第36話 女王の憂鬱な午後、見え隠れする敵意
慣れ親しんだ足取りで、アーネは城内を歩く。
かつては、団長補佐を務めるアルノーの従士として、寝泊まりもしていた場所だ。
既に目当ての人物のスケジュールは、聞き込みで把握していた。都合のいいことに、今は執務室で政務を行っているらしい。しかし今後は来賓対応も控えているらしく、急な用件を
「よーし。久々の潜入調査、いってみようかな」
アーネはそれとない挙止で空き部屋に潜り込み、持ち込んだ侍従服に着替える。
そのまま厨房に向かい、南大陸原産のお茶をティーポットのまま拝借した。カップやソーサーなど気品のある物を選びつつ、お茶受けとして道場から持ち込んだ
それらを銀の盆に乗せ、堂々と王族の住まう主塔に向かった。
途中の詰所にも、入城証を片手に立ち入り、実名で記帳する。衛兵が目付として傍に控えることになったものの、成り代わりを疑われることなく、チェックをスルーした。
かつてアルノーからの調査依頼のため、こっそり作っておいた侍従用の身分証が、思わぬところで役に立った。
アフタヌーンティーを運ぶ城の侍従として、めでたくアーネは女王の執務室まで辿り着く。ノックをして用件を伝えると、「はい」と身軽な言葉が返ってくる。
「ご公務の最中、恐れながら失礼致します陛下。ご休憩のお品物について、お持ち致しました」
「すみません。ありがとうございま、アーネ⁉︎」
「はい、アーネにございます。先ほどご拝命を受けたお茶と果物でございます。色褪せるのが早うございますので、お早めに召し上がりくださいませ」
恭しく頭を下げつつ、有りもしないでっちあげを堂々宣う。こっそりと、アーデイリーナ女王にだけ見えるよう、後ろに立つ目付役を指差して合図する。女王はすぐに得心がいったようだった。
「衛兵の方も、お疲れ様です。ここは大丈夫ですので、業務に戻って頂いて構いません」
「はっ。ですが陛下」
「彼女に着替えを手伝って貰おうかと、考えているのですが。それでも?」
「いえ、これは失礼しました! 何かあれば備え付けのベルをお鳴らしください」
衛兵が慌てて退出していく。
外に誰もいなくなったことを確認しつつ、アーネは大きく息を吐いた。
「ふう、変装大成功。久しぶりだけど、何とかなるものだね。城の警備を考えると、不安になることこの上ないけど」
「近頃は入れ替わり立ち替わりですから、衛兵も人相までは把握していないのでしょう。でも懐かしいですね、その侍従服。預けたままでした」
「ふふ、似合うでしょ。もっと褒めていいよ」
言葉を崩し居住まいを緩めて、二人は笑みを浮かべ合う。
お互い多忙を極め、顔を合わせるのは三ヶ月以上も間が空いてしまった。かつては毎日のように顔を合わせていたのに。それだけ各々の立場が、昔とは激変していた。
「アーデイリーナ女王陛下におかれましてはご機嫌麗しく、も無さそうだね。凄いやつれてる」
「毎日慣れないことの繰り返しです。それと昔のように気軽にアディとお呼びください。割と気に入っているんです」
国にもよるが、リデフォールにおいてアディという愛称は、男性に対して使われる。現に、幼少の頃の彼女の愛称は、イリーナ姫だった。
女性であることを隠さずに済むようになった今では、「アディ」は確かに縁遠くなった名前だろう。
かつての愛称では、隠棲時代を思い出し嫌な気分になるのではと、アーネは危惧していた。だがこの様子では、意外と気に入っていたのかもしれない。
「でも会えて嬉しいですアーネさん。最近はお友達が訪ねてくることも無くて、寂しかったんです」
「本当は、もう少し頻繁に会いにきたいんだけどね。女王になったばかりで大変かなって」
「そんな。むしろ疲れが吹き飛ぶというものです。変装せずともいらしてください。いつでも、は流石に難しいでしょうが」
入室した時とは違う、朗らかな笑顔を見せる。慣れない環境で弱音も迂闊に吐けず、それほど人恋しかったのだろう。
そのまま女子二人、取り留めのない話に花を咲かせる。仕事の邪魔になることを気にしていたのに、気付けば日が傾きかけるまで、今日に至るまでの近況を報告し合っていた。
「侍従から女王に昇格したわけだけど、お仕事は慣れた?」
「全然です。大臣や近侍達に、注意されることも多くて。帝王学とは程遠い場所に、身を置いていましたから」
とはいえ彼女は元から所作が丁寧で美しかったし、身だしなみもいつも整えている。注意を受けるとすれば、仕事への姿勢だろうとアーネは想像した。
庶民感覚が染み付いていて、良くも悪くも優しすぎる。一国家元首としては、大事な決断を下す場面も出てくるだろうから、ともすれば常識知らずの優柔不断と見られかねない。
「そうだ、アディのお仕事の絡みで来たんだった。ちょっとこれ見て欲しいんだけど」
道場にきた役人が持って来た、道場接収に関する命令書の副本をアディに見せる。
彼女は嫌な顔一つせずふむふむと顎に手を当て読み始め、すぐさま青い顔をする。
「そんな、道場の接収なんて。でも、これは」
困惑し始める彼女だが、思い当たる節はないでもないらしい。アーネは自分の感じた違和感が、正解だったことを察する。
「復興庁が、資材置場の拠点を探していたことは聞いています。難航していたため、民間の建屋を接収する方向に動いていたことも知っていました。同意が取れたものは、認可した覚えもあるのですが」
「今日、役人がいきなり来たよ。前打ちも無くて、おかしいなって思ってたんだけど」
同意書を交わした覚えも無ければ、事前説明も無い。国からの命令として無理矢理に接収することは可能だが、それは話が拗れた際の最終手段だ。ロベール宰相時代ならばともかく、今そんな強引な手法が取られるかと言われれば、疑問があった。
しかし、そうなると一つ厄介なことがある。
「でもアディの自筆なんだよねえ、どう見ても。こんなの偽造できるもんでもないし」
当然、国王のサイン偽造は重罪だ。すぐさま捕縛、極刑でもおかしくない。そこまでリスクを犯して、誰が拠点としてあの道場を欲しがるだろうか。
この先は言いたくないなと考えていたら、アディは率先して頭を下げてきた。
「ごめんなさい、私のミスです! こんなの、手元にきた段階で退けなきゃいけないのに。ほいほい適当に承認するなんて、我ながら恥ずかしい」
「あー、ごめんね。慣れない仕事の連続だろうし、もしかしたらあるかもって思ってた」
しきりにアディが頭を下げる。
とはいえ実のところ、アディが罪悪感に苛まれる筋合いでもない。アーネは懐から、更に二通の羊皮紙を取り出した。
「アディ、嵌められたんだと思う。ウチに出された接収命令書だけ、他と仕様が違うの分かる?」
「……そういえば。復興庁で取り扱う文書には違いありませんけど、この仕様は命令書じゃなくて国有物の保管・廃棄に関する許可証だったような」
アディが新たに出した羊皮紙の一つは正規の命令書、もう片方は保管・廃棄許可証、その原紙だ。
二枚の書類は書式こそ似ているが、題名をはじめ、記入項目の位置や数など微妙に異なっている。
これに道場の接収命令書を並べると、明らかに保管・廃棄許可証の方に寄せた書式であることが分かる。
文書の仕様は、それぞれが手書き故に、実運用においては細部が異なるケースがままある。だがこれは、明らかに意図的なフォーマットの変更だ。
「アルノーの仕事で見たことあったから、気付いたんだ。国有物って備蓄食料やら資材やら多岐に渡るし、ある時期に纏まって動かすでしょ。今だったら戦地で破壊された非常用物資とか。だからわざと命令書の仕様を崩して、保管・廃棄許可証が大量発生した時に、そこに紛れさせたんじゃないかなって」
違う書類とはいえ、途中で一枚だけ紛れ込ませたりすれば、見間違うのも無理はない。
普通なら事前にチェックする書記官がいて、承認を貰う前に口頭で説明もしているはずなので、アディばかりの責任ではない。
「これ見るとウチ宛の接収命令書、作りが完璧に許可証寄りなんだよね。連続で処理してたら間違うと思う」
特にアディはこの仕事について間もないし、疲労も溜まっている。
それはつまり、ある事実を示唆している。
「つまり誰かが、私にミスを誘発させて、道場を接収しようとしたと。誰がそんなことを」
大胆で傲慢が見え隠れする犯行だった。アーネとアディを舐めている。
「問題は犯人なんだけど、これがねえ」
「偽の命令書の作成者か、通した王宮側の書記官では? 文書に明記されてますが」
「作成と提出が別部門だから、どこで混ざったか何とも言えないんだよね。言い訳が簡単というか、
偽造文書に名前が書かれていただけでは、不正の証拠にするとなると少々弱い。替え玉や偽名を使った可能性さえある。
「関わった者に聞き込みをして、違和感や矛盾点を突き詰めていけば或いは、でしょうか」
「でもそれって、凄い時間食うじゃん。立ち退き期限まで、もう時間がないし」
「なるほど、それで命令書の撤回ができないか、相談にきたんですね。分かりました。フォーマットが異なることですし、それを理由になんとか」
「待った、それはしなくていいや。仕様違いを指摘しても、書き直されちゃえば、また接収命令書は回ってくる。一度内容を認めた以上、明らかな不備がないと次は突っぱねられないでしょ」
一度承認したものを簡単に取り潰しては、それこそアディの今後に差し障る。王とて信用が大事なのは変わりない。
ただでさえ急に湧いて出てきた王族なのだから、わざわざここで不当に株を下げさせたくはない。
「ですが元を辿れば、間違いに気付いて差し止めていれば済んだ話。私のミスで発生した案件です」
「何でもかんでも背負い込まなくていいよ。頑張ってるんだからさ」
「では、どうすれば」
無理やり撤回させること自体は可能だ。それには女王としての信用が引き換えになる。
犯人探しも難しい。時間がかかるうえ、確実な証拠を掴める保証もない。
そして伝えてはいないが、アーネの勘が正しければこれは単独犯でもない。一人でやろうとすれば、必ずどこか運任せな場面が出てくるし、罪を考えると割に合わない。
恐らく、かの事件で名を挙げたアーネとアディ、二人に対する組織ぐるみの犯行だ。どう転んでもどちらかがダメージを負う。
しかし負傷必死な割には、さほど深刻な被害には至らない。
こういうネチネチした嫌がらせをしてくるのは官僚か、議会かだとは思うが。
「取り敢えずダメージはこっちで請け負うよ。後々考えると、アディの発言力が低下した方が困る」
「でもそんなことをすれば」
「うん、いいの。前から考えてはいたから、いい機会なんだ。あたし達、あの場所を出ようと思う」
あそこは居心地が良すぎて、何かきっかけが無ければ出て行けなかった。
でも、辛い思いが痛みに変わる前に、動かなければと考えていた。
今がきっと、その時なのだろう。
アディが何とも言えない表情で、迷っている。
その優しさに感謝しつつ、次の方策について切り出そうとして。部屋のドアがノックされたのは、そんな時だった。
「申し訳ありません、陛下。謁見予定だった情報部のベルサ・B・バスフィールド卿がお待ちです。準備が整いましたら、応接室までお願い致します」
どうやら次の公務が控えているようだった。
これ以上はここにいても邪魔になる。アーネは話を切り上げ辞そうとすると、アディが手の平を向けてきて、待つよう合図された。
「伝令ありがとうございます。すぐ向かう旨を先方にお伝えください。護衛は今、室内に待機させてますので手配は不要です」
「は、了解致しました」
扉の外で、伝令係が去って行く足音が聞こえる。
アーネは怪訝な表情でアディを見つめた。
「ねえ。その護衛って、まさか」
「ベルサさんは情報部の重鎮ですから、立ち退きの件について相談しましょう。運が良ければ文書取り違えの犯人について、分かるかもしれません」
どうやらアディは、犯人探しを諦めてはいないようだった。女王相手に、未必の故意を仕掛けるのはもちろん犯罪なので、どのみち捜査すべき案件ではあるのだが。
半ば諦めてはいるものの、アーネとしても事件が早期解決するに越したことはない。
「女王直々の指名じゃ仕方ないね。護衛の任務、頑張らせて貰いますか」
「ええ。早々に諦めるなんて、らしくありませんよ。復興庁としても大事な案件ではありますが、大至急ということでもないはず。私の権限で少し留め置きますので、一緒に調べてみましょう」
何故かアディは、やる気に満ち満ちていた。両手で拳を作って、むんと鼻息を荒くしている。
彼女にも落ち度があったので、失態を取り返したいのかもしれない。仕向けられたことなので、気にしなくてもいいのだが。
とはいえ、最初に顔を合わせたときのような疲労感は、今のアディからは見られない。一緒に行動して息抜きになるのであれば、アーネの側としても、これ以上引き留める理由は無い。
「じゃあ聞き込みと行きますか。それで、バスフィールド卿とは何の話をする予定? あたしも居て大丈夫?」
「ええ。改めて、紹介しておきたい人がいるとのことで。私も会ったことがある方なのですが、その時は素性を聞いていませんでしたので」
ベルサが紹介したいとなると、情報部の協力者といったところだろうか。まさか本当に顔見せで終わるはずはないだろうから、何かしら厄介な案件を抱えた人間かもしれない。
また面倒ごとに巻き込まれる予感を抱きつつ、アーネは親友と共に応接室へ向かった。
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