第12話(下)離間、戸惑いの夜
アディは、自分の動悸が高まっていくのを感じていた。
主人の部屋に通された以上、いきなり拷問ということはないだろうが。先ず以て、ろくなことにはならない。
そんなことを考えていると、ロベールは予想に反し恭しい態度で頭を下げた。
「わざわざ御足労頂き恐縮です。どうぞ、こちらにご着座下さい」
ロベールが執務机横のソファを手で示す。威厳に満ち溢れているが、どこか丁寧さを感じる口調だった。
ソファは革張りで、座ると沈み込むようにアディの体を受け止めた。
「春とはいえ、外はお寒うございましょう。家の者に酒でも用意させましょうか。麦酒、果実酒、蒸留酒と揃えておりますが、お好みはありますかな」
「いえ、あの。下戸なので」
「おや、これは失礼。酒で暖の代わりとするのが、私の悪い癖で。年のせいか、近頃は特に寒さに敏感でしてな」
「はあ」
「ではお茶でも。それとも日が傾いております故、軽い食事でも用意させますか」
「あの、本当にお構いなく」
何故か軽い世間話をしてしまった。
仇敵として見ていたロベールにこのような柔らかい態度を取られるのは、アディとしても想定外だった。だからこそ、不気味さが先行してしまう。
「日中はご友人の引っ越しの手伝いに出ていたと窺っております。まだお若い証拠でしょうな、意外に活動的であらせられる」
怪訝に思うアディを知ってか知らずか、ロベールは同じ調子で話を続ける。
しかしやはりというべきか。アディが今日どこで何をしていたのか、しっかりと調べられているようだった。
「此度の強引な招待については、何卒ご容赦願いたい。数日後に城が火の海になるとあっては、礼を失するも仕方なしと判断致しましたゆえ」
「なっ、あなたはどこでそれを!」
「一部勢力に城攻めの準備があることは、存じ上げております。嘆かわしいものですな。百年前の初代国王の乱心。さらには十年前の、王室別邸の焼討ち事件。それに続くリデフォール城を舞台とした悲劇が、繰り返されることになるわけです」
心臓が、握り潰されるような錯覚を覚える。
まさか。そんな。
色々な思いが、脳内を駆け巡っていく。
軽い寒気を覚え、肌が粟立っていくのをアディは感じた。
「当然こちらも、迎え撃つ用意は進めております。ご安心を。陛下を害する真似は決してさせませぬ故。さぞや、ご心配でしたでしょう」
道場での密談を聞かれていた。それならばまだいい。
だがあの時は、アルノーが水術まで用いて細心の注意を払っていたはず。間諜を付けたとしても、話の聞こえる距離まで近寄れたものだろうか。
屋内では風使いによる盗聴も困難だと、いつぞや聞いたことがある。
であるならば。今の話で、ロベールが言いたかったことは。
宰相のクラオン家は公爵家であり、古くは王室の流れを汲んでいる。継承権は消失しているものの、その独自の情報網は王家にまで及んでいる。
ならば自分にとっての最大の秘密を、目の前の老獪な貴族は既に掌握しているかもしれない。
そうであるならば彼の慇懃な対応も、納得がいってしまう。
アディにとっての最悪が、今目の前にあった。
そのことを問うて確定させるか、聞き流してこの場は治めるか。
悩んだ末、アディは後者を取った。
「一介の侍従には荷が重すぎるお話です。私を呼んだのも人違いでしょう。一度、城に戻らせては頂けませんか」
「申し訳ありませんが、それは叶いません。御身に何かあっては一大事。内乱を終えたとき、この国は必ず貴方を必要とする」
「何をいけしゃあしゃあと。こともあろうに王太子を手に掛け、現王室を廃嫡すると宣言したのは他ならぬ貴方でしょう、クラオン卿ロベール」
アディがはっとする。怒りで声を荒げてしまった。ここは敵地。不興を買えばどのような目に遭わされるか分からない状況なのは、この屋敷を跨いで以降何も変わっていない。
対してロベールは、アディの荒い息が元に戻るまで、何をするでもなく待ち続けた。
「少なからず誤解があるようですな。先頃の演説にて話したのは、現国王の退陣のみ。王家を廃するなどとは間違っても口にしておりませぬ。もしそのつもりならば、この場での貴方との対談自体有り得ない。お分かりですね」
確かにロベールがそのつもりならば、自分の秘密を知ったその日にでも、刺客を送り込まれて始末されていただろう。
そのことは、アディ自身がよく理解していた。
何せこれまでの日々は、そうなるかもしれないという恐怖との、戦いの毎日でもあったのだから。
「陛下に政を執る余力がないことは、疑うべくもない真実なのです。無理に玉座に上がって頂いても、そのお命を縮めるだけ。ならば一度降りて貰い、相応しい者を。それが私の考えです」
「相応しいのは貴方自身? それとも言うことを聞く傀儡ですか」
アディの皮肉に、ロベールが口の端を持ち上げて見せる。そこに愉悦のような感情が潜んでいることを、アディは感じとった。それは、この屋敷で対面して以降、ロベールが初めて見せた感情の一端のように思えた。
「確かに、我が身は王家の血を受け継いでおりますが。こんな薄らいだ血より、さらに相応しい者がいるのです。貴方もご存じだとは思いますが」
あくまで平然と、憎らしいことを言ってくる。
「演説では、敢えて言及致しませんでした。パニックになるのは目に見えていますので。一度私が即位し場を整えて、然る後にお披露目する。それが我が計画なのです」
「ならば何故ジェラールを手に掛けたのです! 彼が生きていれば、そんな手間を掛けずに済んだでしょうに!」
アディが勢いよく立ち上がる。部屋の隅にいた騎士が動きを見せたが、ロベールはそれを手で制した。そしてそのまま、何かを思案するように目を瞑る。
まるで、これから自分の言うことが、現状で伝えてしまっていいものか思案しているようだった。
その逡巡はすぐに済んだのか、目を開き真っ直ぐアディを見つめる。
「一つ、伝えていなかったことをお話ししましょう。御身を守るのは、それこそ戦の直前でもよかった。貴方は城内にお住まいなのだし、このように街中で抑えるのはリスクが大きい。私が貴方を注視していることに、早い段階で気付かれたくなかった」
「それこそ、私が道場から出ないという可能性もありましたね。それがどうしたのです」
「その危険を冒してでも、貴方を早急に確保したかった。巻き込まれることは分かり切っていたし、何より国王派の古株に、貴方の秘密を知る者がいるかもしれない。そこからあの男に情報が流れれば、御身が非常に危うい状況になったことでしょう」
「分かりませんね、何を仰っているのです」
「王太子ジェラールを殺め、当方にその濡れ衣を着せた者。その犯人がサー・アルノーだと申し上げているのです」
思いがけない名前が出て、アディは思わず息が止まりかけた。目の前にいる人間が誰かを思い出し、すぐに目を鋭く細める。
「馬鹿なことを。彼とジェラールは師弟の仲です。裏切るわけがない」
「サー・アルノーは自身の魔石についてインプラントだと
その説明に対し、アディは黙って聞き入る。魔石やその技術はアディにとっては門外漢だ。口を挟めるポイントがない。
「元はそう。例えば
「まさか、それは」
「サー・アルノーが王太子の命を狙う理由はあるのですよ。何故ならば彼自身、古き王家の血を引く者なのだから」
今度こそアディは言葉を失い、その場に立ち尽くした。
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