第175話 狂うゴブリン、それに抗う人間たち

 その場にいる全員が耳を塞ぐ。周囲の空気を振動させるほどのけたたましい咆哮をゴブリンキングは発した。

 するとそれに呼応するように、ゴブリンたちも叫び出す。音は1つの塊となり、それは大地を揺るがすほどのものであった。

 声を発し終わったゴブリンたちの目つきが変わる。

 それを見て全員が感じた…何かが違うと。幾度も戦闘を経験してきた開拓者や騎士たちはそれを察し、警戒を高める。そして経験は乏しいが、人一倍警戒心の強いラルフも直感が危険を告げていた。

 ゴブリンたちは一気に襲い掛かって来た。怒涛の攻撃。敵を倒すことだけに集中した自身の身を案じていない捨て身の攻撃の連続。付け加えると、それは自身の仲間を気遣わないような攻撃の仕方で、ボブゴブリンは周囲を気にせずに武器を振り回し、その範囲にいるゴブリンをも巻き込んでいた。

 ゴブリンは魔物の中で最弱の部類に入る。だが腕がちぎれようとも、足がもげようとも、それでも敵を殺そうと向かってくるゴブリンはこれまで幾度となく相手にして来たゴブリンとは全くの別次元であり、狂っているという言葉でしか言い表せず、恐怖そのものである。

 人間側は防戦一方になる。捨て身の攻撃ばかりなので、単体では隙が何度も見られるが、今、全てのゴブリンたちが捨て身で向かってくるために迂闊に攻撃が仕掛けられないのだ。

 優勢であった開拓者や騎士たちは、ゴブリンキングのたった1つの咆哮により、一気に形勢を逆転されてしまった。

 この状況をいち早く察知し、まずいと感じたルーはすぐさま周囲の敵に攻撃を仕掛ける。ルーほどの実力があれば、いくらゴブリンたちが突っ込んで来ようとも、それ以上の武力で制する事が出来る。

 だがルーを自由にさせまいと襲い掛かって来るのがゴブリンキング。ルーがこの場で一番の要と理解しているのだ。

 ゴブリンキングは力任せにこん棒を振るう。それを受け止めるルー。


(————!重い!)


 不意打ちでは無かったので今度はゴブリンキングの攻撃に耐える事が出来たが、一撃が非常に重たい。やはり片手間で相手をする対象ではない。ルーはゴブリンキングから目を離せない。


「なんなんだよ、こいつらは」


 一方ラルフはなりふり構わず襲って来るゴブリンを躱しながら愚痴をこぼす。

 ラルフに攻撃を躱されたゴブリンは反動で体制を崩して転ぶ。そのゴブリンの上を別のゴブリンたちが踏みつけてラルフへと襲い掛かる。転んだゴブリンの上を歩くことを全く気にも留める様子はない。その光景は異様である。

 ラルフは非力である。ゴブリンの攻撃はなんとか受け止める事は出来るが、ボブゴブリンの攻撃は受け止めることなど出来ない。ゆえに避けることでしか対処出来ない。

 避けて間合いを開けるが、スタミナを無視したかのように突っ込んでくるためにさらに逃げるしかない。

 ラルフは早々に戦うことを諦め、逃げることに転じた。だが逃げると決めたらそこはラルフの得意分野である。

 今のゴブリンは狂気じみているが、カルロッサムの蜂に比べれば随分と鈍い。このまま少しゴブリンを引き連れることにした。


(………ん?)


 少し先にナナの姿を見つける。ナナはボブゴブリン2匹、そして数多のゴブリンの攻防を1人で受け止めながら耐えている。


「おーい、大丈夫か!?」

「バカなこと言ってんじゃないわよ!」


 ナナの言う通りだとラルフは反省する。ナナは攻撃を受け止めつつ、体を捻ってなんとか攻撃を躱している状態である。余裕など全くない。なんでこんなことを言ってしまったのだろうと後悔した。そしてそんなナナを助けられないかと考える。


「よしっ。今、そっちに行ってやるよ」

「はぁ?」


 ラルフの後ろには数多くのゴブリンたちがいる。それをこちらに向けられればそれこそ攻撃を受け止めきることは出来ない。

 いっそ自分も逃げに転じようか?だがそれでは周りの開拓者ら騎士たちにゴブリンが向かって行く。

 そうすればさらに状況は悪化する。

 ラルフもそれを理解しているはずだ。それなのになぜラルフは自分の方へと向かって来るのか?

 だがその答えはすぐに分かった。

 ラルフがナナの方へと向かって行くと、ラルフの存在に気付いたゴブリンたちがラルフの方へと向かって行く。

 そのためにナナの方へと向けられるゴブリンの数が一時的に減少したのだ。

 だが状況は好転したわけではない。ラルフは追って来るゴブリンと向かってくるゴブリンで挟み撃ちの状況である。


「一速」


 ラルフはブーツの魔石を稼働させ、スピードを上げる。ゴブリンは急に迫って来たラルフに対応が出来ない。ラルフは跳躍し、そのゴブリンの顔を踏みつけさらに高く跳躍する。そしてそのままナナを襲っているボブゴブリンの片方の顔面へと蹴りをかました。

 一方ナナは手薄になったおかげで、攻撃を振るって来たボブゴブリンの攻撃をタイミングよくはじき返し、そのまま反撃へと転じた。

 みぞおちへと三節混をめり込ませ、ボブゴブリンの呼吸を止め、体を萎縮させる。その隙にもう一撃頭へと三節混を叩き込んだ。


「一匹、お終い!」


 ちょうどその時、ラルフに蹴りを入れられたボブゴブリンも地面に倒れ込んだのを確認し、そのまま追撃を加えて立ち上がれないようにした。


「二匹目ェ~!」


 このボブゴブリンが死んだかどうかは分からない。普通の戦闘ならば間違いなく止めを刺すことがセオリーだ。だが今はそれよりも無力化さえすれば問題ないのだ。追撃を加えて殺す事より、次に備えることが重要である。1秒にも満たない時間であるが、その1秒に満たない時間を有効に使う事が生死の境を分ける。ナナはそれを理解していた。

 ナナはくるっと見回し、瞬時に一番数の少ない方へと向かって行く。ボブゴブリンの2匹を倒したために、若干ではあるが余裕が出来た。その好機を逃さず攻めに転じる。

 大声を発するのと同時に大きく三節混を振り回す。その攻撃は大振り極まりない。だが、前後左右どこにでもゴブリンがいるために振ればどれかに当たる。今は一番効果的だ。

 ラルフはそのナナに追随し、ゴブリンの目をかいくぐるように攻撃を加えて行った。単独で大勢を相手に出来る技量もない。


「ラルフ!後れを取るんじゃないわよ!」

「分かってるよ!」


 ラルフとナナが連携を取り始めたのと同様にアドニスもクラファムとレスカと連携を取り合っていた。ただ今回は敵の数が多い。クラファムは近接戦があまり得意でないためにゴブリンたちからかなりの距離を取る必要があった。

 メガネを触るクラファム。こちらは双眼鏡のような機能も付いており、倍率を変えることが出来る。


「よし、あそこだな」


 クラファムは慣れた手つきでスリングショットを用いて炸裂弾を3発連射。この時、狙いを定める作業は一切していない。

 炸裂弾はアドニス近くのゴブリンが密集地帯へ飛んで行き、且つ他の開拓者に絶対に影響のない場所へと落ちる。弾けた炸裂弾から飛び出した棘がゴブリンたちを襲う。痛みに悶えるゴブリンたちへアドニスとレスカが急襲を掛ける。

 クラファムがアクションを起こし、アドニスとレスカが追撃する。いつも通りのいつもの作業。


「あいつ、あんな離れたところから…すげぇな」


 1人の開拓者がクラファムのスリングショットの正確さに驚き、ぽかんと口を開けながらつぶやく。そんな状況ではないと分かりつつも思わず口からこぼれてしまった。

 だがクラファムが落とした炸裂弾の場所はそれほど正確で、ここにしかないという場所に見事に落ちたのだ。しかも遠く離れた場所から。敵味方が混同する中で、クラファムはそれをいち早く見定め、ノータイムで撃ってきたのだ。その観察眼と打ち込む技術は一級である。


「当たり前よ!クラファムに的を狙わせたら百発百中なんだから!」


 レスカは自信ありげに答えた。それはまるで自分のことのように。

 ナナとラルフ。そしてアドニスとクラファムとレスカ。この2組がゴブリンの猛追に反撃をし出す。それにより、周辺に開拓者たちに余裕が出来はじめる。そしてその開拓者たちも自ずと連携を取り始め、ゴブリンに対抗をし始めた。

 騎士たちもその間に隊列を整え、反撃を始める。集団戦はいつものことであり、寧ろ得意分野である。


「開拓者たちに後れを取るな!進め!」


 マスクが副団長として指揮を執り、檄を飛ばす。それに呼応した騎士たち。

 そこへ別の騎士たちもやって来る。マスクはその1人を見て驚愕する。


「だ、団長!?どうしてここへ!?」


 なんとそこへキルギスが引き連れる騎士団がやって来る。


「どうして?お前はよく分からないことを言うな。国の有事だ。騎士の私が動かないわけにはいかないだろ」


 そう言ってキルギスも騎士たちに指示をだし、ゴブリンを討伐していく。


「さぁ、いくぞマスク!」

「はっ!」


 最初はゴブリンの特攻に後れを取ったが、連携を取り始めた人間たちが再び優勢になる。

 これで心配の憂いは無くなった。そしてルーを邪魔するゴブリンはいない。


「さぁ、ゴブリンキングさん。次はあなたの番です」


 そしてルーは静かに目を閉じた。


「………リミッター解除」


 ルーはカッと目を見開き、その大きな瞳でゴブリンキングを捉える。

 二度目のリミッター解除。ルーがこの短時間にリミッターを二度も解除する事など今まで一度もない。

 こんな酷使をすれば体がボロボロになっているのは分かり切っている。

 だがラルフに頼まれた今のルーにリミッター解除をしないなどという選択は無かった。必ず倒すと気迫に満ちていた。

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