間章2-2 裏事情を抱えつつ、出航前夜

「どっかでベン様が荒ぶってんなあ」


 無銘の学舎イグノラント・サンダリオンの本拠地にて、開発顧問のディアナが呟く。

 彼女に割り当てられた部屋は、実験室を兼ねており、広い室内に薬品棚や機材がところ狭しと並べられていた。その隙間を埋めるように、丸めて打ち捨てられた薬包紙の山と、砂粒程度の魔石屑が床を覆い隠している。

 散らかし尽くした張本人は、膝くらいの高さまで積み重なった書類を椅子代わりに、部屋の一角を見つめる。

 視線の先には、直立したままの水人形が十体いて、今はそのうち一つが青く明滅していた。


「んー、肉の潰れる音、骨の軋む音がここまで届くみたい。やばい、ムラッとしてきた」

「貴女の被害者が出る前に、観測を止めなさい。いい加減その悪癖、治すべきですね」


 魔石屑や使用済み薬包紙を踏まぬよう、所在なさげにデュオが壁に寄りかかる。

 男にしては長めだった髪は、かつてより更に伸びて、今では肩甲骨辺りまで届きそうになっている。無銘の学舎イグノラント・サンダリオンの参謀として多忙な日々を送りつつ、それでも髪色に翳りはなく艶やかなままだ。


「トリッピーを迎え行くって言ってたから、墓地で敵と鉢合わせかな。相手も運が悪いと言うか」


 仲間の墓参りの直後というだけあって、さぞかしトリスタン達は苛立ったことだろう。ティトの存在はそれだけ、彼らにとってセンシティブな問題だ。恐らく、ベンが八つ当たり気味に暴れている。


「懲りずに襲撃を企てる方が悪い。自業自得です」

「自業自得ねえ。本当にそうかな?」


 意味ありげな視線を、ディアナが投げかける。デュオは涼しい顔で受け流し、どこ吹く風といった様子だった。


「ティトの件でしたら、あの日襲撃があったことは事実ですので」

「白々しい。うちらが内側から割れるようなことがあれば、アンタと筆頭サマのせいだかんね」


 分かっているのかとディアナが釘を刺すが、いまいち相手には響いていない。

 それもそのはずで、ティトの一件に関して二人は、今までも散々に揉めたのだ。幹部格のディアナにさえ事後報告で済まされため、当時はかなり険悪なムードになった。

 あの日。全ては、首謀者達の間で内密に、迅速に計画が運んだ。


「仕方のないことでした。ティトが辞めたがっていたのは、貴女も知っていたでしょう」

「それをトリッピー達の認識操作に、思いっきり利用したよねー」


 当時は既に、王宮への反抗計画が打ち立てられていたが、トリスタンやベン、イクス達は最後まで反対を表明していた。

 計画は変えたくないものの、身内への強硬策も取りたく無い。当時の首脳陣の我儘わがままが、無銘の学舎イグノラント・サンダリオン内部である動きを生んだ。


「現政権の打破に、顧問達の積極的協力は不可欠。許容できるは精々が一人分。決起するには、あれしかもう手が無かった」

「じゃあ今ならー、トリッピー達に本当のこと言える?」

「……言えるわけがない。分かるでしょう」


 詰まるところ、当時計画を主導したデュオとて、罪悪感を感じざるを得ないのだ。

 理由がどうあれ、暗殺騒動という事象を利用して、トリスタン達を決起派に招いたのは紛れも無い事実であった。

 いつまでも仲睦まじく、清く正しいままでなんていられない。

 かつての道場を母体とした無銘の学舎イグノラント・サンダリオンが選んだのは、そういう道だった。

 それでも、仲間を利用し騙すような真似はしないのだと。

 そんな浮ついた誓いを立てていたことも、事実ではあるのだけど。

 そんなデュオの思いは、ディアナとて分かっていた。分かっているからこそ、責めるだけ責めておいて、けれども最後の一線を超えるような批判は飲み込む。

 思わず溜息が口から溢れる。

 結局、昔の事件を良いように扱っているのは、ディアナとて同じなのだ。


「つくづく思います。彼女が持てる知識と技術を、進んで提供してくれていたらと。『年長組最弱の女』など、本当に悪い冗談だ」

「誰よりも早く、四鏡クアドラプル・アバターを仕込まれてたからねー。どの面下げて、にーさんの愛人疑惑を否定してたんだか」


 ディアナ達が初めて魔石を手に入れて、キャッキャとはしゃいでるとき。

 ティトはもう既に、四鏡クアドラプル・アバターという師の水術の最奥を、会得していた。

 彼女が顧問最弱など、ましてや出涸らしの王宮勢力に暗殺されるなど、通常ならば起こりうるはずがない。それだけの力を、ティトは持っていた。


「その力が必ずしも、彼女にとっての幸いに繋がらなかった。結局私達は、また間違えたのです」

「もっと話し合うべきだったって? 無理じゃーん。テトトが腹割って話すわけないし」


 美人だけど愛想が無い。

 頑固だけどプライドが無い。

 拘りは無いけど、やりたくないことはやらない。

 場の雰囲気を察せられるのに、馴れ合わない。

 天邪鬼なくせに、器用に仮面を使い分ける。

 そんな面倒くささこそが、ティトらしさだった。

 色々な面がディアナと真逆で、だからこそ二人は親友だった。

 少しだけ懐かしさが胸を満たそうとして、だけどもそれを奥の奥へ押し込む。

 まだ「昔は良かった」だなんて、老け込むつもりはない。自分達は、これから沢山の経験を積んでいく。ティトの件だって、積み重なっていく思い出の、たった一枚のページに過ぎない。

 そうさせるのだと、ディアナは改めて思いを固める。


「ま、なるべくしてなったのかもねー。全部にーさんのってことで。本命も愛人も、揃って地獄に突き落としてんだから」


 ディアナは当時から、アルノーと行動する機会が多かったティトに対し、「にーさんの愛人枠」と称して揶揄からかっていた。

 事実は、更に捻じ曲がった関係性だったのだが。

 それをデュオ達が知ったのは、無銘の学舎イグノラント・サンダリオン創設から、程なくしてのことだった。


「……本人のいない場所で陰口は止めましょう。その呼称、本気で嫌がってましたよ」

「そう? 内心どうだったか、分かったもんじゃないけど」

「事件の話はともかく、そこまで行くと完全にプライベートです。今更弄り返すのは悪趣味でしょう」

「ティトの件持ち出したのそっちじゃん。悪趣味で言うなら、デュオの年上好きのがよっぽどだしー。そんな恋愛観だから、若い子がなびかないんだよ」


 何故か石を投げられて、デュオが少し眉を顰める。

 無銘の学舎イグノラント・サンダリオンの誇る副官は、年上からは多彩なアプローチを受ける一方で、同年代のレディ人気は実はそうでもない。年下からの慕われ具合は、ほぼほぼトリスタンが牛耳っていた。

 それをデュオ本人が気にしていることも、若年層目線ではデュオが高嶺過ぎることに起因していることも、周囲の人間は知っているのだが。

 諸事情により、本人には伝達されていない。


「御婦人方のお相手で忙しいので、好都合です。人生が感じられない愛は、興が削がれます」

「うわー、出たよ熟女キラー。言っとくけどアンタの女性観、ねーさんに狂わされてるから」

「年上の女性への畏敬と親愛を、さも異常性癖のように言うのは止めて頂きたい。皆、私より十かそこら上なだけの、今の結婚生活に悩むマダム達です」

「は? 人妻じゃん、もっとダメじゃん。止めろよ」

「失敬、今の生活に悩むマドモアゼル達でした」


 デュオがしれっと訂正する。

 多分、言い間違いでは無い。

 だが色んな意味で怖いので、ディアナは敢えて追求しないことにしておく。

 実際、ここ数年の彼の女性遍歴が、年齢層が偏りがち且つ単発的なのは、否定できない事実である。

 学舎のナンバーツーであるストレスを鑑みて、ディアナも諫言は程々に収めてきたが。

 そろそろ後ろから刺されそうな身の振り方なので、一度ガツンと言っておきたかった。


「テトトの件もあって、トリッピーも身を固めたしさ。上司がいつまでもプレイボーイ気取って遊び倒すの、みっともないかんね」

「そんな不埒なものではありません。私は人生の先達である彼女達から、これまでの生き方とそこに潜む苦労や悲哀を読み取って、長い話の要所で『大変でしたね』と労いを掛けているだけです。その流れでお相手は泣き出して、場合によってはそのままな関係を得ることもありますが。言わばそれは、メンタルケアと呼ばれるものに相違なく。つまりはええ、私が彼女達と濃密な時間を過ごすのは、形を変えた医療行為と呼べるかもしれませんね」

「にーさんの墓に頭ぶつけて死ねばいいのに」


 こじらせきって、反省ゼロだった。心からの侮蔑と共に、ディアナが吐き捨てる。


「そもそも貴女に言う資格がありますか。同年代を食い散らかすその悪癖に、我が学舎がどれほど迷惑を被ったか」


 トリスタン。ベン。イクス。エクトル。オクタビオ。

 映えある無銘の学舎イグノラント・サンダリオンの顧問陣は、その多くがディアナの元彼という来歴が付いてまわっている。

 ある時期においてディアナは、極めて短いスパンで次々とパートナーを変えていた。

 男性陣が引き摺らずに済んでいることを思えば、交際期間が極端に短いのが、ある意味では救いかもしれない。


「人を『男子グループに入り込んではあちこち手を出して仲を引き裂きぶっ壊す女』みたいに言うな。こちとら、選びに選びまくってんですけど」

「選んだ相手が問題なんです。なんでうちの顧問ばっかり取っ替え引っ替え……」

「取っ替え引っ替えじゃないし。駄目そうなら、傷が浅いうちに、早めに見切り付けてるだけだし」

「それで交際期間が最長二週間、最短一日と言う訳ですか。取っ替え引っ替え以外の言葉が出ない、我が語彙の不足を嘆くところです」

「最短一日じゃないよ。ベストタイムはオクタビオの六時間。ダメ判定出たのは最初の三十分だけど。臭いのはマジでムリ」


 むしろ、その後五時間以上様子見した仲間思いぶりを讃えろと、ディアナが胸を張って言い切る。

 散々な言い様だが、実はオクタビオの匂いは輸入物の香油が原因で、物自体は良い物だったりする。

 何を言っても屁理屈で返すいつもの戦略で、ディアナはデュオのお小言を意に介さない。

 二人の舌戦は、結末を求めるにはデュオが引くしかないのが定例だ。

 だがその日に限って、デュオは最後に一つだけ、止めればいいと、分かっているのに意趣返しに出てしまう。


「それこそ、あの時期の貴女の行動は、組織が内部崩壊する危険を帯びていたんですけどね」

「ふうん。それ、何でだと思う? その時期を思い出すに至って、副官様は省みること、何か無い?」


 ディアナの澄んだ目が、冷気を纏ってデュオを射抜く。 

 痛いところを突かれたとばかりに、デュオが黙り込む。本当に止めておけばよかったと、今更後悔しても遅いが。

 これまで避けていた話題をテーブルに乗せられ、堪らずデュオが白旗を上げる。

 ディアナには、デュオを責める資格がある。

 ディアナの願いを知りながら、裏切ったのはデュオの方で。それを思えば、今こうして昔通りにやり取りできているのは、奇跡のようなものだった。

 絶対零度の視線から逃れるように、デュオが顔を背ける。

 逃げ一辺倒のデュオを情けなく思いつつ、ディアナも視線を切る。

 部屋の隅では、十体の水人形が揺れることなく静かに佇む。

 自分達を模したこの人形達のように、変わらず在れたならば良かったのに。何もかも、手遅れではあるのだけど。

 浮かび上がりそうな郷愁を再び仕舞い込み、ディアナは椅子にしていた書類の山から、ゆっくりと腰を上げた。

 話題チェンジと言わんばかりに、一枚の羊皮紙をデュオに向けてひらめかせる。


「ていうかこの情報、本当なんー? 出所って、あの胡散臭い風使いでしょ」

「……情報源はジズですが、先行させたオクタビオが現認しています。まず間違い無いかと」


 それもそれでなあ、と言わんばかりにディアナが怪訝な顔をする。

 ジズもそうだが、オクタビオも現顧問の中においては、中々に曲者だ。基本的に足並みを合わせはするものの、己の利益を優先する節がある。商家の出というのが、悪い意味で発露していた。

 替えのきかない能力の持ち主だが、その動向については十分に注意しなければならない。


「旧ソロン領にリヴァイアサンの影あり、かあ。自律行動する魔石なんて、是が非でも抑えたいけど」

「アルノー・L・プリシスが生きて出国していたという方が、まだ理解しやすいのですがね。当時の状況と、他ならぬジズからの情報ですから」


 突拍子の無い話だと、一蹴するわけにもいかない。無銘の学舎イグノラント・サンダリオンの長たる筆頭は、捨ておけとしているものの、この情報が広がれば、少なくない動揺が学舎を揺るがすだろう。何せ、いくらリデフォール中を探しても出てこなかった大海蛇の水晶リヴァイアサンが、何故か大陸で出現しているのだから。

 いつ持ち出されたかも、想像が付く。あの頃を境に、リデフォール内でもう一人、要職につく軍人が姿を消していた。


「時期的に、やっぱベルサ女史かなー、これって」

「恐らくは。今となっては彼女の正体にも察しが付きます。同じ四大の継承者なら、いち早く大海蛇の水晶リヴァイアサンを確保できていてもおかしくはないでしょう」


 時同じくして、今のソロンではベルサという名前の帝国近衛騎士インペリアル・ナイトが復帰しているのだという。

 ジズの一撃を受け止めたという事実を、もっと重く受け止めるべきだった。今となっては彼女のミドルネームのBが何を意味するか、火を見るより明らかだ。デュオ達からすれば当時は味方だったものの、まんまと出し抜かれた形だ。

 当時設立前の無銘の学舎イグノラント・サンダリオンの責任ではないものの、国宝を国外に持ち出されるという、ある意味で国レベルの失態を演じている。


「開発顧問としての貴女の意見を、ぜひ聞きたい。大海蛇の水晶リヴァイアサンを内包し得たとして、術式そのものが器を得て歩き回るなど、可能なものですか」

「んー、四鏡クアドラプル・アバターをフルに発揮すれば、理論上は可能かも。にーさんが、どんな術式を仕込んだか次第だけど」


 人間以上の精密動作を可能とする水鏡ウォーター・アバター

 水人形を術者自身と重ねることで、身体の保護と偽装を行う今鏡プリテンド・アバター

 遠隔自律稼働を実現する増鏡ユナイテッド・アバター

 そして単純動作する水人形複数を回路とし、単体でより巨大な術を行使する大鏡ブーステッド・アバター

 これら術式を並立稼働させられれば、或いは可能というのがディアナの推論だ。


「まあ大海蛇の水晶リヴァイアサンが、術式のソースを確保できれば、の前提付きだけどね。それに普通なら術者の体力が持たないし。実現しようとしたら、一瞬で身体中から血吹いて死ぬよ」

「しかし困ったことに、肉体のくびきから抜け出した大海蛇の水晶リヴァイアサンならば、可能となりますね」


 聞けば四大の魔石は、地球を巡るエネルギーの奔流、レイラインと擬似的に繋がり、汲み上げられるともいう。人の体力に限界があっても、魔石がレイラインと繋がっているならば、本来実現不可能な術式の自律駆動も、現実味を帯びる。

 もちろん現段階では立証不可能な、机上の空論に過ぎないが。


「でも近付かない方が賢明かなー。影響を受けて、ウチらの大海蛇の水晶リヴァイアサンの欠片がどんな不具合起こすか分かったもんじゃないし」


 かつての道場年長組が持つ大海蛇の水晶リヴァイアサンの欠片は、四年の歳月を経てますます個々人の体に馴染んでいる。そのおかげで、四鏡クアドラプル・アバターというアルノー独自術式を、顧問全員が会得するに至ったのだ。

 あまつさえ今では、四鏡クアドラプル・アバターというアルノーが残した理論から、更に発展させた独自術式も実践段階に入っている。


「道場に残された指南書から、我らが確立させたは、強力ですが未だ不安定。接触は時期尚早ですか」

「筆頭サマも、その辺警戒してるんだと思うよ。だけど、大海蛇の水晶リヴァイアサンはアタシらにとっては特別なもの」


 遅かれ早かれ、関わりを持つことになる。そんな予感を、二人はひしひしと感じていた。

 リデフォール出国までは、一月ひとつきをきった。

 孤島で突然変異を迎えた大海蛇の水晶リヴァイアサンの系譜達が、激動渦巻く大陸に向かって飛び込もうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る