第56話(上)夢の終わり、全てを零に
紅蓮が白亜の城を包む。
立ち昇る炎が、星の無い夜空を紅に染める。
建物が無常に燃え落ちる中で、城勤の役人や貴族の師弟が、悲鳴を上げて逃げ惑う。そこに武装した集団が殺到し、容赦無く
式典の最中だった城の大広間が、阿鼻叫喚に包まれていた。
新進気鋭の研究団体、
幸いにも女王アディは、襲撃現場となった大広間には居合わせなかった。とはいえ危機には違いなく、今は供回りを連れて地下通路へと急いでいた。
急報を受けた時は登壇準備をしていたため、式典用のドレスを着たままになっている。
ふわりと広がる生地に、色とりどりの刺繍や装飾が入っていて、見た目にも美しい。しかし、こと避難時においては、走り難いことこの上なかった。髪を結い上げたままにしていたことが、せめてもの救いだ。
「このまま進めば隠し通路です! 既に大臣達も先行しています。陛下もお急ぎを!」
古参の衛兵がアディを急かす。
さらりと聞き捨てならないことを言ったが、ここは敢えて聞き流す。
王族用の隠し通路を、当然のように大臣達が利用するのはどうなのだろう。しかも、国主を置いて逃げるような形で。
増長著しいとはいえ、ここまで恥知らずだとは思いもよらなかった。
「でも我が治世である以上、統制できなかったことは私の責ですね」
家臣の手綱を握れなかった責任は、当然ある。
それでも貴族院の差金であった王太子の妻、つまりは兄嫁に当たる人物との宮廷闘争にようやく決着をつけ、彼女の一派を王都から追い出したところだった。
やっと実権を握れそうなところで、この騒ぎである。アディは、自分の運命を呪わずにはいられなかった。
「せめて王城兵の統率さえ、間に合っていれば。こんな後手に回ることも無かったのに」
今回逃げ遅れたのは、ギリギリまで配下に指示を出し続けていたからである。そうなった遠因は、指示役の騎士団長や大臣が、早期に姿を消したからだ。ツケを女王が払う事態になっていることは、やはり問題であろう。
ふと廊下の窓から外を見ると、城の東西南北全てが炎に染まっていた。
「もうこんなに燃え広がっている。……これでは主塔も時間の問題ですね」
火に囲まれたが故に、退路はやはり王族用の地下通路しかない。
隠し通路は、地下を通じて郊外まで抜けていくもので、ここに潜り込んでさえしまえば炎は届かないはずである。消火も間に合わない以上、一刻も早く避難しなければならなかった。
誰が実行犯かも、おおよそ察しがつく。
火の広がるペースから推測するに、逃さぬよう念入りに複数箇所、同時に火が放たれたのだろう。
「……そこまでして、どうして」
考えれば考えるほど、深い悲しみに囚われそうになるが、今はまだその時ではない。
近侍達は困惑と怒りを浮かべつつ、アディを先導している。その怒りは、逃げるのが遅れた主人に対しても、向けられているのだろう。
現に、アディは退避にあたり愛槍を持ち出しているのだが、それなりの重さなのに誰も運搬を代わろうとしない。或いはその余裕すら無くしているのか。
それでも迷わず先に逃げた家臣達に比べれば、幾分マシではあるが。
灯りのない地下道を、小さな松明だけで直走る。侍女が何度か転びそうになり、その都度アディ自らが助けたが、特段感謝の言葉は無く、ただただ逃避行の再開される。
暗い地下道は、
でもそれしか危機を避ける術は無いから、全員でひたすら走り続けた。
ドレスの裾を汚しながら走って、色々なことを考えて。
けれど何の解決策も見出せないまま、どれくらいだろうか。大体の距離感と時間を考慮すれば、そろそろ出口が近いはずだった。
「……何だ、妙な臭いがするぞ」
付いてきた衛兵の一人が言う。
改めて注意深く探ると、じめじめとした土の臭いの中に、別のものが混じった感覚をアディが覚える。それが血の臭いだと気付くのに、時間はかからなかった。
同じくして、松明の炎が大きく揺らめき、地面に落ちた。何事かと前を見れば、先頭を走る衛兵が、血飛沫を舞わせて倒れ込んだところだった。
「みんな、伏せて!」
警告よりも早く、アディがその身を沈み込ませる。屈み込むその最中、真上を何かが風を切って奔ったような気がした。
アディの声に応えられた者はいなかった。
短い悲鳴をあげて、他の近侍や衛兵達が倒れ込む。返り血が地下道のあちこちを、彩っていった。出血量から言って、刺突や斬撃が加えられたようだが、弓矢や
助けられなかった後悔を胸に満たしながら、アディは即座に頭を切り替える。
襲撃を受けて供回りは全滅した。活路は己の手で開かねばならない。
意を決して立ち上がり、すぐに前に踏み込む。
背に担いだ槍を取り、地面に当たらないよう短めに持って、下から素早く振り上げた。青く輝く穂先の軌道に合わせて、氷の壁が出現する。
直後に、前から飛来した何かが氷壁に激突した。
「やはり、貴方達ですか」
目の前には四人の男女が、顔も隠さず立っている。正確にはその中の一人、杖をついた年配の男性だけは、目元を隠す仮面をしていた。
前に聞いた話では、仮面は火傷を隠すものだと言っていた。それだけが理由では無いことは、周知の事実ではあったが。
「待ち伏せしていたほどです。先に逃げた家臣達がどうなったか、聞くまでもないのでしょうね」
供回りが攻撃を受けるより前に、血臭が辺りから漂っていた。恐らく先に逃げた王宮の人間は全滅だろう。王城の脱出路まで把握されていたのは、流石に想定外だった。最初から全て、襲撃者達の掌の上だったわけだ。
「……筆頭。連絡通り、氷槍を所持しています。全員でかかりますか?」
年若い青年が、ぞっとすることを言う。この期に及んで四人がかりなど、一秒も保たない。
殺害方法から見ても、彼が供回りを始末したのだろう。彼の絶技は知っている。矢や槍を用いず、離れた場所から斬撃を入れるのが、青年の戦い方だ。
「不要だ。お前達はそこで見ていろ」
「え。じゃあうちら、来なくてよかったじゃんか」
「上で掃討戦に参加したいなら、勝手にしろ。武官文官よりどりみどりだ。好きに鏖殺してこい」
「んー。じゃあこっちでいいでーす」
軽口を叩く若い女性の襲撃者に対し、指揮官らしき女性が、冷たい声色で言い放つ。
いつもなら、微笑ましいやり取りのはずなのに。今は全く笑えない。
本当、どうしてこんなことに。
指揮官らしき女性が剣を抜く。何らかの魔石があしらわれた、細身の剣だった。本当に彼女一人で、対応するらしい。
だがそれは、アディにとってチャンスでもあった。上手く彼女を制圧できれば、そこを突破口にできる。
亡き兄から譲り受けた槍を強く握る。リデフォール王室に代々引き継がれる、由緒正しい名槍だ。
ジェラールの死後、一度はロベールに渡って船と共に沈んだものの、サルベージしたベルサ経由で王家に戻されていた。これを振るい、元はソロン帝国の武家であった先祖達は、この島に国を拓いたのだ。
「ジェラール。私に力を貸して下さい」
穂先そのものとなっている魔石が、青く輝く。
槍を構えた先にいるのは、とても見知った顔で。
それでもアディは迷わず、生きるために走った。
加減ができる相手ではない。というより、アディに槍の扱い方を教えた一人が、目の前の彼女である。
踏み込みと同時に、真一文字に槍を突き出す。
こちらの間合いの内側に潜り込まれれば、勝機は潰える。
故に初撃にこそ、渾身の力を込めて最速の刺突を繰り出す。
果たしてそれは、アディが繰り出した槍術の中でも、もっとも美しく完成された一撃だった。しかし体の中心、鳩尾を狙った一撃は、敢えなく身を翻され、躱される。
「凍って、氷槍!」
叫びと共に穂先が輝き、周囲の空間を凍らせる。アディから見て左側へ身を
「え、きゃあ!」
襲撃者が捻りながら半身を伸ばし、冷気が及んでいない右手の剣で、刺突を穿った。
狙いは槍の握り。
敵に最も近づいていたグリップ部が、狙われた。
手の甲がざっくりと斬られ、鮮血が舞う。
堪らずアディは凍結を解除して後ろに跳びずさり、間合いを保った。
「一度食い付いた敵を、簡単に離すな」
叱責の声と共に、襲撃者が一気に踏み込み、鋭い突きを放つ。左半身が凍りかけていたのに、全く気にする素振りがない。
アディは痛みを堪えて槍を握り剣を弾くも、二撃三撃と刺突の波状攻撃を受ける。
小回りが利く剣に対抗するため、槍を短く持ち直す。だが対応できたことはその程度で、矢のような連撃を前に、魔石の凍結効果を発動させる暇がない。
「……どうして。何故、このようなことを」
守勢に回りながら、アディが言葉を零す。その声には悔しさが満ち溢れていた。
「よりにもよって、貴女が。争いに
「勘違いがある。あの愚物の愚行は、事実として無意味だった。救い難いほどに愚かだったよ」
常識でも述べるように、何の感情も乗せない声色で、襲撃者が言い放つ。
「貴女の絶望は分かります。どんな扱いを王宮や世間から受けてきたのか。挙げ句、弟子の一人まで失わせてしまった。守れなかった私にも責任はあります。斬られても、仕方無いとさえ。……でも、それでも! 貴女だけは、その道を選んではいけなかったのに!」
いつの間にか、アディの目には涙が浮かんでいた。裏切られた無念から来るものではなく、己の不甲斐無さを嘆いて、気付けば流れ落ちていた。
「救国のために手段を省みなかった彼を責めて。数多の汚名を着せて、亡き者として。その結果がこれでは、
涙で視界が揺れる。
襲撃者は構わず剣戟を曝し続けた。
そして一瞬の隙で、襲撃者の剣に光が灯る。色は青、水の魔石だ。
アディはそれがどんな一撃だったのか、最後まで悟ることはできなかった。
ただ、今までの中でもっとも殺意の籠った刺突だということだけは、察することができた。
脇を締め背筋を伸縮させた渾身の突きが、目の前に迫る。
青く輝く刀身が、アディの胸を無慈悲に穿った。
「……ぁ」
喋ろうとしているのに、喉から何も出てこない。
成す術無く、全身が脱力していく。
痛みが何重にもなって、身体中を駆け巡る。
刺さった剣にもたれ掛かるように、アディは前のめりに沈んだ。
体が言うことを聞かない中で、脳内だけが様々な光景をフラッシュバックさせる。
ただただ幸せだった、幼い頃の王宮での暮らし。
偽装された火災の中、泣きながら大人達に連れ出せていく我が身。
修道院の奥で、外にも出れず何年も過ごして。
大人になって、侍従に身をやつして、ようやく王城に戻り。
再会したジェラールや、新たに出会った友人達の生活の中で、第二の人生を謳歌して。
またもや内乱で、全てを奪われた。
本当に、激動の道のりだった。
駆け巡る走馬灯の中で、不思議と最後に思い浮かべた人物は。
最愛の人でも、かけがえようのない友でもなく。
己に転機をもたらした、黒髪の騎士の姿だった。
(……貴方なら、彼女を止められたんでしょうか。アルノーさん)
最後に
アーデイリーナ・リヴァイアサン・ド・リデフォールの治世が、終わりを迎えた瞬間だった。
*
「終わったぞ。総務顧問、処理をしておけ」
側近の青年が短い返事を残し、伏したアーデイリーナに近付く。詳細を聞き返さない辺り、手順はしっかりと頭に入っているようだ。
「デュークは処理後、葬送の手続きを。くれぐれも上で暴れる馬鹿共に見つかるな。数合わせで味方に付けた連中に、首までくれてやるつもりはない」
「いずれ始末するのであれば、見られたところで構わないとも思いますが。まあ用心しろということであれば、そのように致しましょう、所長」
仮面を付けた老齢の男が、
まるで、長年の動作が染み付いているかのような、丁寧な挙止だった。
「アタシはー?」
「開発顧問は、総務顧問の補佐だ。終わったら先に学舎に戻れ。移設準備を進めるように」
「はいはい。三年前に設立したばかりなのに、
開発顧問と呼ばれた女性は文句を言いつつも、素直に手伝いとして、横たわるアーデイリーナ女王の処理に入る。
筆頭、或いは所長と呼ばれた女性指揮官は、女王の槍を回収し、仮面をつけた初老の男に手渡す。
「リヴァイアサンの血族を相手に、お見事でしたな。ですが、本当に宜しかったので?」
「終わった後に聞く奴があるか。それとも命の恩人の亡骸を見て、怒りでも込み上げたか」
「とんでもない。この老体を救ったのは、異国より来たる間諜なれば」
後ろ暗いものは無いと、仮面の老人が言い切る。
薄情な物言いだが、事実ではあった。
決闘に敗れて海に漂っていた彼を引き上げ、
女王は彼を扱い切ることはできず、結果として
「それに、予め聞いていた通りのあらましです。心配なのは所長のお心です」
「それこそ杞憂だ。あの日から、こうするつもりだった。己が不始末は己の手で付ける。それだけだ」
「デューク殿。筆頭への侮りは、そこまでにして頂こう。貴殿の今の主人が誰か、お忘れか」
処理が終わったらしい青年が、口を挟む。
胸の中央が射抜かれたアディの表情は、美しく整えられていた。
「ふむ、二番殿に目を付けられては敵いませぬな。
では戯言はここまで。例の件については」
「約束通りリデフォールはくれてやる。どのみち消し炭になる運命だが、それでも良いなら好きにしろ」
「腐っても貿易の集積地です。国が消えても使い
「今後、こちら側に支援は不要。何なら懸賞金でも賭けておけ」
「承知しました。軍も憲兵も機能不全とあらば、不都合は無いでしょうな」
そしてその姿勢が意味を持つのは、ずっと後のことになる。そのことを理解したうえで、二人の会話は成り立っていた。
話を続けながら、高齢の男がアディの前まで進み出る。
痩せ細った指に嵌められた指輪が青く光ると、足血溜まりが見る見るうちに、球状に形を変えていった。出来上がった赤い水球はアディの方までゆっくり近付き、吸い込むように女王を内側に取り込んだ。
安らかな顔をしたアディが、水球の内側に収まる様を、指揮官の女は静かに見届けて。
「結局彼女にしてやれるのは、この辺りが限界か」
誰にも聞こえないような小さな声で、呟いた。
デュークと呼ばれた男が、物言わぬアディを連れて別行動を取る。その後手際を見届けて、残った三人も揃って移動を開始した。
地下道を出ると、既に朝日が
城下町を抜けて、城が建つ丘まで上がる。あちこちで自軍の兵がうろつき、残党狩りをしていた。そのせいで丘から城下町までは、遺体の山が出来上がっている。
市中には手を出さないよう厳命する一方で、城から逃げる者は一人も逃さぬよう伝えてある。
城は研究所主催のパーティーの最中で、位の高い者は、この日こぞって王城に居た。新たな研究成果のお披露目とその譲渡を餌にしたところ、標的達は入れ食いのようにほいほいと釣れた。まとめて葬るには、絶好の機会である。
腐敗の温床となった官僚や貴族は、残らずここで断つ。
役人や侍従、宮廷料理人に至るまで、死んでも構わないような経歴の持ち主しか手配していない。
唯一惜しいと思えた近衛兵団も、王宮の支配を企む奸臣達が、女王の影響力を削ぐため自ら配置換えという名の左遷を行っていた。
おかげで彼女達は、この国の上位戦力を、容易く引き入れることに成功していた。
己の成果たる惨状を目に焼き付けつつ、一行は丘に上がる。
やがて城に到着すると、知らない間に雨が降っていたようで、火災は収まっていた。
焼け落ちるとまではいかなかったものの、美しい白壁は黒く煤けている。砕けた窓が大開きした口のようで、まるで城が断末魔をあげているようだった。
これはこれで悪くないと、指揮官の女は独りごちる。
「幾度戦火に塗れても陥落しなかったリデフォール城も、これで終いだ。呆気ないものだな、国落としとは」
かつて、比肩なき才を持った男がいた。
正義を謳い国に挑んだが、最後の最後でしくじった。
対して自分達は、ほぼ被害無しで、かつて男が成し遂げられなかった国取りを成し遂げた。
王宮側の人材不足という側面もあったが、それでも正しい手順を踏みさえすれば、この通りだ。
丘に立った三人の傍で、一際強い風が一陣、吹き付けていった。
「制圧は成ったようだな」
空から人影が降りてくる。
筋骨隆々の体躯に、褐色の肌。
枯色の髪に、灰色の瞳。
かつての戦いで、自ら国外退去を申し出た男が、悪びれもなく姿を現した。
「呼んだ覚えはないぞ」
「釣れないことを言うな。今回の反乱、色々と協力してやったのをもう忘れたか」
「忘れる云々を言い出すなら、そもそも三年前に、リデフォールを去ると約束していたはずだが」
「俺が律儀に守るとでも?
何ということは無いことのように、エルが言い捨てる。
三人は警戒を深めるものの、武器を構える真似はしない。
そも、驚くはずも無い。エルと手を結ぶことを決めたのは、他ならぬ彼女達だったのだ。
「事実、退去してなくて助かっただろう。部隊間の連携や敵陣容の掌握、内応相手との連絡、一人で全てをこなせる風使いは少ないぞ」
「居ないなら居ないで、代わりを見つける。それに長けたものも、我らの身内にいる」
「エクトル・ジード、今は第七隊隊長にして情報顧問か。三年でよく育ったとは思うが。まあ
当然のことのようにエルが告げる。
それが傲慢でも自信過剰でも無いことは、分かっていた。
情報収集と探索において、風術が専科である以上、ジズこそが最高の諜報員となるのは当然の理屈だ。配下にいる間謀担当も、中々の腕であると長として自負はあるが。四大の魔石が相手では、流石に相手が悪い。
「アフターサービスで、西の別働隊から言伝を預かってやったんだ。
丸めて紐で結ばれた書簡を、エルが雑に放る。何も言わずに、側近の総務顧問がそれを受け取った。特に礼を伝えることも無く、結びを解いて中身を改める。
「さて、では約束の
「受け渡し場所と日時は、追って連絡する。その前にもう一仕事して貰うぞ」
「やれやれ、幼馴染相手に冷たいものだ」
「斬りかかったのはそちらが先だ」
エルが肩をすくめる。聞き分けのない子供を相手にするような対応だった。
挑発的な態度だが、いちいち相手になどしていられない。
「まあ良い。ではひと足先に、例の地へ飛ぶ。俺が居ないからって、寂しくて泣くなよ?」
「さっさと行け」
捨て台詞を吐き合って、エルが何故か笑う。
文句を言おうとしたものの、その前にエルは上空へ飛び出して行った。すぐに姿が見えなくなる。
またいつか、あれと会わねばならない事実に溜息が出そうになる。
だが横で、側近が文書の内容を報告すべく待機していたので、先にそちらを促す。
予想通りの内容が書いてあったのか、側近の表情は報告書を読む前と後とで、特段変わることはなかった。
「筆頭。西進させた第三、第五、第六隊が、旧公爵領の占拠に成功したようです」
「トリスタン達にしては珍しく仕事が早いねー。まあ城内に刺客紛れさせてたんだから当然だけど」
側近の青年が開発顧問に対し、叱りつけるような視線を送る。生真面目そうな青年を尻目に、女性は呆れたように大きく息を吐いた。
「三人しかいないんだし、堅苦しくしなくていーでしょ。人前では気を付けるって」
「そう言って前も、隊の前で漏らしていましたね。『
「意義云々なら、それこそ身内同士なら構わないと思うけどー。敵に名乗る名は無いってことでしょ」
「開発顧問、言わなくても分かっていると思いますが」
「敵はこの国の貴族や官僚だけじゃない。ましてや、この国に収まるものでもない、でしょ。耳タコだって」
嫌そうに、開発顧問が手の平を向けてヒラヒラさせる。総務顧問は尚も追求しようと喋りかけるが、すぐに無意味だと思い至ったのか、そのまま口を閉じる。
この国においては、『
お前達が捨てさせた。
お前達が奪った。
お前達を殺そうとも、奪われたものは返らない。
故に我らに名前は無い。
「リデフォール王国は陥ちた。だがここからが本番だ。我ら『
「各員、覚悟はできております。第二隊隊長及び総務顧問として、どこまでもお供致します」
「はいはい。第十隊隊長、開発顧問として、与えられた仕事はこなしますよっと。表には立たないけどね」
二人の配下が、それぞれ両極端な決意表明を見せる。
巻き込んだことへの僅かな罪悪感を、胸の奥で握り潰しながら。
丘の上から見える海の果てに、指揮官の女は思いを馳せていった。
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