第91話  ルーの焦燥感

「ナ、ナナさん、それはダメです!」


 大きな声を出し慌てふためいた後、ルーはナナに詰め寄った。だがナナはそんなルーに不敵な笑みを浮かべる。


「あら?なんでダメなの?」

「なんでダメって、見知らぬ男女が2人で一つ屋根の下で暮らすなんて」

「何を言ってるの?私たちは同じ敵を倒すために共闘した深い仲よ。見知らぬ関係なんかじゃないわ。ね~、ラルフ」


 ナナは猫なで声でラルフに近寄って手を握る。


「————!」


 それを見たルーの目と鼻が大きく見開く。ラルフの手を握るナナを見て胸が痛む。そして居ても立ってもいられずにその手を剥がしに動く。


「ラルフはケガ人です。離れて下さい!」

「ただ手を握ってるだけじゃない、何がいけないのよ」

「ダメなものはダメなんです!」


 ナナは反抗するが、ルーはそれでも食い下がった。


「おい、2人共。止めろ」


 ここで奪い合われている張本人がやっと声を出した。


「とりあえずナナ、手を離せ。急になんだ」

「ちぇー」


 そう言われてナナはここでようやく手を離した。


「で、ナナもう一度説明してくれ。急すぎて良く分からなかった」

「私はね、あんたの事が気に入ったの」

「————!」


 ナナの爆弾発言にまたもやルーが慌てる。


「んな事を聞いてるんじゃない。さっき世話をするとか言っていただろ」

「そうよ。あんた今の状態じゃどこにも行けないし、何も出来ないでしょ?だから私が面倒を見て上げるって言ってるのよ。私が、このナナ様があんたの面倒を見てあげる」


 ナナは自分の手を胸に当て、笑顔で語り掛けた。その身振りは一種のパフォーマンスを見せるかのように大きく動いていた。


「言っている事はよく分かった。でも急にどうした?俺たちは昨日1日手を組んだだけの仲だぞ」


 するとナナは不満な顔を見せる。


「何よそれ。そんな悲しい事言わないでよ。言っとくけど、付き合いの長い短いは関係ないでしょ。それよりも重要なのは濃さでしょ。そうは思わない?」

「まぁ…それはそうなんだが」


 ラルフはナナの勢いに少し圧倒されている。


「正直に話すけど、私はあんたの事を見下してたわ。初心者装備を身に纏った奴が何言ってるのよって。でもあんたが自分を犠牲にしてまで必死に卵を守ってる姿に感動したのよ。それであんたに惹かれたって事。これだけじゃ物足りない?」


 そう言われた事は素直に嬉しい。だが、褒められる事に慣れていないラルフは嬉しさより、恥ずかしさの方が大きかった。


「それにさ、私も最近忙しく働いていたからちょっと休もうって思ってた所なの。だからついでにあんたの面倒を見て上げようと思って。どう、スラム街の抗争が起こるかもしれないアッザムのアジトに居るより私と居た方がずっと平和よ。どう?」

「そうかぁ。悪くない話だなぁ」


 ラルフは両腕を組んで頷く。だがその後ろで気が気でないルーが居た。


「ラルフ…悪くないってこの話、受けるつもりですか?」

「えっ、そのつもりなんだけど」

「一緒にナナさんと2人きりで生活するって事なんですよ?」


 ルーはラルフに顔を近づけ、まじまじと見る。それを見ていたアッザムが急に笑い出した。


「モテモテだなぁ、ラルフ」


 そう言って背中を叩きだした。


「痛い!叩くなアッザム。足に響く——でも他に方法がないじゃないか。それに2人きりで生活したところで何なんだよ」

「「「えっ」」」


 これには3人共キョトンとした顔になったがすぐに理解した。

 これまで一日を必死に生き延びる生き方をしていたラルフにとって恋愛とは全くの無縁の存在であり、そのような感情など芽生えた事も無い。だからナナと2人きりで生活する事が何を意味するかラルフには到底理解出来なかった。


「とにかく他に頼める奴もいないのは確かだ。陛下が城で面倒診てくれるって言ってたけど、貴族が周りに居るような場所は極力避けたい。だからナナに甘えたいんだが」


 ナナはそれを聞いて笑みを浮かべる。


「そうでしょ。そうするしかないのよ——ほらほら、ルーさん。どいたどいた」


 そう言ってナナはラルフの後ろに回り、ルーから強引に車いすの手すりを奪い取る。ルーはそれにムッとする。すぐに背後から表に移り、


「ラルフ、イリーナさん、イリーナさんはどうです?」


 だがラルフは首を横に振る。


「イリーナさんはダメだ。あの人は仕事でここに来てるんだ。それに俺が騒ぎを起こしたせいで長居するハメになっちゃってる。これ以上迷惑はかけられない。…あぁ、そうだ。お礼もごめんなさいも言えてない」


 ラルフの言う通りだと思った。個人的な理由でイリーナをこれ以上振り回してはならないと。ここは素直に反省した。

 ルーは再びナナの顔を見る。そこには勝ち誇った顔をしたナナがこちらを見ていた。

『実力じゃあなたに到底私は敵わないわ。でも恋愛じゃ話は別よ』

 ナナの表情からそう読み取った。ルーはモヤモヤする胸に自然と手を置いていた。


(ラルフとは恋人ではないのに…でも)


 出来る事ならアッザムにラルフの面倒をお願いしたい。だがラルフがスラム街の抗争に巻き込まれる恐れもある。そう考えるとナナに頼むのが妥当なのだが、ラルフを取られてしまうという焦燥感に駆られる。


(これは嫉妬?妬み?一体何なんでしょう)


 不意に湧いた抑えようもないこの胸のざわつきにルーもまた対処出来ずにいた。いつものラルフの身を案ずる不安とはまた別の不安。自分でも訳が分からなくなっていた。

 結局のところ、ルーは自分の感情よりラルフの身の安全を優先する事にした。ルーとはそういう人間である。


「ラルフの事よろしくお願いします。後、これお金です」


 ルーは深々とナナに頭を下げた。

 ルーが頭を下げた理由。これは単にお願いするために頭を下げただけでなく、ナナの顔を見たくないがために頭を下げたという意味も兼ねている。

 そしてナナもルーが自分の感情よりもラルフの身を安全した事を理解し、これ以上煽るのはさすがに申し訳ないと素直に「任せておいて」と答えた。

 ルーは頭を上げるまでに感情を落ち着かせ、


「ラルフ、少し早いですが城に戻ります。そのまま魔界へと行きますのでナナさんとゆっくりして下さい」


 必死に笑顔を繕った。


「あぁ。悪いな。俺みたいなのが言うのもなんだが気を付けろよ。無理するなよ」

「ありがとうございます——冥王さん、行きましょう」


 だがここで空気を読めていない者がいた。それは冥王だった。


「いいのか?ラルフ取られるかもしれないのだぞ。いいのか?」


 ルーの押さえていた胸のモヤモヤは怒りへと変わり、それは一気に膨れ上がる。そして冥王に鋭い眼光を突き付けた。


「わ、わ、悪かった。行こう。早く行かないとな」


(私に恐怖感を抱かせるとは…この娘、強くなったものだな)



 城へと戻ったルーたちはナルスニア騎士団のキルギス団長とマスク副団長の元へと案内された。

 2人に会った瞬間、昨日の玉座の間でのいざこざがフラッシュバックする。


「昨日は申し訳ありませんでした」


 ルーはラルフの無礼な態度を謝罪する。いくら激情に駆られたとはいえ、身分が上の者に対し無礼を働くのは許される事ではない。


「いや、こちらも申し訳なかった」


 キルギスもまた思い上がった自分の態度を謝罪する。また隣に居たマスクは冥王に自身の喉元に爪を突き付けられた事を思い出して、恐怖していた。


「準備の方は整いましたか?」

「ま、まだだ。まだ時間がかかる」


 ルーの問いに現実に引き戻され慌てて答える。


「出来れば急いで頂きたいのですが」

「こちらも未知な場所へ行くのだ。それ相応の準備が必要だ」


 マスクは昨日ヴィエッタに言われてルーたちに謝罪をしたが、若さ故に煮え切らない気持ちを未だに抱いていた。それ故に言葉が少し刺々しくなる。


「おい、お前たちは一体どれほどの数で付いて来るつもりだ?」


 だが冥王の声にマスクの顔と体がこわばる。


「いや、それはそのぅ」


 恐怖心とは簡単に拭えるものではなく、自分の心に刻まれいつまでもまとわりつく。冥王はただの問いかけのつもりであったがマスクはそれを否定的且つ怒りを抱いていると捉えた。


「す、すぐに準備を致しますのでもう少し——」

「——悪いが、竜血樹は私の背に乗せて向かう。そう何人も連れて行くわけにはいかぬ」

「「「————!」」」


 その言葉にマスクだけでなく、ルーやキルギスも目を見開く。


「冥王さん、背に乗せるって飛んで行かないといけない場所なのですか?」

「まぁそんなところだ。それにルー殿は一刻も早く行きたいのだろう?」

「えぇ、まぁ」

「だったら尚更だ。それに私としても背にあまり人を乗せたくないのだ」


 それを聞いたキルギスとマスクは困った顔をした。騎士団として向かうつもりだったがその計画は破断した。そして別の者を寄こすのが望ましいと判断した。キルギスは「少しだけ時間が欲しい」と足早に去って行った。少しした後、キルギスはウルベニスタと1人の男を引き連れて来た。


「お待たせした」


 キルギスは額には少し汗が滲んでいた。


「冥王殿、そして…ルー殿。そなたらへの随行はこの者を連れていって頂きたい。来なさい」


 ウルベニスタが声を掛ける。


「はい」


 短い言葉であったが、その中に男の聡明さを窺わるような落ち着いて透明感のある声であった。


「この者の実力、そして人格は私が保証する。名前はアドニス。英雄に成り得る男だ」

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