第38話 浮ついた心

 宿へと戻って来たラルフたち。宿の前ではイリーナが立って2人が戻って来るのを待っていた。それを見て慌てて駆ける。


「ごめんなさい、ただいま戻りました」

「あらっ、意外に早かったわね」


 だがイリーナの反応は予想に反していたものだった。

 もっと時間が掛かると思っていたのだろう。


「もう大丈夫なの?」

「えぇ、十分です。それじゃあ夕飯にしましょう。入って」


 イリーナは2人を手招きする。

 宿に入ってすぐ横に旅人たちが食事を取れるようなスペースが設けられていた。イリーナは店を切り盛りしている女将に声を掛ける。


「女将、3名分の食事をよろしく」

「はい…よ」


 女将は普通に返事をするつもりだったが、イリーナたちを見た瞬間に少し固まっていた。イリーナの恰好は至って普通だ。しかし、他の2人は違う。

 ルーはアルフォニアの王女だとバレないように全身をフードで覆いかぶさった状態である。

 また、ラルフも同様で顔は出しているものの、身なりは汚い。ルーと同じフードを纏った状態であるが、質が違う。ラルフのはボロボロだ。それにフードを取ったとしてもさらにボロを身に纏っているだけだ。フードを身に付けていた方がまだマシなのだ。だが汚いに変わりはない。こんな状態の2人を見て、女将は引きつったのであった。


「あっちの席に座っておくれ」

 イリーナたちは店の奥の目立たない場所に席を指示される。女将が他の旅人たちの事を考慮したのだろう。3人共、仕方がないと理解しているようだった。

 少し待つと、料理が運ばれてくる。運ばれた料理はポトフとパンだった。


「さぁ食べましょう」


 イリーナとルーは食事を始めた。

 だがラルフは1人だけ口に運ばないでいた。正確には運べないと言った方がいい。


「ラルフ君、どうしたの?食べないの?」

「いえ、食べます……あちっ、やっぱ食べられない」


 イリーナとルーはラルフの反応に驚く。


「ラルフのだけそんなに熱いのですか?」

「…いや、そうじゃない。俺は温かい物なんてほとんど食べて来なかったから単純に冷めるまで食べられないんだ。それに今日は2度目の食事だし。腹もあまり減っていない。あちちっ」


 またもやラルフの貧しさを垣間見たイリーナとルーであった。案の定、ラルフは全て食べる事が出来ず、半分以上料理を残す形なってしまった。

 通常ならば食べられなかった物はそのまま放置するのだが、ラルフはそんなこと勿体ない事は出来ないと拒否し、意地でも腹の中に押し込もうとするので、代わりにイリーナが食べた。

 ちなみにルーは恥ずかしがって食べなかった。


「それで、ラルフ君。今晩の部屋は私たちと別だからラルフ君は1人部屋よ」


 それを聞いてラルフの目がぎょっとする。


「えっ?一緒の部屋ではないんですか?」


 今度はそれを聞いたイリーナたちが驚きの反応をする。


「そりゃ、だって私たち女だし…そこはやっぱり別じゃないと」

「…という事はイリーナさん、もしかして今日2部屋も借りたんですか?」

「そうだけど…」

「そんな…勿体ない、あっ、ちょっと」


 ラルフは料理を運んでいる女将に声を掛ける。


「俺の部屋、俺の分の部屋はキャンセルにしてくれ」

「…今日はお客さんが多いようだから、部屋が足りないと思っていたから別に構わないんだけど、あんたどこで寝るきだい?」

「俺は別に外で寝るから大丈夫だ…あっ、移動に乗って来た馬車がある。イリーナさん、その中で寝てもいいですよね?」


 イリーナたちを乗せる御者も宿に泊まる。その時馬車は宿に併設されている馬小屋に止めるのだ。


「ラルフ君、お金の事なら気にしなくていいのよ。部屋に泊まればいいじゃない?」


 しかしラルフは首を振る。


「今日はもう2回も食事しました。それにこんなに温かくておいしい料理。その上部屋に泊まるだなんて。俺は馬車の中で寝むれるだけでも十分過ぎる程です。それに俺は身なりが汚い。部屋を汚してしまう。だから部屋に泊まる事は出来ません」


 ラルフは昨日までの自分とあまりにかけ離れた生活をしている事が受け入れられなかった。どこか地に足が付いていないようなふわふわした感じに気味の悪さを覚えていたのだ。これには、今までの拾った物を食い、路上で寝るというはぐれ者の生活が染みついてしまっていたのだ。

 そんなラルフを女将は黙って見つめる。


「私としてはどっちでもいいんだけど、どうするんだい?」

「俺の部屋はキャンセルにして、他の奴を泊めてやってくれ」

「分かったわ…それとちょっと待ってな」


 女将は食べ終わった食器を持って一度ラルフたちの席を離れる。すると一着分、服を持って戻って来た。


「あんた、そのボロのフードの下も同じような汚いのを着てるんだろ?だったらこれを着な。息子が昔来ていた物で、処分しようと思っていたところだから」

「いいのか?」

「あぁ、構わないよ」

「悪い、助かる…ありがとう」


 女将はその言葉を聞いてフッと笑い、また厨房の方へと戻って行った。

 イリーナもラルフの気もちを汲んでここは引き下がる事にした。

 ルーは「ラルフが馬車で寝るなら私も」とイリーナに進言したが、ラルフが迷惑と答えたのでしぶしぶと引き下がった。


 その日、ラルフは1人馬車の中で寝る事になった。御者には許可をもらっている。もちろん荷物には手を出さない事を約束した。何かあれば弁償する旨をイリーナは伝えている。

 また、女将の計らいで桶にお湯を貯めてもらいそれで体を拭いた。こびりついた体の汚れを完全に取り去る事など出来なかったが、だいぶマシになった。

 女将からもらった服に袖を通す。いつものような身体にまとわりつくような着心地の悪さが無い。


 ラルフは1人、星を見上げる。満天の星がいつもよりキラキラと輝いて見える。それはまるで今の自分の心情のようであった。

 人の優しさに触れ、そしていつも空腹だった腹が今は満たされている。これ以上ないという満ち足りた思いがラルフの心を覆いつくしそうだった。

 だがその思いに心が支配される事に対し、どこか気味の悪さ、浮ついた感覚を覚えていた。ラルフのサバイバルで培った危機管理能力がこの満足感に浸るのは危険だとみなしていたのだ。それはやはりルーの実力を目の当たりにしたからであろう。第一線で活躍する開拓者の実力を。

 ラルフは開拓者を目指した時から、命を永らえる事が生きる事だとは思っていない。自分の持てる全てを懸け生きる事こそが母の願いに応える事だとラルフはそう思っている。


(開拓者として、俺はこれから生きて行くんだ。贅沢な暮らしをする事が俺の目的じゃないんだ)


 ラルフは自分の生きる目的を再確認した。

 その瞬間、ラルフの中にあった浮ついた感覚は消えた。

 やる気に満ちた力強い眼差しで夜空を見上げていた。

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