5 塵となって消える

 グレーのパーカーに黒いジーンズ姿の青年は、さらさらの黒髪を風に揺らせ、いぶかしげに赤目を細めた。

 思わず紫月は深芳と与平を背にして身構える。背後では、深芳が与平をぎゅっと抱きしめ、突然現れた鬼斬をにらんでいる。


 もう本当に逃げ場がない。


 もう一度、白銀の子を呼び出す? しかし、与平の傷を癒さなかった彼が、これ以上何かをしてくれるとは思えない。

 地面に落としたスマホからは、相変わらず猿師の声が漏れ聞こえている。

 すると、黒髪の青年がさっと歩み寄って来て、紫月のスマホを拾って耳にあてた。

 

「もしもし。もしかして、先生? うん、俺。見つけたよ。けっこうヤバいから早く来て。どこって──説明しにくいな。ちょっと待って……」


 黒髪の青年は、紫月のスマホで親しげに猿師と会話を交わし、今いる場所を説明してから通話を切った。

 にわかに状況が理解できず、固まる紫月に彼はスマホを差し出した。


「はい、あんたのだろ」

「……あ、ありがとう」


 言われるままに紫月は差し出されたスマホを受け取る。

 この人は鬼斬なのに敵じゃない? それが、にわかに信じられなかった。


「あなた……、誰?」

久澄くすみ鷹也たかや百日紅さるすべり先生の生徒だよ」


 鷹也と名乗る青年は、すぐに紫月を押し退け与平の傍らにひざまずいた。そして、与平の傷を痛々しげに見つめた。

 彼は与平の状態と足の傷を一通り確認すると、手に握られたままの刀をちらりと見て深芳に言った。


「……そこの刀を貸して」

「え?」


 深芳が戸惑いと警戒をあらわにした目で青年を見る。彼は少し躊躇ためらったあと、しかし、きっぱりと答えた。


「足を切り落とす」

「な──っ」


 深芳が絶句する。そして次の瞬間、彼女はぎっと鷹也をにらんだ。


「いきなり現れて足を切り落とすって──、ふざけないで!! どうしてヘイさんがそんなこと──」

「死ぬよ、このままじゃ」


 柔かではあるが、きっぱりとした声が深芳の言葉を遮った。赤い目が深芳を射ぬく。


「もう駄目なの、見たら分かるでしょ。かすり傷ならなんとかなったかもだけど──、これだけ深いと癒しの術も効かない。今なら左足の膝下を切り落とすだけですむ」

「……」


 紫月と深芳は蒼白になる。このままでは危ないと思ったが、足を切り落とそうなんて考えもしなかった。深芳がおろおろと手を震わせながら、鷹也から与平を引き離すように抱き寄せた。


「ヘイさんに触らないで」

「でも、早くしないと。さっき、こっちの子が派手に同調したから、向こうに気づかれている可能性がある。こんな袋小路で襲われたら面倒だ」

「なに、襲われるのは私たちが悪いからとでも言うの? ヘイさんをめちゃくちゃにしたのは、おまえたちじゃない!! ついさっきまで、普通に買い物をして普通に歩いていたのよ?!」

「……ミィ、落ち着け」


 与平の声が深芳の怒りをすくい取った。 


「自分の不安を……この子にぶつけるな。儂なら心配ないと……そう言っただろう」


 言って与平が深芳を仰ぎ見ながら言い聞かせる。そして彼は、手からこぼれ落ちかけていた刀の柄をくるりと逆手に持ち直し、鷹也に差し出した。


「ここにいる二人を守ってくれるか」

「もちろん。そのために来たから」

「……初対面で悪いな。面倒をかける」

「大丈夫」


 言って鷹也はにこりと笑った。人懐こい笑顔だ。そして、彼が与平から刀を受け取った時、


「紫月さま!」


 ふいに猿師の声がして、路地の出入口に険しい顔をした細面の男が立っていた。


「先生──!」

「探したぞ、与平は?」


 猿師が紫月と鷹也の間に割って入り、倒れている与平に歩み寄る。猿師は、ひと目で彼の状態を見て取って、傍らで与平の刀を握る鷹也に話しかけた。


「鷹也、足を切り落とすつもりだったのか?」

「うん。俺の鬼喰いじゃ出来ないし」

「まさかこんな状態になっているとは──。深芳さま、私との電話の後、どうなったのです?」


 すると、苦しそうな息づかいの与平を気遣いつつ深芳が答えた。


「隠れていたけれど、あいつらに見つかったのよ。最後は、ヘイさんがまとめて相手することになって、二人はなんとか倒したんだけど──」


 そこまで言って深芳は言葉を詰まらせた。鷹也が驚いた顔で呟く。


「まとめて相手して、二人も倒したの? 先生、この人、相当な手練てだれ?」

「あっちの国では、百人の精鋭部隊を率いていた鬼兵隊長だ。かなり強い」


 手短に鷹也に答え、猿師は深いため息をつく。そして彼は、鷹也から刀を奪い取った。


「貸せ。儂がやる」

「先生、」

「おまえは与平の体を押さえていてくれ。深芳さまは、紫月さまと一緒にお下がりください」

「いいえ、」


 しかし深芳は小さく首を横に振った。そして、覚悟を決めた顔で猿師を見返す。


「ヘイさんの体は私が押さえる。ヘイさん、いい?」

「……問題ない」

「与平、口に何もくわえなくていいか?」

「大丈夫だ。足の感覚が……ほとんどない。やってくれ」

「よし。じゃあ鷹也、おまえは紫月さまを」

「うん」


 深芳が与平の体をぐっと抱き押さえる。与平は深く息を吐き出して呼吸を整えてから、猿師に対し小さくうなずいて見せた。

 猿師が狙いを定めて刀を振り上げる。


 一方、鷹也は呆然とする紫月に対して一緒に下がるよう促す。彼に腕を引かれ、紫月はふらつきながら立ち上がった。


「怖いだろうから見る必要ないよ」

「……」


 紫月はふるふると首を振る。そんな彼女を黒髪の青年がふわりと抱き締めた。


「目を閉じて、耳も塞いで──」


 ひんやりと冷たい気が優しく紫月を包んだ。碧霧のほこほこと暖かい気とは対照的な、冷水のような気だ。思わず体を預ければ、意識が闇に溶けていくような感覚に陥った。


「怖くない。大丈夫」


 刃が空を切って振り落とされる音は、鷹也の柔らかな声によって遮られた。


 その日、与平は左足の膝から下を失う。彼の体から切り落とされた左足は、まるで最初からそうであったかのように塵となって消えた。

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