第54話 さよならリデフォール、孤島を去るリヴァイアサン

 エルとの総力戦後、アーネが騎士団長に呼び出される前まで、話は遡る。

 戦いの後、ベルサとリヴァイアサンはすぐに移動を始め、リデフォール王国を離れるために、王都西の港にまで足を運んでいた。


 リデフォール撤収が決まった後のベルサは、それは迅速なものだった。

 部下に戦後処理を指示し、自分が去った後の引き継ぎをまとめつつ、一方でソロン帝国行きの密航船を手配を行い、それらを王宮側の人間に悟られることなく、諸々の移動も含めて三日で完遂してしまっている。

 腕利きエージェントとしての手腕をこれでもかと見せつけられつつ、リヴァイアサンたる水人形は、ベルサに導かれるまま出航の日を迎えていた。


「これで最後、カ」


 全身ボロの麻布を纏い、リヴァイアサンは遠くを見つめていた。

 甲冑姿で船に乗るわけにもいかず、今は人間形態、つまりはアルノーを模倣した姿になっている。これはこれで、アルノーを知る人間に見つかるとややこしいため、外套を深く羽織り顔を隠していた。


「お城を見ていたんですか?」


 そちらを向くと、乗船の準備を済ませたらしいベルサがいた。少し離れた場所には、同じソロン帝国の諜報員の女性もいる。

 主にベルサと本国の繋ぎのために潜り込んでいた人間らしく、今回を機に帰国するらしい。浜通りの食堂を拠点にしていたようで、アルノーとも僅かばかりの接点があったはずだ。

 何となく、その場を動けないでいると、様子を察したらしいベルサの方から近付いてくる。

 丁度今リヴァイアサンが立っている地点からは、丘の上にそびえ立つリデフォール城を、眺めることができた。

 一時期はアルノーが居を構え、掌握するまで至った場所。誇らしい訳でも恨みたい訳でも無かったが、リヴァイアサンは何故か、目を離すことができなかった。


「それはきっと、名残惜しいっていう感情ですよ」

「……我には、まだ分からない感情ダ」

「うーん、寂しいって感情の派生ですかね。その内、分かるようになりますよ。きっと」


 子供相手に軽い雑学を教える要領で、ベルサが軽い口調で話す。まるで彼女自身も、そうやって色んなことを学んできたかのように。

 名残惜しいという感情を理解できた訳では無かったが、案外そういうことなのかもしれないと、リヴァイアサンが漠然と納得する。


「ミリー公爵とは、停戦交渉に入っていると聞きました。ほぼ降伏と変わらないそうですが。大勢が決着するのを見届けられたのは、僥倖でしたね」


 リヴァイアサンにとっては、胸を撫で下ろせる情報だった。首魁であるエルは戦線から遠ざけたとはいえ、公爵軍の戦力は残っていたのだ。諦め悪く抗戦されていたら、どれほど無駄な血が流れたことか。

 聞けば、竜巻という二度の天災が降りかかったことで、公爵軍全体の士気が著しく低下していたようだ。特に、壊滅に近い損害を被ったクラオン軍は統率が取れず、内部崩壊を起こしているのだとか。

 ミリー公爵本人も終盤で重い火傷を負ったらしく、軍内におけるクーデターの噂も流れ始め、いよいよ観念したらしい。


「道場の者達は、どうなっただろうカ」

「今のところ、死傷者が出たという話は聞いていません。もっとも情報部の主幹から既に引いた身なので、最新の現状までは把握できていませんが」


 無事ならば良いと、そう思う。

 あるじたるアルノーが残した、この世の未練。

 行く末を見届けられないことは、少しだけ罪悪感を感じるが。とはいえ彼ら彼女らがどんな道を選ぼうとも、アルノーに死を与えた自分が、何かを言える筋合いではない。


「それでも、幸いを祈らずにはいられなイ。この感情は、何なのだろうナ」

  

 人の感情に限った話ではない。自分はきっと、この世界のことを知らな過ぎる。

 四大の魔石の化身たる自分が、己の在り方や生き方を決めるためには、沢山のことを知る必要がある。そのためには、リデフォールにいるだけでは、きっと足りない。


「わたしの祖国には、きっと答えがあります。四大の魔石とは何なのか、力の使い方と使い途、それとこれからのことだって」


 水を司る大海蛇の水晶リヴァイアサン

 風を司る妖鳥の風晶ジズ

 大地を司る眠れる猛獣の地晶べへモス

 そして火を司る最後の火竜の炎晶ドラコーン

 ソロン帝国はかつて、四大の魔石全てを手中に収めていた国だ。いわば今の自分のルーツと言っても良い。

 リヴァイアサンがソロン帝国行きを決めたのも、そこに理由がある。

 本当はそれ以外にももう一つ、この地には残れない理由もあるのだけど。

 そちらの方は、素直にベルサに伝えるのは、何故だかはばかられた。

 己の身はアルノーによって形作られた水鏡ウォーター・アバターに過ぎない。その高度な動作性と遠隔制御を要求するため、水人形としての外観は、アルノーその人を模して作られている。

 念のため試してみたものの、アルノー以外の人型を取ろうとすると、途端に水鏡ウォーター・アバターの術式が維持できなくなってしまう。やはりリヴァイアサンとアルノーは表裏一体、離れ難い存在となってしまっている。

 そんな自分がいては、アーネが戸惑ってしまう。

 アルノーは死んだ。彼女に主を引き摺らせてしまう真似は、どうしてもできなかった。

 だからベルサからの出国の誘いは、渡りに船ではあったのだ。

 そんなことをリヴァイアサンが考えていると、いつの間にかベルサが顎に手を当て、うーんと唸っていた。


「やっぱり、なあ。何かこう、欲しいですよね」

「何がダ?」

「いや呼び方ですよ。リヴァイアサンって言うの、色々キツくありません?」


 言われて気付いたが、確かにリヴァイアサンの名前はこの国では大きな意味を持っている。

 偉人のあやかりとして名前を与えられるケースもあると言うが、現王族の直系に付けられるミドルネームであることを考えれば、不敬が過ぎるし普通許されない。

 自身はともかく、頻繁に名前を口に出す立場のベルサからすれば、不便この上ないだろう。


「このままでは差し障りありますし、困りました。何かこう、別称とか無いですかねえ」


 そう言われても、リヴァイアサンに類する他の名前など聞いたこともない。

 或いは地域によって呼称が違うという場合はあるのだろうが、知る限りリヴァイアサンはリヴァイアサンだ。他に思い付かない。


「それならば、ベルサが付けてくれまいカ」

「ええ、わたしがですか?」


 アルノーにくっ付いて存在していただけの、上っ面に世間しか知らないリヴァイアサンでは、シンプルにボキャブラリーが足りない。よくある人名程度であれば心当たりがあろうが、自分に相応しい名前の良し悪しなど判断が付かない。


「深刻に考えてくれずともよイ。親しき相手に名を送る行為は、珍しきことではないのだろウ?」

「渾名、みたいなものですか」


 思えば、道場の門下生であるディアナも、トリスタンをトリッピー、エクトルをえっ君のように、よく他人にニックネームを付けていた。それの意味するところまでは分からないが、名を送るという行為自体は別段珍しい行いでは無いだろう。

 今のところ、リヴァイアサンの名を呼ぶ機会が一番多いのが彼女なのだし、ベルサが名付け親でも何ら問題は無いような気がした。

 ベルサは腕組みしながら考え込んだが、迷った挙句といった様子で、その名を捻り出した。


「レヴィーでは、いかがでしょう」


 リヴァイアサンという名の、素直な短縮系だ。

 どちらかと言えば女性名な気もするが、航海技術の革新で世界が縮んだ昨今では、世俗や慣習もミックスされる傾向になりつつある。それまで異性につけられた名であっても、今では男女の区別無く付けられるケースが増え、特に構わないという風潮ができがりつつある。

 それを考えれば、問題無い範囲に収まっているだろう。


「佳き名ダ。レヴィー、カ」


 己に染み込むように、その名を呟く。

 そんなリヴァイアサン改めレヴィーの満足そうな様子を見て、誰よりもベルサが安堵していた。

 恐らくは、何通りも考えてくれたのだろう。急な振りにも関わらず応えてくれたことには、レヴィーは感謝しか無かった。


「ではレヴィーさん、これから宜しくお願いしますね」

「なにぶん不勉強な身ダ。迷惑を掛けるだろうが、宜しく頼ム」


 二人が固い握手を交わす。

 彼女のことを多く知るわけではないし、思惑の全てを見透かしている訳でもない。

 だが彼女は確かに、王都と公爵家の紛争で、解決に並々ならぬ尽力を注いでくれた。本来の立場であれば、見捨てて逃げても構わないのに関わらず、だ。その誠実さは信じるに値するものがある。

 これから世界を渡るに至り、ベルサの助力は欠かせないものとなるだろう。


「ソロン帝国、カ。未だに騒乱が続く地と聞いていル。何故人は争うのだろうナ」

「それは、一口には説明できません。宗教絡みの抗争や沃土を巡る利権争い、或いは恨みつらみといった感情的なものまで。彼の地には渦巻いてますから」


 故郷のことを話す時はいつも楽しげなベルサの目が遠くを見つめる。肉体年齢的にはまだ若い彼女が、どんな過酷な目にあったのだろう。未だにその全てを教えて貰ったわけではない。だがいつかは。信頼を得て、彼女から色んな話を聞いてみたい。それもまた、自分が生まれた意味を見つける道のりの一つだろう。


「ベルちゃん、そろそろ出港みたいですよ。そろそろどうですか?」


 同伴するもう一人の諜報員が、二人を呼びに来る。二十代後半であろうその女性は、朗らかな笑顔をこちらに向けていた。

 親しみやすそうな見た目からは、彼女が異国の間者だとは感じさせない。

 浜通りの漁師食堂を拠点にしていたようだが、店に通ったことがあるアルノーやアーネでさえも、彼女の正体については、最後まで疑うことは無かった。


「はいはーい。今行きますエリシャさーん。さあさあ、レヴィーさんも一緒に」


 ベルサが引き寄せるように、レヴィーの手を取る。邪気の無い、安らぐような温かな眼差しだった。導かれるように、レヴィーは歩き出す。

 桟橋の辺りで、エリシャと呼ばれたベルサの仲間が、出迎える。


「ふむふむ、貴方が例の。なるほど、確かにお顔は師範さんと一緒ですね」

「……そう言えば貴女は、我が主と面識があったな」


 彼女が隠れ蓑にしていた食堂は、道場から近いこともあり、アルノーも門下生を連れて何度か訪れていた。

 その時は、ベンやイクス、トリスタンが給仕する彼女を食い入る様に見ていた気がする。


「師範さんには、名乗ったこともありますけど。浜通り一の看板娘を務めておりました、エリシャと申します。長い船旅、宜しくお願いしますね」


 睫毛が長く、その奥にあるライトブルーの瞳が神秘的で、思わず吸い込まれそうになる。艶々とした髪が陽の光を浴びて、眩しく輝く。時折見せる、髪をかき上げる仕草がやたらと扇情的で、看板娘を自称するのも、伊達ではない美貌である。

 そう言えば似たような仕草を、ベルサもしていた気がする。もしかしたら、そのルーツはエリシャなのかもしれない。

 話やすそうな雰囲気も、どこか印象が重なる。どちらにせよ、退屈しない船旅になりそうだった。

 三人でそのまま、客船に上がろうとして。

 そしてレヴィーは最後にもう一度だけ振り返り、そびえ立つ白亜の城を望む。

 これがきっと、最後になると予感を感じながら。海を司る大海蛇は、リデフォールに別れを告げた。

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