第103話 帰還

 陽が沈みかけた頃、アドニスとルーはナルスニアのギルドへと駆けこむ。アドニスの登場にギルド中から視線を浴びる。この時間帯は魔界からの活動を終えた開拓者たちでごった返している。だがそんな視線を浴びながらも当の本人はそんな事を気にしない。


「ギルド長は?」


 すると1人のギルド職員が答えた。


「ギルド長は今、席を外しておりますが」

「魔伝虫ですぐに呼びだしてもらえないか?それか僕に渡して直接話をさせてほしい」


 ギルド職員は言われるがまますぐにギルド長へと連絡する。


「えぇ、今アドニスさんがこちらに来て呼び出してほしいと…えぇ、はい。分かりました——アドニスさん、ギルド長はすぐに向かうとの事です」

「分かった、ありがとう」


 今回の一件はギルド職員にも一部しか伝えられておらず魔伝虫越しのランバットギルド長の慌てようにその職員は驚いていた。アドニスたちはギルドで待つことにし、その間に職員に今回の事情を説明する。


「…という事はその冥王というブラックドラゴンが今、ゲートをくぐったすぐ近くの森で待機していると?」

「そうだね。今は眠っていらっしゃると思う」

「あわわわわ、それを知らない開拓者たちが混乱する可能性が…でもこの時間帯は基本遠征に出ている開拓者だけでゲート近くでの活動者たちはほとんどいないのが幸いだ。でもすぐに伝達しないと」

「ランバットさんはそこら辺もう手配していると思うよ。あの人は仕事が早いから」


 一方ルーは報告をアドニスの方へ任し、ギルド内をキョロキョロと見渡していた。


「おい、あの女って」

「あぁ、この間高レベルの開拓者を一発で倒しちゃった奴だろ?あんなきれいな顔をしているのに。でもアドニスの連れってなるとなんだか納得がいくな」


 そんな声が辺りから聞こえていた。ルーが実力を示すためにアレスという高レベルの開拓者を圧倒した噂があっという間に広まっていたのだ。だがこちらにおいても本人は全く気にしておらず、ただ意中の人間を探していた。


(ここには居ませんか…)


「仲間はここに来ていないかい?」

「…えっ?あぁ、ごめんなさい。アドニス。報告を任せてしまって」

「いいんだよ。それよりランバットさんがすぐにゲートに向かわれるそうだ。騎士団の人たちを連れて。僕たちも行こう」

「えぇ、分かりました」


 ルーたちはギルドのすぐ近くにあるゲートに向けて足を運ぶ。ルーたちがゲートへ到着し、すぐにランバットが現れた。ランバットはナルスニア騎士団と一緒に引き連れており、そこにはマスク副団長もいる。


「ランバットさん、こんな時間に申し訳ないです」

「何を言っている。アドニス、そしてルー君。ご苦労だったな。今、キルギス団長とウルベニスタ宰相もこちらに向かわれている。君たちは疲れているところ申し訳ないがもう少しだけ頑張ってくれ」


 全員で冥王のいる森へと移動する。


「これが本来の姿か…」


 ランバットを始めとするその場に居合わせた者たちが冥王の本来の姿を見て戦慄を覚えていた。寝息を立てて横たわっているにも関わらず、黒光りした鱗で全身を覆われた巨大な体は威圧的で猛々しい。人型の時でさえ、あれほどの存在感を見せていたのだ。この本来の姿でもしどこかで遭遇する事があればきっと動く事さえできず、死を悟る事だろうと。現に先日冥王に首を飛ばされそうになったマスクはガタガタと震えていた。

 そんな事を思っていると、いきなり冥王が目を開けた。人の顔程の大きさの瞳がこちらを見ている。


「誰だお前たちは…と言いたいところだが先日城に居た者たちか。どうやら私たちのお出迎えのようだな。約束の竜血樹だ」


 そこでランバットたちはここでようやく冥王の横にある竜血樹に目を向けた。赤い樹液を流した気味の悪い木である。だがこの竜血樹はポーションを超える回復薬を生み出すとんでもない可能性を秘めたものなのだ。

 当初、竜血樹の樹液を持ち帰って来るはずだったのだが、冥王のおかげで木をまるまる一本手に入れる事が出来た。予想外はいい方向へと転んだのだ。


「だがこれはまだお前たちの物となったわけではない」

「————!」

「冥王様、それはどういう事でしょうか?」


 全員が驚きを覚える中、アドニスがすぐさま問い返した。


「私はラルフ殿のために取って来た。この所有権はラルフ殿にある。彼の意見を聞いてくれ」


(ラルフ?誰だ?あぁ…ルーの仲間の人の事か。そうか、ラルフと言うんだ)


 気付くと自分の視線の先にルーが居た。アドニスは無自覚の内にルーの方へと視線を向けていたのだ。


「冥王さん、ではラルフを連れて来ればいいのですね?すぐに呼んで来ます」

「…その必要は無さそうだぞ。気配がする」


 冥王は首を持ち上げ、森の入り口の方へと視線を向けていた。冥王の言う通り、誰かがこっちへやって来る気配がする。


「ラルフ!」


 ルーはすぐさま走り出した。するとそこには車いすに押されて来る少年が居た。


(ん?少年?ラルフは少年の事だったのか)


 アドニスはラルフが子供である事にどこか安堵していた。ラルフの車いすを押していたのはナナであった。その横には馬に乗ったウルベニスタ宰相とキルギス団長がいる。ウルベニスタはこのような事態になるのではないかと想定してラルフを呼んでおいたのだ。2人はまずは冥王に声を掛ける。その後、アドニスに労いの言葉を掛けて来た。


「アドニス、ご苦労だった」

「いえ、そんな」


 本来であるならばウルベニスタのこのような声を掛けてもらうのは非常に嬉しい事であり名誉でもある。だが今は耳障りとも思えるくらいの心境だった。なぜならルーの事が気になって仕方がなかったのだ。


「ラルフ、足は大丈夫ですか?」

「相変わらずだよ。今日も城へ行って治療を受けて来た。ルーこそ大変だったな。大丈夫か?」

「いえ、私は」

「んもう、森だからそこら中に木の根っこが生えて車イスが押しにくいったらありゃしないわ」


 ラルフの後ろで押しにくい車いすにナナが不満を漏らしていた。


「ナナさん、お久しぶりです。車いすが押しにくいのなら代わりに私が——」

「——結構よ、私が押すわ」


 ナナはどこか不敵な笑みを浮かべる。


「ルー。お前は帰って来たばかりで疲れている。だから今はナナに押してもらうよ」


 ルーはそう言われて残念そうにしていた。


「それにしてもこの場所なんとかならないか?森は嫌いなんだ。昔、ゴブリンに追い掛けられた事があって。怖くて仕方がない」


 ラルフは震える様子で辺りを見渡す。これはラルフが8歳の頃、母のために奇跡の実を採りに行こうと意を決して魔界に踏み入った時の話だ。ラルフはその時にゴブリンに追い掛けられ、九死に一生を得ている。


「ラルフ、大丈夫よ。今はここに冥王さんがいるから。魔物が恐れて一匹たりとも近づいて来ることはないわ」

「それなら良かった。あぁ、そうだ。冥王にお礼を言わないと…ってかあれが本当の姿か」

「はい、あれが冥王さんの本来の姿。ブラックドラゴンです」

「ルー………本当に昔こんなのと戦ったのか?」

「戦ったというか、遊ばれたという感じでしょうか。何も出来ずに終わりました」

「いや、それでもすごいよ」

「本当ね。私なら尻尾を巻いて逃げ出すわ」


 そんな会話をしながらラルフたちは冥王の元へと近づく。


「ラルフ殿、調子はどうだ?」

「まぁ良くはないな。冥王はどうだ?」

「疲れたよ、大荷物でな」


 冥王は話しながら竜血樹の方へ向く。ラルフも釣られる様に竜血樹の方へと向く。


「こんな大きな木を。冥王、どうもありがとう」


 ラルフは頭を下げる。


「いやいや、そなたの足がこれで治るやもしれんのだ。おやすい御用だ」


 その時、ラルフはアドニスの存在に気付く。


「ルー、あの人は?」

「あの方はアドニスです。今回の旅に一緒に付いて来てもらいました」

「じゃあお礼言わないといけないじゃないか、ナナ頼む」

「あいよ…ってアドニスじゃない」

「ん?有名な人なのか?」

「この国じゃ有名よ。今とっても勢いのある開拓者よ。高レベルの開拓者の中じゃ一歩抜きに出てるって感じかな、悔しいけど」


 ラルフはアドニスの前に出て礼を述べる。


「あの、俺はラルフって言います。ルーの仲間です。今回はルーと冥王に一緒についてもら………」


 ラルフが何かしゃべっているが、アドニスは別の事を考えていたために会話の内容が全く頭の中に入って来なかった。


(ルーは確かこの間、このラルフという少年をとっても強いと言っていた。でもこの子からは強者から感じるオーラが全く感じられない。それに初心者装備を来ているじゃないか)


 アドニスはルーの言っていた内容と全く異なる事実に驚きを感じざるを得なかった。


「………ありがとうございました」

「えっ?あっ」


 ラルフが礼を言って頭を下げた動作で我に返る。アドニスは差し当たりない返答をして、取り繕おうとする。


「いやいや、そんな。お礼を言われるような事はしていないよ…それに礼になったのはこちらの方なんだ。ルーに世話になりっぱなしで」

「そんなことありませんよ。今回の旅、とっても楽しかったですよ」


 ラルフという1人の男の前でルーに褒められた事をどこか優位に立ったように感じられ、嬉しくなる。


「いや、本当の事を言っただけだよ。ルー、本当にありがとう」


 ルーは止して下さいと恥ずかしがる様子で答えた。それを見ていたナナは


(あらあら?あらららららららら?えっ?何?どう言う事?)


 そしてそっと自分の胸の下にいるラルフの顔を覗く。だがラルフはその2人見て全く嫌な表情をしておらず、寧ろ微笑ましいものを見ているかのようであった。


「さてと…それで、この竜血樹は俺の好きにしていいって話だったよな?」


 それぞれがバラバラに話をしていたが、ラルフがそう口にすると、一瞬にして会話は止み、注目が集まる。


「そうだ。私はラルフ殿のためにこの木を運んだ。だからお主が好きなようにしてよい」

「ラルフ。この竜血樹、当初の予定通り国の所有物とさせてもらいたいのだが。新しい回復薬はすぐにでも作ると約束する」


 ウルベニスタがすぐにラルフに声を掛けた。それが当然であり、そうするべきだと誰もが思っている。だが、


「回復薬を作ってもらうってのは、あの貴族を撃退した報酬だったもんな。それはぜひお願いしたいというか、そうしてもらわなきゃ困るんだけど…所有権ってのはちょっと待ってくれないか?」


 その言葉に眉をひそめるウルベニスタやキルギス。マスクに至っては思いっきり眉間に皺を寄せている。


「ったくよう。こんな所に呼び出しやがって。この俺様を誰だと思ってやがる」


 そこに現れたのはアッザムだった。横にはイリーナがいる。


「おう、アッザム」

「何だよ、こんなところへ呼び出しておい…あうぁ…」


 アッザムは冥王の真の姿に面を食らう。もはや避けては通れないイベントのような感じだ。だがラルフはそんな事はお構いなしに話を進める。


「おい、アッザム。この前サラのお願い聞いてくれたよな?俺があの時、今度埋め合わせするって言ったから今その埋め合わせをすることにするよ。アッザム。この竜血樹の所有権はお前に譲る」

「…えっ?」


 その場にいた誰しもが驚いた。だが誰よりも驚いたのは、それを言い渡されたアッザムであった。

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