2 逃げ場なし
「鬼ごっこで、鬼が逃げてどうすんの」
「──!」
与平が身をひるがえし、振り落ちてくる刃をとっさに受け止めた。
ガキッという金属がぶつかり合う鈍い音が響き、二人は真正面から斬り結ぶ。その与平と身を低くする紫月との隙間をぬって、深芳がモッズコートの男に向かって手をかざした。
「消えてちょうだい」
言って彼女は、男に向かって近距離から鬼火を放つ。青白い炎が一気に男を飲み込んだ。男が「がっ!」と怯んだ声を上げ、炎を振り払いながら後ずさった。
「逃げるぞ! 二人とも走れ!」
与平の声に弾かれて、紫月と深芳は通りに飛び出した。すぐ後に与平が続く。
「ヘイさん、このままじゃ大騒ぎに──!」
「いいから走れ!」
言って与平は地を蹴って、続けとばかりに二階建てのビル屋上へと飛び上がった。さすがに周囲からどよめきが起こった。
しかし、人々の顔にはまだ余裕がある。おそらくまだ、映画の撮影か何かだと思っているのかもしれない。人間は、毎日の平穏が壊されないと信じきっている。不可解な出来事も、自分の納得いく理由をつけて全て片付けてしまう傾向がある。
三人は、二階建てビルの屋上から何軒かの屋根を伝って、さらに高いビルの屋上へとたどり着いた。途中で鬼の姿へと三人は戻り、頭上の角と深紫をさらした状態である。ここまで来ると、さすがに周囲の目も気にならないからだ。
しかし、それは相手にとっても同じことだ。
「死になっ、
突然、背後から声がして、ショートヘアの女が漆黒の刃を
人外の動きをして逃げてきたのに──。女がこちらに追いついてきたことに、紫月たちは驚いた。
不敵な笑みで歪められた真っ赤な唇が瞳に映る。
刹那、与平が目にも止まらぬ早さで体を回転させ、紫月と深芳を押し退け女の懐に入った。
ためらいのない彼の
女の動きがピタリと止まり、どさり、と彼女は崩れ落ちた。
「黙れと言ったはずだ」
冷めきった声で与平が呟き、彼の刃から女の血が滴り落ちた。
こくっと紫月は息を飲む。ここまで容赦のない与平を初めて見た。
女はかすかに息はあるが、さすがに助かりそうにない。同時に、乾いた拍手が背後で響いた。
「強ぇ。たった一発かよ」
いつの間にかモッズコートの男が少し離れたところに立っていた。炎に焼かれたくせ毛は縮れていて、服は焼け焦げ、体はあちこちに火傷を負っている。とは言え、こちらは致命傷ではない。
深芳の近距離からの鬼火が直撃したはずなのに、あの程度で済んでいるなんて──。
男は仲間が
「今の、ほとんど見えなかったぜ。こりゃ、俺たちも総出でやらないといけないな」
その声に紫月たちがはっと周囲を見回す。
暗闇の中、新たな人影が浮かび上がった。ショートヘアの女とは対照的な地味な身なりの女、ごつい武人のような男、高校生や社会人──、見た目も年齢もばらばらだ。全部で六人、今ここで倒れているショートヘアの女を入れれば七人で、猿師から聞いている情報と一致する。
そして、彼らに混じって、さっきのスーツ姿の男がいた。
(ヘイさんの言うとおり、はったりだったのね)
相手の術中にはまり、鬼火を出してしまったことを紫月は猛烈に反省する。あの時、しっかり気配を消していれば、逃げ切れたかもしれないのに。
モッズコートの男がゆっくりと歩み寄る。三人はじりじりと後ろに下がった。
すると彼は、倒れているショートヘアの女の前まで来ると、彼女の体に自分の刃を突き立てた。
女の体がびくりと震える。
自分の仲間に、とどめを刺した……! 信じられない男の蛮行に紫月と深芳は絶句する。
与平だけは動じず、ただ不快そうに眉をひそめただけだった。しかし、刃を突き立てられた女の体にある変化が現れた時、さすがの彼も目を見開いた。
女の体が、さらさらと崩れ始めたのだ。
「な──?!」
まるで
あれは、なに?
紫月の背中にぞわりと悪寒が走り、体が震えるのが分かった。隣の母親も、理解しがたいといった表情で、さっきまで女が倒れていたはずの場所を見つめている。
与平がモッズコートの男をにらみながら、「紫月、自分とミィに結界を結べ」と耳打ちする。そして彼は、紫月たちを背中に隠し、刀の切っ先を鬼斬たちに向けた。
「今、何をした?」
男が「何も?」と肩をすくめる。
「ただ斬った。それだけだ。言ったじゃん、俺らは鬼斬だって。鬼喰いをただの刀だと思っていた? こいつは斬った者の存在そのもの──魂を喰らうのよ」
言って男は、今はもう
「鬼は、どんな味がするのかな?」
「……まさに獣だな。猿師が言っていた通りだ」
「ふうん。その名前は聞いたことがあるな。狐の谷にいるという猿だな。なるほど、猿の仲間か。どうりで動きが猿だ」
男が刀を目線の高さで構えた。そして彼は、視線は与平に向けたまま背後の仲間に向かって言った。
「おまえら、分かっているな。そこの黒髪の女は生捕りに。美人の姉ちゃんは、好きにしていいってよ。まずは野郎からだ!」
言い終わるが早いか、鬼斬たちは一斉にこちらに向かって飛びかかってきた。
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