第36話
壁の時計がチクタクと音を刻んでいる。
ゲーミングチェアでく〜く〜寝息を立てるヒメコを尻目に、ミチルは一人で黙々とテスト勉強を進めていた。
ヒメコに学力自慢しちゃったけれども、楽して現在の位置をキープしているわけじゃない。
ちょっと油断したら順位なんて一気に落ちる。
加えてミチルは帰宅部だから、みんなより勉強できて当たり前、という謎プライドもある。
もう一度ヒメコの寝顔を見て、気合いを入れ直したミチルは、さっき解いた問題の正誤をチェックした。
「しかし、ヒメコちゃん、よく寝るな」
かれこれ20分は経過している。
風邪を引いたら大変だろうな、と心配したミチルがブランケットをかけたとき、玄関の方から「ただいま〜」という女性の声がした。
マズい!
ヒメコのお母さんだ!
過去に3回お邪魔しているから『坂木ミチル』というボーイフレンドの存在は伝わっているだろう。
しかし、対面するのは今回が初となる。
どうしよう……心の準備が……。
ミチルがオロオロする最中も足音は階段をのぼってくる。
「ちょっと、ヒメコ〜。玄関に靴があるってことは、彼氏くんが来ているのかしら〜」
まだヒメコは目覚めない。
心臓がバクバクするあまり内側から破けてしまいそうになっていると、ドアが開いて髪の長い女性が入ってきた。
「あら」
想像通りというべきか、若々しくてきれいな人だった。
くりっとした目つきが娘そっくり。
ミチルを見て優しくほほ笑み、ヒメコを見てため息をついたお母さんは、
「君が坂木くんだよね。なんかごめんね〜、ヒメコが寝ちゃっていて」
申し訳なさそうに頭を下げてきた。
「いえ、俺が勝手にお邪魔しているようなものですから!」
「そんなに
「さっきまで猛烈に勉強していたのですが……。どうやら反動が出ちゃったみたいで、これは充電中だと思います」
ヒメコの母は床やテーブルに並んでいるジュースやお菓子を眺めて、
「まあ、あの子ったら、少食のくせに甘くて高カロリーのものばかり」
とボヤきつつ、チョコを一粒口へ放り込んだ。
「坂木くん、門限とかは? お母さんに連絡しなくても平気?」
「はい、遅くなると伝えてあるので平気です。こちらこそ遅くまでお邪魔して申し訳ありません」
「まあ、礼儀正しい子なのね。感心感心」
普通にやっているつもりだが、気に入られたっぽい。
「ヒメコに勉強を教えてくれてありがとう。この家には何時までいてくれてもいいから。足りないものがあったら教えてね」
「どうも」
無事にやり過ごせてほっと安心したのも束の間、すぐにドアが開いてびっくりする。
ヒメコの母はジャケットを脱いでおり、片手に缶チューハイを持っていた。
「ねえねえ、ヒメコって学校だとどんな感じなの? ドジ踏んでばっかりじゃない? 授業中とか寝ていない?」
「え〜と……そうですね〜」
空気みたいなキャラです、存在感ゼロです、ずっと独りで本を読んでいます。
ありのままを伝えるほど、ミチルもバカではない。
「大人しい女子生徒ですね。問題行動はまったく起こさないタイプです。遅刻とかも含めて。日本史と世界史が比較的得意です」
「ふ〜ん、そうなんだ〜。ヒメコって学校のことを訊いても、普通だよ、しか答えてくれないから、坂木くんみたいに心を許せる彼氏ができてよかったな〜。本人から聞いているかもしれないけれども、中学時代とか、学校にいくだけでも大変だったんだよ〜。かなり成長したな、この子は」
ヒメコの母は缶チューハイの中身をうまそうに飲む。
「ヒメコのどんなところを好きになったの?」
「えっ⁉︎」
一瞬にして冷や汗が吹き出してきた。
「だって、ヒメコって主張しないでしょ。自分から周りに声をかけるタイプでもないし、集団行動とか苦手そうだし、あと男子のことも苦手でしょ」
中々のいいっぷりだが、真実には違いない。
「ヒメコさんがVTuberやっているの、ご存知ですよね。俺はあれのファンでして……」
「あ〜、パソコンに向かって何か話しているよね」
この言い分だと、母はあまりVTuberに詳しくないようだ。
「ヒメコさんは大勢の人に楽しみを提供しているのです。義務というよりは使命感で。そういう姿に
「で、告白はどっちからしたの?」
ミチルは
「ヒメコさんの方から俺に告白してきました」
「えっ⁉︎ ヒメコって男子に告白できるの⁉︎ 意外! いや〜、この子も成長するんだな〜! 偉いぞ、ヒメコ!」
若干アルコールが回っているのか、ヒメコの母は娘の頬っぺたをツンツンして遊んでいる。
「そんなことしたら、起きますよ」
「いやいや、ヒメコは一度寝ると中々目覚めないからね。地震がやってきても平気で寝ている。こういう部分、私にそっくりなんだ」
「そうですか……」
ミチルとあっという間に打ち解けてしまったヒメコの母は、良い方の意味で変わり者かもしれない。
「ヒメコってバカでしょ?」
「またまた、答えにくい質問をぶつけてきますね」
「あ〜、すぐ否定しないってことは、バカなんだ〜」
「う〜ん……バカというより欲望に真っ直ぐといいますか……」
「具体的にどんなところが?」
しばらく解放してくれそうにないな、と観念したミチルは、ペンを置いて話に付き合うことにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます