2)混乱の中で

1 街中のカウントアップ

 日が暮れて街灯に照らされる通りは、家路を急ぐ人や今から飲みに行く人などで昼間とは違う喧騒に包まれている。

 その中を紫月たちは足早に抜けて行く。与平も深芳も再び人の姿に戻っていた。

 与平が、ふいに店と店の間の人気ひとけのない路地に入る。向こう側に淡い光が見えるので、この先は裏通りに続いているのだと思われた。しかし不用意に奥へとは進まない。ほんの少しだけ人目を避けて角に入ったというだけだ。

 さっきは木陰の黒に吸い込まれ、異能者に出会った。今、暗闇に身を置くのは危険だと紫月も感じていた。


「紫月、あの結界の中に取り込まれる前、異変をおまえだけが感じていたな。今はどうだ?」

「はっきりと分からないけど……、まだ見られている感じがする」

「そうか、」


 与平が周囲を気にしながら紫月と深芳に言った。


「できれば、人目の少ない場所は避けたい。このまま家に帰るのも危険だ。途中で襲われる可能性がある」


 深芳が不安な表情で紫月の肩を抱いた。


「相手は人間でしょ? 式神で空から帰るというのは?」

「……あの女は、体に結界を巡らして儂の蹴りを受け止めていた。自分がひ弱な人間だということを十分に理解していながら、それでいて、あやかしと戦い慣れている。もし空中戦も織り込み済みだとしたら、それこそ周囲に遠慮をせずに襲ってくる」

「じゃあ、こうして人混みに紛れるしかないってこと? でも、夜が深まればさすがに人がいなくなるわ」

「分かっている」


 言って与平はコートのポケットからスマホを取り出した。そして慣れた手つきでどこかへ電話をかける。彼はスマホを耳に当てつつ、紫月たちに「猿師のところだ」と説明した。


「きっと、急に入ったというのはこれのことだ。…………猿師か? 与平だ。面倒なことになった。ああ、今は銀杏いちょう通りの路地にいる──」


 与平は手短に夕方からの一件と今の状況を猿師に説明した。そして一つ二つ言葉を交わし、彼は電話を切った。


「弟子殿は?」

「こちらに向かうと。他の仲間も加勢に来る。とにもかくにも猿師と合流してからだ。ただ、その前に猿師から言われたことを伝えておく」


 与平が深芳と紫月の顔を交互に見る。そして彼は、二人に言い聞かせるように落ち着いた口調で話し始めた。


「まず一つ目、奴らは処分が決まっているらしいから、容赦をしなくていいと。見逃してやる必要もない。次は儂も殺す気でいく」

「人間相手に手加減なし?」


 紫月が聞き返すと、与平は「そうだ」と頷いた。紫月の隣で深芳も戸惑いの表情を見せている。


「……しっかりした法のある人の国とは思えない発言ね。どういうこと?」

「言葉通り。奴らは人の国の法で裁かれないということらしい。枠外だ」


 与平がきっぱりと答える。こちらの戸惑いなど差し挟ませない口調の強さだ。


「そして二つ目、奴らが『鬼喰い』と呼んでいた刀だが、決して傷をつけられるな。再生能力が高いあやかしであっても治癒しづらく、最悪の場合、致命傷にもなり得る。最後に三つ目、他に仲間がいる。全部で七人、特にリーダー格の男との戦闘は──極力避けろと言われた」

「……つまり、それだけ危険な相手ということね」

「そういうことだ」

「リーダー格の男っていうのは、『長柄』?」


 紫月が尋ねると、与平は「おそらく」と頷いた。


「鬼斬は、儂らの変化へんげも容易に看破する。身に宿す鬼喰いは、その名の通り鬼も人も全てのものを喰い尽くす悪食だ」

「そんな人間がいるなんて……。本当に人間なの?」

「分類上は。ただ、道理が通じないのは一部だけだと猿師は話していたがな。とにかく、猿師が来るまで逃げ切るぞ」


 その時、


「隠れてないで、出てきなさいよ!」


 表の通りで女の怒鳴り声と叫び声が聞こえた。与平が驚く紫月たちを制止しつつ、建物の影から通りの様子を伺う。

 すると、さっきのショートヘアの女がスーツ姿の男を捕まえて、わめき散らしていた。


「いいの? このままだと関係ない人間が死ぬわよ! こいつが死ぬのはあんたたちのせいよ!」


 通りがざわめき、多くの人が立ち止まる。不審げに見守る人、カメラを向ける人、「撮影?」と目を輝かせる人──、良くも悪くも大注目だ。


「ヘイさん──」

「動くな。はったりだ。ここで事を起こせば、街は大騒ぎになる」


 スーツ姿の男を羽交い締めにして、女がふんっと鼻を鳴らした。


「私、せっかちなのよ。五つしか数えないからねっ。ひとぉつ──」


 カウントアップの声が通りに響く。紫月は大いに動揺した。

 確かに、与平の言うとおり、公然と人を殺せば大騒ぎになるし、犯罪者にもなる。あやかしを人知れず殺すのとは訳が違う。

 分かってはいるが、そんな道理があの「鬼斬」と名乗る人間たちに通じるだろうかと紫月は思う。もしかしたら、本当に他の人なんてどうでもいいと考えているかもしれないし、社会がどうなろうが知ったこっちゃないと思っているかもしれない。

 緊張で喉の奥がひりひりと焼ける。

 その間にも、女はゆっくりと、しかし確実に数え上げていく。


(駄目だ。きっと、あの女は本当にやる──)


 せめて鬼火をぶつけて気をそらすことがでれば──。

 紫月は思わず片手を上げて鬼火を灯す。しかし、すかさず与平に「気配を消せ!」と止められた。

 

「さあ、これで最後よ!」


 女が勝利の笑みを浮かべる。と、彼女に捕まっているスーツ姿の男が、にたりと笑ったのが見えた。


「ミィ、紫月、伏せろ!!」


 与平が、はっと路地の細い空を振り仰ぐ。

 刹那、漆黒の刃がぎらりと光った。

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