2.上に立て

 月夜の里中、曲坂まるざか大通り。人の国風の流行りの店も多く立ち並ぶ。しかし、こうした店は入れ替えも早く、しばらくしたら新しい違う店に変わったりする。そんな中、「芋まんじゅう」と書かれた紙を貼った古びた菓子屋だけは、ずっと昔ながらの営業を続けている。


 その店先に置かれた縁台に、着物ドレスを着た一つ鬼の女の子が座り、一人でイモンブランを頬張っていた。

 ここで二人分のイモンブランを紫月が食べる羽目になったのは、碧霧と出会って間もない頃。それからまだ半年も経っていない。

 まあ、通常の日常が戻ってきたと思えばそんなものだ。


 碧霧と喧嘩別れして十日ほどが経つ。

 連日のように届く碧霧からの式神は受け取っていない。先日、落山の屋敷を訪ねてきた右近は会わずに追い返した。千紫からの呼び出しも丁重にお断りしている状態だ。


 頑なに拒絶の態度を取り続ける娘に、母親は「好きにしろ」と言う。

 だから今日もこうして曲坂まるざかでイモンブランを頬張って好きにしているわけだが──、心がぐずぐずとして晴れない。まるで、雪がちらつく今日の冬空のようだ。


 その時、ふと通りを歩くあやかしたちの話し声が紫月の耳たぶを打つ。


「こんな寒い日は、誰でもいいから儂の相手をしてくれる女はおらんかの」

「そりゃおまえ、そこまで腰ひもの緩い女は東の末姫ぐらいなもんだ」


 ふたりは下品な笑い声を上げて紫月の前を通り過ぎた。

 またか、と彼女はため息をつく。

 里中では「元伯家の末姫藤花は好色な女である」という不名誉な噂がまことしやかに囁かれている。いや、かれこれ三百年以上受け継がれ、尾びれ背びれまで付いて、もはや「好色女」の代名詞と化してしまったような噂である。

 当の本人は、東の端屋敷はやしきにこもっているので全く気にしている様子はないが、「藤花」を知る者としては腹立たしい限りだ。叔母が愛しているのはただ一人、かの国の男だけだ。それが公に出来ないから、こんな噂が立ってしまったのかもしれない。


 思えば、藤花の屋敷にもずっと顔を見せていない。きっと心配しているはずだ。しかし、鬱々とした気持ちのまま行きそびれている。


 碧霧の気持ちに嘘偽りがないことは実のところ分かっている。なぜなら彼は自分に嘘をつかないと言ったし、必要なら心の内を探ってもいいと言った。

 でも、探る必要なんてない。碧霧の隣にいて自分に向けられる温かな気を嫌というほど感じていたのは他ならない自分なのだから。

 だから、彼は嘘をついていない。


 では、自分は何に怒っているというのだろう?

 最初は、碧霧の今までの素行に対して同じ女として許せないと思っていた。

 しかし、深芳に「自分の怒りに関係のない誰かを巻き込んで正当化するな」と言われてしまった。誰もそんなことをおまえに頼んでなどいない。おまえは自分のために怒っているのだと。 


 母親の容赦ない指摘が痛い。

 そうこれは、みっともないほどの焼きもちだ。


 いつもは極上の味であるイモンブランが味気ない。紫月は口の中の菓子をお茶で一気に飲み下した。


 その時、


「芋饅頭を一つおくれ」


 紫月の隣に二つ鬼の女が座った。上品な小袖に身を包み、髪は後ろできっちりと結んでいる。細く上がった眉が几帳面な彼女の性格を表しているようだった。


「……小野木、」


 奥院で最も厳しいと言われる侍女は、店主から芋まんじゅうとお茶を受けとると、上品に口を開けてそれをぱくりと食べた。


「ふむ。ここの芋饅頭は素朴な甘さじゃ。上手い」

「どうしてここが分かったの?」

「落山を訪ねましたら、落山の方さまに曲坂まるざかに行ったと教えられました」

「ふーん、そう。で、笑いにでも来た?」


 むすっとした顔で紫月は小野木を睨んだ。しかし彼女はすました顔でお茶を飲み、ほうっと息をついた。 


「姫さま、奥院にお戻りを」

「戻るも何も、あそこは私の家じゃないわ」

「ですが、戦いの場ではあるでしょう?」


 言って芋饅頭をさらに一口頬張る。何事もなくもぐもぐと食べる様子は、こちらを馬鹿にしているようでイラッとした。

 とてもじゃないが、今は言い争う気になれない。

 それで紫月が立ち上がろうとした時、小野木が呟いた。


「奥の方さまが七洞の姫をお召しになりました」


 浮きかけた紫月の尻がぴたりと止まり、そのまま縁台に戻る。彼女は呆然と小野木の横顔を見つめた。小野木が淡々とした口調で言葉を続ける。


「あなたさまの教育係に任じられるそうです」

「……なんの、嫌がらせ?」

「さあ? しかし、奥の方さまは意味のないことはなさりませぬ。そして、つまらない嫌がらせをするような方でもございませぬ」


 確かに、千紫は誰かを貶めるような嫌がらせをする女性ではない。

 ではなぜ? 碧霧の過去の女関係など些事に過ぎないという意味だろうか。

 このまま自分が奥院に上がらなければ、千紫は七洞の姫をどうするつもりなのだろう?

 いろいろな思いが次々と湧き起こり、考えがまとまらない。にわかに動揺する紫月の姿を見て、小野木は大きなため息をついた。


「情けない。この小野木に喧嘩を売ったは、あなたさまでございましょう?」


 言って彼女は厳しい視線を紫月に向ける。


「小野木のやり方が気に入らず、奥院のやり方がおかしいと思うのであれば、上にお立ちなさいませ。今のあなたさまは、そこらの道端でぎゃんぎゃんと吠えている犬とそう変わりませぬ。いったい、誰の隣に立つおつもりだったのか。碧霧さまは、この北の領を担う伯子であらっしゃいますぞ」

「だからって何をしてもいい理由にはならないわ」

「ならば横っ面を殴ってさし上げればよろしいかと」

「は?」

「得意でございましょう?」


 小野木が口の端に皮肉げな笑みを浮かべる。しかしすぐ真顔に戻り、彼女はまっすぐに紫月を見据えた。


「女はいつでも男の道具。伯子に娘を貢ぐ者は、これからも出てきましょう。もしかしたら、断ることができぬ場合もあるやもしれませぬ。それが気に入らぬというのであれば、あなたさまがそれを絶ち切りなさいませ。その気概がないのであれば、伯子の宵臥などさっさとおやめなさいませ。中途半端に波風だけを立てられては、こちらも迷惑にございます」


 そこまで言って、小野木はすっと立ち上がった。店主を呼びつけ、紫月の分も含めて代金を払う。そして彼女は、何事もなかったかのように雑踏の中にまぎれて行ってしまった。


 それから三日後、千紫からの呼び出しの車が落山を訪れた。

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