第39話 明かされた遺言、奇跡の矛が貫いた先
泣きすぎて、頭が痛い。
目をごしごし擦りたい衝動を我慢しつつ、アーネは暗い夜道で歩いていた。
手間を掛けさせてしまったアディとは、城門前で別れた。こちらが送るどころか、女王自らに見送らせてしまったのは大失態である。
何人かの衛兵の目に留まったため、上役の騎士に伝わるのは時間の問題だろう。大泣きしながら女王に慰められるなんて、前代未聞だ。
成り上がりの身分のせいか、ただでさえ上司からの心象が良くない。これ以上悪化させたくなかったが、今回で評価も地に落ちることになるかもしれない。
失態直後だからか、浜通りに吹く海風がいつもより冷たい。港に灯る篝火が、やけに遠く感じた。
道場まで戻ると、まだ何人かの門下生が残っていた。年長組が円陣を組むように板間に座り、何かを話し込んでいる。
アーネは声が震えないよう、口の中で小さく発声練習をして、それから改めて言葉を投げ掛けた。
「まーた遅くまで残ってるし。何やってるのさ」
「ねーさん遅い。ちょっと出てくるって言ってから、どんだけ経ったと思ってるのー」
「あれ、あたし待っててって言ったっけ? 暗くなったら帰るもんだと思ってた」
「師範代。そうは言っても、道場が無くなるかどうかの瀬戸際です。皆不安に感じているのですよ」
デュオの言葉で、アーネはようやく合点がいく。
確かに状況を考えれば、皆に掛ける言葉が不足していたかもしれない。
少なくとも、自分がどういう動きをとるつもりなのかくらいは、伝えておくべきだった。
とはいえ、遅い時間まで集まっているということは、門下生達も各々予感するものはあるのだろう。
そんな中、ディアナが羊皮紙をまとめた冊子を片手に、アーネの元へ寄ってくる。
「ねーさんねーさん、これ見てこれ、大発見だよ」
「ん、何これ。アルノーの字っぽいメモ?」
そしてその問いには、意外な答えが返ってきた。
「にーさんが浮気相手に宛てたラブレター。商家の女中さんだって。やるね、ひゅーひゅー」
よし、燃やそう。
……いや別に、あたしら付き合ってたとかじゃ無いし。何なら、良いトコの娘を嫁に貰って、はよ出世しろって噛みついてたけど。隙だらけのあたしには手も出してこない腑抜けのくせに、まじ生意気。一回くらいなら事故だからいいやって思ってた、こっちの立場はどうなるんだっての。てか浮気するなら、城勤している貴族のお姫様とかにしなさいよ。なに商家の女中て、微妙に手を出しやすいとこなのが腹立つなあ。
脳内で言い訳や怒りを一瞬で繰り広げつつ、袖に仕込んだ短剣で種火を作り、火の魔石を起動させようとして。
慌てたようにデュオが割り込んでくる。
「浮気の手紙ではありません師範代! ディアナも適当なことを言わないように!」
「……そう、浮気じゃないの? 本当に?」
「てへ。ねーさん元気出るかなって」
アーネが妹の頭にゲンコツを落とす。
びーびー泣かれるも、ちっとも可哀想だとは思わなかった。
言っていい冗談と、悪い冗談がある。死人をネタの引き合いにするなど、不謹慎極まりない。
「で、結局これ何なの。表題は、『魔石応用論と戦闘においての活用法』?」
「中身を見ると、どうやら指南書のようです。魔石を用いた、高度な内容でして」
アーネは何枚かをめくって、手短に読み飛ばしていく。書かれた方法論はアーネを持ってしても難解だったが、幾つか知っている単語も見受けられた。
「
「アレって、にーさんの必殺技みたいなものでしょ? てっきり
「なので、皆で読み解いていたのです。あれを会得できれば、既存の魔石技術体系を塗り替えることができるかもしれない」
今の状況では、随分と気の長い話になりそうではあるが。
金策についてお昼に話題を出していたので、気にさせてしまったかもしれないと、今更ながらアーネは自分の失敗を悟った。
見れば同じような冊子はまだ幾つかあるようで、年長組が回し読みをしていた。中には読み書きできない門下生もいるので、読める者が解説しているようだ。夜遅くまで残っていたのは、こちらが本命かもしれない。
「この辺は難しいけど、もちっと解りやすいページもあるよ。おいノルン、持って来やがれください」
「お願いする立場を理解しつつ、それでも見下しが隠しきれてないよディアナちゃん」
ノルンが扱いの悪さに不平を唱えつつ、健気に別の冊子をとことこ運んでくる。
そちらを覗き込むと、昼間に話していた遠距離対応型の術式に関する理論と、簡単な図面が書かれていた。道具や器材を用いる際の設計まで、アルノーは考えていたらしい。
「魔石使用時における、水人形による擬態と誤認。そしてそれを利用した保存、拡張術式か。どうやって自動操縦を維持してるか不思議だったけど」
見れば、アルノーの水人形の組成は、かなり本物の人間に寄せてあるらしい。魔石が人体に触れてないと発動しない点を、水人形で擬似的に補っているようだ。
しかし水分はともかく、骨や皮膚をはじめとする成分を水術だけで偽装、再現するのは至難の業だ。ただ水術でそれらの成分を一から作る必要は無く、髪や皮膚片を用いて外部接続的に補えれば、遠隔術式は可能だと指南書では記されてある。
「ふふーん。これを見つけたの、わたしなんだよ。スゴくない? エラくない? カワイくない?」
「凄くないし偉くないし可愛くない。どうせ涼しくなったから、毛布引っ張り出そうとして偶然見つけたんでしょ」
「ぐぁ、何で知ってるの。さては見てた?」
「そうですよアーネ師範。ディアナちゃんは凄くないし偉くないし馬鹿だけど、か、可愛いのはほんとです!」
「黙れお前は喋るな」
高速デコピンがノルンの額に直撃する。頭骨を叩く重い音を残して、ノルンはその場に沈んだ。
下手人であるディアナは気にした様子一つ見せず、アーネが持つ指南書を一緒に覗き込む。
「遠隔操作系もこれならイケるくない? 水人形を仕込めば、色々応用効きそうだよ」
「本命の術式に加え水人形の組み込み、実装の問題など、まだまだ実現には程遠いですが。取り組む価値はありそうです」
道場の維持のため、色々と考えてくれたのだろう。その
そして、覚悟を決める。
皆のこれからについて、道場の接収問題は避けて通れない。話すのならば、今が好機だろう。
「ごめんねみんな。改めて説明させて貰うね。今、道場は立ち退きを迫られています。調べたら書類の不備が見つかったんだけど、早期解決には繋がらなそうで。そもそも目的が街の復興である以上、協力すべきかなって思ってます」
門下生達が一様に、落胆した顔を見せる。
アーネとしても心苦しいことではあるが、伝えないわけにはいかない。年長組が勢揃いしている今は、絶好の機会でもあった。
「不備ってことは人為的なミスだよね。すぐに犯人見つけて、吊し上げれば解決しないー?」
「ミスには違いないけど、うちが候補地から外れるようなものではないかな。もちろん捜査は進めるつもり。だけどそれで慰謝料が増えることはあっても、立ち退きが回避になることはないと思う」
統治者であるアディ自身は、立ち退きを撤回させる方向に持っていきたいようだったが。そこまで負担はかけられない。
「いい機会かもしれませんね。道場に来る足が重いという話も、一部門下生達から聞いています。何も活動そのものを制限される訳ではないでしょうし」
アーネの意を汲んだのか、デュオがフォローを入れてくる。その言葉に思い当たる節があったのか、何人かは沈痛な表情を浮かべた。
無理もない。この場所は思い出がありすぎる。居心地良く感じていた者ほど、逆に今は辛いだろう。
それに例えここを去っても、良い条件で代替地を要求することは可能だ。心機一転、そこでやり直せばいい。
「まあ国からの立ち退き令だから、補償は出るよ。またどこか、いい場所を探してくる」
「はいはーい、じゃあ今度は静かなとこ希望。ここ港が近いから昼も夜も煩いし、明る過ぎるんだよね。でもって、広くて綺麗な場所がいーな」
「じゃあ物件探しはディアナ担当ね。よし、これで仕事が一つ減った」
やだやだやだと、ディアナが地団駄を踏む。
いつものバカな遣り取りに、面々の顔もいくらか和らいだ。
そこから移転先の条件について、門下生達の議論が行き交い始める。海沿いがいいだの、実家近くがいいだの、洗い場を増やしたいだの、次々に案が追加され、その度にディアナが暴れる。
暗い話ばかりでは、ないのだ。
新天地への希望を、それぞれが持てるくらいには。これならばきっと、大丈夫。
「アルノー。貴方がいなくても、あたし達はやってけそうだよ」
本当はちょっぴり、寂しいけど。
その本音は心の奥に仕舞っておける。
全部は無理でも、少しずつ、みんなで整理していけば、いつかは。
そんなことをアーネが考えたときだった。
胸元のペンダントがいきなり光り始めた。
アーネだけではない。居合わせた門下生達全員のペンダントが、淡い青の輝きを放ち始める。
それぞれの光が膨れ上がり、まるで集うように道場の中央で重なりあった。幾重にも折り重なった青い光が、やがてとある像を結んでいく。
「……な、聞こえ……か。俺だ、……ノーだ」
その像が映し出す姿に、アーネはとても見覚えがあった。アーネだけではない。年長組の門下生達全員が、すぐにその像が誰か察していた。
「……な形で、申し訳……。でも何も残せてないだろうから、これで言葉を遺したいと思う」
不明瞭な言語も、次第に慣れて聞き取りやすくなっていく。
上位の水使いが豊富な水資源を確保して、ようやく成せるという、水人形の技。
その中でも、普通の人間と見紛う外見と、言語を発するほどの精密動作性を有するとなれば、まず間違いなく彼が得意とした
「アル、ノー」
久しぶりに見る幼馴染の顔は。
記憶のものより、やや青ざめて見えた。
「驚いたかな。実はペンダントの仕掛けで、一定時間ペンダントが道場に集まった状態になると、道場側と連動して
その言葉でアーネは察する。
彼の死後、今の今までこの
最近に至るまで、道場は誰かが揃わないケースが多かった。今日は珍しく全員揃った上、夜遅くまで道場で指南書を読み耽っている。
ペンダント自体は、ロベールからの出向命令で城を追い出された際、道場の年長組に配られたものだ。門下生ではないアディにも配られたはずだが、彼女の来訪そのものがイレギュラーだったため、アルノーが自分用の予備を提供したはずである。今回現出した術式の頭数には、入っていないだろう。
「ちなみにこの
皆が呆気に取られているのを尻目に、水人形は自動で動き始める。
冗談混じりの
「これを残さないといけない身の上なのが、辛いけど。実は、皆に迷惑掛ける可能性があるくらい、俺はヤバい橋を渡ろうとしています」
知っている。
彼がやろうとしていたことも、その結果も。
内容を明言しないのは、この記録が不特定多数に聞かれても問題無いようにするためだろう。
状況次第では、道場主が国家転覆を企てていたと、旧宰相一派に知られかねない。そうなれば事実として無関係であっても、アーネや門下生達にまで危害が及ぶ可能性があった。
「上手く行こうが行くまいが、地獄行き確定なことを、俺は進めています。どこで死んでもおかしくないし、寝台で安らかに逝くことはないでしょう。でもやっぱり信じたいから。俺の願いはみんなのためになるんだ、って。俺の頑張りでこの国が百年は発展するんだって、そう考えたから実行します」
水人形が再現しているのであろうアルノーの瞳は、輝きに満ちていた。自分の行動を一切疑わない、迷いの無い希望に満ちた声だった。
そしてその希望の行く末がもたらしたものを、アーネや門下生達一同は、知っている。
「具体的なことは秘密です。危険すぎるし、真似して貰いたくない。仇討ちって話になるかもだし。嬉しいけど、ってこういうこと言っちゃあ駄目か。ごめん今の無し。全然嬉しくありません」
「何言いたいか、分かんないよアルノー」
あまりにも、いつもと変わらない調子でそれが言うものだから。懐かしくてつい、アーネは合いの手を入れてしまう。
続くアルノーの
「うん、何言ってるか分かんないよな。実は俺もあんまり分かってないというか、思ったより喋ること纏まってなかったっていうか。なのでこれだけは言明します。俺が死んでも、遺志を継ぐとかそういうのは、止めて欲しいです」
アーネの体が、痙攣したかのように震える。
アルノーの遺志を継ぐ。それが己の使命なのだと、アーネは信じていた。だが当のアルノーに、それを全否定された。
「目の前の生活を、全力で頑張ってください。貴方個人の望みを叶えることに、注力してください。隣にいる大事な人の手を、掴んで離さないでください。俺ができなかった、そんなごく当たり前のことを、どうか成し遂げてください」
道場の中が、しんとした。
何も言わないのではなく、言えなくなる。
意図せず、誰もが同時に唾を飲み込む。
大層なことを言い残すのかと思っていたのに、彼が残した
「これを見てるってことは、俺はやっぱり志半ばで逝ったんだろうけど。それでも何か残したくてこんな大掛かりな
一人、膝から崩れ落ちる者がいた。デュオだった。顔を伏しているので見えないが、嗚咽が溢れているところから察して、泣いているのだろう。
その気持ちは、アーネも痛いほどよく分かった。
そして分かっているからこそ、泣けなかった。泣く資格など、ありはしない。
そのあべこべな思いが、ままならない感情が、アーネの中で、次第に怒りへと変わっていく。
「道の途中で
突如、火柱が上がる。
真正面にいるディアナが、無言で指輪型の魔石を発動させていた。
火柱はその大きさにも関わらず、人や天井を焼くことなく、すぐに鎮まる。だが、そこにアルノーを模した
ディアナを責める気には、なれなかった。
誰のために
アルノーを兄と慕っていた彼女にその役をやらせてしまい、むしろ申し訳なさでいっぱいになる。
道場が静けさを取り戻す。
彼が残した虚像の言葉は、間違いだらけだった。
他ならぬ、最期を看取ったアーネは知っている。
悔いが無い人生には、ならなかった。
その死顔は、絶望に塗れていた。
その死をもたらした相手は、剣の達人である王太子ジェラールでも、王宮で権勢を誇った宰相ロベールでもなく。
アルノーに終わりを運んだのは、アルノーが大事にしていた者達だった。
彼から贈られた奇跡のカケラを、彼の力を破ることに使って。
幾重にも剣で貫かれ、ハリネズミのような姿で。
絶望の涙を流し、何者にも成れずに。
アルノーは死んだ。
騎士の誇りも。
主への忠誠も。
演説の誓いも。
戴冠式で語った信念も。
遺言に残した希望さえも。
その全て、彼の人生は嘘と妄言に満ちたものだった。
そう、なってしまった。
アルノーの「像」を歪めさせたのは、誰か。
言うまでも無い。
意図せず、アーネは壁を殴りつける。木板の壁は脆く、容易く破られる。
誰も何も言わない。指南書や引越し先で騒いでいたのが、嘘のようだった。
貶めるつもりなどなかった。
正しいと思って、彼を止めたはずなのに。
何がしたかったのか今はもう、アーネは分からなくなってしまった。
止まったはずの涙が、また溢れてくる。
悲しむ資格は無いと、分かっているのに。
零れ続ける涙は、彼との思い出が詰まった道場を、静かに濡らし続けた。
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