第73話 ルーの覚悟、ラルフの選択
「ま、参りました」
「私が剣でしか攻撃しないと油断していましたね」
「おっしゃる通りです。シンシア様には敵いません」
稽古をつけていた騎士がシンシアの強さに舌を巻く。シンシアはニコッと笑うと、喉元で寸止めさせていた剣を鞘へと戻した。
「シンシア様、次は私と戦って下さい!」
「私もお願いします!」
「私も!」
「お前たち、姫様を休ませないつもりか」
「ふふふっ、レオナルド構いませんよ。皆さん、順番にお相手します」
シンシアは騎士団に所属している時は頻繁に仲間の騎士の相手をしていた。
「レオナルド副団長、シンシア様は本当にお強いですね」
「あぁ、姫様は本当にセンスがおありだ。姫君だというのに、戦いのセンスに恵まれるとは。いやはや神は本当に気まぐれだ」
「レオナルド、聞こえていますよ!」
「あぁ…申し訳ございません」
アルフォニア王国で一番強い者はレオナルド副団長である。そしてその次に強いと言われていた者はシンシアと言われていた。可憐でおしとやかで皆に愛される姫は同時にとてつもなく強かった。それ故に騎士をはじめ、シンシアの強さを知る者たちはシンシアの事を「戦姫」と呼んでいるほどであった。
(…戦姫か)
ルーはエッジと刃を交えながらかつての事を思い出していた。
(そう、私は戦姫と皆に呼ばれていた。しかし私は…人を斬ったことがない)
訓練で真剣を用いた事は何度もある。しかし当然の事ながら、それは寸止めであり相手を斬る事はない。ルーがこれまでに斬った事のある者はあくまでも魔物であり、人を斬った事はなかった。
かといって人に対して全く攻撃が出来ないというわけではない。訓練で何度も同僚に打撃を食らわせた事はある。また、こうして旅に出てラルフを陥れようとした者や自分に食って掛かる者を戦闘不能の状態にもした。ルーはいざとなれば人を斬る事が出来るのだろう。シンシアという名を捨てた時にこのような運命が待ち構えている事は理解している。しかし理解しているからと言って、そう簡単に割り切れるものではない。
(いつもより息が早く上がってしまう。訓練を怠っていたせいでしょうか?)
人を斬るという運命にいささか緊張を覚え、やはり意識をしてしまう。そのちょっとした揺らぎとも言える微妙な心境が、無意識の内に体に余計な力みを与えていた。
ルーは一度距離を取る。そして大きく息を吐く。するとエッジが話しかけて来た。
「どうした?俺はお前にとって取るに足らない相手か?全然殺気が感じられない」
「————!」
エッジは気付いていた。死線を何度もくぐり抜けている者にとって、それは容易な事であった。
「さてはお前、人を殺した事がないな?」
(やはり見抜いていましたか)
「えぇ。人を殺した事はおろか斬った事もありません」
「それだけ強いのにか。それは随分と幸福な人生を送って来たのだな」
その言葉に思わずびくりと反応してしまう。
(そう、私は恵まれた人生を送って来ました。王女という立場に生まれ付いたおかげでいろいろな方が気に掛けて下さいました。与えられる幸せを当たり前のように享受していました。私はその幸せが誰かの不幸の上で成り立っているとは知らずに)
反射的にラルフの顔を思い浮かべるルー。
「俺たちを見逃してくれればお前は人殺しにならないで済むぞ?」
「でも見逃せばラルフはあなた方に殺されてしまう」
「いや、そんなことはない。あの少年も私たちに卵を素直に渡せば殺すという事はない。どうだ?」
「申し訳ないのですが、それは無理な話です。ラルフは相手がどんな者であっても、あの卵を渡す事はありません」
「お前が説得すれば良いだけの話ではないのか?お前を信用しているように見えたぞ?」
「…もしそうであってもラルフは卵をあなたたちに渡す事はないでしょう。ラルフとはそういう方なのです」
「随分とあの少年を買っているのだな。でも残念だ。お前が今俺の提案を断ったおかげであの少年は俺たちに殺されてしまうのだから」
「————!」
エッジとしてはルーの動揺を誘うつもりであった。ルーに精神的な弱さを感じたエッジは、ルーを逆上させるつもりでいた。怒ったルーは当然、烈火の如く自分に襲い掛かって来るであろう。その代わり、動きは単調になる。距離を保ち、ウォッカとなんとか冷静に対処すれば、ルーは次第に疲弊する。そこから反撃をすれば勝機はあると。
しかし、エッジの言葉を聞いたルーは逆上する事なく、己と向き合っていた。
(そうか…私は間違っていた)
ルーは先ほどまで、人を斬る運命がやって来ると思っていた。その考えは言わば、まだ受け身の考え方であったのだ。
(私はまだ覚悟が足りていなかった。運命はいつも享受するものではない。運命は選択するものでもあるのだ。私がここでこの者たちを止めなければ、ラルフは殺されてしまうかもしれないのだ。私自身が選択し、そして切り開くのだ!)
ルーは力強く右足を踏み込み、エッジへ勢いよく襲い掛かる。
「ぐっ!」
歯を食いしばり、ルーの剣を何とか受け止めたエッジ。
(お、重い)
「私はあなたを…斬る!」
覚悟を決めたルーに心の甘え、迷いが消える。目に鋭さと力強さが増し、本来の力を発揮する。その姿は「戦姫」と呼ぶに相応しい姿であった。
夜の貴族街は比較的静かである。夜に開いている店の数は少ない。必然的に出歩く人も少ないのだ。そんな静かな夜をラルフは卵を抱え、ゲートに向かって走り続けていた。
いつ追っ手の攻撃が来ても可笑しくないと常に周囲を警戒しながら走り続けるその緊迫した表情には「余裕」も「油断」も全く垣間見えない。ラルフが魔界で活動している時も常に周囲を警戒していた。魔物に襲われないように。そして同じ開拓者から獲物を取られないように。つまり、現在の状況はいつもと同じだ。しかし、危機感から来るプレッシャーはいつもの比ではない。
現在、ラルフはブーツの魔石の力を使用して走っている。段階は5段階あるうちの下から2番目である「二速」である。下から2番目といっても、この速さは普段全力疾走している速さよりもずっと速い。つまりラルフはフォレスター家のある貴族街から、平民街の外れにあるゲートまでの長い距離を短距離走のように走り続ける事になる。その負担はものすごく大きい。だがそれでも足を止める気はなかった。それは自分を追って来る者たちが、普通の人間とは次元が違う強さを持つ超越者であるからだ。せめて貴族街を出るまでは足を止めていけないと懸命に走り続けた。
「はぁはぁはぁ…」
二酸化炭素の濃度が濃くなった空気を外へと放出し、そして新鮮な空気を取り込もうと必死に肺を動かす。止まって呼吸を整えたい。しかしそれは決して出来ない。本能の欲求を跳ね除け、ラルフは走り続けた。
(貴族街の出口だ!)
貴族街を出れば夜でも比較的賑やかな平民街に入る事が出来る。人も多い。人を避けながら走るのは難しいが、それは向こうも同じ事。また、身を隠しながら行動する事も出来る。気配を殺して行動するのはラルフにとって専売特許のようなものだ。平民街から見える灯りがラルフには光明が差すように思えた。しかし、
「————!」
貴族街と平民街を繋ぐ場所に衛兵が2名立っている事に気付く。
(なんでここに衛兵が!)
この場所に衛兵が立っている理由。それは平民街から貴族街へ怪しい人物を入らせないためであった。行きにも同じ道を通ったが、ラルフは馬車の中に隠れている間に通ったので、今初めて気が付いた。
ラルフはその衛兵を見て、直感的に嫌な予感がした。そしてその予感は的中する。
「ん?なぁ、おい」
「なんだあいつ、何をあんなに急いでいるんだ?とりあえず貴族じゃ無さそうだな。おーい、止まれ」
衛兵は貴族街から出ようとするラルフを確認のために止まらせようとする。
素直に止まるべきか?それとも止まるべきではないか?ラルフに選択が迫りつつある。
(止まるか?でも止まったところでどうする?卵を見せたらそれこそ大騒ぎだ。魔物の卵を持ち帰った者として俺は捕まってしまう。ギルド長が話を付けているかもしれないが、確認が取れるまでは拘束される。そうしたら待っている間に超越者は追いついて衛兵を含めて俺を襲うに違いない)
刹那の中で考え、導き出した答えは、
「三速!」
ラルフは止まらない選択をした。そしてさらに加速する。
「なっ!怪しい奴め!止まれ!」
衛兵たちは持っていた槍を互いにクロスさせ、行く手を阻んだ。だがラルフはそれをスライディングしてくぐり抜け突破した。
「おい、お前は応援を呼べ。あいつを捕まえるぞ!」
「分かった!」
「やっぱこうなるか。くそっ!」
ラルフは息を上げながら平民街へと逃げ込んだ。
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