第5話 攻防

「彼女のあの右腕も怪力も、呪物のせいってことだよな?」


 と、二階堂は蒼矢に確認する。


「おそらくな。俺も詳しいわけじゃねえから断言できねえけど、あの体格であの馬鹿力はさすがにねえよ」


 蒼矢は、肩をすくめて告げる。


 そうかとつぶやくと、二階堂はわずかの逡巡しゅんじゅん


「貴女、玖遠くおんさんですよね? 采牙さいが君から、貴女が呪いの手鏡を持っていると聞きました。こちらに渡してもらえませんか?」


 と、だめもとで玖遠に声をかけた。


 だが、当の玖遠に反応はなく、曇った瞳でただ虚空を見つめているだけだった。


「ありゃ、もうだめだって。るしかねえよ」


 冷たく言い放つと、蒼矢は自身の周囲に青白い狐火を多数作り出した。


 二階堂は唇を噛みしめると、霊力を最大出力で刀に乗せて構える。まばゆいほどの輝きを放つ白い光の刃は、実際の刀身よりも太く鋭い。たとえ呪いの力で肌を硬化していたとしても、切り裂くことは容易たやすいだろう。


 危険を察知したのか、玖遠も紫黒しこく色の狐火を多数作り出す。


「へっ、そうこなくちゃな!」


 蒼矢は楽しそうにそう言って、狐火を玖遠めがけて放ち、直後に無数の青白い蝶を作り出した。


 彼女もほぼ同時に狐火を放つ。


 二色の炎は、両者のほぼ中央で炸裂し爆風をともなって霧散する。


 その爆風をなんとかくぐり抜けて、二階堂は玖遠をめざして駆ける。と同時に、蒼矢が蝶の群れを彼女へと差し向けた。


 充分に間合いを詰めると、二階堂は刀を振り下ろした。しかし、刃と化した玖遠の右腕に受け止められる。


 そのまま力を入れて傷をつけようとした二階堂だが、耳障りな音が響くだけで刃こぼれさえしそうにない。


「誠一!」


 不意に、蒼矢の声が聞こえた。


 頭上に、蒼矢の妖気の気配を多数感じる。おそらく、先ほど作り出した蝶の群れだろう。


 二階堂は力を緩めると、玖遠に弾かれると同時に後ろに飛ぶ。すると、彼女の頭上に飛来していた蝶の群れが一斉に鋭い刃に変わり彼女へと降り注ぐ。


 玖遠はそれを振り払おうとするが、すべてを防ぐことはできなくて。くぐもったうめき声をあげる。


 刃の雨は、彼女に多くの傷を刻むと地面に届く前に消えていった。


 傷だらけの彼女を見ると、衣服もいたるところが裂け、じわりと血がにじんでいる。


(あれは……!)


 二階堂は、彼女の胸元にきらりと光るものを見つけた。切れたワンピースからのぞくそれは、彼女を狂わせた元凶――手鏡だった。すでに、彼女の肌に根を張るように同化している。


「蒼矢! 彼女の胸元……!」


 二階堂が告げると、蒼矢は苦々しい表情で盛大に舌打ちをした。


「くそっ、やっぱりかよ!」


 つぶやいて、蒼矢は真正面から彼女に斬りかかった。


 玖遠は低く唸ると、漆黒の鎖を複数作り出す。それは、瞬時に蛇へと姿を変えて蒼矢へと向かってきた。


「――っと! あっぶね……!」


 漆黒の蛇に噛みつかれそうになる寸前で斬り伏せると、一足飛びに後ずさる。


 だが、蛇は後を追うように現れ、蒼矢に襲いかかろうとする。


 蒼矢は舌打ちをしながら、それを次々に斬り捨てていく。


「蒼矢!」


「来るな!」


 二階堂は加勢に向かおうとしたが、すぐさま蒼矢に止められる。


「俺より、あいつをどうにかするのが先だろ!」


 蒼矢の言葉で、二階堂は当初の目的を思い出した。


(そうだ……! 玖遠さんを止めなきゃ!)


 二階堂は刀を構え直すと、玖遠の背後へと走る。


 彼女は今、蒼矢に意識を向けているのだから背後は無防備のはず。最大のチャンスだと思えた。


 彼女の死角へとまわり、間合いを詰めて斬りかかる。その瞬間、地面から猛烈な勢いで黒い炎の壁が吹き上がった。


「――っ!?」


 息を呑んだ二階堂は、とっさに上体を後ろに反らして直撃は免れる。


 体勢を整えようとしても、眼前に炎の壁が立ちはだかっているため、その場では無理だった。少し間合いを取ろうと地面を蹴った瞬間、炎の壁から紫黒色の妖気弾が飛び出してきた。玖遠が放ったものだ。


 あまりにも近距離のため、身をよじったところで避けられないことはわかっていた。二階堂は、刀の峰を自身に近づけて防御するように構える。刹那、妖気弾は二階堂に直撃し、後方に建っている家屋の壁に二階堂ごと激突すると霧散した。


 その衝撃はすごいもので。ごく普通にぶつかっただけでは壊れないだろう壁が、いとも容易く瓦礫と化した。


「誠一!」


 家屋が崩れた音に、蒼矢は相棒の名を呼ぶ。だが、衝撃音が大きくて、おそらく聞こえてはいないだろう。おまけに、蒼矢に襲いかかってくる漆黒の蛇が一向に減らず近づくことさえできない。ほふっても屠っても、よみがえるかのように湧いてくるのだ。


「……あー、もううぜえ!」


 蒼矢は一蹴するように吠えると、多数の蛇を青白い炎で焼き尽くした。もちろん、変化へんげする前の漆黒の鎖ごとである。


「――っ!?」


 玖遠は驚いたような表情を見せるが、蒼矢は構わず二階堂のもとへと走る。


 そうはさせるかと、玖遠は複数の妖気弾を連続で蒼矢に放つ。しかし、そのことごとくは、蒼矢をかすめることなく家屋を破壊していった。


「大丈夫か? 誠一!」


 と、蒼矢は瓦礫に横たわる二階堂を見つけて駆け寄る。


「なんとか……大、丈夫。いてて……」


 そう答えると、二階堂はその場に座るように上半身を起こした。


「無茶すんなっての! お前の体、強化してねえんだから」


「ははっ……さすがに避け――っ!」


 避けられなくてと言い終える前に、二階堂は盛大に咳き込み吐血した。


「おい! 大丈夫かよ?」


 心配そうに声をかける蒼矢。


「……ああ。刀で防御して、威力殺したはずなんだけど……殺しきれてなかったみたいだ」


 と、弱々しく苦笑する二階堂。


 そんな会話をする二人に、玖遠は好都合だとばかりに大型の妖気弾を放った。


 それに気づいた蒼矢は、二階堂の前に一歩出ると両腕を前に突き出した。間一髪のところで、勿忘草わすれなぐさ色の防御壁が形成され妖気弾をふせぐ。


「く――っ!」


 その衝撃は、先ほど防いだ吟慈ぎんじを狙ってのものより大きくて。蒼矢は、弾かれないように両足に力を入れる。


 妖気弾は、ものの数秒で霧散した。体感的には、もっと長いように感じられた。


 蒼矢は肩で数回息をすると、


「ちったあ大人しくしとけ!」


 と、右手を前に突き出す。すると、無数の青白い蝶が右手から出現し、玖遠へと一直線に向かっていった。


 それは、瞬く間に玖遠を囲むように旋回し、数分もしないうちに彼女をドーム状に包囲する。


「時間稼ぎくらいはできるか……」


 そうつぶやくと、蒼矢は二階堂に向き直った。これくらいしかできないけれどと、二階堂の腹部に手をかざして治癒術をかける。


 一分ほどで腹部の痛みも和らいだ。ただ、完全に治ったわけではないらしい。


「止血しただけの応急処置だからな、あんまり無理すんなよ」


「ありがとう」


 二階堂は礼を言うと、さてどうしようかと思案する。


 誤算だった。強さを見誤ったのだ。正直なところ、ここまで苦戦を強いられるとは思ってもみなかった。玖遠から手鏡を奪えば解決すると、かんたんに考えていた。


(こんなことなら、弱点聞いておけばよかったな……)


 一瞬、そんなことが頭をよぎる。だが、聞いていたからと言って事態が好転するとは限らない。


「あいつはもう、殺さなきゃ止まらねえ。あれを解いたら、俺があいつの動きを封じるから……頼む」


 蒼矢は、いつにも増して静かに告げた。予想はしていたが、できれぱこの状況は回避したかったと、彼の表情が物語っている。


 二階堂は力強くうなずくと、刀を杖代わりにして立ち上がる。刹那、青白いドームから慟哭にも似た悲鳴が聞こえた。

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