第43話 それでも立ち上がり、前を向いて

 半狂乱状態に陥ったアーネは、デュオとディアナに連れられ、一先ず控室へと戻っていた。

 アディは既にいない。風雲急を告げる襲撃の報せを受け、他の上位文官を伴いどこかへ去ってしまった。

 パーティーの来場者達も、一時はパニック状態になりかけていたが、城の衛兵が誘導していった。騎士や兵士などの軍役に就くものは、更にそこから前線に駆り出されることになるだろう。

 本来ならばアーネ達も同じく、急いで戦支度を整える必要があるが。


「また、戦争が始まるんだね」


 何かを諦めたように、アーネが呟く。魂が抜けてしまったような、弱々しい声だった。


「何でみんな、平和でいられないんだろう」


 いつもの溌剌はつらつさが見る影もない。

 壇上で感情任せに頭を掻き毟ってしまったため、パーティー用に丹念にかした黒髪が、無惨にもぐちゃぐちゃになってしまっている。

 それを見かねたのか、ディアナが手持ちの櫛を取り出し、アーネの乱れた髪を撫でるように整えた。

 道場の接収から始まり、遺言騒動や戦勝会の絵画、そして公爵家の内乱。

 騎士になってからの激動の出来事に、アーネの心は疲弊しきっていた。

 それでも危機が迫っている以上、立ち止まることは許されない。

 重力に押し潰される感覚を味わいながら、アーネが重い腰を上げる。


「師範代はここでお休みください。その様子では、前線に立つのは不可能です」

「西門まで到達してるんじゃあ、そうも言ってられないよ」


 敵の規模は分からないものの、いつ城内へ雪崩れ込まれてもおかしくない。西門には、それくらいの守備配置しかされていないのだ。そもそもいつの間に、城門まで近付いてきたのか。


「しっかし王都の防衛線、ザルだねー。トリッピーのお屋敷の方がまだ厳重だよ。入る時はテトトのママンにお土産必要だしさ」


 同じことを気にしていたらしいディアナも、不満で頬を膨らませる。トリスタンは完全にとばっちりだった。


「……もしかしてこの間、朝から急にビスケット焼き出したの、それが理由?」

「むふふ、美味しかったでしょ。バターたっぷり、お砂糖たっぷり使ったからね」

「両方一瓶ずつ使わないでよ。一月分くらいあったのに」


 バターも砂糖も高級品だ。交易が盛んなリデフォールは各地の名産品が手に入るが、決して安価では無い。

 ディアナが出掛けた後、台所に行ったら小麦粉含めて食べ物がごっそり減っていて、何事かと驚いたものだ。


「食材は高い方が美味しいんだよ。でもって、どうせ食べるなら美味しい方が良いでしょ」

「その嗜好のおかげで、我が家の家計に占める食費の割合が、悲惨なことになってるんだけど」

「ねーさんの情操教育の賜物だね。おかげで道場の誰より恵体に育ったよ。あ、この場合の恵体は見かけのものも含んでます」


 腰や胸元を強調するようにわざとらしくを作って、ディアナが挑発してくる。

 アーネは手が出そうになって、ぎりぎり踏み止まった。

 甘やかしたためか、食に対して贅沢な価値観が、この妹分にはインプットされてしまっている。

 育て方を間違えた気しかしない。

 横で聞いていたデュオが、たしなめるようにディアナの頭を軽く小突く。


「まったく。貴女はどうして普通に慰められないんですか」


 そこでアーネはようやく気付いた。

 どうやら自分は相当にへこたれて見えたらしい。妹に慰められていたことにも気付かないなんて、本当に気が抜けていたとしか思えない。


(格好付かないな。まったく)


 これでは天国にいるアルノーに笑われてしまう。道場を継いだ者として、門下生達にこれ以上恥ずかしい姿は見せられない。改めてアーネは、自分達が直面している現実には向き合う覚悟を決めた。


「よし、じゃあちょっと現状を整理しよっか」

「トリッピーは家が厳重。でもパパさんは意外と甘い。テトトとは別にデキてないし脈も無い」

「あ、やっぱりか。愛され度が足りないなとは思ってたけど」

「お二方。トリスタンのお家事情はその辺で。師範代も、ノらないでください」


 デュオに叱られてしまった。しかしおかげで段々と頭が冴えてきた気がする。やはり窮状においては平常心こそが肝要だ。

 そして、厳重なトリスタンの実家の話題で、改めて思ったことがある。

 今回の襲撃のキーポイントはやはり、どうやって厳重な警戒をすり抜けてきたか、ということだ。

 アーネの記憶では、城下町近郊は哨戒を増やしていたはず。この謎を解かなければ、永遠に後手に回り続ける。


「そこに立ち返っちゃうんだよなあ。ほんと、どうやって抜けて来たことやら」

「思えば騎士団の外敵対応は、どうも不手際続きです。裏切りは考慮すべきかもしれません」


 デュオが一つの可能性を提示する。

 兵士全員とは言わずとも、主力騎士団、それも上層部だけならば離間は可能だろう。上役さえ引き込めれば、後はいくつか指示を出すだけで警戒網は瓦解する。

 だがそのためには、王宮における組織上の問題が立ちはだかる。


「裏切りの線も無くはないけれど。でも哨戒兵って騎士団管轄外の、王宮兵も出回ってるんだよね」


 王宮兵とは城下町の警護や見廻りを行う衛兵がそれに当たり、リデフォールで憲兵といえば彼らを指す。王宮に徴兵された民間兵や、指揮系統は王族のみに限定されるものの近衛隊なども、こちらに分類される。

 騎士団と王宮兵、どちらかの組織が瓦解しても、もう一方が国家防衛を果たす。両者とも王国を守る戦力だが、無意味に系統を分けている訳でもない。

 それはつまり、王都の警戒網を掻い潜るためには、騎士団と王宮兵のどちらも買収する必要がありるということで、実質的には不可能に近い。

 二系統とも掌握したのは、それこそ一時期の宰相ロベールくらいのものだ。その彼でさえ、第一師団には最終的に反旗をひるがえされた。内乱に至るに当たって、最終的には騎士団の第一師団がアルノー側、第二師団と王宮兵がロベール側という図式に収まった。 


「んーと。裏切りじゃないなら、風使いに悪さでもされた? 遮音や隠蔽は得意分野だよねー?」

「一軍を丸々隠形するとなると、相当な人員を要します。それだけの風術師を公爵家が囲っていたかと言えば、にわかには信じられません」


 内乱の時のアルノーと同じだ。

 腕利きの術使いは系統に関わらず、各国各陣営の注目を浴びる。一流の風術師を集めたとあらば、王宮が情報を掴んでいないはずがない。故に風使いの軍勢は存在しないと、言い切ってしまってよい。

 いよいよもって答えが出ない難問のようだったが、そのときアーネは最悪の予想を思い描いていた。押し黙った様子から見て、デュオとディアナも同じことを考えているようだ。


「宰相との戦いの時にもあったねー、謎の動きを見せる独立部隊。あの時は城に突撃しつつ、別動隊が地下から城内に潜入してたんだっけ」

「全ては師範の水術、増鏡ユナイテッド・アバターによる手引きでした。師範代、今回も同じと言うことは考えられませんか」


 今のところ、西門を襲撃した一軍が、水人形のような人外であるという報せは来ていない。

 或いはこれから届くかも知れないが、例えばアルノーの増鏡ユナイテッド・アバターならば、全員甲冑姿かアルノーの姿でなければならない。誤認を利用するため、術者と同じ姿でなければ遠隔発動できないのが、彼の水術の弱点だ。

 そもアルノーが生きていたとして、今更公爵家に取り入って王都を攻める理由もない。都合良く記憶喪失にでもなっていれば、話は別だが。

 そんな例外に例外を重ねるより、もっと手っ取り早くあり得る仮説を、三人は考えていた。


「単独で一軍を動かすほどの、アルノーのような極めて高度な術師がいる。それも恐らくは、風使い」

「四大となると、該当する聖遺物は妖鳥の風晶ジズ、だったでしょうか」


 言葉を選びながら、デュオが風を司る四大の魔石の名を零す。

 考えるに恐ろしいことだが、その所有者が公爵家の背後にいる可能性があった。


「確か妖鳥の風晶ジズは、エミリア教国管理だっけ? 戴冠式でにーさんが泣かせて大恥かかせた後だし、ちょっかい出してくる理由はあるよね」

「大昔、前身であるソロン帝国が侵攻してきたこともあるしね。大海蛇の水晶リヴァイアサンが失われたと知って、早速公爵家を通じて、侵略を始めたのかも知れない」


 戴冠式でのアディの語りが正しければ、前回ソロン帝国が軍を動かしたときは、大海蛇の水晶リヴァイアサンを目覚めさせたアルノーが、上陸戦で壊滅に追いやった。

 今回は同じてつを踏まないよう、公爵家を隠れ蓑に戦略を立てたという事態は、十分考えられる。


「どちらにせよ、戦支度が必要です。前線に出る際は、最大限注意しなければ」

「注意してどうにかなるかなー? 四大の魔石が相手なんて、命が幾つあっても足りないし」


 ディアナの言う通り、仮にもし妖鳥の風晶ジズの所有者がいたとして、災害レベルの大規模風術を発動されたら、逃げる間もなく巻き込まれる。

 アディに進言しようにも、まだ確証の無い話だ。具体的な対策が、今から取れるわけでもない。


「どさくさ紛れに、尻尾巻いて逃げたいけど」


 状況を把握するためにも、どちらにせよ敵と一当てする必要があった。

 敵の狙いは王宮と女王アーデイリーナであろうし、街中には無辜の民が大勢いる。見捨てるわけにはいかない。


「覚悟しなきゃだね。西門に向かわないと」

「了解です師範代。では早速」

「って、ごめん。今のはあたしの動きであって、二人には別に向かって欲しい場所があるんだ」


 動き出そうとするデュオを制して、アーネが別の目的地を告げる。話を聞いた二人は、なるほどとすぐに納得してくれた。


「収容所の防衛ですか。確かにあそこには、公爵家ゆかりの者が多く囚われていますね」

「まあ西門取られた時のことも考えなきゃかー。王城は衛兵いっぱいいるし、収容所の方が盲点かも」


 アルノーの政変により、旧宰相派は残らず罪人として扱われた。襲撃に加担していると思われるクラオン公爵家はまさに当事者なので、これを機に奪還の動きを取ることが予想できた。

 人質を解放しつつ、結束を促し士気を上げられて、おまけに王宮の威厳を貶めることにも繋がる。

 そして収容所に、対応できる兵は現状いない。平時の警備では、簡単に蹴散らされるだろう。

 公爵軍としては、少ないリスクで大量のリターンが見込める。


「衛兵の詰所に寄ってみて。あたしの名前出して事情を話せば、付いてきてくれる兵がいるはず」

「街中のメシ屋飲み屋で、ツケ放題にできるレベルの知名度だもんね。緊急時なら、そりゃ兵士くらい付いてくるかー」

「待て。今何つった」


 口を滑らせたとばかりに、ディアナが急いで口元を両手で覆う。

 後で聞き出さなければならないことが、増えてしまった。ツケとやらがどれほどの金額になっているか、想像もつかない。

 隣にいるデュオも、ディアナに残念な目を向けつつ深々と息を吐いた。


「ですが宜しいのですか。我らが兵を率いて防衛に向かえば、師範代が単独で前線に出ることになってしまう。他に兵の当ては?」

「無いけど大丈夫。他の騎士もバラバラに出る羽目になってるだろうし、現地で適当に合流するよ」


 何より、時間が無い。侵入してくる敵の頭を止めねば、王都は遠からず陥落する。

 それに戦場に着いた後のことを考えれば、一人の方が動きやすい。

 状況次第でより深く敵陣に潜行するかもしれないし、逆に大規模な術式の発動を感じたら、すぐさま退くつもりだった。

 アーネが単独行動を好むことを思い出したのか、やれやれとばかりにデュオが首を振る。


「師範代がそう仰るなら。但しくれぐれも、無茶はなされぬよう」

「もちろん。そっちこそ気を付けて。基本的に収容所にこもって、守りを固めるスタンスで。到着時に手遅れだったら、引き返して良いから」

「ねー、その前に準備したいから調理場行っていい? 魔石はあるけど、武器が無いんだよね」


 武器なら、兵舎か武器庫で借りられる。そう言おうとしたが、アーネは思い至って止める。

 この窮状では、武器の保管場所はパニックになっているだろう。必要以上に持ち出す輩が出ているかもしれない。

 そもそも従士以下の兵士は、武器や鎧は自分持ちが一般的だ。借りに行ったところで、倉庫番に止められるのがオチである。


「まあ仕方無いか。でも武器になりそうなのだと、調理用のナイフくらいしかないと思うけど」


 本格的な籠城戦ならば、壁の上から煮えたぎった油や、溜まった汚物等をかけるだけでも効果があるだろうが。

 既に城壁が突破されているという状況であれば、刃の短い得物では心許ない。

 だがそんな心配をよそに、ディアナは秘策があるようだった。


「基本は術繰りで何とかするよ。必要なのは、むしろ食材かも」

「……念のため聞くけど。食べるためじゃないでしょうね?」

「違いまーす。もう満腹でーす。マッシュポテトにチーズかけて焼いたやつ、超美味しかったでーす」


 やはり、いまいち不安だった。それでも命の危険がある状況では、流石にいつまでもふざけ通さないだろう。そう信じることにする。

 正直に言ってディアナの力量よりも、彼女の性格というか性癖というか、そっちの方が暴走しないか心配だった。

 デュオが付いている以上問題無いとは思うが、それでも一抹の不安は残る。


「デュオ君はどう? 魔石の持ち合わせが無いなら融通するよ」

「持ち込んでいるので大丈夫です。試したいこともありますので、武器が無くとも問題ありません」

「いざとなれば、敵からぶんどるしねー。何ならそっちのが、良い得物ゲットできるかも」


 二人とも、立ち回りについては各々考えがあるようだった。

 元はアルノーが騎士だった頃から、盗賊狩りに連れ出されていたので、戦場に変に場慣れしてしまっている。非常時においても頼もしいのは、喜んでいいのか悲しんでいいのか。

 それでも今は緊急事態なのだ。任せられる場所は任せるべきだった。


「じゃあ行こう。旗色が悪そうだったら、即離脱だよ。それだけはお願いね」


 控室を出て、デュオとディアナが別の方向へ走って行く。

 教え導いてくれた、頼れる騎士はもういない。

 自分達が望んだ平和を守るため、今一度アーネ達は駆け出した。

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