第52話 少年が護った世界
――戦争終結から二週間。
小国ニヴルヘイムがアースガルズを退けたという情報は、既に各所を駆け巡っている。何より、アースガルズ帝国の新皇帝が早速
具体的に何が起こっているのかと言えば、世界のトップが
この影響で、今はどの国も
「ふふっ、いつ以来の
「休むのはいいが、他の場所にしろ。というか、服は着てくれ」
そんな俺たちも漏れなく、久々に穏やかな――というか、この国に来てから初めてかもしれないゆったりとした時間を過ごしていたかに思えた。
「今日は久々に開放的になりたいですから嫌です。“ニーズヘッグ”からも、この強情っぱりに言って上げなさい」
「その物騒なぬいぐるみを通訳代わりに使うなよ。一応、神話の化物だぞ」
それと皇獣――“ニーズヘッグ”はあの後ニヴルヘイムに付いてきたものの、いつの間にか使い魔というか、ペット扱いで収まっていた。
今はセラに抱きしめられており、彼女の豊満な胸に後頭部を埋めながら、つぶらな瞳を俺に向けて来ている。
「あら、
「ほっぺを突くな。刺激して宮殿が吹き飛びでもしたら、どうするつもりなんだ?」
他人に気を許さず、孤高を貫く気高き白竜。
名前やらなにやらは、戦後処理の最中に両国の資料で調べ上げて当人に確認を取ったものだ。因みに性別は
そんなペット扱いのニーズヘッグではあるが、懐いているというか気を許してくれている人間は片手で収まるほど少ない。力を示した者に気を許してくれたということなのか、解放に対しての恩義なのか、それとも気まぐれなだけなのか。
真相は誰にも分からない。
とはいえ、現状ニーズヘッグは基本的に俺かセラの周りを飛び回ったり、どちらかの肩や頭に乗っかってダラダラしながら、ニヴルヘイム皇国での日々を自由に過ごしているようだ。
「この子も私たちがいる所では暴れませんよ。それに元々、ニヴルヘイムに縁ある竜のようですし、要らぬ者さえ関わらなければ、この様に超然としているのでしょう」
「要らぬ者か……言い得て妙ってとこだな。そういえば、アースガルズは結局どうなってるんだ?」
「大混乱は今も続いています。何せニーズヘッグが封印されていたのは、
「そうか。それに加えて新皇帝、いつの間にか軍部最高責任者になっていたらしいバカ親父を始めとした新政権の高官が大量に
セラはニーズヘッグの頭を一撫ですると、複雑そうな表情を浮かべる。敵国の話ではあるが、国家動乱ともなれば思うところがあるのだろう。朝から俺の部屋に押しかけて来たのも、一人で考え込んでしまうことを嫌ってなのかもしれない。
「でも、前皇帝が返り咲いて、この間のアウズン将軍を中心に色々頑張ってるんだろ? どっちに転ぶかは分からないけどな」
「過ちは繰り返させない……停戦合意には、色々と条件を盛らせて頂きましたが……」
「高官不在を狙って台頭を狙う間抜けを、アウズン将軍たちが抑えてくれることを信じるしかない。旗色が悪いと判断して、さっさと逃げ去ったらしい
「そう、ですね……。でも不安はあれども、今はまだ平和です。いえ、皆で取り戻した平和を
「ああ、やらなきゃいけないことが、まだまだ山積みだからな」
俺たちは気持ちを確かに、視線を
とは言ったものの、やはり現状は俺にとってもアースガルズ追放以来――いや、もしかしたら魔眼の副作用で差別され始める前以来から考えても、初めての心から安らげる時間には変わりない。こんな時まで会話内容が物騒なのは、もう俺たちだからとしか言いようがないが、今は少しばかりゆっくりしても罰は当たらないだろう。
「あら? ありがとう」
「コイツにも気を遣わせたようだな」
何よりニーズヘッグは、セラや俺の頭を前腕で撫でながら慰めてくれている。愛らしい竜皇の前でこれ以上、悩むのも野暮というものだろう。
再びセラと目を合わせて苦笑を浮かべ合うと、少々強張っていた肩から力を抜いた。
「ヴァン、いる?」
そんな時、久しく聞き覚えの無かった声音が扉の前から響いて来る。僅かな焦りと共に、少し待っていろと答えようとしたものの――セラが不敵に口角を吊り上げたかと思えば、これまでのシリアスな空気を一変させる一言を放つ。
「ええ、
返答としては、至極当然であるたった一言。
だが、何を言った――ではなく、誰が何処で言ったのかというのが大問題。直後、バタンっという音を立てて勢いよく扉が開かれれば、
「な……ッ!? どうして貴女がここにいるの!?」
「どうしてって、ここは私の城ですから」
「だから、そういうことじゃなくてー!」
「ヴァンは私の騎士なのですから、こうやって休みの日でも護ってもらわなければ……」
「はァ!? セラフィーナさんだったら、神獣種でも来なきゃ余裕でしょうが! しかも、その格好は何なの!?」
アイリスの視線の先にいるのは、刺激的過ぎる下着姿を晒しているセラ。
堂々と俺の
「私とヴァンの仲ですから、何事も包み隠さずということで」
「ちょっとは隠してよ! 朝からふしだらだよ!」
「ふふっ……あら? 格好と言えば、貴女も中々似合っていますよ。
「え、あ……うん、ありが……って、
二人の間で火花が飛び散る。最近よく見かける光景ではあるが、新顔ながら随分と距離は縮まったようだ。
まあ下着一枚のセラと、フル装備のアイリスが俺の部屋で睨み合う――という
しかし俺にとっては、それ以上に確かめなければならないことがあった。
「――お母さんは、もういいのか?」
「おかげさまでね。ようやく気候や場所の変化にも慣れてくれて、今は容体も安定してる」
「そうか……それなら、後はお前自身のことだけだな」
「うん、確かにまだ慣れないことばかりだけど……今は私にできることを一つ一つ全力でやるだけ、かな」
アイリスの進退についてだが、
その辺りはアウズン将軍以下、旧主要メンバーが動いてくれていたようだった。
ただ、あの取調室での俺との会話。
祖国の事実上の敗北に加え、皇帝以下高官の
更にユグドラシル家にすれば、大黒柱たる父親も
まあ、もう俺には関係のない話だが――。
「本当にいいのですか? 今の貴女には剣を執らない選択もあるのですよ」
「今は父さんも職探し中。母さんの治療費用を考えたら、普通の仕事じゃどう考えても割に合わない。この国の人たちの血税を食い潰し続けるわけにはいかないから……」
だが
取り立てての違いは、セラが言った通り。今日出来上がったらしいニヴルヘイムの紋章を刻んだ装備を纏っていること。
もう一つは勇者の象徴である聖剣――“プルトガング”がクリスクォーツ製の長剣二本に変わっていること。
一つ目の違いに関しては、これまでのやり取りで全て明かされている。
二つ目の違いに関しては、聖剣の所有権がアースガルズにあるからという理由だった。つまり超国宝を持って他国に移住するなど許されるわけがないということ。これに関しては、半ば言い伝えだった皇獣とは違い、相手側の正当な主張だ。無論、アイリスも了承済みで
今代の主を失った聖剣がどうなるのかについては、既に俺たちの知る所ではない。
「――聖剣がなくても、勇者じゃなくなっても……もうちょっと頑張ってみようかなって」
「そうか……」
「なら、しっかりとこき使って上げましょう」
だが本人が選んだ道なら、悲観することは何もないはずだ。
今はただ、共に歩む仲間が増えたことを歓迎するだけ。
そうして少しばかりぎこちなかった俺たちの空気も、いつの間にやら自然なものとなっていた。
しかし、そんな平穏が長く続くはずもない。再び扉が開け放たれたかと思えば、グレイブ、コーデリア、リアンの三人がズカズカと部屋に入って来る。
「旦那ぁ! 休みのとこ悪いが、デカいモンスター来たようですぜ! しかも大群で!」
「ええ、前線から援護の
「早く終わらせよう! 僕たちの貴重な休みが終わってしまう!」
連中が好き勝手に発言した僅か数秒後、またもバタンという音を立て、扉が開け放たれた。
「わ、私たちもご一緒します!」
「ま、仕事を頑張らへんと飯が上手くないししゃーないわなァ! ウチも付き合うで!」
「右に同じ」
ドアを影に顔だけ出して部屋を覗き込んで来るのは、第七小隊の三人。
セラとニーズヘッグから始まり、今日は
「お前ら、せめてノックぐらいは……」
「ち、ちょっと待って!? こんなに男の人が入ってきたらセラフィーナさんが、ほぼ裸……って、フル装備!?」
俺がさも自然というか、我が物顔で部屋に入って来た連中に頬を引くつかせていると。その隣ではアイリスがハッとした表情を浮かべている。そのまま頬を赤くしながら
「ヴァンが出撃するというのなら、私も同行しましょう。さっさと終わらせて、皆で打ち上げですよ」
「こ、皇女殿下ッ!? それってもしかして!?」
「ええ、私の
「はーい!」
「え、えっ!? これってついて行けない私がおかしいの!?」
「いや、そんなことはないはずだ……多分な」
一同は盛り上がりながら部屋を出て行き、アイリスは情報量が多すぎる光景に
俺は自分も忘れるなと頭に乗っかって来たニーズヘッグを撫でると、肩を落として前を歩き出すアイリスを苦笑で
確かに騒がしい。
でも――。
「どうですか? ニヴルヘイムでの日々は?」
「少なくとも、退屈はしないな。色んな意味で」
「ふふっ、それならよかったです。私も、同じですから……」
そうして少しばかり呆けていると、セラから不意打ち気味に唇を重ねられる。しかし、それは一瞬のこと。
「ご褒美は、また別の機会ということで。これは前払いです」
頬を赤くしたセラは
最後室内に二人残ったため、他の連中に見られなかったのは唯一の救いか。多分、俺の顔も赤くなっているだろうから。
「本当に……退屈しなさそうだな。これから先も」
これが虚無に生きていたはずの俺が得た、そして護りたい日常。
先の未来は分からない。
でも、今
俺に災厄の力が宿った理由が何であれ、自らの意志で――。
そして赫黒の剣を手に取り、自らの部屋を後にした。
瞳から蒼穹の残光を
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