第106話 ルーの仲間

 ラルフたち4人は待っている間、アッザムの犯罪について話をしていた。


「それにしてもあんた良かったわね。100件以上の罪が帳消しになって」

「まぁな」


 ナナの言葉に対し、アッザムは軽やかに答えた。


「アッザム、やっぱりお前は見た目の通りにやばい奴だったんだな」

「そんなことを言うなよ。俺だってそうしなきゃ生きて行けなかったんだ。分かるだろ、ラルフ」


 ラルフはアッザムの言葉に頷いた。頷くしかなかった。なぜなら自身も嫌ほど分かっているからだ。

 スラムに住むはぐれ者たちは真っ当に生きている人間はほとんどいない。真面目に生きようと思っても仕事にありつけず、一般市民の嘲笑の対象になる。みんな成す術無く犯罪に手を染め始めるのだ。そうしてはぐれ者たちは奪う事を覚える。アッザムもその1人だ。ラルフは例外中の例外なのだ。

 アッザムは仲間を得て、やがてそれが組織となった。組織を守るため、仲間を守るため、立ちはだかる者たちと幾度となく衝突した。奪い合う対象は金だけではなく、時には命もその対象となった。そうやって生きて来たのだ。


「けどなぁ、俺はなんも関わりもねぇ奴にちょっかいを掛けた事は一度もねぇ。それだけは確かだ。悪党の俺にも俺なりの正義ってのがあるんだよ」


 ラルフにはこのように話すアッザムがなんとなく理解出来た。だからこそ悪党であるアッザムに嫌悪感を抱かないのだ。


「…まぁ、俺たちにはそのちょっかいを出したけどな、なぁ?ルー」

「それは、お前たちが俺の部下に手を出したからであって」

「でも悪いのはお前の部下だろ?」

「あー、もう!あの時は悪かったよ!でもこっちにもメンツってもんがあるんだ。面倒くせぇけどよ!」


 ラルフたちは笑った。そしてルーも。


(なんとなく…なんとなくですけど、アッザムさんやラルフの言っている事が分かる気がします。もし、私が王女のまま、シンシアのままであり続けたなら、私は理解出来なかったでしょう…いえ、おそらくこんな話を聞く機会すら巡り合えなかったかもしれません)


 この世はきれい事だけでは済まされない、陰、闇の中で生きる人間がいる。その者たちの世界にはその者たちの生き方というものがあるのだとルーは少しずつ理解し始めていた。


「ねぇ、アッザムの事はもう終わりにして、旅の話を聞かせてよ。何か魔物と戦わなかったの?」

「そうですねぇ、竜血樹を冥王さんが抜いている間、ハンティングウルフと戦っていました」

「ハンティングウルフ!?あの狩りの谷に出てくる?」


 ナナが大きな声を出して反応する。ルーはハンティングウルフとの戦闘について話を始めた。冥王は目を瞑って休んでいる。


「アドニスが言うには、その狩りの谷に出るハンティングウルフよりずっと体格が大きいと言っていました」

「それは…ちょっと苦戦しそうだな…いや、ちょっとどころじゃねぇか」


 アッザムは自身の力量を測り、冷静に答えた。


「嬢ちゃんたちは冥王が竜血樹を抜くまでの間、そのハンティングウルフのでっかい奴らに囲まれながらずっと耐えていたわけか」

「はい。アドニスとお互いに背を合わせて凌ぎ切りました」

「嬢ちゃんも超越者と全力で戦ったはずだ。体も全快しているわけじゃねぇのによく無事でいられたな」

「それはアドニスのおかげです。私も安心して背中を預けられましたから」

「…あの野郎、また強くなりやがったか」

「彼がどれほどの実力だったのか分かりかねますが、私の感覚では、あの戦闘の最中に飛躍的に成長したんだと思います。人の成長をあれだけの短時間で目の当たりにしたのは初めてです」


 ルーは再度あの時の戦闘を思い出していた。正確にはアドニスの動きを。


「迫り来る攻撃を冷静に対処していました。言っている事は単純ですが、それを実行するのは非常に難しい事です」

「言うは易く行うは難し…だったっけ?」


 ナナの言葉にルーは頷く。

 迫り来るハンティングウルフにどのように対処すべきか?間違えれば餌食になる。それを瞬きするほどのわずかな時間で導き出さねばならないのだ。だがアドニスはそれをやってのけたのだ。


「これは憶測なるのですが…アドニスは集中力を極限にまで高めていたために、ハンティングウルフの動きがスローに見えていたのではないかと。ものすごい集中力でした。素直にすごいと思います」

「嬢ちゃんにそこまで言わせるのか…」


 自身よりもはるかに実力が勝るルーがアドニスを褒めるのだ。アッザムも認めざるを得ない。


「楽しそうに話をしているね」


 ちょうどその時、アドニスが戻って来た。


「アドニス!」


 ルーは嬉しそうに声を掛ける。アドニスもルーに微笑み返す。

 ルーが嬉しそうにする反面、ナナとアッザムは面倒臭そうな顔をする。


「なに、あんたまた戻って来たの?」


 ナナが声を掛ける。

 アドニスは誰からも好かれるタイプではあるが、それを気に食わないと思う人間もいる。それがナナとアッザムだ。ナナはアドニスがみんなにチヤホヤされている事が気に食わないから好きではない。そしてアッザムは単純にアドニスが受け付けない人間なので嫌いである。


「また戻って来たって僕は今回の旅の当事者なんだ。それよりも部外者は君たちの方じゃないのかい?ナナ、アッザム」

「…へっ、言うじゃねぇか」


 アッザムは食って掛かる。アドニスはアッザムを一瞥するがすぐにルーの方を向き、声を掛ける。


「ルー、疲れていないかい?大丈夫かい?」


 アドニスも自分を嫌うアッザムとナナがそれほど好きではない。特にアッザムは陰の住人だ。太陽の真下を堂々と歩ける陽の住人のアドニスにとって、真逆のタイプの人間であるがために関わるのも億劫なのだ。


「えぇ、私は大丈夫ですよ。それよりも今、ハンティングウルフとの戦闘について話をしていたんですよ。アドニスがあの戦闘でものすごく成長したって」

「照れるなぁ。僕はルーに助けてもらってばかりで…でもルーが居なかったら僕はやられていたよ」


 仲睦まじく話す2人。今回の旅を通じてこの2人は心が通い合ったように親しくなっていた。それは傍から見ても理解出来る。ラルフもそれを早々に感じ取っていた。そしてそのまま口にする。


「ルー、お前、アドニスさんの事を嬉しそうに話すな」

「えっ?」


 ルーはそんな自覚が無かったために驚いていた。


「…私、今そんな嬉しそうな顔をしていましたか?」

「そうね、とっても嬉しそうに話していたわ。まるで私たちに見せびらかすように」


 ナナはルーのありのままの姿を答えた。いつもラルフの事を心配そうに見つめる姿とは対照的であったために印象的だった。またそれを聞いていたアドニスも非常に嬉しく感じており、表情を隠す事が出来なかった。

 一方ルーはラルフの指摘やナナの言葉を受け、急激に心が冷めていくのを感じた。そして自然と車いすに座るラルフに目が行く。


「ん?どうした?」


 このラルフの言葉はルーには聞こえていない。


(ラルフがこのような状態にあるのに、私は何を浮かれているのでしょう。それに…)


「今回一緒に行ったのが、アドニスじゃなくてラルフだったらこうもスムーズに行かなかったろうな」


 そう笑ってアッザムが答える。それを聞いたラルフも「あぁ、そうだな」と答える。

 何気ない一言。アッザムはラルフの戦闘能力がゼロに等しいことから足手まといになると客観的に判断し、口にした言葉である。

 だが今のルーに、この言葉を客観的に受け入れる事は出来なかった。笑って「そんなことはありませんよ」と答える事は出来なかった。

 妙に焦りは確かな不安となり、ルーの心を圧迫する。


(私は…私は…)


 冷えていく心が外界を遮断し、孤立を作る。心が勝手に想像を掻き立たせ、ルーを襲う。

 そう遠くない未来にラルフに拒絶されてしまうのではないかと。

「お前は俺の仲間にふさわしくない」と口にするラルフが居て、アッザムが「嬢ちゃんにふさわしい仲間はアドニスだ」と言っている。目に浮かぶのは、去っていくラルフの背中だ。


(嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!)


 ルーの純情さが裏目に出た。たまたま一時的に手を組んだ相手が予想以上に相性が良く、親しくなった。ただそれだけの事である。だがルーはラルフの指摘を重く捉え、大きな罪悪感を抱かせた。


(私はラルフと共にあると心に誓ったはずなのに。私の仲間はラルフなのに!)


 ルーは自身を責めた。心に誓った思いに背いている気がしてならなかった。このような人間は自己批判が大きく、負の連想を加速させてしまう。


「…ルー?」

「…あっ」


 共に歩むと誓ったラルフの声で現実へと引き戻される。目の前の現実のラルフは、車いすからぐっと体を伸ばし心配してくれている。


「大丈夫か?」

「はい…すみません」


 ルーは少し落ち着きを取り戻す。いつの間にか自分の世界に浸りきっていた。ナナやアッザムは「疲れが今になって出たんだろ」と話していた。


「ルー、本当に大丈夫かい?」


 ラルフに続くようにアドニスが声を掛ける。


「えぇ…大丈夫です」


 ルーはアドニスに普通に返事をしたつもりだったが、どこかぎこちなかった。


「アドニスさん、竜血樹の運搬はいつになりますか?ルーが思ったより疲れているようなのでなるべく早くしてもらいたいのですが。それと、ルーは必要でしょうか?」


 ラルフはルーを気遣ってアドニスに尋ねる。


「悪い、もう少しで運搬が始まると思うんだけど、まだ使いの方が来ない。ラルフ君、それまでルーを休ませてあげるのはどうだい?」

「確かにそうですね。俺たちが居ても邪魔になっちゃうし…、ナナ、アッザム。俺たちはもう帰らないか?冥王も俺が居なくてもルーの言う事を聞いてくれればいいし」

「分かった、ウルベニスタさんにはラルフ君の事は僕が伝えておくよ。もし、何かあれば呼ぶよ」


 ラルフは了承し、今の住んでいる場所をアドニスに伝えようとした。しかし、


「ラルフ、私は大丈夫ですから」


 必死に取り繕うルー。


「でもルー、お前疲れて——」

「——ラルフ、私のわがままを聞いてもらえませんか?」

「…わがまま?どうした?」

「一緒に残ってもらえませんか?」


 ルーはラルフに初めてわがままを言った。ラルフの重荷にはならないと決めていたルーが、それを破ってラルフに頼み込んだ。それほど心の拠り所であるラルフに傍に居て欲しかった。


「…了解だ」


 最初は驚くような表情をしていたが、すぐに優しく微笑み返した。


「他の奴らは居ても大丈夫か?」

「はい…ありがとうございます」

「お安い御用だ。気にするな」


 それを聞いたルーはとても安心した表情をしていた。そんなルーの表情を見て、アドニスは理解した。


(ルーにとって…本当の仲間はラルフ君なんだ)


 ルーの仲間がラルフである事は分かって居た。納得していたつもりでいた。でも心のどこかでルーの心が自身へ傾いていないだろうか?そんな淡い気持ちを抱いていた。しかし、やはりそんな事は無かった。ルーにとって安らぎを求める相手はラルフであるのだと。

 考えてみれば、ルーの変化にいち早く気づいたのはラルフであった。すぐにルーに声を掛けていた。自身はルーとナナの会話に浮かれていた。全く気付く事が出来ず、遅れるようにして声を掛けた。

 先程ルーがラルフと距離を感じていたように、アドニスはルーとの距離を感じていた。ルーの隣に居るのはラルフであり、自身ではない。そこには埋めようもない距離があるのだと。

 そんな感慨にふけっている時、マスクが数名の騎士と共に戻って来た。


「待たせた。準備が整った。竜血樹の運搬を開始する…冥王殿、よろしいでしょうか?」


 その言葉を受け、ラルフはルーに声を掛ける。


「なんだ、結局休めずじまいか。ルー、行けるか?」

「えぇ、大丈夫です」

「…ラルフ君。君もその足じゃ辛いだろう。後は僕とルーに任せて帰ってもいいんだよ?ウルベニスタ様には言っておくから」


 この時、アドニスは割って入る様に声を掛けた。無意識の内に「僕とルー」という言葉を強調していた。現時点ではまだ旅の最中であり、ルーは自身の仲間なのだと。だがラルフ自身はそんな事に気づかず、


「そうさせてもらうのもいいかと思ったんですけど、ちょっと待ってください。なぁ、ルー。冥王の背に乗って旅をしたんだろ?どうだった?」

「それはとっても良かったですよ。この感動は乗ってみた者しか分かりません」


 ルーは興奮したように答える。


「へぇ~、いいなぁ。なぁ、冥王」

「ん?」


 すると冥王は瞑っていた大きな目を開けた。


「悪いけど俺もお前の背中に乗せてくれないか?」

「そんなラルフ君。冥王様は——」

「——別に構わんぞ。でも落ちるなよ」

「大丈夫さ。踏ん張ってみせる」


 冥王は立ち上がる。


「ラルフ、私が冥王さんの背まで運びましょう。ナナさん、車いすを預かってもらってもいいですか?」

「別にいいわよ。私は先に戻っておくわ」

「ナナ。お前も冥王の背に乗らないのか?」

「恐れ多いわよ、私は遠慮する」

「じゃあアッザムは?」

「悪いが俺も遠慮する。俺は高ぇところが苦手だ」

「なんだよ、2人ともノリが悪いな…まぁいいや。ルー頼む」

「はい」


 そう言ってルーはラルフを抱きかかえる。その動作はまるで当然かのように自然であった。アドニスにはそれがひどく苦痛であった。


「冥王様!私も一緒に乗せてもらってもよろしいでしょうか?」

「アドニス、残念だがお前は私と一緒に地上から監視だ。人手が足りないからな」


 マスクはアドニスの意見を却下した。舌打ちこそしなかったが、アドニスはあからさまに嫌な表情を浮かべてしまうほどで、マスクは少し驚いていた。


(こいつこんなにも冥王の背に乗りたかったのか?)


 と間違った解釈をしていた。

 ラルフは冥王の背に乗り、そして冥王は竜血樹を脚で掴み、空へと舞い上がった。


「おぉ、すごいな!」

「でしょ?今は昼間だと景色が一望出来て、もっと素晴らしいですよ」

「よし、行け!冥王!…って言いたいところだけど、騎士たちの指示を聞かないといけないのか」


 マスクが地上から馬を走らせ、こっちへ来いとジェスチャーをしている。冥王はそれに従うようにゆっくりと移動し始めた。

 マスク達の横ではアドニスが並走している。

 アドニスはルーたちを見上げながら、自身の心の内を表すかのように綱を必要以上に力強く握りしめていた。

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