第38話 巫女の秘策、闇を渡る風見鶏

 話し合いを経て、一行が応接室を出る。

 戻る道すがら、「そういえば」と思い出したように、アディが口を開いた。


「すみません、寄るところがあるんでした。私はここで失礼しますね」

「ごめんね、忙しい中付き合わせて。送ってくよ」

「行先は城内ですし、大丈夫ですよ。まあ、家族会議的なものでして」


 王室絡みの要件となると、騎士の身分といえど迂闊に付いていけない。

 そもそも、随伴の必要さえあまり無い。王家の居住区も兼ねる主塔は、アーネ抜きでも十二分に警備が厳重だ。


「なるほど。義姉君あねぎみの件ですか。女王に即位されたばかりで、気苦労が絶えませんね」

「仕方の無いことです。あと、義姉についてはオフレコでお願いしますね」


 何やら事情に通じているらしいベルサが、気の毒そうな言葉をアディにかける。

 アーネとしても家族会議が気にならないでもないのだが、アディも先頃王室に復帰したばかりなので、色々しがらみもあるだろう。


「一応話の続きというか、捜査の報告とかしたいんだけど、いつなら会えそうかな?」

「実は予定が詰まってるんですよね。そうだアーネさん、十日後の慰労会は出席できますか」


 言われて、アーネは自分が招待されていたパーティーの存在を思い出した。内乱が一段落したことへの慰労会が、近いうちに予定されているのだ。王宮内で開催されるものの、敷居は低く、いくさに馳せ参じた騎士にも開かれる。


「公爵家が敵になるかもという時に、パーティーとは呑気な話だな」

「情勢が危なっかしいけど、中止にできないの?」

「国王派の重鎮達の提案で、断れなくて。彼らのメンツを考えれば、難しそうです」


 今は女王を中心に、王宮が一丸とならねばならない時だ。国王派の反感を買うのは回避した方がいいかもしれない。

 内乱解決の立役者であるアーネも、慰労会では賓客扱いになっている。気が乗らないものの、主催者がアディの名前なので出ないわけにはいかった。


「じゃあその時まで調べておくよ。今日はもう、あたしも戻らないといけないし」


 中庭まで出ると、外はもう暗くなりかけていた。

 黄昏時は、あの日の事件を思い出す。

 「血染めの戴冠式」と呼ばれる、アーネの人生に決定的な爪痕を残した出来事。

 その傷は抉られたときのまま、ずきずきと疼く。決して忘れるなと、アーネに刻み込むかのように。


「アーネ、大丈夫か」


 エルがアーネの肩に手を置きながら、心配そうに声をかけてくる。触れられるまで、アーネは接近に気付くことができなかった。

 やはりどうやら、相当に気がそぞろになっているらしい。


「ごめん。考え事してた」

「さっきの話、という訳ではなさそうだな。他にも悩みがあるのか?」

「悩みと言うか何て言うか、ね。綺麗な夕陽だなあって。あの日も、こんな感じで晴れてたなあって」


 旧友が相手だからだろうか。

 言うつもりなんてなかったのに、自然と言葉が零れ落ちる。


「雲も無いし、真っ直ぐ天国に昇れたかなあって。一人で寂しくしてないかとか、ちゃんと休めてるのかなって、考えちゃって」


 途中から、アーネの目から涙が溢れてくる。

 気付いたら、もう止まらなかった。こうなると分かっているから、考えないようにしていたのに。

 その場にいる三人が、沈痛そうな眼差しを送ってくるのが分かる。


「アーネさん、まだ死亡が確定した訳ではありません。あれほど高位の水使いなのです。場所も湖ですし、生きて回復を図っている可能性だって」

「どうだかな。聞けば致命傷にも関わらず、治癒が働いていなかったのだろう」


 慰めようとしたアディをよそに、幼馴染であるエルはあくまで容赦が無い。


「よしんば生き延びたとして、それなりの期間、それなりの人員を捜索に割いたんだ。痕跡が見つからないということは、そういうことだろう」


 アディがエルを睨む。その視線が、余計な追撃をするなと言いたげだった。当のエルは、素知らぬ顔をしているが。


「アルノーのことは残念だった。奴も融通がきかない性格だからな。故郷を送り出した時から、危うさは危惧していたが。こんな末路を迎えるとはな」


 思えばエルは、結局アルノーとの再会が叶わなかった。

 故郷を出立する日、二人がこそこそ話していたのを、アーネはハッキリと覚えている。あれが並んだ二人を見る最後の機会になるとは、夢にも思わなかった。

 アルノーが騎士団長補佐に就任にした時には、「いつか二人でエルに自慢しに行こう」と話したものだが、それももう永遠に叶うことはない。


「弱者を救う。それは確かに普遍の正義だろう。だが奴はその方法を間違えた。悲しいかな、正義の味方はいつ如何なる時も、一片の間違いもあってはならない。間違えばその瞬間、正義が霞むからだ」


 分かりきっていることだけに、アーネには耳が痛かった。アルノーに正義の味方を押し付けたのは、他ならぬアーネなのだから。


「説得力の無い正義では、誰からも支持されない。世人はいつでも、綺麗なものだけを見ていたいからな。汚いものは排除する対象になってしまう」

 

 正しいことを言っているはずなのに、エルの言葉の端々から、表しようのない怒りのような感情が漏れていた。

 思い起こせばアルノーとエルは、いつも何を為すべきか何が正しいか、議論を重ねていた気がする。だからこそエルは、アルノーを不憫ふびんに思いながらも、彼のやったことが許せないのだろう。


「エルなら、アルノーのこと止められたかな?」

「どうだろう。肝心なところで人に頼らない悪癖が、奴にはあったからな」


 遠い目をしながら、エルが穏やかに語る。

 懐かしいものを、脳裏に甦らせるように。


「奴についてはもう悩むな。あの時こうしていたらなんて考えても、何も戻らない。お前が引き摺られ続けることを、アルノーも望んでいないはずだ」


 アーネとて、エルの言うことは分からないでもなかった。

 残された者には、その後がある。過去を振り返らず、今後を生きるために、労を勤しむべきだ。

 とはいえ。

 理屈では分かっているものの、在りし日を思い流れる涙は、すぐには止まってくれなかった。

 今はまだ、もう少し。

 無意味だと知りつつも、悲しみに暮れていたい。

 嗚咽を堪えるアーネに、アディがそっと静かに寄り添う。

 割れてしまった花瓶をそれでも繋ぎ止めるかのように、アーネを優しく抱き締めた。





 泣き腫らしたアーネが、アディに支えられながら、城門の方へと去っていく。

 後ろ姿を見送りながら、その場にはエルとベルサが残された。


「女王陛下もご苦労なことだ。政務に友人のケアに、しまいには癇癪持ちの義姉の慰撫いぶまで。休まる暇がないな」

「ジェラール殿下の正室が、暴れてるそうですね。内乱関係者への厳罰化拡大と、王太子の遺産分配について。無茶言いますよ」


 ジェラールの奥方については、現在の王室と貴族院の一部、直下の役人しか把握していない。

 情報部であるベルサはともかく、一市民のエルが知り得ているのは、本来はおかしいことではあるのだが。彼の正体を知っているベルサは、そのことに特に言及しない。


「口煩い女やもめなど、いつまでも飼ってないで放逐してしまえばいいだろうに」

「王太子の遺産に、扱いの難しいものがありまして。彼女のバックに賢しらな者が付いてそうなんですけど、尻尾を出さないんですよね」

「例の『剣』か。『槍』同様ロベールが持ち出したと思っていたが、意外な場所から発見されたな」


 それとなく揺さ振りをかけてみるが、乗ってこない。ベルサとしては、てっきりエルが絡んでいると推測していたのだが、当てが外れてしまった。

 嫌疑をかけたことには気付かれているだろうから、これ以上の追求は無用だ。どちらにせよ、情報部だけで解決できる案件でも無い。


「でも意外でした。旧友相手に容赦無いというか。慰めるフリして、しっかりとどめ刺しましたね」

「とどめ? 冗談を言うな。本番はこれからだ」


 ベルサからのジト目を、エルが涼しい顔で流す。彼にとってその程度の嫌味など、気分を害するには至らないらしい。


「別に長年の仕込みを台無しにされて、恨んでいるわけではない。無いなら無いで、次善策で補う」

「どうですかね。感情が乗った物言いでしたけど」

「一応、アーネへの期待はある。俺はアルノーのように、優しくなければ甘くもないが」


 あくまで不敵な顔を崩さず、エルは何でも無いことのように言い切る。

 とはいえ、二人の関係は二人の問題だ。害が及ばないのであれば、付き合いの浅いベルサがあれこれ口を出すべき話では無い。

 それより、もっと聞いておかなければならない、当面の問題がある。こちらはこれまでの話と違い、間違いなく彼が関与しているはずだ。


「クラオン領とミリー領の件、本当に知らなかったんですか? よくあちらに出掛けてましたけど」

「さてな。まったく、大変なことになったものだ」

「ワープしたわけじゃああるまいし、いきなり一軍が王都近郊に現れるなんて不自然極まります」

「優秀な風使いが、斥候として動いたのだろう。恐ろしい話だ。規模を考えると四大クラスだな」


 素知らぬ顔でうそぶくエルに、ベルサが露骨に嫌そうな顔をする。

 ただでさえ、ソロン帝国の戦力増強のために、この遠方の島国まで来ているのだ。相次ぐ内乱で国が疲弊すれば、リデフォール王国と同盟を結ぶ意味がなくなってしまう。


「無意味に国力損なわれると、困るんですよ。ただでさえ、仕事が増えるのに。そんなことのために『虹剣こうけん』を渡した訳じゃあないんですから」

「信用が無いな。まあ仕方がないか。何のことは無い、後片付けというヤツさ」


 獲物を前にしたような、獰猛な笑みをエルネストが零す。好戦的な鋭い眼光は、まさしく獣と呼ぶに相応しい。


「こう見えて、綺麗好きでな。使い終わった道具は、ゴミとして捨てるのが当然だろう?」


 ベルサが眩暈がする気分だった。

 その言葉は、これから大暴れすると白状しているのと同義だ。かといって藪を突いて、この場で蛇を出すわけにもいかない。まだ自分達は、同盟状態なのだから。


 もう話すことは無いとばかりに、エルが別方向へ向けて歩いていく。

 ベルサはその場で頭を抱えたい衝動に駆られたが、癇癪かんしゃくを起こしても仕方がないので、我慢して歩き始める。

 己とて、やるべきことは山ほどあるのだ。


虹剣こうけん、渡すの早すぎたかもしれませんね」


 そんな後悔を抱きつつ、ベルサはエルへの警戒を深める。

 同盟を結んだ当初から、リデフォール王国への復讐が目的だと、エルネストから聞かされていたが。

 どうやら、アルノーの内乱だけでは満足していないようだった。

 間違いなく血染めの戴冠式以上の、ろくでもないことを企んでいる。


「逃げ時ですかねえ」


 先ほど、リデフォールの戦力を削がれると困るとボヤいたのは、半分はブラフだ。少し前までならば、確かに戦ってでも止めねばならなかったが。

 別の切り札ができた以上、ベルサはそこまで首を突っ込むつもりはなかった。

 むしろエルが騒ぎの渦中にいるなら、それに乗じてリデフォールを脱出すべきだ。

 現状注意すべきはエルだけであり、彼の目を掻い潜ることこそが、一番の重労働なのだから。


「でもあの状態じゃなあ。困りました。担いで海を渡るわけにもいかないし、せめて容体が落ち着いてからじゃないと」


 どのみち、時間を稼がねばならない。それも、切り札を守りながら。

 考え事をしながらの帰り道だったからか、目的の場所まではあっという間だった。

 そこは、かつてアディにも貸した、場末の安宿だった。但し表向きはそうなっているものの、真実は情報部のセーフハウスである。

 そこから階段を降りて地下倉庫に向かう。予備の椅子やテーブルの山が保管されていたが、そのうちの一箇所をどかして、土床に手を当てる。

 黄金を帯びた光がベルサの手から溢れて、床に伝い拡がる。音もなく、ベルサの前に大穴が生まれた。土床だった場所は瞬く間に成形、舗装されていき、更に地下へと続く隠し階段が生まれた。土使い得意技であるが、この早さで作り上げるのは、ベルサの土術の腕あってこそだ。

 ベルサは自分が作った隠し階段を降りていき、すぐに階段を元の土床に戻す。


「困ったことに、エルネスト氏は優秀な風術師ですからね。気取られないためにはここまでしないと」


 風術師は、声を風に乗せて運ぶことができる。伝令や間諜として非常に有用で、腕が良ければ街から街へ声を届かせることができる。

 どこでも盗聴できてしまうエルに限って、ベルサに網を張っていないはずはない。なので、何かを隠そうとするならば土中か水中しかない。


「そんな訳ですみません。久しぶりになりましたが、お加減は如何でしたでしょうか」


 光の差さない、隠し部屋の奥に向けてベルサが声を発する。着いたばかりで目が慣れていないものの、相手の気配は察することができる。

 漆黒の中にあってなお暗い、吸い込むような闇がそこにあった。


「オオオォ、オオ。ォオオ」

「ふむ。体はちゃんと起こしているようで。もう少ししたら、立ち上がるくらいはできますかね」


 風で木々が擦れ合うような、しわがれた音が聞こえる。その音は、が何かを喋ろうとしている証なのだと、ベルサは最近気がついた。

 さらに発見した時よりも、首や手や足などといった人体のパーツが、はっきり観察できる。

 この調子であれば、リデフォール王国を出る頃には自立歩行くらいはできるかもしれない。というよりも、なってくれなければ困る。


「前より、気配が濃くなっている。外に出れば、今度こそエルネスト氏に勘付かれますね」


 これを見つけた時はベルサでさえ、近付かなければ気付けなかった。それ故すぐに土術で包んで、隠してしまうことができたが。

 今でははっきり目の前のを、同類として感知できている。こうなっては、エルの目を欺くのは難しい。見つかれば、彼は絶対に興味を持つ。

 奪い合いは避けたかった。戦闘となれば、真っ向勝負では分が悪い。

 最大値の半分程度の出力しか出せないベルサでは、力の全てを発揮できるエルには勝てない。悪いことに彼の手元には、専用武器とも呼べる虹剣こうけんまである。

 

「オオオオオォ、オオオォ」


 その声は、どこか不安そうな音だった。

 ベルサの憂いを察し、憐憫れんびんを覚えたのかもしれない。

 それはつまり、目の前の生物とも無生物とも捉えられないが、感情を獲得しようとしていることに他ならない。

 興味深いの一言だ。やはりこれは、是が非でもソロン帝国に持ち帰りたい。


「大丈夫です。貴方が万全になるまでは、わたしが守ります。意外と喧嘩強いんですよ」

 

 条件次第ですけど、と続きは敢えて口に出さなかった。

 目の前のの状態が、不安定に陥る事態は避けたい。

 視覚が機能しているのか分からないものの、ベルサは片目をパチリと瞑り、魅惑的なウインクをに見せた。


「ソロン帝国、行ったことないでしょう? 楽しいところですよ。戦争で大分ボコされちゃいましたけど。リデフォールにいるより、気が休まると思うんです。この国は、貴方に優しくないだろうから」


 確信がある。を、リデフォールの国民が受け入れることはない。

 蔑まれ、排斥され、追い詰められて。僅かに残ったものでさえ、最後には奪われる。もうこの国は、そういう方向に舵を切ってしまった。


「異質なものは怖い、ですか。でもそういう目で見られる側だって、本当は怖がってるだけなんですけどねえ。嫌なこと思い出しちゃうなあ」


 古い記憶を辿れば、ベルサにも同じような苦い経験がある。それを思い出してしまい、ベルサの中にも陰鬱な思いが生まれてくる。

 そんな様子に気付いたのか、奥でうずくまっていたは、少しだけベルサの方へ近付いてくる。 


「オオォ、オ。ベルサ、ダイ、ジョウブ?」


 はっきりと声が聞こえた。

 やはり安定化が進むに従って、人間的な機能が発芽してきている。

 ベルサのことも、個人として認識できている。

 これならば思ったより早く、自律行動が取れるかもしれない。


「どういたしまして。同盟を約束した仲ですから」


 ベルサが笑みを浮かべる。

 それは、計画が順調であるという打算の他にも。

 同類の回復を喜ぶという、極めて人間らしい感情も、多分に含まれていた。

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