第53話(上)邪心の城、刈れども絶えぬ醜草共
「おー。敵陣、めっちゃ燃えてるじゃん。すてき」
「あの火柱を見て真っ先に出てくる感想がそれな辺り、本当にバグってますね貴女は」
敵本陣へ奇襲をかけたトリスタン達とは別の場所、王都北西部の街道脇に、デュオとディアナが立っていた。
即席の地下トンネルを抜けたせいで、二人とも土埃塗れになっている。
自慢の毛先ふんわりミディアムの黒髪がボサボサになったうえ、愛用しているアッシュグレーのウイッグを落としてしまったようで、ついさっきまでディアナはいたく不機嫌だった。
お手製花火で気を良くしてくれたのは、むしろ僥倖かもしれない。
対ジズ用の砲弾を準備し終えた後、二人はすぐにこちらまで移動してきていた。
敵本陣への奇襲に失敗した場合、ミリー公爵が逃亡するであろうルートを抑えた位置取りだったが、心配は杞憂に終わりそうだった。
できればミリー公爵は生け捕りが望ましいが、この様子では難しいかもしれない。
正直、火加減を間違えた感があるのだが、デュオとしては製作チームを責める気にはなれなかった。突貫作業で、ディアナ達に無理をさせたのは事実である。そもそも作戦失敗のリスクを考えれば、規模が小さいよりは大きい方が間違いない。
「まー、バカ筋肉コンビが言うこと聞かないで、適当にブッパした可能性もけっこーあるけど」
「抑え役がトリスタンだけならいざ知らず、エクトルもいるのですから大丈夫でしょう」
舎弟分であるエクトルには、全幅の信頼がある。部隊指揮はトリスタンの仕事だが、経験が足らずまだまだ雑だ。細かいところはエクトルが裏方として修正するだろう。
人前で仕事をするには向かない風貌のエクトルだが、代わりに裏仕事には向きすぎているほど向いている。
「む、なんかデュオが偉そう。言っとくけど今頑張ってるのは、えっ君であってデュオじゃないから」
「その通り。私と師範が、持てる知識と技能を注ぎ込んで育てたエクトルの、今が晴れ舞台です。経験さえ積めば密偵はもちろん、参謀にも戦士にもなり得るでしょうね。やや線が細すぎるきらいがありますが、上背はありますし後は覇気次第ですか。彼は優しいあまり、自分を主張をしませんから。彼の素質を見抜いたかつての私を、褒めたい想いです。私のこの審美眼も、道場で培った智慧の賜物ですね。才は血に宿るものではない。また一つ、師範の論を証明してしまいましたか」
「だる。え? わたし、飲み屋の嬢か何かに間違われてる?」
早口で捲し立てるデュオに、ディアナが冷めた視線を投げかけてくる。
ちなみにディアナの子分的立ち位置のノルンは、徹夜の改造弩製作で精魂尽きたらしく、今は目を回しているのでお留守番だ。
正直ノルンに対して重いタスクだったと思うが、今にして思えば、それがディアナなりの気遣いなのだろうとデュオは思う。
ノルンは同年代の中でも小柄で、力も弱い。かつての、ロベール戦における城攻めでは躍起になって前に出ていたが、他の年長組のフォローを多く要してしまった。
その事実が、逆にノルンを傷付けたことも知っているから、敢えて戦前の段階で尽力できる仕事を振ったのだろう。
「何にせよ、師範の指南書の有効性は、これで実証されました。本腰を入れて解読すべきですね」
「今のまんまじゃあ、ちんぷんかんぷんだかんね、ウチら。しばらくはお勉強タイムだ」
少し齧っただけではあるが、あの指南書は魔石技術の革新を促しかねない代物だ。それが指南役のアーネを含む、三人の共通認識だった。
後ろ盾の無い道場にとっては、重要な切り札になる。資金源的にも、社会的立場としても。
「取り敢えず、戦闘はカタがつきそうだね。帰り支度するかー」
「戦闘中です、まだ帰らないように。一応、敵の退却状況を確認しましょう。……誰かが向かって来ますね。あれは、師範代?」
デュオとディアナが、同じ方角を向く。街の北側、林になっている場所から、見知った人間が近付いていた。二人が師事する道場の責任者、アーネ・ティファートだった。
事前の軍略会議では、森林地帯で待ち伏せる手筈だったので、この街道脇で遭遇すること自体はおかしいことではない。
だがどこか様子がおかしい。顔色が悪く、早歩きなのに足取りはどこか覚束ない。
「ありゃ。あの様子じゃあ、取り逃がしたかな。若しくは、始末できたからこそかも?」
「どちらにせよ、合流したほうが良さそうですね。師範代、こちらです!」
デュオが大きく手を振ると、アーネはきちんと気付いたようだった。そのままお互い近付いていく。
大した外傷は見当たらないので、物憂げなのは戦いのダメージが原因という訳ではないようだ。
「怪我が無いようで何よりです、師範代」
「お疲れねーさん。まあ、ミスは誰にでもあるよ。くよくよすんなー」
失敗前提でディアナが慰める。
デュオはその不謹慎さを注意しようとして、だがそれ以上に、アーネの様子が明らかにおかしいことに気付いた。
よく見れば、羊皮紙の束らしきものを左手に握りしめている。ちらりと見るに、どうも王宮で発行している公文書のようだった。
恐らくそれが、アーネを不安定にさせた原因であることに違いない。
「師範代、それは? 待ち伏せに向かうときは、お持ちではなかったと記憶していますが」
「……二人とも、これを見て」
握った書類の束を、アーネが差し出してくる。
二人がそれを広げて見ると、やはり公的機関で出回る類の文書だった。
内容は、浜通りにある道場接収の件について。
但し正式な命令書そのものではなく、作成者から上役宛の、承認依頼の方だった。他の文書も見てみると、担当官から王室の補佐官に宛てた添え状であったり、補佐官同士での内容審議のメモであったり、全てが道場接収にまつわる書類だった。
「これは、例の接収命令書の、補足資料といったところでしょうか。部署間で引き渡す際、引継ぎや内容説明を行うためのものですね。最終承認が国王となる文書なので、この手の資料が追加されるのは珍しく無いはずですが」
「……デュオ、おばか。これが何を意味するか、分かんない?」
珍しく深刻そうな表情で、ディアナがデュオを嗜める。彼女はこの書類が意味するところに、辿り着いたようだ。アーネの妹分を称するのは、伊達ではないと言ったところか。
デュオは改めて公文書の束に目を通していく。
程なくして、彼もまたその文書の存在について、その異様性を理解した。
それはあまりにも自然だったため、一見しただけでは分からなかったが。気付いてしまえば、その陰湿さに身震いがした。
「何故、こんなものが存在してるんですか。しかもこんな数、これだけ多数の部署や担当者を経て」
「気分わるー。うちらがいったい、何したっての」
「ミスじゃあ無かったってことだね。……あたし達を勝手に英雄だなんだって、祀り上げといてさ。こういうことする連中だから、アルノーは」
アーネが言いかけて、止める。
言うべきではない発言を、口走ってしまうところだったのだろう。
だがそれに関しては、デュオとディアナも同じ気持ちだった。
アーネが持つ文書の意味自体は、シンプルなものである。
道場接収は、何ら変わった手段が取られた訳ではない。
極めて正式なルートで、正しい順序を踏んで、文官達の中で手続きが進められた。
女王であるアディの元に辿り着いたときには、他の申請書類に埋もれていたのに関わらず、だ。
そしてその時には、添えられていたはずの説明資料や許可依頼は、何故か削られている。
「誰かが偽ったんじゃない。どこかからか紛れさせた訳でもない。最初から、堂々と。説明文付きで全担当者の手元を渡って来たんだ」
そして、誰も間違いを指摘しなかった。
女王宛の文章に、別の書類が紛れ込んでいる異常さは、見事に素通りされた。気付いたうえで放置して、次の部署へと回されていた。
誰かが、最終承認者であるアディを騙そうとしたのではない。誰もがその偽りに気付いて、けれど何もしなかったのだ。
杜撰な管理というよりは、弱者への悪意に近い。
「どうせ、誰かが気付いて直す。最初に細工した者は、その程度の認識だったのかもしれませんが」
「最後まで通されたとしても、内容自体は倫理に
「でもってー。被害を被るのは、成り上がり騎士とその子飼いってワケだねー」
いけすかない相手に嫌がらせで投げた小石は、数多の人混みをすり抜けて、見事に相手に届いた。
投げた者も避けた者も、一人ひとりは別にそこまで深く考えていた訳ではないのかもしれない。
連なった小さい悪意は、けれども確かにアーネ達の胸を抉ったのだ。
「さめるわー。誰も守ってくれなかったんだね」
「王宮官僚も堕ちたものです。結果として、意味の無い傷を負う者が出るかもしれないと、分かっていたでしょうに」
「寂しいし、悲しいよ。経緯を考えれば、元は国王派の末端役人だったろうに。アルノーが命懸けで守った人達が、こんなことをするなんて」
アルノーとしてはもちろん、見返りを求めた訳では無いだろうが。それでも。
アルノーが庇ったはずの者達が、彼の死後に至るまで、その遺体を刺しているようで、見るのが辛い。
何のために。誰のために。
遣る瀬無い気持ちが、三人から立ち上がる気力を奪っていく。
「それに、見つけた書類はこれだけじゃない。こっちも見て」
さらに別の文書をアーネが広げる。どうやら手紙のようで、
差出は連名のようで、複数の名前が記載されている。その中には、貴族院に名を連ねる者までいた。
宛先は、
公爵家との戦争で目立っていないが、現女王との確執が取沙汰されている存在だ。
内容は簡単に言えば、女王への訴求についてだ。貴族院と王太子妃で協同を図る旨が、記載されていた。
「なるほど。女王と王太子妃の間で、内乱関係者の処遇や、王太子の遺産について揉めていると聞きましたが。貴族院が糸を引いていましたか」
手紙を読み進めて、すぐにデュオは理解した。
王太子妃と現女王が揉めるという前代未聞の醜聞は、この国の議会という明確な仕掛人がいた。
内容を鑑みれば、道場接収など比較にならない案件だ。端的に言って、反逆罪に値する企みである。
そもそもの敵対勢力であるクラオン、ミリーの両公爵家のみならいざ知らず。国政を担う貴族院や王宮官僚といった身内さえも、アーデイリーナ女王の影響力を排除しようと、裏で画策していたらしい。
この無礼な事案は、後々までアディの治世に余波を残すだろう。
例え女王が騒ぎを収めたとしても、王宮騒動が起きたという事実そのものが、彼女の足を引っ張る。
「この手の獅子身中の虫って、にーさんが派手に粛清したのに。まだ出てくるんだね」
「むしろ、上で蔓延っていた悪臣がいなくなったことで、その手管を熟知していた配下が頭角を露わにしたのでしょう」
どれだけ駆除をしても、気付けば蛆虫のように湧いてくる。キリがない。
悪意の種が雑草のごとく、この国に深く根でも下ろしているのだろうか。
「アルノーならともかく、アディなら組み易しと思ったんだろうね、情けない。こんな奴らが国の中枢なんて」
アーネが歯噛みする。それを見たデュオも、やるせない思いに駆られた。
空いた席を狙って、欲に塗れた逆臣が次から次へと出てくる。それなのに、国を思う忠臣は一向に姿を現さない。或いは、そんな国士はリデフォールにいないのかもしれない。
とはいえ今回は、一掃するチャンスでもある。これほど明確な証拠が残っているなら、地位の低い自分達でも対抗できる。
「しかし師範代は、どうやってこの文書を? 我々では、入手しようが無い代物では」
「おいおい話すよ。流石にこれは、急ぎでアディの耳に入れないと」
二人と話していて改めて怒りが込み上げて来たのか、アーネは明らかに苛立っていた。
「こんな搾取と不正がまかり通る社会、おかしいよ。議会と王宮役人の改革を断行して貰わないと」
「んー、変わるかなあ? にーさんが革命で大鉈振るった後でさえ、このザマでしょ。特権階級の人らだけじゃなく国民全体に、
「それを変えないと、って言ってるの! ほら二人とも、行くよ」
嫌そうな顔を浮かべるディアナを尻目に、アーネが歩き始める。
使命感に溢れる背中は、付き従う方からすれば頼もしいの一言だが、その一方で。
「国を変えないと、ですか。聞き覚えがある言葉ですね」
それを信念として唱え続けた男が、のし上がり、登り詰めた先をデュオは知っている。
今度はそうならなければいいと、思いつつも。
「いえ、人任せにはできませんね。私がやらねば。支えると決めたのです。今度こそ」
アルノーと同じ
デュオが決意を新たにしていると、相方のディアナは別のことに気を取られているようだった。
「どうしましたか。何か心配事でも」
「うーん。にーさんがいないことのデメリットが、思ったより重くのしかかってきてるよーな」
どうもディアナの歯切れが悪い。
騎士団内で重役を務めたアルノーがいなくなって、道場の維持が大変になるのは当然であるし、分かり切っていたことだ。
だがディアナはそこから踏み込んで、更に具体的な懸案事項があるようで。
そこでデュオも、あることに思い至った。
道場には知る人ぞ知る、だがアルノーなら潰せていたであろう弱点が存在するのだ。
そしてそれらは、一介の騎士であるアーネには、対処できない。
「ディアナ、それはもしや」
ディアナがそっとデュオを指差し、続いて腕を返して自身を指差す。
やはり同じことに思い至っていたらしい。
その弱点が、今の道場にとって致命的なものであることを。
「ウチら的には、気にすんなって話だけど。ねーさんの性格からすれば、そういう訳にもいかないんだろうなーって」
「……今更我らがどう動いても、最早変わらない事実です。今は好転を祈って女王に直訴しましょう」
極端な話、例え二人が今更道場から距離を置いたとて、事態は改善しない。
しかし取り巻く状況の悪さに気付きながらも、現状では何も対応できない。そんなやきもきする思いが、二人の間で共有される。
結局のところ、自分達とアーネ運命共同体で。
切除して解決なんて方法は、取れないのだ。
そのことを確認し合い、デュオとディアナは改めてアーネの後ろを付いて行く。
離れられない以上は、必死に食らい付いていくしかない。
その後アーネ達三人は、意外なほどあっさりと、アディ率いる本隊と合流できた。アーネが特命で動いていることが、周辺を守る近衛にも下知されていたらしい。おかげで、すんなり面会となった。
無事を祝い状況報告もそこそこに、アーネは道場接収にまつわる王宮の悪意と貴族院暗躍の件について、アディの耳に入れる。
統治者であるアディは、それはもう頭が痛そうな顔をしていた。戦後処理と併せて事実確認と対応を図ると約束してくれた。
そしてリデフォール城を巡る、二大公爵家との戦争が終わって約半月後。
アーネは上官である騎士団長から、呼び出しを受けることになる。
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