第40話 残兵は踊る、黒幕は嗤う
夏が過ぎ去った島国リデフォールでは、太陽が沈むと急激に涼しさが戻る。だがその日に限っては、日中の暑さは夜になっても中々抜けなかった。
王都から北西の湖近辺は、丈の長い植生が多い関係上、余計蒸し暑さが感じられる。風があれば幾分ましになるものの、
湖の南側に野営中のとある一団は、夜の熱気で皆
その集団は、揃って灰色の軍服を身に
但し人によって、襟章が
幾つかある天幕で、特に見張りが多いテントがある。多くの兵士が周囲を固める中で、一際目を惹く華美な装いの貴人が二人、相見えていた。
「この度は、我らが決起に参集頂きありがとうございます。ミリー公」
「いえいえ。先代は敵対する間柄だったとはいえ、今は同じ理想を頂く同士。名族の名にかけて、王国を我らが手に取り戻しましょう、クラオン公」
野営に相応しくない、
それぞれ若々しさが感じられるものの、脂ぎった顔と
「王宮の連中にも困ったものです。我らに相談なく次代の王を決めるなど、驕りが透けて見える」
「死んだイリーナ姫の名まで持ち出し、嘆かわしいですな。余裕が無いことの表れなのでしょうが」
この場においては、新女王アーデイリーナは偽物ということで、共通認識が成り立っていた。
王宮からの、王位継承に関する会議の呼び掛けに応じなかったことも、彼らの中では無かったことになっていた。
「それにしても許せぬのは王宮の文官どもです。混乱に紛れて好き放題。勝手に偽王を擁立するとは、見過ごせぬ」
「こんな体たらくだから、どこぞの
「我らのような正当な血統を引き継ぐ者が、舵を取らねばなりますまい」
己の信じたいものしか信じない、独善的な超解釈を二人が繰り広げ続ける。
辣腕を振るった先代クラオン公とミリー公が聞いていれば、溜息しか出ない光景だった。
天幕の外から一人の伝令が入室したのは、そんな時だった。そろそろ酒でも開けようとしたタイミングで遮られ、当主達は不機嫌を露わにする。
「おい、領主同士の会談中だ。
「も、申し訳ありません。ですが、例の情報屋が到着しましたので」
「ようやくか。よい、通せ」
聞いたミリー公が、ふんと口を鳴らす。事情を知らぬクラオン公が、疑問符を浮かべた。
「失礼した、クラオン公。城を探らせていた情報屋が戻ったようでして。態度はともかく有能ではあるので、我らで使ってやっているのですが。折角ですので、閣下にもご紹介致しましょう」
「ほう。もしや我ら公爵家が争いになりかけた時、仲を取り持った者ですかな」
「お耳が早い。其奴のもたらした情報で、我らミリー軍はクラオン領侵攻を取り止めたのです」
伝令に呼んでくるよう、ミリー公が手で合図する。しばらくすると、浅黒い肌で体格のよい青年が、天幕の中に入ってきた。
入ってくるなり
「久しいな。今はミリー公を継いだのだったか。居城から出ない貴公が表に出てくるとは、珍しいこともあったものだ」
公爵相手の不躾な物言いに、周囲の衛兵が即座に剣を抜く。それを手で制しながら、ミリー公がだらしない肉付きの顔を、来訪者であるエルに向けた。
「口の聞き方に気を付けろ。公の場ならば、兵を止めなかったぞ」
「おっと失礼。何せ田舎の
言いながらエルは、二人の公爵の前で地図を広げる。城下町の詳細な地図が、そこには描かれていた。場所によっては、後から走り書きが書き加えられている。
「復興は進んでいない。開戦すれば籠城を選ぶだろうが、兵の連携はズタズタなままだ。とは言え王宮の上層部は、水面下で防備を整えている。城からの使者も来るぞ。どうするかは任せる」
「言われるまでもない。地位を守るため、亡き王女を
「アーデイリーナの身辺は、確認しなくていいのか? 本物という可能性もあるが」
「この期に及んで、直系が生きていたなどという都合のいい話、論ずるに値せぬ」
「ミリー公の言う通りですな。静観していた我ら公爵家を除した、強引な王位継承。王宮の企みは火を見るより明らか」
二人の公爵が頷きあう。
方針を変えるつもりは無いようだった。
(まあ、そうでなくては困る。わざわざそのために、内乱時に戦力を温存させたのだからな)
内心でエルが笑う。
現状としては、彼にとって良いように事態が推移していた。
ミリー家とクラオン家が一触即発になった時勢の折、エルは
もちろんそれは、平和主義的な理由ではない。火種を将来に持ち越すことが、エルの目的だった。
当時はアルノーもミリー家へ働きかけていたものの、遠くから書簡を投げるアルノーと、既に情報屋として直接接触していたエルとでは、誘導のしやすさが違った。
この辺り、実際に挙兵して貰わなければならないアルノーと、踏み止まって様子見してほしいエルの目的の違いも大きい。
兵を動かすことは、それだけで金が要る。それが利益に繋がらない戦なら尚更だ。エルはその辺りを巧妙に突いていた。
そして今回の軍事行動は、その逆。動けばそれがどれだけの利益を生むか、ミリー公に訴えかけることで、この地に招き寄せることに成功していた。そのためのお題目も戦略も、彼が用意したものだ。
「我ら公爵家を相争わさせ弱体化を図るなどという、小癪な企みをしたのが運の尽きだ。王宮の連中に目にものを見せてやる」
「城も油断が見えますし、好機ですな。術使いで構成された精鋭が、布陣を進めているとも知らず」
「うむ。金は掛かったが、駒は揃った。春の内乱は一日で勝負が決まったそうだが。今回は半日足らずの電撃戦で制圧してやりましょう」
今ならば何の問題もなく、王位を簒奪できる。
目の前の餌に釣られ、合流した二つの公爵家が攻め込む算段を立てていく。
その筋書きを書いた者が、すぐ傍で
何も気付かないままご機嫌なミリー公が、思い出したとばかりに手を叩く。
「情報屋。思えばお前にも、家督相続の折から随分世話になった。我らが王宮の浄化を終えた暁には、望む褒美を取らせよう」
「寛大な配慮痛みいるが、こちらも必要に駆られて、情報を売ったまで。気遣い不要だ」
「ふん、可愛げのないことだ」
エルが顔を伏せながら、小さく笑みを浮かべる。
いかにも特権階級の傲慢さが染み付いた思考回路だが、だからこそ操りやすい。彼を家のトップに据えるため、裏仕事に労を費やした甲斐があるというものだ。
「さてミリー公よ。私はこの辺りで、お
「もちろんです。情報屋、クラオン公をお見送りして差し上げろ」
ミリー公に顎で使われ、エルは新たなクラオン公爵と共に天幕を出る。そのまま途中で公爵の供回りと合流し、夜道を進んでいく。
いくらか進んだ先で、クラオン公が唇をにやりと歪めた。
「馬鹿の相手は疲れるものだ。我が掌で踊っているとも知らずに。ミリー家の扇動任務、ご苦労だったな情報屋」
「まだミリーの陣地が近い。気を抜くのは早いぞ」
「お前がいれば問題はあるまい。まったく、叔父上が王都で戦死した時はどうなるかと思ったが。結果的には、お前の言う通りになったな」
ミリー公爵家に、クラオン領への侵攻を止めさせたのがエルならば、クラオン公爵家に様子見するよう進言したのもまた彼だった。当時は王都への進軍も検討された中、王宮における最新の情勢を伝え、もう一騒動ある可能性を示唆しておいたのだ。
「叔父上にも困ったものだ。無理矢理参戦を促した挙句、一番に討たれては世話があるまい」
「そのおかげで、念願の公爵位相続が成ったのだから良かろう」
長年クラオン領は、ロベールが宰相を兼任しながら領主を務めていた。ほとんどの期間を王都で過ごすため、領地の統治は公爵家
実質的な支配者なのに、領主を名乗れない。そのことに、目の前の新たなクラオン公は不満を抱いていた。
故に当主ロベールが本領に戻らないのは、エルにとっては付け入る好材料だった。
クラオン家、次いでミリー家。二大公爵家の跡取りに取り入り、その欲望を適度に突ついた結果が、今の反乱だ。
「それで情報屋よ、お前はどうする。できれば我が軍に参陣し、戦に備えて欲しいが」
「女王の監視をする者が必要だ。今夜中には、また都に発つ」
「まあ、それも必要か。だが」
「分かっている。当日は誘導が必要なのだろう」
兵力では上回っているが、それでも籠城されると攻めあぐねることは目に見えている。スムーズな占領のためには、優秀な斥候が必要だ。
敵
追い風に乗せた行軍。
地面や木々の揺れ制御。
敵の風術師や地術師が行う探査術の妨害。
一つ一つは小さな要素だが、重ねれば確実に敵守衛の目を潜ることに繋げられる。
そうなればたとえ数千単位の軍であっても、容易に敵本拠地に忍び寄ることが可能となり、奇襲の成功率が引き上げられる。優秀な風使いがいるとは、そういうことだ。
もちろん、本来その仕事一人でこなすのは不可能に近いが、エルにはそれを可能とする強大な魔石がある。そしてベルサから手に入れた
「しかしお前の風術の腕は知っているが、本当に二軍を同時に誘導できるのか。今回の作戦の肝だぞ」
「問題無い。王都に気付かせぬまま、湖に布陣させたときと同じだ。王宮側が次に公爵軍を認識するのは、懐に潜り込まれた時だ」
「ならば良いがな。哀れなものだ。何もできぬまま、眠らぬ都は陥される。あの美しい街が燃えるのは忍びないが。ここは今一度、在るべき者による統治を実現するためだ」
クラオン公爵が不敵に笑う。
既に勝ったつもりでいるあたり、叔父譲りの軍略センスは無いようだった。
ロベールならば策を一つ用意しただけで、手を止めなかっただろう。不測の事態に備えた二の手三の手を用意し、何なら失敗したときの撤退戦や戦後交渉まで考慮したはずだ。
その思慮深さが、アルノーをあと一歩のところまで追い詰め、最終的には打倒する一助となった。
現クラオン公のこの見通しの甘さが、ロベール存命時に領主の座を奪えなかった理由だろう。
とはいえ
(これでこちらは整った。あとは王都の準備が間に合うかどうか、だが)
公爵軍の布陣は、既に女王まで通っている。
何を隠そう、エル自らが伝えに行ったばかりなのだ。今頃はトップダウンで、性急に防御を固めているだろう。
とはいえ、疲弊の激しい騎士団と決壊間近の城壁では、公爵家二つは止められない。
或いはアルノーが健在ならば、話は違っただろうが。
(これを持って、リデフォール王国の軍事力は消滅する。楽な仕事になったものだ)
ベルサはまあ、怒るだろうが。とはいえ己の目的を看過できなかったのは彼女の方だ。
そもそもが出し抜き合い、相争う間柄である。エルの側からすれば、文句を言われる筋合いはない。
最悪、最後の局面で直接対決はありうるかもしれないが。どちらにせよ、有利な条件で望めるのは変わらない。
とはいえ最近のベルサには、何かを隠しているような節がある。探りたいのは山々だが、風術の探知が及ぶ場所ではどうにも、動きが見えない。決行日までに、もう少し探っておく必要があるとエルは踏んでいた。
残る変数といえば、叙勲したばかりの幼馴染なのだが。
(放っておいても巻き込まれるだろうが。まあアルノーの手前、慈悲くらいはくれてやるか)
生き残るのがアルノーだった場合は、最初からそうするつもりだったのだ。
想定された生き死にする側が入れ替わったのだとしても、対応を変える理由は見当たらない。
幼馴染として、彼らの運命を導いたものとして、
その責任をとる。
エルは改めて、己の意思を強固に固めた。
夜はなお、
内に秘めたる熱さを保ったまま、ゆっくりと闇を醸成していく。
暗闇は既に、リデフォール全土を覆い尽くしていた。
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