第37話 内乱が残したもの、故郷からの風

 リデフォール城には数多の会議室、談話室が用意されている。その中で応接室といえば、貴族院や一部の高級官僚、王室の人間しか扱うことが許されない部屋だった。

 備品や調度品も、相応に上等なものを使っている。クッションがふんだんに詰められた革張りの椅子、漆塗りされたマホガニーの机は一点物の輸入品だ。窓は二重になっており、それぞれ耐火耐衝撃の加工が施されていた。

 そんな特別仕様の応接室にアーネとアディが入ると、男女二名の先客が着座していた。


「すみません、遅くなりました。お二方ともお久しぶりですね」


 女性の方は事前に知らされていた通り、情報部所属のベルサ・B・バスフィールド卿。長い黒髪が特徴的だが、アーネの黒髪と比べると、ダークブラウンという方が近いかもしれない。

 部屋に入ったアーネと目が合うと、口の端を緩めてにこりと微笑んできた。よそ行き用の笑顔だとは思うが、その自然な所作には同じ女ながら感服させられる。

 そしてもう一人の来客者の顔を見た瞬間、アーネは呆気に取られて、その場で立ち尽くしてしまう。


「女王陛下におかれましては、ご機嫌麗しく。ご活躍は情報部として聞き及んでますよ。ご公務に精力的に励んでいらっしゃるようで。お疲れでないか心配してましたが、問題無さそうで安心しました」

「はい、今日はお友達が来てくれてましたので。アーネさんも、そんな所に立ってないでこちらへ」


 先に室内に入ったアディが手招きする。それでもアーネは動けない。

 真っ直ぐに、ベルサの隣りに座る巨漢の男へと、視線を引き寄せられていた。

 浅黒い肌、短く刈り込まれた枯色かれいろの髪。灰色の瞳はとても眼光鋭く、見るもの全てを射抜いてしまいそうだ。その顔に、アーネはとても見覚えがあった。


「おっと、ティファート卿が護衛ですか。侍従服を着ていらしたので、一瞬どなたかと。お会いするのは二回目ですね。情報部のベルサと申します。こちら、わたしの隣りにいるのは」

「エル? エルネスト・ジズサーラ?」


 正式な紹介を受ける前に、アーネがその名前を零す。筋骨隆々の青年は、そこで初めてアーネの方を向き、不敵な笑みを浮かべてみせた。


「久しぶりだなアーネ。騎士になっていたとは驚いたぞ。息災か?」

「やっぱりエルだあぁ!」


 アーネは勢いよく、エルと呼ばれた青年の胸に飛び込む。座ったまま突撃を受けたエルは、小揺るぎもせずにアーネを受け止める。


「まったく。歳をとっても変わらんな」

「そう簡単には変わんないよ。でもほんと久しぶり!」

「アーネさん、もしかしてお知り合いですか?」

「うん! 同郷のエルネスト・ジズサーラ。小さい頃、あたし達の兄貴分だったんだ」


 ここしばらく見せることの無かった満面の笑みで、アーネが紹介する。腕を引っ張られ困り顔を浮かべながら、エルが首だけでアディに挨拶する。


「そういえばエル。故郷からは出ないって言ってたのに、何でこんなところに?」

「王都まで、仕事でな。本当は二ヶ月ほど前には着いていたんだが。忙しくてというか、まあお前の所まで挨拶に行く機会もなかったんだ」


 二ヶ月。

 それだけでアーネは、旧友が訪ねて来られなかった理由を悟る。

 それは丁度、あの事件の事後処理で、アーネも慌しかった頃だ。

 アーネとエルの、もう一人の親友を中心に巻き起こった、大聖堂での事件。

 共通の親友であるアルノーは、そこで帰らぬ人となった。

 訪ねる足を遠退かせるには、十分な理由だろう。


「そっか。仕事って、地元の? 何してるの?」

「主に山林の管理や、伐採に関する登録や届出の代行だな。本来はクラオンの港町か、ミリーの宿場町で事足りるんだが。そのニつの街で戦争が起きるという、きな臭い噂があってな。それで王都まで足を運んだんだ。結局足止めを食らったがな」


 アーネたちの故郷は、リデフォール西部の山岳地帯だ。国を東西二つに分かつほどの山脈があり、幼少の頃は遊牧民として、季節ごとに住まいを移り変わりながら暮らしていた。

 森林資源の管理は国の管轄だが、実務としての見回りや調査、実数把握など足を使う仕事は、地元民に委託されることはままある。

 遊牧民といえど、全てを自給自足して暮らすわけではないので、やはり貨幣は必要だ。エルは焼き払われた集落の再建を目指していたので、尚更手持ち金が必要だろう。


「そっか。内乱でこっちも、お役所仕事が滞ってるから。大変だったね」

「観光がてら、という時勢でもないしな。路銀も限りがあるし、そろそろ届けるものを届けて帰ろうと思っていたんだ」

「お金が無いなら、それこそいつでも来てくれればよかったのに。あたしも騎士なんだし、帰りのお金も泊まる場所も、用意してあげられたんだよ」

「まあ、それはそうかもしれんが。今会っていいものか、迷ってな」


 会話が止まる。

 エルとの会話では、どうしても彼の影がちらついてしまう。関係性を考えれば、避けては通れぬ話題ではあるのだが。

 それでもアーネは、その話題に踏み込むことを躊躇った。

 今はまだ、無理だ。


「それで陛下、彼に関してお話があるのですが」


 気を利かせたベルサが、話題を攫っていく。こういうタイミングを見計らうのは、情報部ならではと言うべきか。

 アーネ達を心配そうに眺めていたアディが、居住まいを正す。

 この時期にまさか山岳地帯の管理について、女王にわざわざ直接陳情に来たとも思えない。


「彼が王都近郊の湖沼地帯南部で、あるものを見たそうなのです」

「あるもの、ですか。具体的にはどういった?」

「クラオン領、そしてミリー領の兵士達です。大人数ではないのですが、天幕を張って本格的に駐留していたようで」


 確かに妙な話だった。アルノーの一件があったため、大聖堂のあった湖近辺は、後処理や捜索の兵士が送られている。

 だが土地的には王都にほど近いため、人員は騎士団もしくは王都直轄の兵士で構成されていた。クラオンやミリーの兵士が動員されているはずはない。

 そもそも二つの領軍は、少し前まではあわや戦争勃発という険悪な仲だったのだ。現状は有耶無耶うやむやになってしまっているものの、仲良く合同演習ということもないだろう。

 アーネとしては見間違いではないかと問いたいところだったが、質実剛健な兄貴分であるエルが目撃者とあっては、即座に否定もしかねた。


「ジズサーラさん、クラオン領とミリー領の軍というのは間違いないのでしょうか?」

「軍服が違うから見間違いようがない。哨戒がいたから人数までは捉えていないが、天幕の数から言って、まあ二百十人ほどだろうな」


 およそ一個中隊規模だ。軍事行動を起こせる規模ではないが、さりとて護衛任務などに就くには多い。ありそうなのが威力偵察だが、そうなると今度はどこに対して、という疑問が生まれる。

 きな臭いものを感じながら、取り敢えず訊いておきたいことは他にも幾つかあった。


「エル、野営してたのはそいつらだけ? 他の場所にはいなかった?」

「目視できなかったが、湖付近の森林内部に拠点がある。というよりこちらが本隊かもしれん。後は北岸にも、同規模の部隊が居座っている。風術で軽く探りを入れたから、間違いない」

「一個中隊を斥候に、本隊が二つに分かれて隠れているのですか。いつの間に、そんな」


 仮に王都の兵による巡回を避けれたとしても、旅商人や巡礼者を始めとした、一般人だって行き交うのだ。どうあれ目撃例が上がっても良さそうなものだが、現状はエルによる報告のみ。

 幽霊のようにいきなり現れた隠密性には、薄気味悪いものを感じざるを得ない。


「湖付近は哨戒が薄いエリアだけど、今は大聖堂の件で、復旧作業に出ている人だっているのに。どんな絡繰だろう。ってエル、風術使えるの?」

「山暮らしには、便利でな」


 しれっと言い放つエルに、アーネは驚きを隠せなかった。

 田舎暮らしの人間で、魔石を保持する人間はほとんどいない。魔石は出来の悪い使い捨て用であっても、それなりに値が張るのだ。エルとて楽な暮らしぶりではないのは、想像に難くない。

 それでも魔石に手を出したのは、生活の利便性の他にも、護身用としての意味も含まれていそうだった。アーネとエルの故郷は、野盗によって滅ぼされたのだから。


「この情報を陛下が信じるか、という疑問はもっともな話だ。一介の山男の言うことなぞ、ほいほい信じる方がおかしい」

「でもでも、情報部のバスフィールド卿は、上申を決めたわけだよね。何かもう掴んでるの?」

「実のところ、不倶戴天の仲であるクラオン家とミリー家が、連絡を取り合っていることは把握していました。彼らが多くの諜報員を、復旧の人足として王都に潜り込ませていることも報告されています」


 ということは、湖沼地帯の布陣についても当然確認済みなのだろう。情報部なのだから、裏取り作業は当然ではあるが。

 となると、最大の問題点が一つ残る。

 目的は何か、だ。

 そしてこれについては、さっきから具合悪そうに思案しているアディが、既に答えを握っていそうな雰囲気だった。


「先頃の内乱に巻き込まれた、二つの公爵家ですが。私の王位継承を決める会議には欠席しているのです。表向きは、当主不在及び領内の混乱鎮圧を理由に挙げていたのですが」


 それを出されては、まさに事件の中心となったリデフォール王家としては、断り難いだろう。

 しかし領地の内情がどうあれ、国の後継を決める大事に公爵家が参加しないというのは、一般的には考えられない。


「それって、叛意ありってこと?」

「不満はあるでしょうね。長年国に仕えた身からすれば私はぽっと出に映るでしょうし」

「エミリア教がアルノー氏を先王として認めちゃったのも、二大公爵家を増長させてる要因ですねえ。王位継承が国の直系に依らないと認められたのに、結果的にはアーデイリーナ様、つまりリデフォール本家がまた相続することになりますし」


 継承の認知に関しては当然、現政権がエミリア教国相手に厳重抗議したが、反論虚しく覆らなかった。司教まで出張させた戴冠式にも関わらず、大事故が起きたことに対する、エミリア教からの意趣返しというわけだ。

 もちろんリデフォール王国としてはエミリア教の声明を支持していない。

 戴冠式の最中に死んだのだから、アルノーの王位継承は無効というスタンスだ。そのせいで歴代リデフォール国王の顔ぶれが、国内外で異なるといった事態になってしまっている。

 その状況まではアーネも把握していたが、その隙を狙って公爵家が野望を露わにしているというのは、流石に想像の埒外だった。

 言われてみれば確かに、アルノーの王位継承は、他の有力者からすればチャンスでさえあったのだ。次代の王は自分が、と考えてもおかしくない。

 なのに元の王家が後を継いだのだから、アルノーの即位を認めた甲斐がない。アルノーが初代国王の直系である事実を、王宮は非公表としていたのだが、その判断がここに来て仇となった。

 もっとも当のアルノーは、そういった虎視眈々と玉座を狙う輩を、折を見て一掃する腹積りだったはずだが。早期にたおれてしまった結果、有力者達が力を削がれることなく、今に至ってしまっている。

 この辺りは、アーネとしても考えさせられる事案だ。自分がアルノーの前に立ちはだからなければ、彼が進んで解決していたイザコザなのだ。


「えっと、じゃあやっぱりクラオン家とミリー家が嫌がらせしてる?」

「国王の住まう場所に、少数とはいえ兵を差し向けるのが嫌がらせか? 十分な反逆行為だろう」

「いやでも、今公爵家を敵に回すと、ねえ」


 アーネが困り顔でその場の面々を見回す。叛逆と断ずるエルに対し、何とも言えない表情なのがアディとベルサだ。二人は王都住まいなだけあって、現状をしっかり認識している。

 今、二つの公爵家を敵に回しても、王家は勝てない。その戦力的余裕が、王都にはない。

 騎士団は半壊状態。動ける人員は街の復旧に従事している。クラオン領への牽制で出ていた一軍は、そのまま置き去りになっていて、すぐには戻ってこれない。

 城を守るのは僅かな衛兵のみ。対してクラオン領もミリー領も、開戦直前であったものの、結果的には無傷で軍隊を確保している。この状況では、下手をすれば他の有力貴族も二大公爵家に与するかもしれない。

 いくら挑発的な圧力をかけられても、今は流すより他はない。

 その場の雰囲気から、他三人がで済ませたい意志を感じ取ったのか、エルは不機嫌そうにふんと鼻を鳴らす。


「なるほど、ロベールの時代が長すぎたと見える。すっかり傀儡根性に浸かりきったようだな」

「エルネスト氏、困りますよ。女王陛下を前に、そんなはっきりと」


 歯に絹着せぬエルの物言いに、アーネは改めて考え込む。

 エルの言うことは分かる。

 譲歩し出せばきりがないし、先々代のてつを踏みかねない。今後の長い統治を見据えれば、序盤でしっかり手綱を締めるべきだ。

 とはいえ、争いになれば負ける。

 負ける以上、戦争に至る前に、公爵家には平和裏に矛を納めてもらいたい。


「この件は引き続き情報部でも探ってみます。流石に先方も、安直な行為に出ないでしょうし」

「そうですね。私の方でも王室の伝手つてを使って、両家にコンタクトを取ろうかと思います。話し合いで解決するに越したことはありませんし」


 煮え切らないまま、話は終わろうとする。とはいえ今いるメンツで決められることなど、ほとんど無い。国内の揉め事ひとつにしろ、騎士という地位だけでは何も変えられないに等しい。

 分かっていたことではあるが、忸怩たる思いがアーネの中に生まれる。


「こういうのが、嫌だったんだろうなあ」

「アーネさん?」

「ごめん独り言」


 何事も、辛抱強くやるしかない。

 性急な手段では稚拙な結果しか生み出さない。

 アルノーのようなならぶ者なき才を持ってしても、あのような末路しか与えられなかったのだ。凡人たる身の上では、言うに及ばずである。


「そういえばベルサさん。別件でお尋ねしたいことがありまして。つい最近私が決裁した事案で、文書が意図的に取り違えられたケースがありまして」


 話を切り出すチャンスと見たのか、アディがここぞとばかりに、アーネが持ち込んだ一件を話題に上げる。

 さっきまでの不穏な話と比べるとスケールが小さすぎて、アディに話させるのが申し訳なくなってくる。アーネも当事者として補足を交えつつ、あった出来事についてベルサ達に相談した。


「単に、文官のミスじゃないのか」


 エルが話を聞いた直後に、はっきりと言い切る。

 その可能性も無いではないだけに、アーネとしては縮こまる思いだ。


「今までこういったミスは見られないのです。今回だけ、しかもわざわざフォーマット違いを用意するという手の混み具合に、誰かの意図を感じまして」

「とはいえ、絶対に起こり得ないとは言い切れないな。書類も文官が各々で用意するのだし、ある程度の使い回しや相違は許容されているのだろう?」

「そうですねえ。留め置けない案件でもないし、気長に犯人探しすれば、いずれ分かるのでは」


 心当たりが無いとした上で、二人の回答は至極もっともなものだった。実害の無い第三者からすれば、そう判断するのも無理からぬ話ではあるのだが。

 ただこの件に関してアーネが、何か言いようのない気持ちの悪さを感じているのも事実ではあった。


「嫌な気配なんだよね。相手からすれば、当たっても当たらなくてもいい投石が、見事命中したかのような。そんな不確実で意味の浅い攻撃を向けられているっていうかさ」

「かの事件で、お二人は一気に名を上げましたからねえ。嫉妬や嫌悪を向ける人間は、少なくないでしょう。それこそ公爵家なんかも、踏み台にされた気分でしょうし」


 結局。場に持ち込まれた議題はすべて、何の解決の糸口も見出せなかった。

 何か良からぬものが動き出しているのに、捉えるどころか探ることさえままならず。

 もやもやした気分を抱えながら、その場は一旦お開きとなった。

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