第19話「その女、娼婦につき Fin」

 真夏の日差しが、砂埃舞う大通りを照らしていた。まるで、カウボーイの決闘直前みたいな雰囲気だ。ブルガと俺は、道のど真ん中で睨み合った。


「よく来たな。酒野郎」

「テメェこそ、よくも無関係な人間巻き込みやがったな」

「あぁ? 俺の女をどうしようと、俺の勝手だろ」


 いやだめだろ。物じゃ無いんだぞ。こいつにそう言っても、無意味だわな。女使って飯食ってるわけだし。


「……まぁ良い。ブルガ、俺とタイマン張れや」


 ブルガは目を少し丸くした。まさか、みるからに貧弱そうな俺からこんな言葉が出るとは、夢にも思わなかったのだろう。それもそうだ、荒っぽい事は全部ティナさんに任せてたからな。こうなると、つくづく女の子に守られてた俺って……。


「この野郎……。テメェが俺に喧嘩で勝てると、本気で思ってるのか?」


 ブルガは、自分が舐められてると思ったのか。こめかみに青筋をたて、岩のような拳を握りしめた。


 おいおい、分かっちゃいたけど沸点低すぎるだろ。ここは、気迫で一旦抑え付けるしかないな。


「勝てるわけないだろ!!」


 自分から言い出しても何だが、ここは毅然と否定しておく。誰が、お前みたいなボディビルダーと殴り合いしたいんだよ。俺は大晦日にだって、ボクシングじゃなくて紅白派だ。


 ブルガは、あまりの俺の堂々とした言いっぷりに、気が抜けたようだった。


「はぁ」

「そう直ぐに拳作んなよ。なぁ腹割って、話そうや。そうだなぁ、ちょっと待てよ。確か、あったあった。こんなこともあろうかと、机を用意してたんだ。」


 そう言って俺は、腰に付けてるいつもの紫色の巾着袋から、机と酒瓶、タンブラーを取り出した。ちゃちな袋から、次々と物を出している俺を見て、ブルガは予想外の出来事に若干気圧されていた。


「お、おい、そりゃ伝説のアイテムBOXじゃねぇか。」

「あぁ、そうだよ。この際だ、もう隠してたってしょうがねぇだろ。どうだい、俺の勝負に勝てばこれもくれてやるよ。」


 街の顔役連中と付き合っていくんだ、もうアイテムBOXの存在くらいどうにでもなれ。何ならくれてやるよ。彼女の安全の為なら、惜しくも何ともない。それに、これからの勝負でお前が勝つことは、万に一つもないからな。


「……良いだろう。何で勝負する気だ。」

「そりゃおめぇ、酒に決まってんだろ。勝負で負けた方が、酒を飲んで相手の質問に真実を返す。簡単だろ」


 これも前世でよく流行っていた奴だ。BARでお近づきになりたい女の子とか、親友の隠し事を探る時なんかに使うゲームだ。まぁ、俺にとっては必敗のゲームだったけど、神様のくれたこの肝臓があれば大丈夫だろ。


「へっ、テメェはどこまでも酒なんだな」

「当たり前だ、酒職人だからな。いつまでも、お前みたいなヤクザもん相手にしてられっかよ。どうすんだ、この勝負受けるのか、受けないのか、どっちなんだい?」


 ブルガは、腕を組みニヤッと笑った。


「やってやるよ。すっかり、お前に毒されちまったみたいだ。だが、言っておくぜ。俺は相当いける口だ」


 なるほど、後ろの子分達の勝利を確信したような表情を見るに、ブルガも酒には強いみたいだな。だけど、その自信はどうでも良いんだよ。本当の狙いは、和解にあるんだからな。


「へぇ、そりゃぁ楽しみだ。俺は生まれてこの方、限界まで飲んだことが無いんだよ。がっかりさせるなよ」

「で、勝負は一体なんなんだ」

「そりゃ、決まってるさ。−−」


 ブルガと俺のアクアリンデルの裏社会頂上決戦が始まった。その様子を、奴の子分と娼婦のお姉さんが見守っていた。そしてその呟きは、俺のところまで聞こえてくる。


「裏社会の頂上決めるって言うのに、まさか子供のお遊びで決めるとはな」

「一体、親分は何考えてるんだ?」

「ふふふっ、本当に酒の旦那はどこまでも面白い人だよ」


 みんなが呆れ果てたり、若干一名は楽しんでくれているようで良かった。そう俺が、奴とのゲームに選んだのは、誰もが知っているあの……。


「「最初は、グー、じゃんけんぽん!!」」

「くっ、また負けた。テメェ、イカサマこいてんじゃねぇだろうな?!」


 すでにブルガは、十連敗を喫しっていた。そして飲んだウオッカの量は、二升を超えている。酒に強い自信があるだけあるぜ、こいつ。普通の人間だったら、急性アル中であの世行きだ。ちなみに俺は、まだ一度も負けてなかった。


 馬鹿なやつだ。お前みたいな単細胞、グーかパーしか出さないって相場が決まってるんだよ。


「バーカ、じゃんけんにイカサマもクソもあるかよ。ほら飲めよ。」

「ちっ」


 勝負に使っているタンブラーは、鉄製で三合は入る代物だ。アルコール度数六十度はあるウオッカを、奴は軽々と胃に流し込んでいく。今の俺なら容易だが、見ているだけで胸焼けを起こしそうだ。


 それでも、さしもの大酒豪ブルガも酔っ払い始めていた。交渉を始めるには、ちょうど良い頃合いだろう。


「それじゃぁ、そろそろ本題だ。お前、薬に変わるシノギがあれば文句ねぇだろ?」

「あぁ? 何当たり前なこと言ってんだ」


 ブルガは、赤くなった顔をその手で覆いながらそう言った。


「そうか、なら新しいシノギがあれば、俺に噛み付いてこないんだな?」

「だから、寝ぼけたこと言ってんじゃねぇ!! そんなんあったら、苦労しねぇんだよ!!」


 酔っ払っても、短気なのは変わらないのな。いや、酔っ払うと短気になるのが普通か? まぁいいや、ブルガにシノギを提供してやろう。野犬は、腹さえ一杯なら襲ってこないからな。それは人も同じことだ。


「俺の酒、造らせてやるよ」

「はぁ?! お前の酒って、そしたらお前はどうするんだよ。金の卵を手放すなんて、聞いたことないぞ」


 金の卵ねぇ……。ブルガは、分かっていない。俺には、蒸留酒なんて金の卵じゃ無いんだ。せいぜい、銅だな。それに、お前に教える蒸留酒は、せいぜい鉄だな。まさか、俺の家の単式蒸留器を使わせるわけにはいかないからな。


 お前に教えるのは、世は密造酒時代!! ふふふっ、その時代に生まれた蒸留器で造られた酒なら、俺のウイスキーの脅威にはなり得ない。ま、でもここはとりあえず条件を出して、それらしく高値で売り払う演技をしておこう。これは彼女を解放するチャンスでもあるからな。


「あぁ、だからタダじゃない。二つ条件がある」

「聞くだけ聞いてやろうじゃねぇか」


 酔ってる酔ってる。こういう時、人の心のガードは下がりやすいんだよなぁ。まぁ酔われすぎて、全部忘れられちゃ困るんだが。


「俺は、ブルガに今飲んでる蒸留酒の造り方を教授するし、軌道に乗るまで相談も受けよう。その代わり、この街でシャブを売るのはやめてもらう」

「そんな事か、別に良いぜ。どうせ、子爵の野郎にも睨まれ始めたしな。それで、二つ目は?」


 やけにあさっりだな、まぁでもこいつも、ゲームの中で、この街のスラム街で生まれ育ったとか言ってたし、この街を愛してるとも言ってたから。あながち、薬で街がだめになるのが嫌だったのかもな。


 憶測だけど、アーネット子爵が言っていた火の粉って、ブルガの資金源を取り上げるって事だったのかもな。それでブルガは、躍起に俺の息の根を止めようとしていた。そう考えれば、筋が通るな。なら、これ以上の追求は必要ない。一番大事なことを、飲んでもらわないとな。


「あの女は俺が貰う。二度と手を出すな」

「ッ ……旦那ぁ」


 そう聞いた、娼婦のお姉さんは、顔を赤くして泣いていた。喜んで……いるのかな。そうだと良いんだが、なんか俺まで恥ずかしくなってきた。勢いで言っちゃったけど、冷静になって考えてみると本当にブルガの女だったらどうしよう!!


 それって凄い恥ずかしい! 消しゴム拾ってくれただけでこの女俺の事が好きなんだ! って勘違いしてた小学生の時の俺ぐらい恥ずかしい!


 そんな俺の不安もよそに、ブルガはニヤニヤして俺のことを見てくる。ったく何笑ってんだよ、あの娼館街全部お前がケツ持ちだろう? お前が首を縦に振れば娼館のオーナーも嫌とは言えないんだから早く答えてくれ。


「お前も好きだなぁ、娼婦のどこがそんなに良いんだか。まぁ、別に良いぜ。新しいシノギがあれば、商売女の一人ぐらい安いもんだ」


 ブルガが、全部の要求を飲んでくれて、ホッとした。なら、さっさとここからおさらばしたいよ。


「よし、交渉成立だな」

「待てよ。俺からも条件がある」


 うっ、そうだよな。ブルガにも言い分があって、然るべきなことを忘れていた。


「なんだよ」

「お前の取り分はなしだ。俺達が造った酒で売り上げた金は、全部俺たちのものだ」


 あぁ〜〜ね。そんな事か、まぁ確かに酒の造り方を教えるのは俺だしな。俺がその利益を欲しがるのは、当たり前と言えば当たり前。けど、そんな金に興味はない。俺はただ、この街で理想のウイスキーをみんなに飲んでもらいたいだけだから。


「はっ、当たり前だろ。構わないぜ、俺はお前らみたいな馬鹿に、絡まなければそれでいい」

「ふっ、馬鹿はどっちだよ。商人のくせに、欲のねぇやろうだな」

「うるせぇ! 俺は静かに酒を造れればそれで良いんだよ。それじゃ、これで交渉成立だな」

「あぁ、一先ずはな」


 お互いの腹の探り合いが、無事に終わり空気が弛緩する。そこへ、飛び込んでくる女性の姿があった。


「旦那ぁぁぁあああ!!」

「おっと! んっんん……プハァ! 怪我は、痛くありませんか?」


 娼婦のお姉さんだ。やたら、激しいキスをサービスしてくれた。良かった……俺の対応は彼女にとって喜ばしいことだったんだ、本当に良かった。この年で、勘違いを暴走させてたら、正直、墓に入りたくなっていた。


 でも、そんな不安は杞憂だった。彼女の晴れやかな顔を見ればわかる。それに、薔薇の香水の匂いだ。この匂いを嗅ぐと、いつも俺の心の中に込み上がってくる、この想いは……。


「痛いもんか! こんなに嬉しいのに、怪我なんて痛くも痒くもないよ」


 彼女の瞳には、涙が浮かび、頬は赤く染まっていた。初めて会った時、彼女は薔薇だと思った。棘が彼女にあるんじゃなくて、彼女にたくさん棘が刺さってると思った。その傷から流れる赤い血で、彼女は誰よりも赤い花を咲かせていた。


 俺はそんな彼女に、同情心から赤いバラを送ったわけじゃない。


「そうですか。さぁ、帰りましょう。そんな格好じゃいけません」

「はい……」


 何とも、艶やかな雰囲気だろうか。最近、ご無沙汰だったのでくるものがあった。そんなサービスタイムに、無粋な聞きたくも無い男の声が響く。


「おい、まだ話は終わってねぇぞ」

「ひとまず今日はこれで帰る。後日連絡するよ、その時まで薬の製造所は全部無くしておけよ。じゃ無かったら、この話は無しだ」

「おいおい、担保もなく。こっちにだけ約束守らせるのか?」


 担保ねぇ。早く帰らせて欲しいな、とりあえず……。


「はぁ、取り敢えず十樽置いていく。少しの間は、これで良いだろう」


 アイテムBOXから、ウオッカの樽を取り出して積み上げた。


「あぁ、十分だ。近いうちに顔出しに行くからな」


 ブルガは満足したようで、子分達に運ばせ始めた。

 俺は、彼女を背負って娼館に向かった。彼女は、靴も履かせてもらえずここまで連れて来られてたからだ。彼女は俺の背中を抱きしめるように、おぶさってくれた。


「ねぇ、旦那。」

「うん」

「あたし、一人の女として旦那のことが好きなんだ」


 彼女は、今日の天気を話すように、軽快に告白してくれた。もう彼女が、娼婦だから言ってるとか、ブルガの女なんじゃ、なんて野暮な考えは出て来なかった。


「うん、わかってる」

「……旦那は、あたしのこと、どう思ってるんだい」


 そうだよな、彼女にだけ想いを言わせるのは、男じゃない。正直に、誠実に今の気持ちを伝えよう。


「正直、まだわからない。でも、君の名前を今まで聞かなかったのは、たぶん、知ってしまったら、もう戻れないと思ったんだ。……君が俺の名前を聞かなかったのも、そうだと嬉しい、かもしれないな」


 彼女の、腕の締め付けが強くなった。それだけで、彼女の恋慕の想いが伝わってきて、むず痒くなる。


「…………ぅん、そうだね」


 少しの沈黙でさえ、愛しさを感じた。そういえば、バーボンウイスキーの銘柄に、薔薇にまつわる美女の話があったな。


 たしか、絶世の美女と出会った酒職人が、彼女に一目惚れをするんだ。その場で職人は、彼女にプロポーズをする。だけど彼女は、「どうか、次の舞踏会までお待ちください。プロポーズを受けるなら、薔薇のコサージュをつけて参ります」って言って、次彼女が彼と出会った時、五輪の真っ赤な薔薇を胸に飾って、プロポーズを承諾する恋のお話。その酒職人は、自分の酒を五輪の薔薇と名付けて、永遠にした。


 俺は、彼女との出会い、それからの甘い逢瀬を思い出した。僕は彼女の客だったはずなのに、願わぬ恋が叶ったような充実感を感じている。そういえば、前世のお客さんの中に、今日こそキャバ嬢落とすぞぉとか息巻いてる人いたなぁ〜〜。あはは、俺は内心無理だよって突っ込んでたのになぁ……。


 形は違えど、同じ酒職人として彼女に酒を贈りたくなった。


「部屋に着いたら、君にお酒を贈るよ」

「お酒? ハハハッ、こんな時にもお酒かい」

「俺は酒が命のように大事だから、大事な人にはお酒を贈りたいんだよ」

「ふーーん、あたし大事な人なんだ。そうか、そうか、うん! 苦しゅうない! あたしに酒を振る舞うことを許す!」


 背中にいて見えない筈の彼女が、今だけは十代の少女に戻っている気がした。





作者後書き

 皆さんは、Four Rosesというバーボンウイスキーを飲んだことがありますでしょうか。比較的、どこにでも売っているほどの有名なお酒です。お気づきのように、このお酒の作り手が、今話の最後の小咄の当人です。

 私はこのお酒を1:1のハイボールで飲むのが好きです。飲みやすいバーボンで、とってもおすすめです。あ、コスパもいいですよ。

 

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