧は舌打ちをしながら、ひとまず目の前の狂暴な男から距離を取った。


(本当に人間なのか)


 戦い方も身体的な反応も人間のものとは思えない。そして何より、虫さえ殺しそうにない優しい顔をして、彼は誰よりも迷いがない。

 すると、長柄がすっと刀を引いて大きく息をついた。

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