第176話 狂人薬

 ルーは大きく息を吐く。そして全身からは白い蒸気のようなものが立ち上る。

 それを少し離れた場所で、戦いながらチラッとルーの姿がラルフの視界に入る。


「なんだ、あれ?ルーから白いのが登っているように見えるぞ。湯気か?」


 それを聞いたナナもルーを確認する。


「バカ、違うわよ……あれはおそらく魔力よ」

「魔力?」

「えぇ。自分の体の中にある魔力を開放しているのよ。多分それは私たちとは比べ物にならないほどのとてつもない量を。だからあぁやって具現化して目に見えているのよ」


 ナナは実力者である故にルーの凄さが身に染みて分かった。普段からルーの強さは計り知れないと思ったが、とてつもない魔力を有している人物であったとは。

 逆に言えば、それほど極限までに身体能力を高めなければゴブリンキングには勝てないという意味を示している。それは即ち、ゴブリンキングはルーしか倒せない相手であるのだ。

 ナナは再び前を向き、目の前のゴブリンに攻撃を仕掛ける。


「後はルーに任せるしかないわ。私たちは目の前の敵に集中よ!」

「了解!」


 ラルフたちもさらにゴブリンを倒すために馬力を上げた。

 一方ルー自身も、自らの魔力の放出に少し驚いている様子だった。


(すごい、こんなに魔力を開放している感覚は初めてです)


 ルーはなぜこれほどまでに魔力を開放出来ているのか原因が分からないでいた。二度目のリミッター解除であるからなのか?それとも目の前にいるゴブリンキングを前にして、命の危機を感じ、いつも以上に底力を出しているのか?

 いずれにせよ、力を酷使しているのには変わりない。


(消耗が思った以上に激しい。おそらく長くこの状態ではいられないはず)


 ルーは今一度、ゴブリンキングに狙いを定める。そして前傾姿勢となり、地面を蹴る右足に力を込める。


(短期決戦です!)


 地面を蹴った瞬間、トップスピードに加速し、ゴブリンキングへ向かって行く。

 敵に反撃をさせる時間を与えないために最短の時間でたどり着く。小細工なしのただ一直線に向かって行く。

 冥府の槍を持つ右手を引く。引き切って再び前に押し出すタイミングで軽く掴んでいた右手に名一杯の力を込める。そして前に繰り出す。

 敵の攻撃に関しては一切考えていない。そんな事を考えれば、動きに影響し、攻撃力が半減する。

 ただ全力で自身の槍を前に繰り出す捨て身の攻撃。一撃必殺。それはまるで光の速さの如く…閃光の一撃。

 ゴブリンキングはルーがリミッター解除をした瞬間、急激に力を高めたのを感じ取った。

 鋭い眼光を突き付けられた瞬間、こちらに向かって来ると察し、警戒を高めて体に力を込める。そしてほぼルーと同時に地面を蹴った。


「————!」


 だがルーの方が明らかに速かった。そして恐怖する。直感がとんでもない一撃がやって来ると告げている。

 ゴブリンキングは急遽攻撃を解除し、防御に転じようとするが、動き出してしまった今からでは十分な防御はもう間に合わない。この時ゴブリンキングの危機管理が最高潮に達していた。

 その瞬間、不思議な感覚に陥る。ルーから繰り出される槍が非常にゆっくりとなったのだ。これだけゆっくりならば躱すことが出来ると。

 ゴブリンキングは槍を避けるために体を動かそうとする。しかし、自身の体は動かすことが出来ない。

 正確に言えば体を動かすことが出来ないのではない。正しくは今、ゴブリンキングは非常に引き延ばされた時間の感覚の中にいるため、動かすことが出来ないのではなく、動きが非常にスローなのだ。

 ゴブリンキングは引き延ばされた時間の中で懸命に考える。差し迫って来るその槍を避けることは出来ない。それならばと自身のデカい図体を捻らせ、少しでも致命傷を回避するために全力を尽くす。

 結果、胸の中心に槍が突き刺さる事は無く、少し右にずれた場所に深々と突き刺さった。


(避けた!?)


 ルーはこの一撃で終わらせるつもりで冥府の一撃を放った。だがゴブリンキングはそれを回避した。

 ルーから見て、左胸やや下の場所に冥府の槍は突き刺さった。十分な深手であるが、これでは無力化出来ていないと瞬時に察した。

 ゴブリンキングは再生能力がある。ラルフが先ほどゴブリンキングの足の腱を切ったのに、その傷は完治している。

 今胸に突き刺さった槍の傷もいずれは完治してしまうかもしれない。

 ならばと突き刺した槍を引き抜き、追撃を加えるしかない。ルーはそう判断し、次の行動を開始しようとするが、その時踏ん張った左足に痛みが走った。


(えっ!?)


 痛みよりも驚きの方が凌駕していた。

 2回目のリミッター解除が体にとてつもない負担を掛けることは理解していた。だが、これほど早く目に見えた状態で出てくるとは思っていなかった。

 ゴブリンキングに大きな傷を負わせることは出来たにも関わらず、焦りは非常に大きかった。

 だが泣き言は言っていられない。ルーは歯を食いしばり、冥府の槍を抜いて畳みかけるように追撃を開始した。


(こと切れてしまう前に!早く倒さないと!)


 ルーは呼吸することさえも惜しいと、無呼吸でただ一心不乱に攻撃を繰り出す。

 防戦一方のゴブリンキング。体を縮こませ、両腕を胸と顔の前に持ってくる完全防御。

 攻撃を躱すことは出来そうにない。それならば少しでも受けるダメージを低くする方法を取るしかない。

 幾度となく突き刺さる槍。だが、致命傷を負うほど槍は深く突き刺さっては来ない。

 体力の限界に来たルーは、後ろへと下がる。無呼吸の状態でいつまでも攻撃を続けることは出来ない。


「はぁはぁはぁ…」


 遮断していた酸素を体の中へ取り入れるために大きく呼吸する。同時にとてつもない疲労感と体中に痛みが駆け巡る。

 ルーの2度目のリミッター解除はここであっさりと終わりを迎えてしまった。時間にして30秒も満たないわずかな時間であった。


(倒しきれなかった)


 苦悶した表情の中にルーの悔しさが伺える。自身の攻撃は間違いなく今までで一番高かったと自負出来る。だが、それを継続出来るほどの体力も魔力も残っていなかった。

 目の前の一際大きな体をしたゴブリンキング。体を震わせ、明らかに弱っているがまだ倒しきれていない。ルーへ向ける視線は明らかに強い。まるで「どうだ?耐えきって見せたぞ」と言っているようである。

 ルーは追撃をしなければと思うが、体が動かない。槍を杖代わりにし、立っているのがやっとの状態である。

 防御を解いたゴブリンキングは体を広げ、そして空に向かって大きく咆哮した。すると戦闘中であったゴブリンたちに変化が起きる。攻撃する手をピタリと止めてしまったのだ。

 開拓者や騎士たちは今がチャンスとここぞとばかりに攻撃を加え、ゴブリンたちを倒すが、周りのゴブリンたちはそれに対し全く反応しない。

 そしてゴブリンたちはある一点の方向へと視線を向け、そして駆け出した。


「ルーを守れ!」

「————!」


 突如響き渡る声に驚く人間たち。その声の主はラルフである。ゴブリンキングの意図にいち早く気づいたのだ。


「トップ!」


 誰よりも速くルーの方へと向かって行く。

 ゴブリンキングは自身の脅威となるルーを倒すまたとないチャンスだと踏んだ。自身も動けない今、全てのゴブリンを動員してルーを倒すことにしたのだ。

 ゴブリンキングがゲートを通ってナルスニアに入ってからは、新たにゴブリンがこちらへやって来ていない。しかし未だ数百匹のゴブリンやボブゴブリンがゲート周辺に存在している。その全てのゴブリンがルーの方へ突撃して行ったのだ。

 状況を察知した開拓者、騎士たちはルーを守るために全員が駆け出す。

 だがルーほどではないにしろ、戦闘の連続で他の開拓者や騎士たちにも目に見て疲れが出て来ている。また大きな傷を負った者もおり、これ以上の戦闘を続けるのが困難な者も出て来ている。人間側が優勢ではあるが、限界に近い状態であったのだ。

 一早く駆け付けたラルフは『トップ』の状態を維持し、次々とゴブリンを無力化させていく。

 ルーはそれを見て、自分も加勢しないといけないと構えようとするが、


「バカ、休んでろ!」


 とルーに促す。それに対しルーは何かしゃべろうとするが、


「しゃべるな!」


 と一喝した。

 徐々に仲間が集まって来る。アドニスたち、ナナ、騎士団。ルーを中心として、決してゴブリンの攻撃が届かないように陣形が出来上がる。

 ルーは申し訳ないと思いつつ体力の回復に努める。大きく呼吸を繰り返し、呼吸を整える。

 傷はほとんど負っていないが、魔力を回復のためにハイポ―ションを口にする。

 だがすぐにその陣形は崩れようとしていた。

 再生能力により、傷をある程度塞いだゴブリンキングが再びこちらに攻撃を仕掛けて来たのだ。

 現在、大きな盾を構えた騎士がゴブリンキングの攻撃に耐えている状況だが、時間の問題だ。

 ルーは再び戦わなければならないと構えようとするが、ラルフはまたもそれを制した。


「言っただろ。お前は休んでろって。俺が時間を稼いでやる」


 ラルフはブーツの魔石をさらに使用しようとする。だがそこへ割って入って来る者がいた。


「遅くなったな。俺も付き合うぜ」


 声を掛けて来たのはアッザムであった。「あっちは一段落したからよ」とわざわざこちらに駆け付けて来たのである。

 ナナは息を切らしながら、


「あんたが来たところで何秒持つのよ」


 と辛辣なことを言う。だがその表情はどこか嬉しそうだ。


「だからよ、少しでも持つために切り札を使うんだよ」


 そう言ってアッザムはポケットから錠剤のような物を取り出し、それを口の中に入れる。


「おい、アッザム。それは何だ?」

「『狂人薬』っつてな。裏社会で手に入る劇薬だ」


 ニヤリと笑いながらアッザムはそれを噛み砕いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る