第26話 舞台の上、万雷の喝采
演説の日の朝、アルノーはいつもよりも遅く起きていた。先日のアーネとの口論について、ずっと悩み続けていた結果である。今朝はそのしっぺ返しを、もろにくらってしまっていた。
遅く起きたというのに、窓の外は今もなお仄暗い。重しのように分厚い雲が、リデフォールの空を覆い尽くしていた。隙間のない
昨晩、家に戻るのも億劫だったアルノーは、自分の執務室にあるソファで寝ていた。出向話の際追い出された部屋だが、王城奪回を経て取り返すことに成功していた。しかし住み慣れた部屋とはいえ、固くて狭い寝床は、疲れを万全には癒してくれない。
連日の会議に加え、ロベール戦の消耗も全快とはならずにいる。結果的にそれは、アルノーの精神的な部分も磨耗させていた。
服を着直し部屋を出ようとして、足を止め振り向く。そこには、退去前と後でほとんど変わらぬ執務室があった。
政治や経済、剣術やゴシック誌などの本が収められた本棚。ジャンルがバラバラだから整理しろと、アーネによく言っていたものだ。引越しの際に持って帰ったはずなのに、いつの間にかまた持ち込まれている。
時折、山のような書類と白兵戦を行うオーク材の机は、今は綺麗に片付けられている。壁際にある大きめの黒いソファは、忙しいときは寝台代わりにしていた。
面白みのない部屋だとは、アルノー自身も感じている。あまりに何も無い部屋なので、ちょっとは上流階級らしく、でかい絵や熊の毛皮でも飾ったらどうだといつも言われていた。これもアーネのような気がする。この発言が元で一時期飾っていた鑑賞用の甲冑は、自身の
「あいつ、貴族に変なイメージ持ってるからなあ」
楽しい日々を思い出しつつも、その思い出の風景はすぐに先日の口論で塗り潰される。思っていた以上の彼女の反発に、ショックを受けなかったといえば嘘になる。
ジェラールとの闘いのときにも抱いた葛藤が、再び蘇る。アルノーは自分で思っている以上に、未だ迷いを振り切れていなかった。
だが最早全てが遅い。計画は仕上げの段階に来ている。今更後戻りはきかない。進むしかないのだ。そう思い込むことにアルノーは専念する。
不意に部屋の隅を見る。
己の師、ジェラールがアルノーのことを、冷たい目でじっと見ていた。
もちろんそれは錯覚で。
ここ最近、すっかり見慣れてしまった、ただの幻影だった。
亡霊、というには流石に
そう、思っているのに。
「先生。俺、本当にこれでよかったんでしょうか」
封じ込めるべき言葉が、思わず零れ落ちた。
結局。何も振り切ることが出来ずに、彼は演説の時を迎えることとなる。
幻は何も語らず。ただただアルノーを視線のみで責め立てる。
演説の時間。テラスからアルノーが顔を出すと、予想より遙かに多い民衆で溢れていた。ひょっとしたらジェラールの葬儀のとき以上かもしれない。誰もが、英雄サー・アルノー万歳と声を張り上げている。アルノーはその壮大な迫力に気圧されかけたが、やがて覚悟を決め、一歩を踏み出す。
彼の演説が始まった。
「えーと、みんな。この度の軍事行動、驚いていると思う。だが言わなくても、理由は伝わっていると信じている。俺はあれ以上、ロベールが好き勝手やるのを見逃せなかった。何より奴は、この国の宝とも言える人達を、次々と闇に葬っていた。自分の野望のためなら誰だって殺してしまう凶行に、もう我慢できなかったんだ」
自分のことを棚に上げて何を言っているんだろうと、心の中で
だがこんな馬鹿げた茶番でも、民衆の心を掴むためには必要だった。
その後も適当に前口上を述べたところで、アルノーはいよいよ本題を切り出す。
「だがロベールも良いものを遺していった。二院制、庶民院設立の件だ。しかしあいつの議会には弱点がある。それは議員が全員ロベールの手駒だったことだ。あれじゃあ庶民院の存在意義はない。このまま導入したところで、同じ過ちが繰り返される可能性は否定できない。ならどうするか」
ここでアルノーは、一つ呼吸を空ける。聴衆にも考える間を与えることが狙いだった。小細工じみた演出だが、やって損はない。
「当初は庶民院議員を指名制にする手筈だったが、これを選挙制に変える。年齢や国籍、財産等の条件を付けたうえで、国民であれば誰でも立候補できるように間口を広げたいと考えている。庶民院が貴族院の意向で作り上げられるのはおかしいだろう。自分で立って、自分で選んで、それでようやく本当の意味で、平民だけの議会が出来上がるんだ!」
広場が急にしん、とする。それから少しずつ、再びざわめき始めてきた。戸惑っているのが、手に取るように分かる。
「平民が選挙に出て議員を選ぶなんて、ちょっと想像できないかもしれない。だけど俺はずっと考えてきたんだ。どうすれば民だけが、割を食うことがなくなるのか。どうすればロベールみたいな奴に、国を乗っ取られることがなくなるのか。答えを見付けてみたら、単純なことだったんだよ。民自身が、一から政治に参加すればいい。民にとって不利な政策が作られたとき、みんなはそれを拒否していいんだ。声を出すことを、認められるべきなんだ」
口上は間を意識しつつ、場合によっては一気に畳み掛ける。拙い印象操作だと自覚しつつ、練習通りに言葉を繋ぐ。
「だが民だけの選挙を作るといっても、簡単なことじゃない。貴族達の反対だってあるだろう。だからみんなにお願いがある。俺を、王にしてはくれないだろうか? 平民出の王がいるんだ。平民のための議会があってもおかしくないだろう? それにもし俺が間違ったことをしようとしたら、みんなで遠慮無く玉座から叩き出してくれて構わない。そのための議会なんだしな。俺は、お飾りでいいんだ。この国が貴族だけでなく、民のものでもあることの象徴。実際、俺に指導力なんてものが備わっているのかも疑問だし、政治自体はある程度議会に一任しようとも思っている。今のままじゃ駄目なんだ。きっといつかまたロベールみたいな奴が現れる。だから変えられるときに変えてしまわなきゃ駄目なんだ。俺達は平民だからって、いつまでも甘えてちゃ駄目なんだ。嫌な目に遭いたくないなら、自分で動き出さなきゃいけないんだ」
誰かに任せるだけでは何も恵んでもらえない。自分達の身は自分達で守るしかない。
それは日常生活に限らない、身分制度や社会的立場にだって言えることだ。
ただ、規模が大きすぎて誰も気付かなかった。それをアルノーは言ってみせた。
「だけど貴族達は納得しないと思う。何せ、平民と肩を並べることになるんだからな。そんなのプライドが許さないだろう。俺にはみんなのための議会を作る力が、まだ無いんだ。だからせめて、みんなにだけでも認めて欲しい。俺が王に成ることを。もし俺に王の肩書きがあれば、貴族達もきっと無下には出来ない。ロベールを見ていたらつくづく思うことがあったよ。王は国を守ってこそ王なんだってね。俺の作りたい国は貴族だけじゃない、平民でも幸せにいられる国だ。そのためなら俺は、平民だって貴族だって守ってみせる。だからお願いだ。俺に、皆のことを守らせてはくれないだろうか?」
アルノーの言葉はそこで途切れた。さっきまでのざわつきも完全に消えていた。
沈黙。
その中でどこからか、手を打つ音が鳴った。その音は周りを巻き込みどんどんと大きくなっていく。気付けばその場にいた誰もが手を叩いていた。貴族も、民衆も、騎士も、みんな惜しみなく手を叩き続ける。城の前の広場が、怒号のような拍手の音に包まれていく。
誰も何も言わなかった。その声なき賛意は、いつまでも止むことなく響き続けた。
それは、テラスに立つ年若い青年のためだけに送られた。
これより十日後。
臨時議会が開かれ、先王や騎士団の後押しを受けたアルノーの国王即位が決まった。
反対を熱弁する声も無い訳ではなかったが、粛清と根回しが進んだ今の王宮に、アルノーを止められる者はいなかった。
併せて、戴冠の日取りも組まれることになる。
後に悲劇として語られることになる、「血染めのの戴冠式」。
アルノーにとっての運命の日が、このとき決定された。
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