8 深芳の告白(2)

「伯母上、あなたは月詞つきことを歌えない。そして、紫月の父親である伯父上は、言わずもがな者です。……ずっと不思議でした。紫月はどうして歌えるのだろうかと。月詞が歌えるかどうかは、生まれながらの資質によるところが大きい。普通に考えれば、彼女は歌う才を持って生まれない」

「ひどい言い方ね」

「すみません。しかし、当然に感じる疑問です」


 肩をすくめる深芳に苦笑を返しつつ碧霧は自分の考えを述べた。

 そして彼は、ひと呼吸置いてから単刀直入に言った。


「紫月の父親は、元伯家の清影さま──。違いますか?」


 婉曲な物言いは、いたずらに話を長くするだけである。彼はそのまま言葉をたたみかけた。


「紫月が元伯家の血筋を受け継いでいると考えれば、あれだけ月詞を歌いこなすのも合点がいきます」

「清影さまは、二百年の間、座敷牢に囚われていた。簡単に会うことなんてできないわ」

「知っています。座敷牢の門には強固な結界が結ばれ、そこを常に牢番が守っていた。そうだな、与平?」


 かつての牢番頭である与平にちらりと目をやる。すると、彼はただ黙ってうなずいた。無表情はさすがと言うべきか、彼は成り行きを見守っているだけである。碧霧は再び深芳に視線を戻した。


「しかし、そこに通い続けた女性がいたと聞きました。そして、その女性が伯母上ではないかという噂があったということも。当然、御座所おわすところを追われたあなたが勝手に座敷牢に行くことなどできない。とすれば、手を回した協力者がいたはずで──、それが母上だ。つまり、伯母上は母上の手引きで清影さまに会っていた。清影さまと伯母上は、兄と妹という関係ではあっても血の繋がりはない」

「……よく回る口ね。そんな下世話な話を伯子がなさるなんて」


 艶めいた笑みを浮かべ、深芳が不快げに鼻を鳴らす。もっともな反応である。

 しかし、この推測は間違っていないはずだ。

 碧霧は怯みそうになる気持ちを叱咤し、彼女をまっすぐ見つめた。


「六洞家管轄の座敷牢にわざわざ八洞やと家臣下の与平を牢番に据えたのもきっと母上でしょう? 当時の三人の関係や立場は知りませんが、とにもかくにも母上を含めだった。全ては元伯家の血筋を残すため──」

「そんな小難しい話ではないの」


 ぽつり、と深芳が呟いて碧霧の言葉を止めた。そして彼女は、ふうっと大きく息をつくと、申し訳なさそうに与平を見た。


「ヘイさん、碧霧さまと二人で話がしたいわ。あなたに隠し事はないけれど、私以外の者のことを話すことにもなるから」

「儂はかまわないが」

「ありがとう」


 深芳が与平の首に両腕を回し、二人は碧霧の目の前で口づけを交わす。お互いに深く信頼し合っていることが見ていても分かる。

 与平は「では儂はこれで、」と碧霧に目礼しつつ立ち上がると、そのまま寝室へと戻ってしまった。


「本当に仲がいいんですね」

「もちろんよ。ヘイさんは、私の全てを受け止めてくれる男だもの」

「それは、伯母上の秘密も全部という意味ですか?」


 碧霧が含みのある言葉を深芳に投げる。深芳は艶やかな笑みをふわりと浮かべ、「ここからは、私の思い出話みたいなものよ」と前置きをしてから、穏やかな口調で話し始めた。




 深芳は、幼い頃から千紫といつも一緒だった。角の数は違ったが、父親同士が同じ伯学子であり仲が良かったからである。

 ある時、深芳に転機が訪れる。彼女の父親が亡くなり、母親が鬼伯の後妻となって奥院に入ることになったのだ。深芳は後妻の子として、母親と一緒に奥院に入ることになったが、千紫との仲は変わらることはなかった。

 そんな中、深芳は初めて恋をする。相手は当時の伯子であり、義兄でもある清影である。しかし、義兄に親友の千紫を紹介すると、彼は機知に富む千紫を瞬く間に好きになった。


 それが二人の不幸の始まりだった。


 当時の鬼伯であった影親かげちかは、角の数にかかわらず才のある鬼たちを登用していた。六洞りくどう重丸や九洞くど旺知あきともがいい例だ。しかし、息子の清影が二つ鬼の娘に恋慕していると知るや、鬼伯は彼女をあろうことか旺知の宵臥よいぶしにしたのだ。

 周囲には「角の数にこだわらない」と言っていたはずの影親かげちかは、身内に二つ鬼を入れることを激しく拒んだ。


 理由は、二つ鬼は月詞つきことを歌えないから。


 なんてくだらない、と深芳は思った。月詞を歌えずとも千紫の聡明さは余りある。その才を見いだすことなく、彼女を旺知の慰み物として排除するなんて、暴挙に等しい行為だ。


 かくして伯家の凋落は深芳にとって必然と言えた。どんどん力を増していく九洞くど旺知あきともに伯家はなす術がなく、月夜の変は起こるべくして起きたと言ってもいい。御座所おわすことろが占拠され、伯家の姫として捕らえられた深芳は、戦利品として旺知の側妻そばめになると思っていた。


 女はいつでも男の餌食えじき。千紫が旺知から酷い仕打ちを受け続けていることも、会うたびに憔悴していく彼女の姿を見て深芳は気づいていた。だから、千紫が多少なりと楽になるのであれば、自分があの男の側妻となるのも悪くないと思った。


 ところが、深芳が連れていかれた先は、旺知の兄で「なし者」である九洞成旺しげあきの住む落山の屋敷だった。千紫が深芳の処遇について「の世話をさせよう」と旺知を言いくるめたためだ。

 拍子抜けした深芳であったが、事はそう単純なものではないことをすぐに知ることになる。


 角のない鬼であるがゆえに世間から隔離され、隠された存在だった九洞成旺。そのなし者が、千紫のことを「千」と愛称で呼んだのである。


 今まで千紫のことを愛称で呼んだ男などいなかった。少女のような表情を見せる千紫の姿も初めてだった。旺知あきともの横暴な生活のもと、聡明だった親友は夫の兄と密かに通じ合う仲になっていた。

 同時に深芳は自身の立場をあらためて理解する。自分が成旺の側妻そばめとして落山に移されたのは、ただただ二人の関係を誤魔化すための「隠れみの」であると。

 愕然とする深芳に千紫はさらなる要求を突きつけた。


「……それが、月に一度だけ伯子の元に通うこと。千紫は私に清影さまの子を生むことを望んだ」

「ち、ちょっと待ってください──っ」


 深芳の話を止めて、碧霧は片手で口元を覆った。

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