第33話 巫女の誤算、風見鶏の不満

「うそ。え、死んだ? リヴァイアサンが?」


 何の冗談だと言わんばかりの表情で、リデフォール軍情報部在籍にしてソロン帝国の諜報員、ベルサ・B・バスフィールドが驚愕する。

 場所は、大聖堂が見下ろせる小高い丘の上。

 要職者が揃って出払った隙に、ここぞとばかりに本国と連絡をとっていた彼女だが、ただならぬ気配を感じて戴冠式の会場まで急行しようとした矢先、結末を悟ってしまった。

 傍には、同じく異変を察した風使いの青年もいる。たまたま途中でベルサと鉢合わせた結果、ここぞとばかりに風術による高速移動を強要させられていた。


「いやいや、嘘だあ。だって完璧に力を使いこなす直系ですよ。他の四大や伝承殺しが相手な訳でもないのに。しかも水辺でなんて」

「喜べ、お前のレーダーはまともだぞ。本当に死んだようだ」


 ベルサが膝から崩れ落ちる。

 彼女とて青年に指摘されるまでもなく、分かっていただろう。

 この国に入ってからずっと感じていた、拭いきれない圧迫感が、今し方消え去った。それの意味するところは一つだ。四大の魔石の一つ、その継承者がたった今、身罷みまかったのだ。

 力のバランスが崩れたせいで、軽い酩酊感さえ覚える。


「仕掛けを施しすぎたな。関係者をけしかけてアルノーの自律を促す。できなければ孤立させ、連れ出しやすくする、といったところか。策に溺れるにも程がある」

「仕方ないじゃないですか、あんだけメンタルボロボロなんだから! 壊れないよう補強するにしろ、壊れても使い物になるよう操るにしろ、保険掛けたくもなりますよ!」


 珍しく大声で抗議する。

 だが勢いはすぐに失われ、ベルサはいじけたようにその場にうずくまった。


「せめて戴冠式には出るべきだったな。お前なら潜り込めただろうに」

「エミリア教の奴らが来るのに出れるわけないでしょう、こちとら一級のお尋ね者ですよ。やっといい手札を握れたと思ったのに。帰れると思ったのに。どうするんですか手土産無しじゃ帰れませんよ!」

「帰りたければいつでも帰れるだろう。収まった内紛が、また勃発するというだけで。伝承殺しへの対策は充分か? かの神殿騎士団のと真っ向勝負とは、その度胸には恐れ入る」


 ベルサがうめき声をあげながら、今度は仰向けで倒れ込む。

 青年も虐めすぎた自覚はあったが、いつにも増して情緒不安定振りが著しい。

 それだけ、今回のショックが大きかったということだろう。

 北部大陸における停戦には、彼女が大きなファクターとして絡んでいる。帰国すればエミリア教国との全面対決は免れない。


「この間サルベージしてやった予備プランはどうした。わざわざブラフ用の贋作までこしらえてたろう。元は本命だったのだから、また切り替えればいい」

「未だ、うんともすんとも言いません。というか情勢的に最早意味あるかも怪しいです。うう、ソロンに帰りたいよう、マスター」

「やれやれ」


 彼女がリデフォールに来て二年。懐郷にさいなまれるのも、仕方ないことではあった。

 二年間彼女を匿い続けたロベールは凋落し、直近では、渡しをつけたばかりのアルノーが没した。掛けた時間を考えれば、項垂れたくもなるだろう。

 見るに見かねて、褐色の青年が声をかける。


「いつまで寝転んでいるんだ。駄目なら駄目で損切りしろ。死んだならばそれはそれで、得るものはあるだろう」


 青年の言葉に、ベルサが考え込む。ややあって、何かを思い出したように飛び起きる。


「遺骸! 魔石! 急いで回収しなくちゃ! 手伝ってくれますよね?」

「お前、俺を友達か何かと勘違いしてないか? 競争に決まっているだろう。ちなみに俺はもう捜索をかけているぞ」


 いつの間にか、青年の胸元が淡く輝いている。何かしらの術を行使している証拠だ。出遅れを思い知らされ、ベルサは顔を青ざめさせる。


「ああもう、エルネスト氏の意地悪! カタがつくまでは同盟って言ったのに!」


 立ち上がり、そのまま湖の方へ走って行く。あっという間に姿は見えなくなった。

 見送った青年は、やれやれとばかりに首を振る。


「カタならついただろうに。つい今し方」


 リヴァイアサンを巡る、ベルサと青年の契約は終わった。

 ベルサがこの地でエミリア教国への対抗手段を得る間、青年は援助を行う。それが二人の契約内容だった。対価としての報酬は、青年はもう得ている。

 だが彼女が母国のために持ち帰れるものは、最早この国には存在しない。大海蛇の水晶リヴァイアサンの魔石は、過去の滅びた継承型の例を見るに、確保は絶望的だ。

 遺骸とてその価値はともかく、それ単品ですぐに活用できるものではない。

 もうリデフォール王国は、出涸らしにすぎない。

 

「とはいえ。実験場としての存在価値はあるか」


 丘から見下ろせば、湖岸の一角、脱出した参列者たちが集まっている場所が見える。

 視線の先では、今回の事件を引き起こした直接要因が泣き崩れていた。


「アルノーめ。だからさっさと抱いておけと、出立の日に助言してやったのに。拒絶されて絶望するくらい愛していたのならば、なおのこと。裏切られることはないと、身勝手な信頼をしたな。完全にものにしておけば、こうはならなかったものを」


 かつての光景を、青年は思い出す。

 焼けた集落跡。

 無数の知人達の遺体。

 途方に暮れる弟分。

 泣き止まない妹分。

 父に連れられ始まった、異邦の地での偽りの暮らしは、様々な怒りを青年に植え付けた。だが救いが全く無かったかと言えば、嘘になる。


「だがまあ、予想外と言えば予想外の展開だ。今後はつまらん消化試合に化したがな。俺はお前とは違う。秩序のための暴力ではなく、感情任せの暴力を振るわせて貰う」


 それによって、例えアルノーが守りたかったものを壊すことになっても。

 社会に抗うためのシステム作りなどしない。怒りのまま憎しみのまま、己はこの国を砕くだろう。

 計画は依然実行中だ。少々軌道修正の必要が出たが、実行の難易度でいえば、むしろやり易くなったまである。最終的にはアルノーと相争うことまで考慮していたので、彼が亡くなった今、当然と言えば当然の帰結だが。

 今後の計画を再確認しつつ、褐色の青年が崩れ落ちた大聖堂跡を眺める。湖から海まで広がっていった、大海蛇の水晶リヴァイアサンによる輝きはとうに失われ、生命の気配は全く感じない。


「無様な終わりを迎えたな。だが楽しかったろう」


 短くも壮大な旅路を終えて眠る友人に、はなむけの言葉を送る。夢半ばで斃れた既知に対して非道な言い様だが、その言葉には確かに、羨望のような感情が乗せられていた。


「否定はさせんぞ。どのような結末であれ。自分の願いに向かって、足掻きもがいてつまずきながら我武者羅がむしゃらに進み続け、傍には支える者もいて」


 それは間違いなく、充実した道のりと呼べるものだっただろう。

 多くの市井の人間はそれすら味わえないまま、泡沫の如く消えて行くのだ。


「お前の願いは叶わなかった。何かを為し遂げるものには成れなかった。しかし空虚ではなかった。それは決して不幸なことではない。だからもう眠れ」


 最後に、友の死後の先が安らかで在らんことを、心から祈る。

 祈れる立場ではないことは、百も承知だが。

 意図して彼の人生を捻じ曲げた、自分には。

 そんな自嘲的なことを、青年は思い浮かべる。

 最後にもう一度だけ、青年はもう一人の顔見知りに視線を送る。


「それに、意味の無い人生にはならないだろう。虎は死んで皮を残すが。果たしてお前の死は、何を遺すことになるのだろうな」


 丘の上に風が吹く。

 陽気なのに寒さを感じる、春の風。

 まるで、最後まで傍観者を決め込んだ青年を責めるかのような、冷たく虚しい風だった。



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