間章2-1 もう何者にも成れない君に、枯れない花を

 王都の郊外に、白木の十字架が整然と並び立つエリアがあった。

 強くもなく、弱くもない陽射しが、乱立したオブジェ群に降り注ぐ。

 所々、葉の生え揃わない木々がまばらに生えていて、昼過ぎの温かな地面に短い影を作っていた。

 十字架は、よく見ると真新しいものが多い。ここ数年で急増したのだということが、よく分かる。

 何ならその一帯の隅では、職人達が最新のものを打ち立てようと、今も作業をしている。

 そこは、リデフォール王国の共同墓地だった。


「長らく顔を見せられなくて、すまない。これからはもっと来れなくなる」


 光沢のある白いコートを羽織った品の良さそうな青年、トリスタン・デュノアが、小さな墓石に花を持って訪ねていた。

 彼女の好きだったスターチスとカスミソウのドライフラワー。

 温暖なリデフォールでは珍しくない花だが、どこにでもある花にこそ、彼女は好意を預けていた。そのように思う。

 もちろん花の好みなど、生前の彼女は終ぞ教えてはくれなかったけれど。

 敢えてドライフラワーにしたのも、彼女の部屋に花が飾られている時は、決まってドライフラワーだったからだ。

 枯れることなく、変わらずあり続ける花に、彼女はどんな意味を見出していたのだろうか。


「来月には島を出るよ。島を出て戦ってくる。何を馬鹿なことを、なんて君は笑うのだろうけど。そんな偽悪的な軽口さえ、今の君は言うことができない。それが何より腹立たしくて」


 枯れた花束を墓前に手向ける。

 小さな墓には、彼の従僕を務めていた幼馴染、ティト・ユメルの名前が彫られていた。とはいえ、そこに遺体が埋められているわけではない。

 第四教室、教導顧問きょうどうこもんとして無銘の学舎イグノラント・サンダリオンに勤めていた彼女は、襲撃を受けて直下の部下達諸共、誰が誰だか分からない有様になっていたと言う。

 それほどまでに、かの暗殺現場は凄惨なもので。

 先に辿り着いていた、学舎の長とその腹心によって、その場で荼毘だびに付された。

 だから彼は、彼女の死顔しにがおすら知らない。


「筆頭閣下、……師範の思想には危うさを感じるのは確かだ。本当は止めるべきなのだろうけど。でもいいんだ。あの人の怒りに、それを凌駕する義務感に、今は身を任せたいと思う」


 学舎の筆頭顧問である女性が、王宮からの圧力を受けて、騎士を辞せざるを得なくなったあの日。道場を出る時の宣言を、青年は近頃よく思い出す。

 色んな人を巻き込んでいく。

 多くの人を死なせてしまう。

 その甲斐があるかさえ、分からない旅路になるだろうけど。


「それでも、信じたいんだ。この力を授かった意味を。ここに至るまでで失った命を、無駄にしたくないんだ」


 自身の側仕えとして長きを過ごしてきた、兄妹同然の女性を失って。

 青年はけれども、決して憎しみだけで動いているわけではない。そんな自負があった。

 それを証明するために、世界を変える。

 目的を一致させた学舎の顧問達は、幾度となくその手段について討議していた。

 青年は長らく、強硬な戦略に消極的態度を示してきたが。

 行動を起こさなくては何も変えられないと、今では痛感している。


「暫くの間は来られない。だけど必ず、もう一度会いに来る。どれほど敵を作るのか、分かったものじゃないけど。それでも堂々と、会いに来るよ」


 名残惜しそうに、足を引き摺るように、年若い男はその墓前を後にした。


 共同墓地の入り口近く、今にも崩れ落ちそうな待合所があった。

 旧友の墓から戻った青年は、気が重いのを隠そうともせず、扉を開ける。

 入った瞬間、先客の男二人と目が合った。


「おうトリスタン。最後の別れは済んだかよ」

「最後には、ならないさ。必ず、意味を見つけて帰ると約束したよ」

「生き汚いのがワシらの主義だからな! その通り、用が済めば、またリデフォールに戻る機会もあろうよ」


 豪快に笑うイクスの横で、唾が飛んできたのか、ベンが嫌そうに顔をしかめる。二人とも揃って無銘の学舎イグノラント・サンダリオンの制服を着ているので、仕事終わりに駆けつけてくれたのだろう。相も変わらず裾は出すわボタンは閉めないわで、適当な着崩し方をしていた。

 昔からのツレ同士とはいえ、今は三人とも社会的な立場もある。それぞれが学舎内における各分野の専属顧問、要は上級職なので、一緒に行動するケースは大分減っていた。


「ったく。妻帯者のくせに、死んだ女の墓に何度も女々しく通いやがって。いい加減、嫁にチクるぞ」

「生憎だな。自分達夫婦に、その程度でヒビが入る余地は無い。人の結婚生活に茶々を入れてないで、お前達もさっさと連れ合いを見つけろ」


 無銘の学舎イグノラント・サンダリオンの顧問役の中における、唯一の既婚者の立場として、トリスタンが遙か高い位置から物を言う。

 二人からは、殺すぞこの野郎と言わんばかりの殺意を向けられたが、一向に気にしない。

 ベンやイクスも、決して異性絡みの良い話が無い訳ではないだろうに。

 だが今も彼らが独り身でいる理由に、察しがつかない訳ではなくて。

 それは、決してトリスタンも無関係の話では無いだけに、話題を深掘りするのが憚れる。


「……墓参りには、来ないはずじゃなかったのか」

「そのはずだったが、急な触れが回ってきたんだよ。旧公爵家残党が、襲撃を企ててるっつーな」

「旧公爵領を攻め落としたのは、ワシら三人だからのう。行動を共にすべし、と筆頭直々になあ」


 それで合点が言った。

 標的が分散しないよう、固まって的になれということだ。

 かつての筆頭からは考えられない非情な指示だが、そういった効率重視で危険を顧みない方策も、今では珍しくない。


「下手に部下達を巻き込んでしまうのも、可哀想な話ではあるか」

「三人だけの方が、敵も仕掛けやすいだろうしな」


 出航が目前に迫っていなければ、もっと腰を据えた対策が取れるのだが。

 とはいえ国内に潜む反対勢力の規模は、ほぼ把握している。散発的な襲撃程度であれば、顧問クラスなら、例え単独であっても遅れは取らない。

 国内での戦力比較に関して、無銘の学舎イグノラント・サンダリオンとそれ以外の軍勢では、今となってはそれほどまでに開きがある。


「いい加減、降参して欲しいものだがのう。このままでは一人残らず殲滅せねばならなくなる」

「は? いやいや、そうする流れだろ。オレ達が直接出張るまでも無いから、結果まだ残りカスが存在してるだけで。こっちだって、遠征準備やら戦備充実やら忙しいんだ」

「そうだな。デューク殿、かの仮面の御大おんたいを置いていく以上、後顧の憂いも無い。そもそも万が一の事態があったとて、という話でもある」


 好戦的なベンに、トリスタンが追随する。

 今の時点でリデフォール王国はもう、取り返しのつかないことになっている。

 仮に反対勢力が盛り返したとしても、王国のXデーまでに、情勢が覆ることはないだろう。無銘の学舎イグノラント・サンダリオンの長の手によって、この国の行く末は完全に詰んでしまった。


「その仮面の御大が、一番の懸念なんじゃが」

「それは否定しない。故に計画の全てを、予め打ち明けておいたのだ。自分達の目的を知った以上、かの紳士とて動きようがないはず。何故なら」


 自分達の計画こそが、最も少ない流血で、変革を成し遂げられるのだから。

 そう、トリスタンが続けようとして。

 外から大勢の足音が近付いてくるのを、三人は同時に悟った。

 正体にも、すぐに思い至る。

 三人が急ぎ家屋を出ると、既に二十人ほどの部隊に、待合所ごと包囲されていた。


「あー、思ったより早かったな」

「誘い出す手間が省けるというものである。よりによってこの地で、とは思うが」


 ここは、近年におけるリデフォール王国争乱の犠牲者達が眠る地だ。

 そのほとんどが市民や下級貴族であり、騎士階級や兵士達戦没者とは別の、巻き込まれた末に果てた人間が埋葬されている。

 そこを襲撃現場に選ぶとは、つくづく苛立たせてくれるものだと、トリスタンは義憤に駆られる。

 囲いの中央では、指揮官と思しき重装備の男が馬に乗って三人を睨んでいた。


「公爵閣下の私領を血で穢した、悪名高き無銘の学舎イグノラント・サンダリオンの顧問、トリスタン・デュノア、ベイガン・カラセドム、イクス・アクス! 無き閣下達の無念を晴らさせて貰うぞ!」


 威丈高に、指揮官らしき男が叫ぶ。小さな規模の反乱軍と聞いていたが、甲冑一式を身に纏っているところからして、以前はそれなりの地位にいたのだろう。

 猛々しい誰何すいかを前に、トリスタン達は同じものを何度も見てきたとでも言わんばかりに、うんざりした表情を浮かべる。


「本当、何回目じゃったかの、この手の襲撃は」

「憶えてねえし。目の前で蟻が群れてて、わざわざ数えるものかよ」


 興味薄げに、ベンが煽る。落ちぶれてなおプライドを捨てられていなさそうな指揮官殿は、すんなりとその挑発に乗って顔を赤くする。


「貴様! 我ら誇り高きバロー伯爵直轄第十五中隊、その生き残りたる精鋭を愚弄するか!」

「だから憶えてねえよ。てかバロー伯爵って、税と称して強奪してたクズだろ。お前らこそ必要以上の財産や食糧、女子供を奪ってたそうだが。略奪した領民の顔、ちゃんと憶えてんのかよ、あぁ?」

「というかリデフォールの伯爵で、私兵の中隊が十五は多くないか? 適当に取立てたか無理な徴兵をしたか、いずれにせよ中身スカスカになってると思うんだが」

「貴様!」


 トリスタンが、しなくてもいい指摘をしてしまい、敵指揮官が激昂して剣を構える。

 しまったと思ったが、うっかり口に出てしまった以上、もう戻せない。

 「お前のせいだぞ」と言わんばかりにベンが視線を流してくるが、トリスタンとしては「お前にだけは言われたくない」と目線を返しておいた。


「仕方ないのう。三人でやるまでもないし、ここはワシがやっとくか」

「それには及ばないイクス。自分と、君のは規模が大きいから墓地を荒らしてしまいかねない。ここはベンに責任を取って貰おう」

「……いいんだけどな。そもそもこいつらごとき、外典出すまでもねえだろうが」


 不平を零しつつ、ベンが一歩前に出る。二十騎そこらであれば、顧問一人いれば問題無い。

 万が一のためのフォローにも、二人が控えていれば十分だろう。

 進み出たベンに対し、五人ほどが一斉に弩を構える。更に補佐するように、射手一人につきサポート一人が付く。二人がかりで構えられた弩は、赤、ついで虹色の光を放つ。

 その武器は、トリスタン達にとってもある意味馴染み深いもので。


「ふはは、貴様らを狩るのに無策で来るわけなかろう。お前達無銘の学舎イグノラント・サンダリオンが開発した遠隔術式対応の仕掛け弩だ。自らの発明で火だるまになるがいい」


 中心で立つ敵指揮官が笑う。

 だがそれを真っ向から見据えるベンは、相変わらず気怠げだ。ベンがそんな態度をとっていられる理由は、もちろん心当たりがあった。


「おいトリスタン……じゃねえ、軍略顧問ぐんりゃくこもん。あの弩、いつくらいのやつだ?」

「四年前の第一世代型だな。戦闘顧問せんとうこもんなら憶えておきたまえよ」

「といってものう。今わしの警備部で使っとる現行型が第五世代で、そろそろ第六がお披露目じゃろう? 銘板でも見なければ、旧式は判断つかんぞ」

「あー、最近開発ペースまた上がったからなあ。ディアナ……でなく開発顧問のやつ、こないだ設計図の山で寝てやがったぞ」

「貴様ら、舐めおって!」


 あれこれと平常通りの言葉を交わす、学舎の上級役職者達を前に、指揮官の怒りが頂点に達する。

 剣を掲げ合図を出すと、傍にいる射手が引き金を引く。

 セットされた弾薬には火術が既に仕込まれていて、弩には風の魔石が仕込まれている。射手と観測手が魔石を起動させれば、風が巻き起こり弾が射出される。その弾が着弾すれば相手は火術で瞬時に燃え上がる。そのはずだった。

 だが標的のベンが、発射と同時に姿が見えなくなる。

 一瞬経った後に、ベンがメイン射手の前に立ち、右手で顔を鷲掴みにする。

 次の瞬間、火だるまになったのは射手のほうだった。


「……え? なっ、何が?」


 燃え上がる兵士から、ベンがゆっくり距離を取る。

 射手とベンとの間はそれなりの距離があった。猛ダッシュしたとしても、詰め寄るまでには三、四秒はかかる。武器を持たない相手に対しては、射撃側に圧倒的なアドバンテージがあるはずだった。

 反乱軍の指揮官は、すぐ傍までベンに寄られたことに狼狽えつつも、残りの射手にも射撃を命じる。

 四挺の弩に狙い撃たれながら、一射たりとも当たることはなかった。それどころか順繰りと射手の前まで瞬間移動のような速さで移動し、そしてその都度射手の方が燃え上がる。


「ウチの第一世代型は、着弾の衝撃で弾が破裂して燃え上がる、安い設計でな。射出の衝撃を逃がせれば、掴めちまうんだよ」

 

 もちろん、風術で射出された弾の衝撃を逃しつつ受け止めるなど、相応の道具か風術の用意が無ければ、できはしないが。

 そこは、顧問達が持つ大海蛇の水晶リヴァイアサンの欠片ならば、条件をクリアできる。

 詰まるところ、ベンがやったことは単純なもので。射出された弾を受け止めて、火術の影響が残っているうちに、近付いて射手に叩きつけ返す。それだけの行為だった。

 当然、並の術師どころか大海蛇の水晶リヴァイアサンの使い手達であっても、できる人間は理論上限られる。

 というより、ベン独自の術式が今の動作に関係している都合上、実践できるのは彼だけだ。


「何も見えなかったぞ! それに加速した弾を掴んで叩きつけ返しただと⁉︎ それに接近は、風への対処は! そもそも水術なのか、ならば水は⁉︎」


 出鱈目すぎると、指揮官が混乱する。彼でさえそうなのだから、率いる部隊は完全に浮足立っていた。彼らはようやく、自分達が対面する者が何者なのか、理解し始めているのだろう。

 すべて手遅れではあるのだが。


「クソが。手の内をいちいち教えるわけねえだろうが。古い玩具持ち出して、いきがりやがって」

「自分達無銘の学舎イグノラント・サンダリオンが、最新の成果物を馬鹿正直に流通させていたと思うか。王宮の搾取が入ると分かりきっているのに」


 開発物は全て数世代先を行っており、王宮に明け渡すのは古い技術のみ。

 徹底した情報統制と技術管理で、無銘の学舎イグノラント・サンダリオンは王宮との装備格差を生み出していった。それこそが先年の、城落としの真相だ。

 城兵達が最新装備だと思って身に着けていたものは、学舎から見れば攻略方法が分かりきった周回遅れの遺物に過ぎなかった。


「馬鹿な、学舎は水使いの集まりではなかったのか! 水桶みずおけ一つ転がっていない陸で、こんな。何か兵器を隠し持っているというのか!」

「全部ただの水術だよ。射撃への迎撃も、間合いの詰め方も、ってえ拳も、全部全部な」

「おのれえ、全員で一斉にかかれっ」


 指揮官は、最後まで言葉を告げることはできなかった。

 護衛の間を抜けて一瞬で近付いたベンが、跳躍して指揮官の顔面を殴り飛ばしていた。ただの殴打一撃で、頭部がひしゃげて潰れる。

 それで完全に、決着が付いた。

 指揮官を失って、引くも進むもままならない襲撃者達が、半ば棒立ちのままベンに狩られていく。

 一人、また一人と。武器を持たずに拳のみで、

 無銘の学舎イグノラント・サンダリオンが誇る戦闘顧問せんとうこもんは、制圧を開始する。


「やっぱフォローいらんかったのう。しかし実際、アレのどこが水術なんじゃろうな」

四鏡クアドラプル・アバターを修めたなら、それくらい分かるだろう。それにこの程度の相手、軽くあしらって貰わねば困る。これから自分達が戦う敵は、戦を重ねてきた古強者ばかりなのだ」


 リデフォールは戦の経験が無さすぎる。戦いの経験が無いから、容易に混乱を見せるし、相手の力量も計り損ねる。

 もっともこれは、遠征を控える無銘の学舎イグノラント・サンダリオンが抱える懸念事項の一つでもあるのだが。


「た、助けて! 命だけは!」


 敵部隊の最後の一人が、命乞いをする。

 剣を捨て、頭を地面に付くぐらい下げて、恥も外聞もなく生にしがみつく。

 今まさに拳を落とそうとしていたベンは、構えを解かないまま、命乞いする兵士を冷たく見下ろしていた。


「そうか。生きていたいか」

「そ、そうだ。元々俺は領主様の復讐なんてどっちでも良かったんだ。でも絶対上手くいくから、相手は平民出しかいないから、って」


 トリスタンが、状況を見つめながら舌打ちをする。その言い草がベンに火をつけると、命乞いする兵士は理解していなかった。

 その兵士は、勝算の高い勝負に乗っかっただけであり、「何となく」の低い意識で反乱に加わったのだ。

 忠義も無ければ信念も無い。彼はリデフォールの、何処にでも居る人種だった。

 流れで立場を変えて、勝ち馬に乗り続けようとする、ただの卑怯者だ。


「け、剣も捨てる。これで丸腰だぞ。何なら、他の連中の情報を教えるから、だから」

「オレの同期にもよ。研修兼庶務担当の、まともに戦えもしねえ女がいたんだわ」

「え?」


 殺意を弱めないまま、ベンが静かに語る。

 それは当時の無銘の学舎イグノラント・サンダリオン、各セクションが「隊」ではなく「室」を掲げていた頃の話だった。

 かつての道場の年長組が、それぞれの得意分野で、自分達の興した研究施設を切り盛りしていた。

 成果が出だして、経営も軌道に乗って。そんな中で、ある惨劇が起きた。

 第四教室という名称の、新入りや希望者に研修や説明会を施し、更には雑務全般を引き受ける部門があった。

 成り立ちとしては、戦闘や技術開発に向かない人材を引き受ける受け皿として設立された。それ故に、第四教室はある悲劇に見舞われた。

 それが第四教室の責任者、教導顧問きょうどうこもんティト・ユメルの暗殺事件だ。


「ちゃんと鍛えとけって、口酸っぱく言ったんだがな。マイペースな女で、こっちの言うことなんて聞きやしねえ。そのくせ経費がどうの苦情がどうのって煩くてな。くっそ美人ではあったんだが、愛想もなくて、おまけにトリスタンに対しても……」


 不要なことを口走ろうとした自覚があるのか、ベンは急に口を噤む。

 当のトリスタンとしてはそこで止められると、何かこっぴどい振られ方でもしたかのようで、逆に納得いかない。

 現実には、それ以前の問題だったというのに。


「ともかく口ばっかの弱っちい女が、ある夜サクッと殺された訳だ。……一番弱い非戦闘員の女を狙い撃ちにして、顔も分からんくらいにぐちゃぐちゃにしてくれて。それでお前らはよ、生きながらに切り刻まれたアイツに対してよ、鼠の糞程度には、ちったあ命乞いに耳を傾けてくれたのかよ!」


 最後の敵を、ベンが殴り飛ばす。

 殴られた方は宙を浮いて吹っ飛び、地面を何度もバウンドしていった。

 地面に擦ら続けれて、やがてその体は止まる。手先足先の痙攣けいれんと、次第に広がる血溜まりが、その兵士の末期を教えていた。


「オレ程度が相手で、幸運に思え。竜巻起こしたり大口径の地対空砲ぶっ放す連中に比べたら、こんなもんガキのごっこ遊びみたいなもんだ。あいつらなら、いちいちトドメなんか刺しちゃあくれねえぞ」


 一通り蔑んだ視線を送った後、ベンが待合所の方へと戻る。

 幾人もの兵士を殴り殺した割には、拳には傷一つ付いていない。

 普通であれば、自身の手も出血、骨折に至っていても不思議では無いのだが。痛がる素振りは一切見られない。


「最後のあれは、言わなくても良かっただろう」

「事件の黒幕どもは、キッチリけじめをつけたからのう。あれではただの八つ当たりじゃろうて」


 呆れ顔で、トリスタンとイクスが迎える。

 二人は一応、更なる増援を予測して周囲を警戒していたのだが。幸いなことに、その兆しは一向に見られなかった。


「ごめんなさいだけ言ってれば、今少し生かしておいてやったけどな。あの手のクズはどうして、殺してくださいアピールを欠かさないもんかね」


 指の骨を鳴らして、ベンが不完全燃焼を主張する。余力がありありと感じられたが、残りの鬱憤うっぷんは遠征で晴らしてもらう他ない。

 この程度で、自分達の怒りは晴れはしない。

 そもそも計画が全て上手くいき、望む世界を手に入れられたとしても、そこで満足できるか、それすらも分からない。

 どうあっても、最果ての風景にティトはいない。

 全員で、夢を叶える。

 その願いは既に潰えてしまっているのだから。

 何を間違えたのかは、分かっている。

 だからこそ、彼女がいない「今」に、どうしようもなく胸を締め付けられる。

 生きていて欲しい人ほど、己の前からいなくなる。強くなっても、地位を得ても、失うものがそれに見合わなくて。

 故にトリスタンは、あのときどうすべきだったかなんて、仮定の話から逃れられない。


「なあ。ティトは最期のとき、ちゃんと命乞いをしてくれたかな」

「……知らねえ。オレ達は、間に合わなかったんだからな」


 墓地の入り口、二十余りの新たな遺体が、血肉を撒き散らしつつ転がるなかで。

 トリスタンはもう一度だけ、亡き従者の墓所に向き直る。

 ……こんなことを繰り返すであろう自分達を見て、美しく生きた彼女が天上で曇りませんように。

 無銘の学舎イグノラント・サンダリオンの第三隊を率いる軍略顧問が、祈るように静かに頭を下げた。

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