第58話(上)帝国と教国、戦乱渦巻く北大陸

 レヴィーと名乗る大海蛇の水晶リヴァイアサンの化身が、リデフォールを出奔しゅっぽんしてから五年の歳月が流れていた。


 ソロンへの来訪当初こそ帝都ディオクレティアでベルサの世話になっていたものの、彼女が帝国近衛騎士インペリアル・ナイトに任ぜられてからは手隙てすきがちな日々を過ごしていた。

 皇帝直々の依頼が舞い込んだのは、そんな頃である。

 断れないまま客将の身分を得ることになり、水道事業や治水工事、海上警備や井戸掘りまで、水術が必要とされる現場を駆け回った。

 とある湖畔の街を訪れた際には、エミリア教国との小競り合いに巻き込まれてしまい、流れの中で敵の総大将を討ち取る金星をあげている。

 レヴィーは多くの賞賛を浴び、防衛した戦地にあやかり水城フォートレスと呼ばれるまでに至っていた。

 功績を手土産に旧帝都に戻る頃には、ベルサと同じ帝国近衛騎士インペリアル・ナイトに着任するまでに台頭していた。


「ですからね、レヴィー氏。皇帝陛下に頼まれたからって、何でもかんでもやらなくていんです」


 帝都改めディオクレティアで久しぶりにベルサと会うと、顔を合わせた途端に説教が始まった。

 場所は皇帝の居城、その一角にある談話室だ。

 レヴィーは高価な椅子に体を預けつつも、己を構成する「水」で周囲を濡らさぬよう、水術を制御することも怠らない。


「そうは言ってもダ。客将に過ぎぬとはいえ、勅令と言われれば承る他あるまイ」

「いーえ。今の陛下に勅令を出せる権限なんて、本来的に無いですから」


 宮仕えとは思えぬセリフが、ベルサから飛び出す。

 歯に衣着せぬ言葉にレヴィーが困惑する中、対面では昔と変わぬままのベルサが、憤慨しながら座っている。

 めでたく出世を重ねた彼女は、近衛専用の真紅のサーコートを身に付けているが、未だに着慣れない心地があるようだった。

 本人もそれを気にしているのか、首元に薄桃色のスカーフをふわりと巻き付けて個性を主張させている。


「今やソロンは、エミリア教国内のいち自治州。国を統べるどころか、国を名乗る権利さえ残ってないんです」


 紅茶が注がれたマグを両手で包み、温もりを享受しながらベルサが語る。

 今のソロン帝国、正確にはエミリア教国内旧ソロンは、エミリア教国の支配地に過ぎない。

 かつて大陸の大部分を覆っていた領土は、内よりいでたエミリア教の拡大を止められず、紆余曲折を経て割譲を強いられることになった。

 今の所領はかつての五分の一、州都ディオクレティアと周辺の都市一帯に収まっている。

 その小さな領土の中でさえ、旧帝国側が担える治世は限定的だ。


「現皇族が権力を発揮できるのは州内のミ。徴税権をはじめとする立法機能や、軍の統帥権も無イ。思想の自由など、もちろん存在しない、カ」


 それらを保持、決定するのは大部分がエミリア教国側だ。

 そんな無い無い尽くしの名ばかり国家が、今の旧ソロン自治州の正体だった。


「なのに、帝国近衛騎士インペリアル・ナイトの称号まで戴いちゃって。分かってるんですか、すっごく大変な目に遭うんですよ」

「大仰な名前だが、要は皇帝の私設護衛団だろウ」


 その帝国近衛騎士インペリアル・ナイトもかつては大勢おり、それぞれが数千人単位の軍団を率いる、それはそれは強大なものだったらしい。

 だがエミリア教国との内戦で破れた後は、規模縮小を余儀なくされ、今では片手で足りる程度の人員しかいない。

 増員にはエミリア教国教皇の認可がいる上に、予算も割り振られない。


「理由付けて財産引き剥がされて、国庫なんてからに近いんですよ。客将を良いように使って、安く上げようとしてるんです」


 苛々したベルサの元に、側に控えていた給仕のエリシャが近寄る。

 手に持った陶磁のティーポッドを傾けて、丁寧な所作で空いたマグにおかわりを注いだ。


「でも仕方ないわ、ベルちゃん。レヴィーさんの功績を考えれば、何かしらご褒美が必要だし。今の陛下があげられるものって、それくらいじゃない」

「今の陛下があげられる程度だから、その威厳も知れたものですけどねー」


 元はベルサと共に間者としてリデフォールに入りこんでいたエリシャは、今では皇室付きの侍従になっていた。

 本来はこちらが本職らしく、ベルサに付いていったのも、世話係的な意味合いが強かったらしい。


「研究所の維持もなのだと博士ドクターも言っていタ。我で助けになるのであれば、協力は惜しまヌ」

「……レヴィー氏はこれだから。お人好しも程々にしないとダメですよ。教育方針間違ったかなあ」

「あら。ベルちゃんが『この子ったら、誰に似たのから』みたいなことを言ってるわ。となるとパパは近衛団長グランドマスター様かしらね?」

「ちょ、エリさん! そういう話はまだ」


 顔を真っ赤にしながら手をバタバタと振って、慌ててベルサが話を打ち切ろうとする。二人の気軽さが、端から見てから見ても伝わってくる。

 共にリデフォール王国へ亡命していたのは、そういう理由もあるのだろう。 


「そう言えばレヴィー様、お部屋の中でも甲冑なのはどうかと思いますけど。その鎧姿はあくまで再現なのでしょう? であれば、脱いだ状態で写身うつしみを構成することも可能なのでは」


 エリシャに問われたレヴィーは、居心地悪そうに身を縮める。

 分離パージ状態で顕現出来るか出来ないかで言えば、確かに可能だった。だがその場合、別の不都合が発生してしまう。


「人間形態を取ると、主の姿になってしまうのダ。この地であれば問題は無いだろうガ」


 やりにくさは、どうしても感じてしまう。

 人としての姿は、あくまでアルノーのものであり、レヴィーのものではない。


「やっぱり、姿をアルノー氏以外に変えることは出来ませんでしたか」

「試しては、みたのだがナ。どうしても主以外の人間に変化しようとすると、我を成す水鏡ウォーター・アバターの術式が崩壊してしまウ」


 四鏡クアドラプル・アバターの術式における構造的な問題だ。

 高度な動作性と術の拡張性、そして誤認による遠隔操作性を保つため、四鏡クアドラプル・アバターはアルノーが操作上もっとも再現しやすい人型形態、即ちアルノー自身の姿を模倣することで担保される。

 このくびきから脱却することは、アルノーの水術によって形作られたレヴィーには不可能なことだった。


「メイドとしては、もう少しリラックスしてお過ごし頂きたいのですが」

「気遣い痛み入ル。騎士形態でも人間形態でも、我の負担としては変わらないものであル。気になされぬよウ」


 給仕のエリシャが「はぁい」と可憐な声を残し、離れた場所で待機する。

 彼女の何事にも動じない胆力は、一介の女中に留めるには惜しい気がする。


「でも今日は帝国近衛騎士インペリアル・ナイトの召集日だっていうのに、定刻前に着いてるのがわたしとレヴィー氏だけなんて。他の人達は何してることやら」


 マグに口をつけながら、しみじみとベルサが呟く。それに反応したかのように、扉が音を立てて開いた。


「聞こえてまちゅよ、ベルサべるしゃ。年長者への陰口は感心かんちんちまちぇんね」


 扉の影から、やたらこじんまりとした人物が現れる。

 羽毛のように繊細な、色味華やかで深みがあるオレンジブラウンの髪に、宝石のようにキラキラした大きな瞳。

 帝国近衛騎士インペリアル・ナイト専用の、真紅の軍服サーコートの上に、焦げ跡の見える白衣を雑に引っ掛けて、その幼い少女は登場した。


博士ドクター氏、遅いですよ」

「貴女とは帰国後、しょっちゅう会っちぇいたでちょう、獣の巫女ソーサレス。そもそも、わたちはいしょがしいのでちゅ。召集ちょうしゅうだかなんだか知りまちぇんが、気安く呼ばないでほしいでちゅ」

 

 白衣の女性がぷんぷんと怒りながら、自分の背より高い椅子にジャンプして座り込む。

 すぐに女中のエリシャが、博士ドクター用のお茶を用意し始めた。


「背の低い、別の椅子を用意しようカ?」

「要らぬお世話なのでちゅ。そんなこと、レディ相手に軽々けーけーと聞いてはいけまちぇんよ、水城フォートレス。もっと人同士の気遣きぢゅかいも勉強してくだちゃい」


 舌足らずな発音で、迂闊な発言を嗜められる。

 博士ドクターの辛口な物言いにも最初は戸惑ったものだが、定期的に検査を受ける機会があったので、最近ようやく慣れてきていた。

 と言っても、言語を勉強中の身分であるレヴィーのとっては正直、ヒアリングが難しい。


「アナタも生まれて間も無いとはいえ、見てくれは立派な成人でちゅ。無教養は不要な侮りを受けまちゅよ」


 どう見ても幼児なこの女性も、帝国近衛騎士インペリアル・ナイトの一員だ。

 もっとも、魔石技術研究所の所長を預かる彼女の職務上、学者と言った方が正しいのだが。

 見た目に反して、歳は三十代に差し掛かっていると聞いたことがあるが、真偽は定かでは無い。

 研究者として名を馳せてからは、それなりの年月が経っており、見た目通りの幼女では無いことは確実なのだが。


「獣の巫女を見なちゃい。立派なのはぱっと見だけ。喋りには含蓄無く見識も薄く、いつまでもちゅたなさが滲み出ていまちゅ」

「えー。喋りの拙さを博士ドクター氏に指摘されるの、すげー心外なんですけど」

失礼しちゅれい。確かに言葉同様、身体も肉付けが足りてまちぇんでちた」


 レヴィーの知る限り、リデフォール王国情報部としてベルサは大活躍している。

 その経歴を知っていただけに、博士ドクターの手厳しい判定は、意外であった。

 ベルサも自信があったようで、腕を組んで自慢げに鼻を鳴らす。


「リデフォールでは、美人諜報員で通ってたんです。胸もお尻も、大きいだけが全てではありません。いやあ、かの島国は物流が盛んなだけあって、男性は目利き揃いですねえ」

「そうであル博士ドクター。赴任先で知り合った若い男衆いわク、女性のすたいるは程々こそが重畳。かっぷもCくらいが一番丁度良いのだとカ」

「それ、意味分かって言ってますかレヴィー氏」


 旅先で知った情報を、良かれと思ってベルサに提供したのに、氷の視線で射抜かれた。

 瞬間、レヴィーは寒気を覚える。


「でもそのくらいなら、凹凸少なめのベルちゃんも今後の頑張り次第で、……どうにもならないわね。いい大人だものね。ごめんなさいベルちゃん?」

「だから、もう! 後輩レヴィーさんの前で乙女の秘密暴露しないでくれますかね⁉︎ 人の尊厳を何だと思ってるんですか!」


 可哀想になるくらいに、ベルサの個人情報が漏洩していく。

 そんな中、続けざまに扉が開く。

 次に現れたのは、博士ドクターとは対照的な、見るからにマッチョと分かる壮年の男だった。


「おー、拙僧が最後であるか。一同揃うと、流石に壮観であるな」


 エミリア教の法衣を身に纏った、無精髭の男だった。

 よく見れば法衣の下に、帝国近衛騎士インペリアル・ナイト専用の赤い軍服を着ているのが見て取れる。法衣の意匠は、その体格の良い男が、エミリア教の司祭であることを示していた。


僧騎士ディバイン氏。一応神職なのですから、少しは遅刻を気に病んでください」

「長期出張から戻ったら、また随分と細かなことを言うになったな、ベルサよ。マスターを探して、所在無さげにオロオロしていた娘がなあ」


 椅子にもたれかかりながら、僧士がしみじみと言う。サイズが小さいのか、窮屈そうに何度か身じろいだ。

 その余裕な態度が気に入らなかったのか、ベルサは余計にぷりぷりと怒り始めた。


「昔のことは関係ないでしょう。あと、この場でベルサって言うの禁止です。今は補佐の二文字も取れて、一端の帝国近衛騎士インペリアル・ナイトなんです。ヒヨッコ扱いは止めてください」

「そう言うところが、まだまだケツに殻が付いとる証拠だわな。本当に独り立ちしとる奴は、いちいち己を一人前だと誇示せんもんだぞ」


 ベルサの反応を見て、我が意を得たりとばかりに僧騎士ディバインが快活に笑う。

 唾が飛んだのか、隣で博士ドクターが嫌そうに顔を歪めた。


「昇進アピールしないと、いつまでも親戚のおじさん気取りが抜けない身内面の古参がいるからです。言っときますけどセクハラですからね、それ」

「拙僧の何がセクハラだと言うのだ。胸も尻も肉付きの足らん娘っ子に、年寄り呼ばわりされる謂れはないぞ」

「それです、それそれ。言動も態度も仕草も視線も年齢も顔も声も。もう全部です」

「後半は仕方なかろうよ」

「揃いも揃って子供っぽいだの何だの、好き放題。少しはマスターを見習ってください、ふんだ」


 頬を膨らませて、ベルサが抗議する。

 レヴィーからすれば、こういう甘えた彼女を見るのはとても新鮮な気分だった。

 一個の生命として自立する前、アルノーの中でただただ存在しているだけだった頃を思い出す。

 アルノーとその弟子達の、仲睦まじかった在りし日を見ているようで、ひたすらに感慨深い。

 子供達のきゃあきゃあとした声が絶えない、騒がしくも温かな、道場だった。

 アルノーの傍でアーネが笑い、寄り添っていた。

 ディアナがふざけ、ベンやイクスがそれに乗っかって。

 トリスタンやノルンが弄られては、デュオが叱り。

 その光景を、エクトルやティトが離れて見守る。

 今となっては忘れ得ぬ日々だ。

 リデフォールから遠く離れた地に降り立っても、その思い出は色褪せない。それら全て、レヴィーという人格が出来上がる前の出来事だというのに。


獣の巫女ソーサレスの尻の青さ具合は、どうでもいいでちゅ。それより今回の議題は何なのでちゅか」

「おうさ。それはもう疑いようがなく、あの件であろうよ」


 博士ドクターの話題振りに、談話室の空気が冷えつくのを覚える。言い出した博士ドクターとて、本当は分かっているだろう。

 今回は帝国近衛騎士インペリアル・ナイトの召集、即ち皇帝自らが、今この場にいるソロン自治州の最高戦力を集めていた。

 それだけ議題は火急のものであり、必然、内容も各々想像がついていた。

 間違いないでしょうねと前置きし、代表でベルサが口を開く。


「エミリア教国を囲む、海側を除く三方さんぽうの国々。それらが揃って宣戦布告した件について、陛下からお話があるのだと思います」


 溜息混じりにベルサがまとめる。


 リデフォール王国の内乱など歯牙にも掛けない大きな戦乱が、北の大地に迫っていた。

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