第104話 悪知恵
「おい、ラルフ。お前の言っている事がよく分からないんだが」
「ん?聞いてなかったか。じゃあもう一度言おう。竜血樹はお前のものだ、アッザム」
「俺の?」
アッザムは竜血樹の方へと目を向ける。そこには冥王と同じ大きさの赤い樹液を垂れ流した木が横たわっている。はっきり言って気持ちが悪い。だがこの木は現状のポーションという回復薬を超える新たな可能性を秘めた新薬が生まれるやもしれぬ貴重な素材だ。開拓者の成果物としては類を見ない過去最高の成果物と言っていい代物である。その所有権が今、自身の手にあるのだ。
「待て待て待て待て」
普段から冷静でいるように心掛けているウルベニスタが声を荒げる。
「ラルフ、お前の選択は到底受け入れられない。自分が何を言っているのか分かっているのか?」
そこにいる誰もがウルベニスタの意見に賛同する。だが、
「この竜血樹は冥王が好きにしていいと言った。だから俺は貸しがある奴にその貸しを今返す事にした。それだけの話だ」
あっけらかんとした顔をしてラルフは答えた。周りの空気を読む気は全くない。そんなラルフをアドニスは信じられないと言った表情を隠そうともせず、覗き込むようにして見ている。
(この子は一体何を言っている?バカなのか?)
アドニスはルーと旅して、ラルフの人物像を勝手に思い描いていた。とても素晴らしい人物だと。だが実際にはどうだ?初心者装備を身に纏うとても弱そうな華奢な少年であり、そしてあろう事かスラム街の一番の問題児と言っても過言ではないあのアッザムに竜血樹を渡そうとしているのだ。新薬が出来るか出来ないかでこの先の未来が変わるかもしれないと言っても過言ではない貴重な竜血樹を。空いた口が塞がらない。
アドニスはその空いた口から声を発しようとするが、それよりも前に別の空いた口が塞がらない者が声を発した。
「さっきから何を言ってるんだ、貴様は!」
その声を発するのはマスクだった。
「この竜血樹は国に渡すんだろう?新しい回復薬を作って、お前は足を治すんだろうが!それをスラムの者に渡すだと?バカかお前は!ちょっとは考えろ!それにさっきから貴様の口調はなんだ?ちゃんと敬語を使え!」
アドニスは全くの同感であった。こんな貴重な資源は国に渡すべきであると。
「まだ出会ってばかりで申し訳ないんだけど、ラルフ君。僕もマスク様の意見に賛成だ。竜血樹はアッザムに渡すべきじゃない。手を持て余せてしまう。それと…君は子供と言っても分別の効かない年齢じゃないはずだ。敬語を使うべきだよ」
アドニスは怒りを抑え、出来る限り優しくラルフに忠告した。
「アドニスさん、悪いんですが俺は子供じゃありません。俺の身なりは子供に見えるかもしれませんが、もう大人です」
「————!だったら尚更——」
「——俺はスラム出身です」
アドニスは固まる。
「偉い人間には敬語を使うのが常識的かもしれませんが、俺にはその常識がない。非常識です。だから俺はただ偉い立場にいるだけの人間に敬語を使おうとは思わない。特に貴族共は大っ嫌いだから尚更敬語は使いたくない。だから俺は敬語を使おうと思った人間にしか敬語を使いません。それと、先程言った通り竜血樹の所有権はアッザムです——おい、アッザム」
「なんだよ」
アッザムは気分悪そうに答えた。勝手に竜血樹を押し付けられて非常に困っていたのだ。
この男、アッザムは人に貸しを作るのが好きだ。貸しを作って相手より優位な立場にいる事が好きなのだ。そうして後から貸しを回収する。無理難題を吹っかけたり、欲しい物を手に入れたり。
だが今回ばかりは別だった。ラルフは埋め合わせのつもりだったがアドニス言う通り手に余る。あまりにも余り過ぎるのだ。こんな埋め合わせははっきりと言って迷惑以外の何物でもない。
だがラルフはそんなアッザムの心情を読み切っていた。
「アッザム、俺たちはスラム出身だ。貴族のお偉いさんと違って学が無い。バカだ。騙されて純度の低い金のアクセサリーを購入しちゃうようなバカだ」
「うるせぇ、今は関係ないだろ!」
アッザムは怒って反論する。
これは以前、アッザムが一儲けしようと金のアクセサリーを買い占めていた時の事だ。だが事の成り行きでルーがたまたま金のアクセサリーを見て、純度の低い代物だと指摘した。アッザムはルーに指摘されるまで自身が騙されている事に全く気が付いていなかったのだ。
「もう一度言う、俺もお前もバカだ。でもお前は俺と違ってスラムの連中をまとめ上げて生きて来ただろう。力だけじゃ人はまとめられない。お前は学が無いけれど、悪知恵が働くはずだ」
その言葉を聞いてアッザムが制止する。感情のままになっていた頭を冷やし、冷静に何かを考え始めた。学が無い悪知恵しかない頭をフル回転させて。
「ラルフ、何度も言うが竜血樹は我々に…そうでなければ」
ここでウルベニスタが割って入った。
ウルベニスタは前回のサラの件に立ち会っていたので、ラルフが何も考えていない人間だとは思っていない。寧ろ自身の中でラルフの株は上がっている。だが、今のラルフの言動に納得が出来ない。意図が全く読めないのだ。
「ウルベニスタさん、大丈夫、大丈夫だ。俺を信じてくれ」
(…この男はまた何かを考えているのか?)
「アッザムはバカだけど…えっと、何て言ったらいいのかな?バカじゃないんだよ」
「あっはっはっはっは」
全員が笑い声のする方へと顔を向ける。声の主はナナであり、声を大にして笑っていた。
「何よ、バカだけどバカじゃないって。でも何だろう?何か分かる気がするわ」
「うるせぇよ!ナナ」
アッザムはナナに向かって怒号を発する。全員がナナからアッザムの方へと視線を移す。アッザムはてっきりまだ怒っていると思っていたが…アッザムは笑っていた。ラルフの意図を理解したのだ。そしてそれを見たラルフも笑みをこぼす。
反対にウルベニスタ、キルギスはその笑みに嫌な予感がし、苦い表情をした。またこの時マスクも苦い表情を浮かべていたが、これは単にアッザムの笑みが憎らしかっただけである。
「ウルベニスタ様。あんたたちは竜血樹が死ぬほど欲しいはずだ。ラルフの足を治すって事もあると思うが、そんなものは建て前であって新薬の開発が急務だからな。あんたたちは大規模侵攻をこれから何度も行わなきゃいけねぇからな」
「それが分かっているなら——」
「——でも竜血樹の所有権は今俺の手にある」
アッザムは勝ち誇った表情をしていた。ウルベニスタとキルギスはさらに険しい顔になる。苛立ちを隠せないほどに。彼らはアッザムの意図をもう理解していた。
その他にも理解した者たちがいる。ナナは呆れた表情をし、イリーナはラルフに困った子だわという表情を向けていた。そしてランバットに至っては大きなため息を吐いていた。
反対に理解していない者もいる。まだまだ人間の裏表を知らないルーは必死に考えている最中で、顔を左右に動かし、アッザムとウルベニスタの顔を行ったり来たりしている。アドニスもこれに当たる。マスクは相変わらずアッザムの表情に腹を立てている。
「ウルベニスタ様、だから竜血樹の所有権。あんたたちに譲ってやるよ。俺の、おれの竜血樹をあんたたちに譲ってやる」
そこでようやくルーとアドニスは理解した。ルーは納得した表情をしたが、アドニスは理解した瞬間に険しい表情を向けた。
「…金の要求か?」
ここでようやくマスクも理解した。そして憤慨するが、誰も相手にしない。
「おい、嬢ちゃん!」
アッザムがルーを呼ぶ。
「何でしょうか?」
「この竜血樹のあった場所はどうなんだ?俺たち人間だけで行ける場所だったか?」
その言葉にルーは首を振って答える。
「今回の行った場所は人類未踏の新大陸。行くまでの道のりや魔物の手強さを考慮すれば、間違いなく禁足地の指定となるでしょう」
ウルベニスタは俯いて大きなため息を吐く。ルーがそう言うなら間違いない。そしてアッザムの方へと視線を戻した。
「…お前の言い値で払おう。それとも他に何か要求があるのか?」
「いいや、金なんかいらねぇ。もちろん要求もしねぇ。国が喉から手を出すほどに欲しがってるんだ。そんなあんたたちに俺も力になりてぇんだよ。だからあんたたちに協力するよ。この竜血樹はあんたたちで使ってくれ」
そう満面の笑みで答えた。
アッザムは貸しを作るのが好きである。そして今回アッザムはラルフのおかげで最高の相手に貸しを作る事が出来たのだ。自身だけでは一生相手にする事は無かったナルスニアという国に対し、大きな貸しを作る事が出来たのだ。これを笑わずにはいられない。
「はっはっはっはっは!これだから人間は面白い。ラルフ殿、面白い物を見させてもらった。礼を言う」
笑わずにいられない者は他にもいた。冥王は人間たちのやり取りを見て、高らかに笑った。
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