3 長柄という男

 鬼斬たちの漆黒の刃が紫月たちに襲いかかる。

 

「紫月!」

「うん!!」


 与平の合図とともに、彼女は小さな鬼火を自分と深芳の回りに素早く展開させると、とにかく頑丈で分厚い結界を結んだ。周囲に展開した鬼火の玉は、ある種の境界線だ。

 目に見える線は、それを見た者に「こっち側」と「あっち側」を強く意識させる。ちょっとしたことではあるが、強い結界を結ぶ時、こうした「目に見える線」は地味に効く。


 本当は与平の回りにも盾となる結界を結びたい。しかし、さすがにそれは戦いの邪魔になってしまうので、紫月は自分と母親の身を守ることに集中した。


 紫月たちを背にして、与平が降り注ぐ鬼斬たちの刃を一人で受け止める。彼はぐっと体を落とし込むと、力任せに一気にそれらをぎ払った。

 しかし鬼斬たちは怯まない。それぞれが起き上がって、四方八方から与平に斬りかかってくる。与平は右からの地味女の攻撃を刃で受け止め、左からのスーツ姿の男には鬼火で応戦し、真正面から突っ込んでくる女子高生を蹴り飛ばした。そして最後は、上から刃ごと落ちてきた武人風の男を容赦なく一刀両断した。

 武人の男がどさりと倒れて血を流す。


「残るは五人か、」

「一人で向かうな! まとまって行け!」


 浮き足立つ仲間をモッズコートの男が叱咤した。


「ヘイさん……」


 戦い続ける与平の背中を見つめながら、紫月の腹の底に自然と力が入る。隣の母親も一言も発しない。

 大丈夫、与平は強い。異能者だからといって、人間なんかに負ける訳がない。

 けれど──、


(私は生け捕り、母さんは好きにしていい──。指示を出したのは、たぶん


 猿師の「仲間は全部で七人」という言葉が正しければ、この中に「長柄」がいる。それは誰か──。

 ふと、一人だけ戦いに加わっていない男がいることに紫月は気づいた。最後尾で成り行きをじっと見守る者。

 弱いから遠慮をしている? いいや、違う。


 紫月は、その静観者──タートルネックにジャケット姿の社会人風の男と目が合う。見た目は三十代前後、どこにでもいそうな優しげな顔の男は、しかし、ぞわりとするほど冷たい目をしていた。

 間違いない。きっとあれが──、


「長柄……」


 紫月がぽつんと呟いた刹那、男がゆらりと動いた。そして次の瞬間には、乱戦の合間を縫って、彼は与平の前に立っていた。


「おまえ、いくら鬼だって、強すぎる」


 不意に長柄が与平の足を払い、与平が体勢を崩す。と、長柄の手から現れた漆黒の刃が、ひゅんと水平に弧を描いた。それを与平がよろめきながらも寸でで受け止めると、彼は満足そうに口笛を吹いた。


「今のを止めるのか」


 言って長柄はくるりと刀を返すと、劣勢の与平を押し返した。さらに与平が体勢を崩したところに、彼は左足の甲めがけて刃を深く突き立てた。


「ちょっとそこで大人しくしてくれ。仲間をこれ以上殺されるのはたまらない」

「ぐ──あぁっ!!」

「ヘイさん!」


 不意に地面に縫い付けられ、与平は苦しそうに呻き声を上げながら片膝をつく。深芳が結界の外に飛び出していきそうになり、紫月は慌てて彼女を止めた。

 長柄が冷ややかな目で与平を見る。


「抜こうとしても無駄だぞ。鬼喰いは使い手以外は触れることができない。それより──」


 長柄は紫月たちに目を向けた。すると、他の鬼斬たちがすっと身を引き彼に場を譲る。彼は紫月の前に立つと、興味深そうに彼女を取り巻く鬼火を眺めた。


「物理的な境界線……。厄介だが、結界術の基本中の基本だな」


 言って長柄は紫月に触れようとする。しかし、見えない壁がその手をバチッと拒絶して、彼は「やっぱりな」と軽く肩をすくめた。


「俺の結界に干渉したのもおまえだな。不思議な歌だ。あの鬼を助けてやると言えば、歌ってくれる?」

「──」


 この男は何もかも分かっている。紫月が明らかに動揺した顔を返すと、与平の苦しげな声が割って入った。


「紫月、そいつと会話をするな」

「……うるさいよ、おまえ」


 長柄が不快げに鼻にしわを寄せ、与平を鋭くにらむ。そして彼は、与平の元へとって返すと、彼の足から刀をえぐり回しながら引き抜いた。与平が苦しそうに倒れ込み、深芳が「ヘイさん!」と悲鳴を上げた。


 しかし長柄は、さらに与平を痛めつけるわけでもなく、再び紫月の元へ戻ってくると、自身の切っ先を紫月に向けた。切っ先には、与平の血がべたりと付いている。

 目を背けたくなるそれを、紫月は歯を食いしばって見返した。

 足が震えているのが自分でも分かる。


「や……めろ、」


 長柄の背後で与平のかすれた声がした。与平がふらつきながら体を起こし、立ち上がろうとする。しかし彼は、左足に力が入らないのか、途中でバランスを崩して再び転倒した。

 長柄がちらりと与平の様子を一瞥し、紫月に問いかける。


「あの二本角はもう駄目だ。どうする?」


 淡々とした長柄の声が場を支配する。長柄はその赤い目を細めた。


「この頑丈そうな結界をゆっくりと壊していくのも悪くない。まずは、一つずつ鬼火を消していこうか」


 自分とは違うやり方で、この男も結界に干渉してくる。

 こんな人間、知らない──。思わず紫月は後ずさった。

 その時、深芳がすっと紫月の前に出た。


「紫月、逃げなさい」


 刹那、深芳は結界の外に飛び出すと、長柄に向かって鬼火を放った。同時に、長柄の脇を走り抜け、倒れている与平に駆け寄った。


「ヘイさん、しっかりして」


 深芳が与平に覆い被さるように抱きつく。そんな彼女の腕を掴み、与平は彼女に支えられながら今度はちゃんと立ち上がった。

 そして彼は、刀の切っ先を長柄に向ける。

 

「おいおい、まだ戦う気かよ」


 モッズコートの男が呆れた様子で言った。そして、指示を仰ぐように長柄を見る。


わたる、好きにしていいよ」


 長柄がこくりと頷き返すと、モッズコートの男はにたりと笑った。

 鬼斬たちが与平と深芳を取り囲んだ。


「やめて──!!」


 とっさに紫月は二人に対し結界を結ぶ。が、そのために突き出した腕を長柄に掴まれた。どくんと紫月の鼓動が鳴る。


 触るな──。


 そう思ったのは自分自身か、心に住まう者か。紫月は、初めて自ら白銀の子に呼びかけながら、ぎゅっとその目を閉じた。

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