4 八人目の鬼斬
もう自分たちの力じゃどうにもできない。
白銀の子を呼び出すのは碧霧からも禁止されていたし、自分だって呼び出したいなんて思っていなかった。
しかし、祈りに似た呼びかけとともに紫月は目を閉じ意識を手放す。次に彼女が目を開けたとき、彼女の瞳が白銀色に変わっていた。
長柄が紫月の突然の変容に少なからず動揺した。
『
白銀の瞳の紫月が、ゆっくりと片手を長柄に向かってかざす。ぴくりと眉を動かして、長柄が後ろへと飛び退く。刹那、目映い光が辺りを包み、あまりの眩しさにその場にいた者は思わず目をつぶった。
光は一気に膨張し、それからゆっくりと霧散する。そして、元の闇夜に戻った時、屋上から鬼たちの姿は消えていた。
何が起こったか理解できず、鬼斬たちは呆然と立ち尽くす。
しかしただ一人、
「あれは、
長柄だけは、ぎりっと歯噛みしながら笑った。
賑やかな街の外れの細い袋小路、街の明かりが届かないそこに深芳たちはたどり着いた。正確には、白銀の瞳の紫月に連れてこられたと言った方が正しい。目映い光の中、深芳と与平は不思議な力で浮き上がり、空飛ぶ紫月によってここに運ばれた。
紫月は二人をぽとりと地面に下ろすと、空を仰いで周囲の様子をうかがった。
『ふむ。しばらくは見つかるまい』
「おまえ、この男を助けられる?」
深芳は、ぐったりと横たわる与平の頭を胸に抱き、苛立った声を上げた。だらりと下がる彼の手には、まだ刀が握られたままだった。左足の傷は、ただの刺し傷のはずなのに血が止まらない。それどころか傷口がさらに広がっていっている。
娘を乗っ取っている何かは、冴えざえとした表情を母親に返した。
『できない』
「なぜ?
『
少し不快げな顔をして紫月が淡々と言葉を続ける。
『吾と言葉を交わせるは、器である娘と名を聞くべき
深芳が、ぐっと息を飲む。深芳の腕の中、与平が喘ぎながら顔を上げた。
「
『
「……」
きっぱりと拒絶され、深芳が絶望的な面持ちで視線をさ迷わせた。そんな都合のいい相手ではないことは、紫月の体に憑いている時点で明白なことだった。
与平が静かな口調で深芳に言った。
「ミィ、こいつとは……交渉するな。儂なら、心配ない」
「嘘よ、血が止まらないわ。傷口も広がっている」
『その傷は傷にあらず。呪いなり』
「黙っててっ。助ける気もないくせに、紫月の顔でしゃべらないでちょうだい!!」
かっとなり、深芳はわめき散らした。紫月が『言われなくとも』と呟く。
『呪いも死も、全て自然の理なり』
そう言うと、白銀の瞳は徐々に色を失い、いつもの深紫色の瞳に戻った。
「ここは……?」
意識を取り戻した紫月が、がらりと変わった風景に目を泳がせた。それから、ぐったりと横たわる与平と、それを抱きかかえる深芳を認める。
どこかに逃げおおせたことを理解して、彼女はすぐに与平の傍らにひざまずいた。
「ヘイさん、しっかりして! 白銀の子は……何もしてくれなかったの?」
紫月は信じられないと与平の怪我を見た。
深芳と与平は互いに目を交し合った。
どうやら、彼女自身も白銀の子に対して都合のいい期待をしていたらしい。
白銀の瞳をした紫月の言葉からは、碧霧との間でなんらかの取り決めが交わされているように感じた。しかし、紫月がそれを知っている様子はない。
それが心に引っかかったが、深芳は今ここで口にするのはやめた。
「相手にされなかったわ。ここに運ばれておしまいよ」
「役に立たないわね。いいわ、私が癒す」
白銀の子に毒づきつつ紫月が言った。与平が小さく首を振る。
「駄目だ……。力を使えば……、気づかれるかもしれない。……猿師が来るまで気配を……消せ」
「いいから、ヘイさんは黙ってて。見つかる時は三人一緒よ」
強めの口調で言い返すと、与平が観念したように深いため息をついた。話すことも
それでいい。このままでは与平が本当に危ない。
紫月は深呼吸を一つして、それから彼の傷口に両手を置いた。
目を閉じて意識を集中させる。人の国は、木々や土が少ないから大地の気を感じずらい。こんなコンクリートに囲まれた狭い路地だとなおさらだ。
それでもなんとか大地の気を掴まえて、今度は与平の気の波長と同調させる。こうすることで、怪我をした者の再生能力を上げるのだ。もともと再生能力の高い鬼であれば、大抵の傷はこれで治る。
しかし、
何かが邪魔をして、紫月の治癒を拒絶した。与平の体に大地の気を流し込めない。まるで、流し込もうとする大地の気を脇からかすめ取られていくようだ。
思わず紫月は治療の手を止める。戸惑う表情を見せる娘に対し、母親が怪訝な顔をした。
「どうしたの?」
「癒せない」
「え?」
「だから、癒せないの!」
瀕死状態だった右近の時とも違う。もっと与平の命を絡めて取っていくような不気味な感じ。
(どうして、なんで……?)
どっどっと鼓動が大きく鳴る。悪い予感が頭をよぎる。
なんなの、この傷は──。
たまらなくなって、紫月はパンツのポケットからスマホを取り出し、猿師の番号に発信した。呼び出し音が三回鳴り、四回目のコールで猿師が出た。
紫月はスマホに向かって叫んだ。
「
『紫月さま、近くまで来ています。今ほど紫月さまが大地と同調したのを察知しました。あのような大きなことを結界を結ばずしては、奴らに気づかれます」
「そんなことを言っている場合じゃないのよ!」
『どうされました? 与平は? さっきから何度も鳴らしているのに電話に出ない』
「身動きが取れなくなってるの、このままじゃヘイさんが──」
死んでしまう、と言おうとした時、
「すごいな。自然と同調できるの?」
路地の出入口で声がして、紫月はとっさに振り返る。
そして、そこに現れた人影を見て、彼女はぼとりとスマホを落とした。
『紫月さま? どうされました? ──姫! 返事をしてください!!』
スマホから猿師の必死な声が聞こえる。
さらさらの黒髪からのぞく赤い目──。初めて見る顔だし、刀も今は持っていない。
しかし、間違いない。
紫月の前に、八人目の鬼斬が立っていた。
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