六洞の姫君(下)

 はっと振り返る右近の目に飛び込んできたのは、青い顔に鋭いくちばしを開けて襲いかかってくる小柄なあやかし──。そして、ぱさりと翻る唐紅からくれないの派手な小袖だった。


 女物かと思うような花模様、しかし着ているのはの大柄の男だ。その男は、右近と青のあやかしの間に割って入ると、飛びかかってくるそれをバシッと地面に叩き落とした。


「大人数ってのも情けねえが、不意打ちってのも呆れるな」


 手に持つ得物──赤いキセルをくるりと回し、男が事もなげに煙を吹かす。そして彼はとどめとばかりに、目の前の青いあやかしを蹴り転がした。


 最後の奇襲も失敗に終わったゴロツキたちが、おろおろと立ち上がる。彼らは、「覚えてろ」などと捨てゼリフを吐きながら我先にと逃げて行った。


 ようやく大通りに日常の喧騒が戻ってくる。すると、唐紅の小袖の男が右近にくるりと向き直った。


「噂の六洞りくどうの姫君ってのはあんたかい?」


 真っ赤な短髪に褐色の肌、揉み上げから続く無精ひげと黒い瞳が存外に人懐こい。背は右近より頭一つ半ほど高く、はだけた小袖の合わせから筋肉質な厚い胸板が覗く。

 しかし、何より驚いたのは、右近のそれとは違う弓なりに反った二本の角──、西の領はくれない一族の鬼である。


「紅……」


 北の領では珍しい種族の登場に、右近は思わず二本の角を不躾に眺め回した。しかし、すぐに黒い瞳とかち合って、彼女は慌てて目を伏せた。


 北の領と西の領は、決して仲が良い訳ではない。今でも領境では小競り合いが度々起こっている。

 一瞬、どういう態度を取ればいいのか戸惑ったが、助けてもらったことには変わりないので、右近はお礼を言うことにした。彼女はあらたまった顔で彼を見た。


「助けてくれて礼を言う」

「なあに、あんた一人でもどうってことなかっただろうけどな」


 言って男はにやりと笑った。

 確かに。でも、失礼なのでそこは顔に出さない。しかし、だからと言って必要以上に親しくする気もない。


 それで右近がそれ以上は何も言わずに黙っていると、赤髪の鬼は不服そうに片眉を上げた。


「愛想のない奴だな。俺の角をじろじろ見てたってこたあ、珍しかったんだろ? 何か聞くことないのか?」

「別にない。気分を害したのなら謝る」

「笑った方が美人に見えるぞ、六洞りくどうの姫」

「余計なお世話だ。それに、六洞家の娘だが姫じゃない」

「ふん、こだわるなあ。あんた、名は?」


 会話らしい会話のやり取りもないままに唐突に名前を聞かれ、右近は思わず押し黙った。そして警戒心をあらわにした目で相手を見返す。

 赤髪の鬼が、「ああ、不躾過ぎたか」と頭をがしがしと掻いて苦笑した。


「姫と呼ばれるのが嫌いみたいだからな。俺はかいだ。阿の国中を巡って商売をやっている」


 魁と名乗る男が、節くれた大きな手を右近に向かって差し出した。はっきりとタコが見て取れる手の平は、ただの商人ではないように思えた。

 ちらりと問い詰めるような視線を魁に向けると、しかし、屈託のない笑顔で返された。


「私は──、右近だ」


 ぐいぐい進む会話に少し居心地の悪さを覚えつつ、相手のペースに飲まれた形でしぶしぶ名乗る。ただ、差し出された手は、握り返さなかった。


 魁が肩を竦めて手を引っ込めた。とは言え、顔はそんなに残念そうではない。


「ま、名を聞けただけでも今日は良しとするか。これ以上の長居は返って不興を買いそうだ」


 言って魁はあっさりと踵を返す。そして彼は、「またな」と手を振りながら、さっと雑踏に紛れて行ってしまった。


 大通りの喧騒があっという間に右近を飲み込む。

 ぽつりと残され、右近は妙に落ち着かない気持ちになった。


「一体なんだ──」

「そりゃ、恋でしょ」


 ふいに耳元で囁かれ、右近は「うわっ」と体を震わせた。いつの間か紫月と妃那古が右近の両脇に立っていて、小さくなっていく魁の後ろ姿を凝視している。


「かなり野生的ワイルドじゃない? 西のくれない一族よね? 初めて見た」

「奈原にはたまにいますよ。まあ、確かに珍しいですけど。でも、右近さん、ああいう方が好みなんですか?」

「勝手に二人して何の話ですかっ。買い物はどうしたんです?!」


 たじろぎながら紫月たちに聞き返すと、悪びれる様子もなく二人は肩をすくめた。


「表が騒がしいから気になって見に来たのよ。ねえ、妃那古」

「はい、そしたら何やら男の方と右近さんが仲良く話をしているので……」

「誰が仲良く……、いやっ、ちゃんと買い物してください!」

「そんなことより、名前を聞いた? 次に会う約束は?」

「だから──っ、早く終わらせろって言ってんだ!!」


 最後は無礼承知で姫君たちを怒鳴りつけ、話をごまかす。


 右近に怒られ、紫月たちは店内にしぶしぶ戻っていった。

 それを尻目に右近は再び通りに目を向けた。しかし、唐紅からくれないの小袖姿はどこにも見えなくなっていた。

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