第99話 心の変化、固い握手

 ルーとの一戦を交えた冥王は竜の姿に戻り、早々に横になってしまった。


「寝る時は元の姿に戻るんですね」


 ルーはぼそっと独り言のように呟いた。


「ルーさん、食事にしましょう」


 2人は海岸に流れ着いた丸太に腰かけ、焚火を囲みながら食事を取る事にした。


「冥王様との闘い、感動しました」


 開口一番、アドニスは先程の一戦の感想を口にした。ルーの強さに感嘆の声を出さずにはいられなかった。

 アドニスは基本謙虚であるために、自身の強さをひけらかしなどしない。だが狩りの谷を越えられる実力を持っている事は自分の中で1つの自信にもなっており、ナルスニアの開拓者の中で強い部類に入ると自負するくらいの気持ちは持っていた。それがモチベーションにも繋がるからである。

 先程ルーに自分は狩りの谷を越えられると口にしたのは一種のアピールでもあった。ウルベニスタから出発する際に声をルーに守ってもらえと言われた事が少しだけ気に障っていたからである。だが今は本当の強者を目の前にして、そんなアピールまがいな事をした自分を恥ずかしく思った。


「あの、失礼ですがルーさんの年齢は?」

「今年で17になります」

「…僕と一緒だ」


 ここでまた愕然とする。なぜ同じ年齢であるのにこうも実力差があるのか?アドニスは決して自堕落な生活を送って来たわけではない。開拓者を志した時からそれ相応の努力を重ねて来た。


「どのようにしてそんなに強くなられたのですか?」

「私は私自身を強いなどとはあまり思わないのですが、強いて言うなら…強くならなければならなかったといいましょうか」


 ルーは騎士に入隊した頃を回顧する。病弱な体を鍛えるために体を鍛え始めた。最初は真似事であった。しかし熱望して遠征に参加させてもらった。その時に多大な迷惑を掛けた。王女という身分である自身を守るために他の騎士たちが懸命に守り、支えてくれた。ルーは遠征に参加する以上、守ってもらって当然というお客様の気分で居てはいけない理解した。それからは気持ちを切り替え、粉骨砕身の思いで騎士としてあり続けた。


「後は…当時一緒に居た方がとても強かったのが良かったと。その方の戦いを常に目にして動きを真似したりしていましたから」


 ルーが頭の中に思い浮かんだのはレオナルドの事である。レオナルドは人一倍自分の事を気に掛けてくれていた。それは過剰なまでに。ルーは常に横に居たレオナルドのように強くなろうと必死で食らい付いていたのだ。


「そんな方がいたんですね…僕も1人知っています。ナルスニアではなく、アルフォニアの方だと後から知ったんですが。その方は他を寄せ付けない程の圧倒的な実力の持ち主でした」

「————!」


 ルーはそれを聞いて瞬時にレオナルドの事だと理解した。正体を探られるわけにはいかないため、表情に出さぬよう努めたが、眉が動きそして瞳孔が自然と開いてしまう。だがアドニスがその変化に気づく事は無かった。なぜなら夜空の星を眺めてしゃべっていたからだ。


「今回、竜血樹を取りに行くのは仲間のためと聞いたのですが、その強い方は?」

「…残念ながらその方とはもう離れてしまったので」

「そうですか…でも今日のルーさんは、本当に僕が憧れている人ほどの強さでした」

「そんな事はないです。私なんてまだまだです。私は弱い人間です」

「ルーさんが弱いのならこの世の人間ほぼ全員が弱い人間になってしまいますよ。僕だって…」


 アドニスは視線を空から砂浜へと移し、息を吐く。その吐いた息はまるで重みがあるかのようだ。


「僕は今、いろいろな方から期待されています。ギルドから町の人から、そして女王陛下にまで。僕が英雄だなんて…そんな実力なんて持ち合わせていないのに」


 アドニスはルーの実力をこの目で見て、感動を覚えた。しかし、自身を英雄扱いする期待の重圧に拍車がかかってしまったのも事実であった。自身は英雄に相応しい人間ではない。そんな強さは無い。その思いはより一層強くなってしまった。


「私には分かりかねますが、最初から皆さんにもてはやされる事なんてありません。ましてや女王陛下が根拠も無しに期待するなんて事はありません。アドニスさんが築き上げて来た物があってからこそ、皆さんは期待されているのではないでしょうか?」

「確かに頑張って来た自負はあります。ですが今はなんか持ち上げすぎです。期待が先走ってしまっている」


 またアドニスは不満を漏らしながら重たい息を吐いた。


「…だったらいっそこの事、そんな期待は放り出してしまえばいいのでは?」

「————!」

「アドニスさんは今、とても苦しんでいるように思われます。今日出会った私にでさえ分かるほどに…それほどまでに苦しいのであれば、壊れてしまう前に放り出すのも1つの手なのではないかと」

「そんな事…出来るわけがないじゃないですか!」


 アドニスは思わず立ち上がってルーに反論した。声を荒げるほどに。


「いろいろな方が応援してくれているんです…頑張ってと」

「ですがこのままではあなたが潰れてしまいます」

「そんな事僕にだって分かっています。勝手に期待するなと言いたい。僕がみんなのせいでどれだけ悩んでいるか分かるかと言ってやりたい。でも…でもそんな事で出来ない。だってただ純粋に僕のことを応援してくれているだけなんだから」


 これまで胸の奥に貯め込んで来た不満を吐き出すようにしゃべるアドニス。誰にも言えなかった。誰も分かってくれなかった。だが今日初めて心の葛藤を吐き出した。それも今日初めて出会った人間に。

 ルーはそんなアドニスに焚火を見ながら冷静に話し始めた。


「人間とは浮き沈みが激しい生き物です。上がったり、下がったり、常に心を一定に保っていられるなんて誰にも出来ません。あなたは今、とても心が疲弊しています。そんな状態でみんなの期待に応えようなんて無理があります。だったらあなたの志を下げてしまえばいいんです。期待に応える度合いを下げてしまえばいいんです」

「ですがそんな事をしたら」

「あなたは先程おっしゃいました。噂が先走ってしまって勝手に期待している人がほとんどだと。アドニスさんはそんな自分の事を何も知らない噂に乗っただけの方々が応援しなくなったら悲しいですか?」


 焚火からアドニスの顔へと視線を移す。


「悲しいは悲しいですが…それほどまで…でも私の事を知る人たちからも失望されるかもしれない」


 だがルーは首を振って否定する。


「そんな事はありません。大丈夫です。だってアドニスさんはこんな心が疲弊した状態でもどうにかして期待に応えようとしている方なのですから。きっとこれまでずっとこのような思いを背負い続けてきて頑張って来たのですね」

「ルーさん…」

「アドニスさんを知る方々は、アドニスという男がどれだけ頑張って生きて来たかきっと見て来たはず。どれだけ素晴らしい人か知っているはずです。だから失望なんか絶対にしません。大丈夫です。今日知り合ったばかりの私がこんな事を言うのも変ですが、自信あります」


 アドニスは心が癒されていくのを感じていた。疲弊した心がルーの言葉一つひとつに洗われて行くような感覚であった。


「それに放っておいても、アドニスさんはきっともっともっとすごい開拓者になれるはずです」

「えっ?どうしてですか?」

「今日冥王さんに旅の記録を「無駄だ」と言われた時、アドニスさんはすぐに無駄じゃないと反応したことです。いつの日か必ずたどり着いて見せますって…開拓者にとって、諦めない事、探求心や好奇心を持つことは何よりも大事な事ですから。アドニスさんはそれを持ち合わせています。今にすごい開拓者になれます。私が保証します」


 ルーは優しい笑顔と共にその言葉をアドニスに送った。その瞬間、アドニスが胸の鼓動が高鳴るのを感じた。先ほどまで不安に圧し潰されそうになった心は今やルーの色に染まっていた。それはアドニスとってルーの存在が心の支えになるほどのものであった。


「なんか…頑張れる気がしてきました」

「本当ですか?でも無理はしちゃいけませんよ…いけない、つい話し込んでしまいましたね。もう休みましょうか」

「そうですね。あの…ルーさんありがとう。だいぶ気持ちが楽になったよ」

「いえ、私なんかがお役に立てて光栄です」


 ルーたちは横になる準備を始める。その時またアドニスが話しかけた。


「今一緒に開拓者の活動をしている方は一体どんな方なんだい?」


 アドニスはルーと一緒にいる人物にとても興味が湧いた。ルーほどまでの人物が何としてでも助けたいという仲間は一体どのような人物なのか?


「私と一緒にいる方はとても…不器用と思うほどにまっすぐで強い人です。私はその人のために何としてでも竜血樹を持ち帰ります」

「………」


 ルーは話しながらその人物を思い浮かべているようであった。一瞬だけ思いを馳せるかのような表情に変化した。ルーが心の支えになりつつあるアドニスにとって、そのルーの表情は、己の心にざわつきを覚えさせたのであった。


「ルーさん、お願いがあるんだけど」

「何でしょう?」

「僕の事を出来ればアドニスと呼び捨てにしてくれないかい?それと敬語も無くしてもらって構わない。限定的であれ、僕たちは仲間なのだから」


 ルーはアドニスがなぜこのような事を言うのか真意が掴めなかったが、


「これは私の話し方なので敬語は無くせませんが、呼び捨てでいいのであればそうします。それと私の事もルーと呼び捨てで構いません」


 深く考えずに答えた。


「ありがとう、ルー。明日からもよろしく頼む」

「えぇ、もちろん。よろしくお願いします、アドニス」


 2人は固い握手を交わした。

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