第177話 突進!
狂人薬をかみ砕き、それを飲み込んだアッザムに異変が起きる。急に大きく目が開き、そして息がぜぇぜぇと荒くなる。
ラルフはそんなアッザムを見て、少し恐怖を抱く。
「おい、アッザム大丈夫か?」
「あいつ、とんでもないものを」
ペアを組んで一緒にゴブリンを討伐していたナナが顔をしかめながら吐き捨てるように言う。
「ナナ、お前は知ってるのか?」
「あれは簡単に言えば血の流れをよくする薬よ」
ラルフに学は無い。だが血の巡りを良くするという言葉だけを聞けば、劇薬などではなく、良薬のように聞こえるが。
「体中の血管を無理やり広げて、それに加えて心臓のポンプの動きを限界の限界まで高めるのよ。それによって血の巡りが異常なまでに高まることで、身体能力を上げることが出来る。だけど………」
ラルフは視線をナナからアッザムへと変える。
「全身の筋肉や心臓にかける負担はとてつもなく大きい」
アッザムはここへ来たばかりだというのに、先ほどから呼吸はものすごく荒く、全身から汗が噴き出したような状態だ。
この『狂人薬』の元となる薬は、心臓の働きを良くする薬として医療用に開発され、歳月を掛けて認知されるようになった。
それをどこかの医者かぶれがこれを応用できないかと考え、魔物と戦う者たちの身体能力を上げるためにアレンジを加えた。もちろんその時重視されたのは身体能力向上の方であり、体への負担は軽視された。政府に隠れながら開発された薬である。当然と言えば当然だ。
結果、これを使用した者の身体能力は飛躍的に向上する事が出来たが、反動として命を落とした。薬の働きによって異常なまでに波打つ鼓動が速くなった心臓に耐えられなくなったり、血管が耐えられずに破れ、全身から血を流したり。
アッザムが今口にした狂人薬は、その後改良された人間の体が耐えられるギリギリのラインに設定された薬である。劇薬には変わりない。
もちろん政府はこれを問題視し、狂人薬の製造の中止、そして使用の中止にし、取り締まりを行った。
だが現状はこれだ。裏社会では未だに流通してしまうような状態であり、裏社会を支配しているとも言えるアッザムはそれを普通に手にすることが出来たのだ。
「いくぜ」
アッザムはゴブリンキングに突進していく。
「どけぇー!」
アッザムは怒号を上げて、騎士たちに場所をどかすように促す。
現状は何十人もの騎士が盾だけを持ち、ゴブリンキングの攻撃を受け止めていた。その盾はゴブリンキングが攻撃をするたびに、1人、また1人とその盾を剥がされているような状態だった。
ゴブリンキングに人数が割かれている分、1人ひとりのゴブリンの相手をする数が増え、負担が掛かっている状態だ。
アッザムは巨漢である。体長はおよそ2m。全身は鋼のような肉体であり、傍から見れば岩と言っても過言ではない。
そんな岩の塊がものすごい勢いで突進する。騎士たちは慌てて道を開け、アッザムはさらに加速してゴブリンキングへ突進していく。
(速い!俺の4速と同じくらいか?)
ラルフ、そして他の者たちもアッザムに期待する。
ゴブリンキングはアッザムをさらに二回りほど大きくしたような巨体であるが、さすがにアッザムを無視することができないはずだ。
現にゴブリンキングは突進してくるアッザムに気付き、眉間に皺を寄せる。
ゴブリンキングにとって目の前が急に開き、いきなりアッザムが向かって来たような状態である。対処は難しいはずだ。
だがゴブリンキングは自身の右肩を前に出し、そしてアッザムに向かって突撃し始めた。
歩数にしてほんの4、5歩。そして両者が激突する。
「くそっ…」
吹き飛ばされ、宙に舞うのはアッザムであった。
「これでもダメなのかよ」
あまりの衝撃に遠のく意識。だが地面に激しく叩きつけられることでそれをなんとか回避する。
素早く体を起こし、膝を付いた状態でゴブリンキングを睨む。睨まれたゴブリンキングはニヤリと笑っている。
ゴブリンキングにとってアッザムの捨て身は脅威とならなかった。
一連の動きを一番後方でじっと見守ることしか出来なかったルーは焦る。
(あれでもダメなんですか。やはり私がなんとかして先ほど倒すべきでした)
ルーの2回目のリミッター解除が早々に切れてしまった理由。それは早々に前線に復帰してしまったことである。ルーはギルドに残って体力の回復に努めるべきだったのだ。
だがルーが非情になり、体力の回復に努めれば、開拓者のいくらかはやられ、ゴブリンたちは広域に散らばっていたであろう。それは大きくの市民たちを危険に晒すことにもなる。よってルーが早期復帰したことは責められたことではないのだ。
だが現状は最悪だ。ゴブリンキングを止められる者がいない。
アッザムはなんとか立ち上がり、再びゴブリンキングに突進して行こうとしている。騎士たちが盾となって犠牲となるより、自分1人がやられている方がまだマシだと考えたのであろう。
そしてゴブリンキングもアッザムの意図を理解したのか、再び突進しようとしている。先ほどは急遽対応するために4、5歩しか助走を付けられなかったが、今度は十分に距離がある。前傾姿勢になり、闘牛のように片方の足で地面を蹴っている。まるでアッザムとぶつかり合うのを楽しんでいるようだ。
「…これが狂人薬だな」
先ほどアッザムが吹き飛ばされた際に、アッザムのポケットから落ちた狂人薬をラルフは拾う。
「おい、てめぇ何してやがる!」
ゴブリンキングがいつ突進してくるか分からない。少しでもゴブリンキングより速く走り出し、長い距離を走ることが必要とされるアッザムであったが、ラルフの行動は見逃せない。早急に狂人薬を回収しなくてはならないと。だがその願いは断たれる。
ラルフは躊躇うそぶりも見せずに狂人薬を口へと放り込み、そしてかみ砕く。
「あんた、ちょっと何やってんのよ!」
ゴブリンの対応に迫られ、止めることが出来なかったナナが声を荒げる。
「どうもこうもないだろ。アッザム1人であのデカブツを止められないんだ。だったらやるしかない」
ドックン!
自身の振動が大きく鼓動するのを感じた。その鼓動の衝撃はあまりに大きく、周囲に伝わるのではないかと思うくらいに。
「なるほど…これは劇薬だ」
アッザム同様、ラルフの呼吸が荒くなる。そして全身が熱を放出しているかのように熱くなる。
「ルー!」
ラルフは少し後ろにいるルーに向かって叫んだ。
「俺とアッザムが時間を稼ぐ。お前は力を貯めろ。デカブツを倒すだけの力を!お前しか倒せないんだ!」
「はい!」
止めて下さいと言いたかった。逃げて下さいと言いたかった。だが言えなかった。
そしてルーはラルフがこれからしようとすることに見当がついた。
大切な人がまた、限界を超えた力を酷使しようとしている。
「足が治ってちったあ丈夫になったことを願って……まぁ狂人薬を飲んだことだし…大丈夫だろ…………オーバートップ!」
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