第98話 化け物は冥王だけでは無かった

 冥王は背中に乗ったルーたちに話しかける。


「どうかな?私の乗り心地は」

「翼の生えていない私が空を飛んでいるなんて夢みたいです」


 ルーは感動を覚えていた。地表は遥か下にあり、自身の視界に広がるのは青い世界。そして全身で風を感じる。誰しもが一度は憧れる空を飛ぶという夢が実現しているのだと興奮を隠せなかった。さらに風を感じるために立ち上がって両手を大きく広げた。目を閉じて、視覚を遮断する。風を十分に満喫したところで再び目を開け、広がる青い世界を楽しむ。


「ふふ、すごいです」

「………」


 アドニスは見惚れていた。アドニスにとって空を舞う事はもちろん初めての経験である。しかし今はそれ以上にルーに心を奪われていた。ルーの容姿から勝手に淑女のようなイメージを抱いていた。だが実際のルーは感情のままに無邪気にはしゃぐ。その姿は微笑ましく実に可愛らしい。


「どうしました?アドニスさん」

「いえ、なんでも…」


 アドニスはすぐに視線を反らした。そして再認識した。硬い鱗に覆われた黒き竜、底知れぬ強さのため人間が恐怖を抱き「冥王」とまで名付けた存在の背に乗って空を飛んでいる事を。


「もう少しスピードを上げても良いか?」

「出来るのですか?」

「無論」

「じゃあ、お願いします。いいですよね?アドニスさん」

「えっ?ええ、もちろん」

 

 さらにスピードは上がる。向かってくる風はさらに強くなる。


「はは、すごい、すごい」


 ルーは笑っていた。その横でアドニスは急に何かを思い出し、荷物を確認し始めた。そして手のひらサイズのある物を出した。


「それは…方位磁針ですね?」


 いつの間にかルーが近寄り、アドニスの荷物を確認していた。


「ご存じなんですか?」

「確か、星の磁気を利用して、自分たちが今どの方向に進んでいるのか指し示してくれるんですよね?」


(すごいな。まだ世間ではあまり出回っていなくて、僕はつい先日この方位磁石の存在を知ったばかりだというのに。ルーさんは何でも知っているな)


「今はどの方向に向かっているんです?」


 そう言われてアドニスは方位磁石を確認する。


「…南?僕らは今、南に向かっている」


 慌てて冥王の背から地表を見る。先程までいた森が背に見え、どんどんと小さくなっている。

 アドニスは紙を取り出し、メモを取り出した。


「記録ですか?」

「はい。ウルベニスタ様から今回の旅の記録を取るように仰せつかっていますので。竜血樹の居場所を報告します」

「お前たちではたどり着けると言うのに。無駄な事を」


 冥王が少し呆れたように反応する。


「だとしてもです。それに決して無駄なんかじゃありません。こうやって僕たち人間は魔界を開拓して行ったのですから。いつの日か、人類だけで行ける日が来るはずです」


 アドニスは冥王の皮肉交じりの言葉に食ってかからず前向きに反応する。それを聞いたルーはアドニスに好感を覚え、微笑んだ。


「今回向かう場所が北側だったら都合が良かったんですけどね。まぁこればかりは仕方ないです」


 ルーはその言葉を聞いて、アドニスがソナディア王国の存在についても理解しているのだと察した。ナルスニアのゲートからソナディア王国は北側にある。ナルスニアの騎士たちが遠征する際にはいつも北側へと侵攻しているのだ。

 ルーはこの事は言葉には出さず適当に相槌を打っておいた。アドニスもそれ以上の言葉述べなかった。


 しばらくそのまま飛び続け、ルーが冥王の心配をする。


「冥王さん、ずっと飛び続けて疲れないのですか?」

「問題ない。全力で飛び続けているわけではないからな。この速度なら一日中飛んでいられる」

「助かります」


 そのような会話をしている横でアドニスが身を乗り出すように地表を見下ろした。


「もう『狩りの谷』だ」


(狩りの谷?聞いた事があります。確か…)


 ルーはアドニスの言葉を聞いて思い出すような顔をする。アドニスはルーの表情を読み取り、


「そうです、狩りの谷。ハンティングウルフが縄張りとしている谷です」


 狩りの谷。これは人間が魔物を狩る場所として名付けたのではなく、オオカミによって人間が狩られるために名付けられた谷の名だ。ゲートからかなり距離が離れているために開拓者で無い者や新規開拓者がここまでたどり着けることはない。よって魔界に慣れたある程度の開拓者たちがこの場所を訪れる場所である。しかし、ここに訪れた開拓者たちは悉くハンティングウルフに命を刈り取られた。


「ハンティングウルフは個々の能力が高い上、非情に統率が取れています。表情や吠え声で巧みにコミュニケーションを取り、確実に開拓者たちを狩るのです。ナルスニアの開拓者たちはこれを熟知しているので南への活動はこの狩りの谷の手前で止まっている事がほとんどです」

「迂回はとらないのですか?」

「そうしたいのですが、この狩りの谷が結構長い距離に渡っていて、迂回するには日数がかかるのです。そんな迂回をするならば北側で活動した方が良いといったのが現状ですね。そのためこの狩りの谷を越えた先は未開拓といった感じですね」

「どれ、それならば私が少し降りてハンティングウルフを蹴散らそうか」


 話を聞いていた冥王が自信ありげに答えるが、ルーがすぐに止めに入った。


「絶対に止めて下さい!冥王さんが谷で暴れてハンティングウルフが場所を追われ、狩りの谷の外に出たらどうするのですか?狩りの谷近くで活動をする開拓者に被害が出ます。それに今は竜血樹を取りに行っているのですよ」


 ルーに止められ、冥王は「そうか」と残念そうに答えた。そして思い出したかのように、「こっちだったか」と少し西側へと方向転換した。すると今度はアドニスが残念そうな顔をする。


「このまま南へ飛んで行った方が良かったのですか?」

「…正直言うと、この先が気になっていたんですよ」

「でも狩りの谷のせいでこの先へは行けないと」

「先程ナルスニアの開拓者は狩りの谷の前までしか南への活動をしないといいましたが、僕はパーティーを組んだ仲間とこの狩りの谷を何度か越えているんです。この先の状況が少し分かると思ったのですが」

「この先?しばらくは大陸が続くが時期に海に出るぞ」


 冥王が割って入った。


「はい、ですがこの先…」


 アドニスはルーの顔を見る。少し渋るような顔をしたが、


「この先には国があるとされています。もちろん今はもう滅んでしまいましたが。僕はその調査へと向かいたいのです」

「かつての人が住んでいた場所…」


 魔界にはソナディア王国だけが存在していたわけではない。ソナディア王国以外にいくつも国が存在したのだ。その1つが狩りの谷を越えたその先にあるとされている。アドニスはその場所を調査したかったのだ。

 ルーはソナディア王国以外の国の存在を知っていた。しかし、聞いただけで実際に目にした事はない。なぜならかつて騎士団としての活動は全てソナディア王国に向かうための活動である。普通の開拓者と違って自由に魔界を探索出来るわけではないのだ。


「今回はお預けですね」


 アドニスは残念な表情から一転して笑って答えた。そしてもう一度方位磁針を取り出し、現在向かっている方向を確認し、メモをした。


 夕暮れ、海岸近くにまでたどり着いた冥王は一度地上へと降りた。


「今日はここで休もう。明日は夜が明ける前に立ち、海を越えて竜血樹の場所に向かう」


 地上に降り立った場所でルーは気配を探る。


「ここは魔物の反応があまりありませんね」

「あぁ。それに私が居るから魔物共は近寄って来ないだろう」


 すると冥王は人型への姿に変化する。


「安心して休むとよい…と言いたいところだが、やはり一日中同じ飛んでいたせいか、肩や背中の筋肉が疲れた。これはそなたたちを乗せていたからだろうな」

「それは申し訳ない事をしました。私でよければマッサージでもしましょうか?」

「マッサージ?そなたがしてくれるのか?」

「えぇ。昔はよく父の肩を揉んだものです。多少自信があります」


 そんなルーの言葉に冥王が不敵な笑みを浮かべる。


「マッサージなら僕がしますよ」


 アドニスは冥王にそう提案するが、


「悪いがそなたでは役不足だ」

「役不足?」

「ルー殿。マッサージの代わりに手合わせをしようではないか。そなたがどれほど強くなったか久しぶりに見てやろう。かかって来なさい」


 その言葉にルーは驚愕する。


「私はマッサージと言ったはずですよ?なんで戦わなくちゃいけないんですか?」

「マッサージよりも手合わせした方が凝り固まった筋肉がほぐれる」

「わ、私は昨日全力で戦ったばかりで本調子じゃ…今の状態では半分も力を出せませんよ?マッサージじゃダメですか?」

「あ~、肩が痛い。背中が痛い」


 ルーは大きくため息を吐いた。どう言っても冥王は言う事を聞いてくれなさそうに無いので観念した。後ろを振り返り、


「アドニスさん。申し訳ないんですが、少し休んでいて下さい」

「えっ?ルーさん、本気で戦う気ですか?」


 ルーはその言葉に反応を示さない。自身の肩をぐるぐる回し、ストレッチを始めている。そのストレッチが終わると、剣を抜いた。

 アドニスは場の空気が変わるのを感じた。ルーの目が鋭くなり、真剣な表情をしている。目の前にいる冥王だけに集中し、自身の存在などもう認識から除外されているだろうと察した。

 次の瞬間、ルーは動く。


(速い!)


 ルーは右足を大きく踏み込み、飛び掛かるようにして一瞬の内に冥王の前に移動した。そして踏み込んだと同時に振り上げたミスリルの剣を冥王へと振り下ろす。だが冥王はそれを分かっていたかのように左手の甲で受け止めた。冥王は人型の姿をしているが、本来は硬い鱗で覆われた強靭な肉体だ。そのため腕は千切れる事無くルーの剣を難なく受け止める事が出来た。そして空いている右腕でルーに目掛け拳を繰り出す。


「くっ!」 


 ルーは両手で剣を持っていたが、左腕を離し、そして左半身を回転するように交わす。そしてそのまま回転し、冥王の顔に目掛け回転蹴りを食らそうとする。


「いいぞ」


 冥王はルーの攻撃褒める。だが当たる事は無くその攻撃をも受け止め、逆にルーの足を掴んだ。そしてルーを投げ飛ばす。地面に叩きつけられるかと思われたが、ルーは体を回転させ、足から地面に着地する。


「避けられるかな?」


 ルーは表情を強張らせ、着地した場所からすぐさま横に飛んだ。アドニスはルーの行動が理解出来なかった。


(何で飛んだんだ?)


「————!」


 アドニスは目を丸くする。ルーの居た場所の海岸が割れ、さらにはその先の海が割れた。


「魔法ですか?」


 ルーは苦笑いをする。


「風の刃を飛ばした。さぁ、間合いを詰めないと魔法の餌食だぞ」


 そう言われたルーは面倒くさがるような表情をしながら大きく息を吐く。だがゆっくりと息を吸うと共にその表情は楽しそうな表情へと変化した。そして目をぎらつかせたルーはまた冥王に特攻し始めた。



「…待って!もう動けません。疲れました!」


 ルーは砂浜に腰を降ろし、呼吸を整えるため全身で大きく呼吸をしていた。


(僕は一体何を?何を見させられていたんだ?)


 アドニスは目の前の光景に驚きを覚えずにはいられなかった。自身が瞬きをする間にルーの攻撃のモーションが変わっていた。それほどの猛攻だった。そしてそれを余裕で受けきる冥王。


「やっぱり全然動けませんでした。体が重い」

「そんなことはないぞ。以前戦ったような堅苦しい動きは消えている。それに攻撃が多彩だった」

「でも結局一撃を与えられませんでした」


 アドニスに取ってルーと冥王の会話はまるで別次元の会話だった。


(これで本調子じゃない?もし僕がルーさんと戦ったら最初の攻撃の後の回し蹴りでやられていた…いや、そもそもルーさんの最初の振り下ろしを僕は受け止める事が出来るのか?)


 アドニスは冥王を見て化け物の実力の持ち主であるとすぐに気付いた。だが、その冥王と一戦交えたルーもまた化け物のような実力の持ち主であると気付かされた。ウルベニスタから何かあればルーに守ってもらえと言われた事をようやくここで理解したのであった。

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