第185話 面倒くさい状況
ラルフたちはまだ傷が癒えていない。完治には程遠い状態である。それぞれの病室に戻る前に今後のことを話し合うことにした。
「どこで話し合いましょうか?」
「そうだな~」
ラルフとルーが決めあぐねていると、そこでナルスニア騎士団の副団長であるマスクに出会う。
「————!」
マスクはルーを見るや否や直立不動になる。そして体を二つに折りたたむのではないかと思うくらいに頭を下げる。
「あなた様がアルフォニア王女シンシア様とは知らず、これまで大変な失礼を働きました。どうかお許し下さい」
「そんな、いいですから」
ルーは頭を上げてくださいと言うが、一向に顔を上げる気配がない。ラルフは見て苦笑いするだけ。
ちなみに今近くに人はいない。しかし、城は多くの者が行き交う城だ。いつ人が現れるか分からない。
「マスクさん、ルーがいいって言ってるだろ。いい加減顔を上げろよ」
「おまっ、その態度はなんだ」
これは自身に向かっての態度を怒っているのではない。ラルフが自身にこのような態度を取ることはとうに諦めている。今マスクが怒っているのはルー(シンシア)への態度だ。
「マスクさん、今の私はルーです。シンシアではありません。陛下たちにもそうおっしゃられなかったのですか?」
「そうですが…しかし」
「私はあの時やむを得なく、王女として名乗りましたが、ルーとして生きたいのです。だからシンシアという名はお忘れ下さい」
マスクは困った顔をしながら「そこまで言うなら」と答え、姿勢を戻す。
「おい、ラルフとか言ったか。お前、ルー様に粗相をするんじゃないぞ。分かったか?」
ラルフはそれを聞いてため息を吐く。ルーも呆れたと言わんばかりの顔をした後、
「敬語も止めて下さい。ルーで結構です。お願いします」
ルーは頭を下げる。それを見てマスクは目を丸くさせ、戸惑う。王女に頭を下げさせてしまったと。
「分かりました。分かりましたから。頭を上げて下さい。はい、はい。分かりましたから。ル、ルー。これでいいか?」
「はい」
ルーの笑みにマスクは頬を赤らめる。
「じゃあ俺は行くからな。おい、ラルフ。くれぐれも注意しろよ。ルーをあまりトラブルに巻き込むな。お前は礼儀が全くなってない上にとんでもないトラブルメーカーなんだからな」
「うっ」
トラブルメーカー。この言葉には少しショックを受ける。確かにマスクの言う通りだ。行くところ行くところでいろいろなトラブルが起きる。もう自身がトラブルなのではないかと思うほどに。
「分かったよ。気をつける」
そう言ってラルフはマスクの言葉を素直に受け入れた。
「なんだか疲れたな」
マスクが居なくなった後、2人はため息を吐く。
「そうですね」
「とりあえず、モニカのところへ行ってみないか?研究所の人間たちはお前の事を知らないかもしれない」
2人はモニカへ会いに研究所の方へ行く事にした。
研究所を訪れたラルフたち。行き交う人々の視線をやたらと感じる。
その時研究所でモニカの同僚と思われる人物を発見した。
「あのぅ」
「は、はい。なんでございましょう?」
その同僚の男は明らかに挙動不審だ。いつもは気軽に話しかける男だったのにも関わらず今はとても緊張した面持ちだ。
「モニカさんは今日どこに?」
「モ、モニカですか?モニカは今所長室に………す、すぐ呼んで参ります!」
「いえいえいえ…所長室にいるなら忙しいと思いますから。また出直します」
「と、とんでもない!そんな事をさせるわけにはいけません。少しお待ち下さい」
そう言って全力疾走で走って行ってしまった。
ラルフとルーは顔を見合わす。ヴィエッタからかん口令が敷かれたと聞いたが、これはルーの正体がバレているなと。無意識にため息をしてしまうラルフ。
「ごめんなさい」
「しょうがねぇだろこればっかりは」
少しすると、先ほどの同僚の男がモニカとそして研究所所長のシュバルツまで引きつれ、3人は慌てて走って来た。
「お、おまたせして申し訳ございません。では、私はこれで」
同僚の男はすぐに去っていく。
「ごめんなさい、ラルフ。それと……」
どうやらモニカにもバレているようだ。ルーと呼べばいいのか、それともシンシアと呼べばいいのか。迷っている様子だ。
「ルーです」
「お待たせして申し訳ございません。ルー様」
それを聞いて目を一瞬瞑るルー。モニカの今の態度は先ほどのマスクと同じである。
「私の部屋で話しませんか?」
シュバルツがそう提案し、それに了承したラルフは所長室に入ることにした。
「とりあえずここならば外部の目に晒されることもないでしょう。おかけ下さい」
シュバルツはソファへ座る様に促した。座るや否や、モニカが口を開く。
「あの、確認したいことがあるんだけど………」
手をもじもじとさせ、言いにくそうな顔をするモニカ。ラルフはそれを見て、勝手にしゃべり始めた。
「こいつの元の名前はシンシア。アルフォニア王女様という立場だった。でも今はそれを捨ててルーと名乗っている——ルー、それでいいよな?」
「はい………モニカさん。いろいろ訊きたいことはあると思いますが、どうか今まで通り接してくれませんか?」
「そう言うなら別にいいんだけど……どうして王女の立場を捨てることにしたの?」
モニカはハッとする。ルーが訊いて欲しくないとけん制したのにも関わらず勝手に口から言葉が出てしまった。
「言えない」
ラルフはピシャリと言い切った。そこには誰が訊こうと答えるつもりは無いという明確な意志が見て取れた。
「ちょっとどころじゃない複雑な事情でな。それに気持ちのいい話じゃないから蒸し返したくないんだ。悪いな」
分かってくれというようなラルフの表情。そして横に居たルーも申し訳そうにも悲しそうにも見える顔をしていた。その表情を見て、ルーはラルフに対し負い目があるのだろうと。だとすると…
「じゃあこれだけ聞かせて。2人は仲間なんだよね?その訳有りの事情で、今の2人はしょうがなく一緒にいるってこと?」
「「それはない(です)」」
ラルフとルーはモニカの言葉にハモって、きっぱり否定した。その2人の反応を見てモニカは笑い出した。
「はは。2人の仲が良いなら私はいいかな。うん、私はそれでいい」
モニカの表情はどこかスッキリしていた。そしてシュバルツも
「私は研究ばかりに興味が行ってしまう世間知らずな男だから。まぁ生きていればいろいろとあるよ」
と諭すように話す。ラルフとルーは追及するつもりはないという意志を受け取った。
「それでちょっと聞きたいんだが、女王陛下が黙っているようにって言ったのにどうしてこんなに広まっちゃてるんだ?」
「人は噂好きでね。規制しようが、そんなものはあっという間に広がるよ。特に世間の関心を引くものについては」
「そういうものか………」
ラルフは特段困った表情はしていなかった。もうしょうがないことなのだと受け入れようとしている。だがルーはいつもの調子で申し訳無さそうにしている。
「そんな顔するなよ、ルー。しょうがねぇってさっき言ったばかりだろ?」
「はい…分かってはいるんですが」
「いや…待てよ。この際………」
ラルフはルーとの会話の途中で、考えを巡らせる。
「あの、ラルフ?」
「あぁ。悪い。いや、考えていたのはさ、この際だからこのナルスニア出て行ってもいいかなって」
「ま、またですか!?」
ラルフの言葉にルーは驚きを隠せずにいた。
「いやぁ、人の噂が広まってそれに対応するのって面倒だろ?だったら俺たちが居無くなればいいんだよ。当事者が消えれば噂なんてどうでもよくなるだろ?どうだ?」
ルーはラルフの言葉を聞いて、先ほどの研究所の職員たちの驚いた様子を思い出していた。自身がアルフォニア王女であるがために慌てふためいていた様子を。あれがしばらくの間、いや、下手をすればずっと続くかもしれないのだ。普段から貴族を目にしている研究所の人間でさえ、あの狼狽えよう。一般市民であればもっと慌てるであろうことは容易に想像出来た。
「その方がいいかもしれませんね…それで、今度行く国はどうされますか?ソルニアですか?ディファニアですか?」
「2人共…この国を出ちゃうの?」
急にモニカが割り込んで来た。モニカはすごく寂しそうな声で訊く。
「どうした?モニカ」
ラルフはモニカの問いに答えず、寂しい反応に少し驚いた様子を示す。
「だって……」
モニカは2人がいなくなることがとてもショックだった。シュバルツと同様に研究にのめり込むタイプであるが、ラルフとルーで過ごした時間もかけがえのないものにもなっていた。なぜならモニカは研究所の人間たちに馴染むことはあまり出来なかった。これも身分の違いということもあり、やはり平民出身であるモニカは軽視されていた。そんなモニカにとってラルフやルーは初めて出来た友人と言ってもよい。アッザムやナナとも知り合う事が出来たが、それはラルフやルーが居たからこそだ。その2人がいなくなってしまえば当然疎遠になってしまうだろう。
「居なくなるって言っても別に噂が止むまでの間さ。またここに戻ってくるさ」
ラルフは軽く言うが、モニカの心情は穏やかではない。
そんなモニカの感情を無視するかのようにラルフは話し続ける。
「それにさぁ、俺に今考えているのはちょっと違うんだよ」
「違うって?どういうこと?」
「いや、この際次の国に行くんじゃなくってさ、魔界で過ごすってのはどうかな?」
「「「えっ?」」」
ルー、モニカ、シュバルツは同時に声を出し、そして同時に固まった。
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