第55話 地獄行、さよならを告げる大火

 騎士団長からの勧告を受けて三日が過ぎた。

 答えは決まっているのに踏ん切りがつかず、アーネはふらふらとした足取りで街を歩いていた。

 何か仕事があった気もするが、この後に及んで一生懸命取り組む気には、なれずにいる。

 街では、瓦礫撤去や物資運搬で、外に出ている者は多かった。だが復興作業と避難生活で疲れ果てているのか、よく見れば市民の誰も、顔が笑っていない。

 騎士ならば、励ましの声を掛けたり、作業を手伝ったりすべきなのだろうが。

 その栄えある称号が、奪われる間際であることを思い出し、陰鬱な気分が吹き戻してくる。

 結局、気付けば道場へと戻ってきていた。

 引っ越し作業があったからか、内部はがらりと様子が変わっていた。

 一部の備品は、オクタビオの商会を通じて売却済みだ。引き続き使う家財や日用品は、いつでも運び出せるよう、板間の一角にまとめられている。

 この昼中の時間、いつもならば誰かしらは居るのに、今は丁度、誰の姿も無い。

 お喋りでもして気分転換したいという思いと、沈んだ表情を見られる訳にはいかないという見栄が、アーネの中でせめぎ合う。

 考えが纏まらないまま談話室へと入り、唯一残されていた長椅子に倒れ込む。

 扱いに困っていただけあって、体重を預けると錆びついた脚がぎいぎい音鳴りしてうるさい。

 以前トリスタンやベン、イクスがはしゃいで三人同時に乗っかったところ、片側の手摺りを破壊してしまったため、見た目も随分と不格好になっている。

 それも今では、楽しい思い出ではあるのだが。

 この椅子はきっと、新居に持っていくことは無いのだろう。そもそも新居探し自体、戦いで有耶無耶になっているのだが。

 一度思い出してしまうと、次々と道場にまつわるエピソードが、アーネの脳内で再生される。

 椅子を壊した三人は、次の日も性懲り無くテーブルを叩き割ってしまい、堪忍袋の緒が切れたデュオにより並んで正座させられ、こっ酷く叱られていた。

 更に数日後、新しく引き取った子供が泣き止まず、ただ一人居合わせた年長組のエクトルが、苦戦しながらあやしていたこともあった。いつも冷静なエクトルの、困り果てて途方に暮れる表情は今でも覚えている。

 結局は、後から来たティトが童謡を口ずさんで寝かし付けたのだが、その声の美しさに皆驚いたものだ。アルノーが真剣な顔で、「どこか場所を借りてリサイタルを開こう」と言い出して、ティトが死ぬほど嫌そうな顔をしていた。

 その翌々日だっただろうか。仕入れ過ぎて赤字を出したイワシの酢漬けを、オクタビオが押し売りがてら、道場に持ち込んだことがある。擦った揉んだがあった末、カゴ一杯の瓶容器をノルンが落として割ってしまい、道場全体にイワシと酢の臭気が充満した。窓や出入口を全開にして換気したものの、悪臭騒ぎで近所に通報されて、憲兵が飛んできてしまった。

 懐かしさに胸を灼かれつつ、窓から差し込む陽光が白から橙色になるのを、アーネは眺め続けた。


「帰りたいなあ」

「では帰ったらいかがです?」


 漏らしてしまった独り言に、言葉が帰ってくる。

 談話室の入口を振り向くと、よく知った女性が一人、女中服に身を包み、背筋をピンと伸ばして立っていた。門下生のティトだった。


「こんなところで寝られて、風邪でも引かれたりしたら迷惑です。ディアナと違っていい大人なんですから、自己管理はしっかりしてください」

「……あれだよね、ティトは。優しさが分かりづらいっていうか、誤解されやすいっていうか。あたしは分かってるけど、もうちょっと意識して直した方いいかも」

「『俺だけはお前のこと分かってるからな』的な論調、いらないですから。どこかの誰かを思い出させます。流石ライフパートナー、似た者同士ですね」


 相変わらずの、愛が溢れる慇懃無礼ぶりだった。少し見知った程度の関係性では、彼女は無難な口調でしか返さない。皮肉混じりの言動は、ティトに近しい存在と見做されている証だ。

 思い出してみると、特にアルノー辺りはぼっこぼこにされていた気もする。それでもティトの刺々しい物言いから、意とするところを上手く汲み上げ、対応していたものだ。

 そんな二人を見て、「友達の影響で口汚なくなった娘と、嫌がられているのを構って貰えてると曲解して喜んでる父親みたいー」と評したのはディアナだっただろうか。

 その場合、悪い友達とやらはアンタでしょーがと、頭をはたいた覚えがある。

 自分でも気付かないうちに、自然と笑みがアーネから零れた。


「何笑ってるんです?」

「んー、ちょっと昔のこと思い出して。もうすぐこことお別れだなあって考えてたら、ね」


 事実だから、嘘にはならない。

 具体的にティトとアルノーのやり取りで笑っていたと知れれば、目の前にいる当人はきっといい顔をしない。


「でもどうしたの? トリスタン無しで道場に来るなんて」

「常にトリスと一緒という訳でもありませんが。仕事の手伝いで、何度も一人で来ていたでしょう」


 そういえばそうだったかもしれないと、アーネが思い出す。

 道場に来る目的は、門下生であれば普通は鍛錬なのだが、ティトには道場の手続きや幼少組への対応をお願いすることがあった。普段はデュオの領分なのだが、別の仕事や指導などで彼一人では手が足りない時、アルノーが声を掛けるのは、大体ティトだった。

 結果として、皆が鍛錬する板間に現れないので、単独で来訪する印象が薄い。


「でも、道場にいたのは都合が良かったです。これをどうぞ。危うく破り捨てるところでしたが、これに関しては貴女に渡した方が良いと思って」


 そう言ってティトが何かの書面を渡してくる。どこぞの建物の権利書のようで、所有者欄にはティトの名前がサインされていた。


「新居探しが延び延びになっていたでしょう。アルノー・L・プリシスからの預かりものです。名義はウチの名前ですが。移転先として提供します」

「んー? どういうこと?」


 渡されたものの意味は分かるが、全く納得できなかった。アルノーから預かった建物、それを何故ティト名義で彼女が預かっているのか。アルノーからそんな話は、一切聞いていない。


「土地建築物の譲渡書類も、併せて準備します。その場合、付随する税金はそちらで負担願います」

「その前に。移転用の建物なんて、どうしてこんなものが存在してるの? これじゃあまるで」


 自分の死後、道場が奪われることを、アルノーが予見していたようではないか。

 とはいえ彼の立場で考えてみれば、理解できなくもない。

 勢力争いでアルノーが敗れた場合、様々な難癖でアルノーの財産は没収され、その中には道場も含まれていただろう。


「ウチの名義なら、敵対勢力からの追求を躱せると判断したんでしょう。貴方やデュオは目をつけられていたでしょうから」


 それで口が堅いティトが、ということだろうか。その条件ならば、他にも当て嵌まる者がいそうなものだが。意外性は十分だから、問題無いと言えば問題無い。


「既に、術の研究機材も移送済みです。手続きが遅れに遅れて、報告がたった今になりましたが。そちらも良き様にご利用ください。不要ならオクタビオを通じて売却するのも良いでしょう」

「……なんて?」

「指南書に書かれた、魔石技術の開発を継承するならば、必要と思われます。先日の戦いで被害が出なかったのは僥倖でしたね」


 事務的な口調で続けるティトを前に、一旦は興奮しかけたアーネだったが、すぐに頭を切り替えて、情報の整理を行う。

 様々な偶然と必然が絡み合って、八方塞がりと思われていた現状に、道が出来上がっていく。

 だがそれに反して、アーネが苦々しい顔つきに変わる。


「継承しろ、ってこと? アルノーの研究や技術、願いを。あたしが継げって、そう言いたいの?」

「いいえ全然。ウチの知ったことではないです」


 睨みにも似たアーネの視線を、だがティトは易々と受け流す。


「頼まれていたものを渡しただけ、それだけの話です。正直、いい迷惑でした。やっと手放せる」

「こんなの渡されても困るよ! あたしには資格が無い! アルノーは、あたしが」


 殺した。

 そう言おうとして、言葉が詰まる。

 実際は、それすら事実では無い。

 エルの言葉が正しければ、アルノーはまだ助かる状態だったにも関わらず、治癒を拒絶し死を選んだ。言うなれば自害なのだと、そう聞かされた。

 それは、ただ殺すよりもっとタチが悪い。

 アーネはまず一番に、アルノーの心を殺しにいったのだ。

 確かに最初は、平和的手段でアルノーの願いを継いでいこうと考えていた。

 だがそのアルノーは、天国でも地獄でもない場所に引っかかって、成仏することも生まれ変わることもできず、今も苦しんでいる。

 それなのに自分がのうのうと、彼の願いと成果を奪うなどと。

 そう言い淀むアーネを前に、心底くだらないとでも言わんばかりにティトが見下して言い放つ。


「理想を受け継ぐんでしょう。使えるものは使えばいい。手段にこだわっていられる身分ですか?」


 騎士を罷免されそうな今となっては、グサリとくる一言だ。


「あたしだって、せめて理想だけは継いでいきたかったよ! でも何もかもが上手くいかない! どこから手をつけていけばいいか、それさえもう」

「そのための、遺された力でしょう。ただの金稼ぎで、終わらせるつもりですか。あれほどのものを、まさか本当に?」


 そこでアーネは、ようやくティトの論旨を理解する。

 理想だけでは無く、成果や財産、手段に至るまで。継げるものは無数にあると、そういうことだ。

 理想だけを引き継いでも、現状では何も成し遂げられない。金の力も魔石技術の力も、或いはそこから生まれる暴力さえも、ティトは容認している。

 だがそれだけは、と。

 必死な形相を浮かべて、アーネがティトを睨む。


「強引なやり方じゃあ、アルノーを否定した意味がない! アルノーが力で平和をもたらそうとして、あたし達がそれを拒絶して。今度はそのあたし達が、力で何かを変えようだなんて。それじゃあ、アルノーの死があまりにも無意味すぎる!」

「分からない論拠です。他人である貴方が、何故アルノー・L・プリシスの人生を定義するんです?」


 真顔でティトが言い切る。

 貴女が心配するのは、そもそもお門違い。

 そう言われた気がした。


「野望には手が届かなかったけど。あの男は、自分の思うように生きました。それを外野が無意味だとか、何様なんです。自分の人生は、どうあれまず自分が納得しなければならない。そのために他人の評価が必要という人もいるんでしょうけど」


 彼は、違ったハズでしょう?


 そうティトに言い放たれ、アーネは頭の薄雲が晴れていくのを感じた。

 その通りだった。

 アルノーは、自分の行いの末に何かをもたらそうとしたのであり、評価されたくて行動を起こした訳では無い。

 確かに、その最期は無惨なものだったけれど。

 その行為は何も、もたらせなかったけど。

 今なお、天国にも地獄にも至れていないけれど。

 アルノーにとって、あの激動の時間は、無意味なものではなかった。

 結果も過程も、周囲も彼自身も認め難いものだとしても。

 正義も悪も、何もかもが余人に良いように操作されているとしても。

 後悔に打ちひしがれて、湖の底に沈んだけど。

 悩んで、考えて、最善を模索して。

 アルノーは必死に、己の命を輝かせようと足掻いていたのだ。


「でも、よりによってあたしが。これじゃあ、アルノーの人生を奪ったみたいで」

「別に貴女でもデュオやディアナでも、彼は何も気にしないのでは。それが平等というものでしょう」


 その平等こそが、アルノーの願いの行き着く先だった。

 その願い自体は、尊重されるべきものだと、アーネは今でも信じている。


「深慮せずに彼を誅したことが、間違いだったというのなら。今度こそ正して、やり直せばいい。それだけの話です」


 アルノーを殺したことが間違いだと、認めたくないだけ。

 きっとそれが、アルノーの願いを継承しようとしない本当の理由。

 それはアーネも、薄々は分かっていた。

 でもどうすれば、その責任を取ることに繋がるのか。

 苦しくても、今一度考えなければならない。

 幸いにも、と言うべきか。

 遺産という形で、アルノーが沢山の選択肢を残してくれている。

 先程渡された建物の権利書を見て、アーネは目を潤ませる。


「……遺されたものを捨てるのも、勿体無い話。遺産を引き継ぐことと、力づくの改革を望むことは別のことですし。遺された技術を拓きながら、どう国に向き合うかゆっくり考えればいい」


 指南書をどう活かすのか。それは自体は既に考えていた。

 だがそれすらきっと、考えが甘すぎた。彼の遺産があればきっともっと大きなことをやれる。アルノーとは別の変革をもたらすことだって、きっと。

 そう思った瞬間、やるべきことや出来ること、今後の計画がアーネの頭の中で組み上げられていく。


「それともう一つ大事な話を。移転して、事業を興して、それが軌道に乗ったあたりで。ウチは道場を離れようと思います」


 その言葉にアーネは少なくないショックを受ける。だが同時に納得していた。

 付き合いの長い年長組で、誰かが距離を置き始めるとしたら、きっと彼女が最初だろうと。

 年長組の誰かが口火を切らなければ、惰性で付いてきてしまっている者が、一生離れられない。

 きっとティトはそこまで考えている。


「……まったく、うちの女子は。自由人に見えて、みんな気遣い過ぎっていうか、計算高いっていうか。未来を深読みし過ぎなんだよね」

「貴女が言います、それ?」


 凄まじいジト目をティトに向けられる。普段垂れ目がちなだけあって、スゴみが圧倒的すぎる。

 きっと自分が知らないところで、彼女もアルノーと一問答あったであろうことは、想像に難くない。その上で、全てを知らされていた訳でもなかった。そうでなくば、血染めの戴冠式で、アルノーに剣を突き立てはしない。

 だけども彼女は、まだアーネに力添えをしてくれている。ここまでの経緯を考えれば、それはきっと、アルノーの遺志でもあったはずで。


「ありがとうティト。ちゃんとよく考えてみるね」

「とか言いつつ、結論は決まっているのでしょう。顔を見ればすぐ分かります」


 やれやれと言わんばかりに、ティトが姿勢を崩す。彼女なりに気を張っていたのだろう。

 ようやく正しい意味で、アルノーからのバトンを受け取れたような気がした。

 ティトの言う通り、腹は決まった。

 後はそのための準備と。

 親友へ、別れを告げねばならない。




 ティトからの引継から二日後。

 アーネは、またも王城を訪れていた。

 用件を済ませ城門から出ると、少し離れた場所に、見知った三人が立っている。デュオとディアナ、それにトリスタンが心配そうにアーネの帰りを待っていた。

 

「アーネ師範! お勤めご苦労様です!」

「トリスうっさい。声でかい。城の前だっての」


 いつものペースの、トリスタンとディアナだ。

 もう一人、デュオだけは心労が表れているような、険しい顔つきだった。


「師範。陛下にはお会いできましたか」

「呼び出されたのはこっちだしね。まさかこんなすぐに、反応が返るとは思ってなかったけど」

 

 もう師範とは呼ばないのだなと、アーネはある種の寂静を覚える。

 或いはデュオの中でも、今後について覚悟が決まったということかもしれない。ならば歓迎すべき変化だ。

 恐らく今後、アーネの肩書きは移ろいでいくことになる。右腕であるデュオには、変化に対して敏感になって貰いたい。

 取り敢えず、そう思い込むことにした。


「退職金はー? いくら貰えた?」

「任期短いし、それほどでも。お小遣いには回せないかな」


 退職金でご馳走を、とでも期待していたのか、ディアナがガックリ肩を落とす。

 そもそもこれは、今後への大事な活動資金だ。おいそれと軽々しくは使えない。現段階でも、ほぼ使途が決まっている。


「ということは、我々が打ち立てた事業への、国からの投資は?」

「ばっちり。騎士団長通じて、貴族院に根回しできたし。あっちにもメリットあるからね」

 

 貿易国家だけあって、王宮はカネの流れにはシビアなのだが、醜聞への口封じとアーネ達への紐付けを兼ねて、意外なほどスムーズに話が進んだ。

 いくら引き出せるかは、今後のプレゼン次第ではあるのだが。そちらはおいおい考えていく。


「道場の方はどう? 片付けは済んだ?」

「そちらも滞りなく。師範が仕掛けた水術も、全て解除済です」


 であれば、一安心だった。

 アーネ達が出払った後に、万が一にも暴発事故が起きようものなら目も当てられない。

 特に秘されていた遺言は、話がややこしくなる元だ。

 何よりもう、彼のことは静かに眠らせてあげたい。


「恐れながらアーネ師範。やはり議会からの横槍が心配であります。今後もスポンサーとして、関係を保ち続けるわけでありますから」


 悩ましそうにトリスタンが表情を曇らせる。

 収益を産むと知れたら最悪、国家事業への転換というお題目で、アーネ達の研究を奪われかねない。

だがこれに対してアーネは、自分でも意外なほど状況の受け入れができていた。同じようにディアナも、余裕そうに欠伸をして見せる。


「んー、余裕っしょ。こっちの見せ札次第だし。王宮が本腰入れて奪いに来る前に、こっちは準備できんじゃなーい」

「だね。ロベールやアルノーみたいな、実力行使ありきの指導者がいるわけでも無いし」


 王宮対応については様々な想定をしているし、遅いか早いかという問題しかない。

 事前に話を通していたデュオは、やはりやるのかとばかりに、深い溜息を吐く。だが納得はしているのか、反対意見を言ってくる様子はない。

 王宮が自浄される見込みが無い以上、どこかで対決するのは避けられない。


「王宮のことは、この際いいよ。後は利用し合うだけ。アディが変な気起こさなきゃいいけど」


 むしろアーネとしては、そっちの方が心配だった。激情に駆られて貴族院や官僚との対決姿勢を深める真似は、して欲しくないが。別れ際の反応を見るに、どっちに転ぶか分からない。


「へーか、大丈夫だった? ちゃんと辞めるよーって言えた? なじられたりしてない?」

「辞任は伝えたし、責められもしなかったよ。責めてくれた方が楽だったんだけどね」


 辞意を伝えに行った結果、アディに泣かれたのは、正直言って予想外だった。

 アーネ側からすれば、怒られることを覚悟して、話をしに行ったのに。

 瞳をくしゃくしゃにして、ずっと「申し訳ありません」と謝られた。怒鳴られるよりもよっぽど、心にきた。

 アディは、自分の力不足を嘆いていたけど。

 それはもう、仕方の無いことだったのだ。

 自分達は、リデフォールという国そのものを相手取っていた。この国の腐敗した土壌が生んでしまった、国そのものを司る怪物達。

 それが、アーネとアディが挑んだものの正体だ。

 そうやって考えていると、デュオ達三人も、いつの間にか神妙な面持ちになっていた。


「師範、今回のことはすみませんでした」

「何の話?」


 とぼけてはみたけど、本当は分かっている。

 事情を悟られていたことは、驚いたけれど。


「ウチらのこと、言われたんでしょー? 騎士団は当時潰すのに動員されたから、知ってる人多いはずだし。ごめんね、ねーさん」

「私も実家の事情は、貴族院の中では知られたことです。アルバレス家がご迷惑をお掛けしてしまい、面目ありません」


 責任感の強いデュオはともかく、珍しく妹分がしょぼくれている。いつも泰然としてるから、何だかおかしかった。

 

「二人が気にすることではあるまい。王宮の愚劣さが自分らの想像以上だったのだ」

「そうそう。あんた達のことは、あたしとアルノーの責任。でもって今回守れなかったのは、あたしの力不足。それだけだよ」


 気が楽になって貰うよう、アーネは努めて笑顔で伝える。

 それに恐らく、二人がいなくても、別のことを口実に辞任を突きつけられていたことだろう。連中の狡猾さは、身に染みて分かっている。


 自分たちが特別不幸だと宣うつもりはない。この国に住まう者は多かれ少なかれ、同じような苦痛を味わいながら生きているのだ。そしてそれを是として受け止めた挙句、特権階級の言い分こそが正しいのだと、刷り込まされている。

 中から変えるどころか、異物として排除されようとしているのが、今のアーネだ。

 だから、アディが悲しむ必要なんて無い。

 そうやってアーネは、親友に別れを告げた。

 騎士の肩書を無くした以上、もう正面切って彼女に会う手段は無い。

 ただの従士と、ただの侍従として偶然出会って、友情を深めた二人だけど。無邪気に笑い合い、泣き合った日々は、永久に過去のものとなった。

 一つ心残りがあるとすれば。

 アディに、次の目標を伝えられなかったことだろうか。

 騎士を辞しても、人生は続く。

 虚無になるどころか、やりたいことが多すぎて、パンク寸前だった。

 言葉ではまとめきれないし、その強迫観念にも似た使命感は、燻ること無く、いつまでも滾り続けるのだろう。


 四人で城を離れて。

 そのまま道場に向かって。

 そこには言いつけ通りに、道場の年長組が揃って待っていた。

 バルデュオ・アルバレス。

 トリスタン・デュノア。

 ティト・ユメル。

 ベイガン・カラセドム。

 イクス・アクス。

 エクトル・ジード。

 オクタビオ・テイドワ。

 ノルン・ウィルハイムズ。

 そしてメルディアンヌ・ティファート。

 あらましは既に伝えているが、最後にもう一度、アーネは問いただすつもりだった。

 これからは、家族ごっこでは済まされない。

 今後自分が歩み続けるに当たって。

 付いてきてくれた彼ら彼女らに、請うべきことがあった。

 皆の視線が集まっていることを確認し。

 アーネがゆっくりと、口を開く。



 あたし、決めたよ。

 自分のしたことの責任を取る。

 ほんとはずっと前に、気付いていた。

 でも認めてしまえば、間違いを認めることになってしまうから。

 大事な人達のためにも、それはできなかった。

 でももう、逃げない。

 無意味だったと蔑まれることになっても。

 何がしたかったんだと、罵られようとも。

 あたしの全うすべき使命に、向き合うよ。

 きっとあたしは、天国には行けない。

 アルノーのいる場所には還れない。

 でも、やる。 

 色んな人が不幸になる。

 色んな想いが壊される。

 誰も彼も等しく死んで。

 どこもかしこも滅び去っていく。

 それでも構わないと、思っている。

 そうしなければならない理由ができたんだ。

 ねえ、お願いがあるの。

 こんなあたしだけど、付いてきて欲しい。

 きっとろくな終わり方にならないし。

 幸せな生涯を送ることはできないけど。

 その罪を背負って、生きていくから。

 無銘むめいと蔑まされる、あたし達だけど。

 みんなで、世界を変えよう。

 そのために。

 あたしと一緒に、地獄に堕ちて。

 


 アーネを先頭に、皆が道場を去る。

 抜け出る者は誰もいない。

 誤らず、真っ直ぐ彼女の後を付いていく。

 それ以降、復興庁の人間が足を踏み入れるまで。

 道場に帰る人間は、一人たりとも現れなかった。


 数日後、それらしき集団が、北の外れにある廃れた屋敷を買い取り、そこを根城に活動するようになる。昼も夜も光が灯り、音が鳴り続けて。

 やがて廃屋敷だったそこは、魔石研究のための施設として、国の支援を受けつつ大々的に活動を始めることになる。

 その莫大な援助の真相は、一人の騎士が退職金代わりにせしめたものであり、王宮も当初は進んで関わろうとはしなかったが。次第に当初の予算を超えて、研究所に入れ込んでいった。

 そこで行われる研究は、様々な革新的な魔石技術を進歩させる。

 おおよそ三年をかけて、その研究はリデフォール全体を巻き込むものへとなっていった。

 中継貿易で収入を得ていたリデフォール王国に、新たな産業として魔石技術が名を連ねようとしていた、とある日。


 巨大な炎が、リデフォール城を包んでいった。

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