第23話 ありがとう
(ラルフ君が?この国を出る?)
イリーナはラルフの言葉に衝撃を受ける。その衝撃は顔に現れ、そのまま固まっている。
「なんで?どうして?」
言葉と同時にイリーナの表情が悲痛なものへと変わる。
「ねぇ、どうしてこの国を出るの?」
「さっきの件です。貴族の奴に絡まれたからです」
ラルフの言葉にイリーナは一瞬引きつった顔をするが、すぐに止めに入る。
「あなたは別に何も悪くないじゃない!あの貴族が一方的にラルフ君に絡んだだけじゃない!」
「分かっています。でも…多分俺は悪者扱いされることになる」
イリーナが顔を引きつった理由はこれだった。この世界は貴族がそれなりに力を持つ。表向きは貴族も平民も仲良く付き合っている傾向にあるが、1つトラブルが起こればやはり貴族が優遇されるのだ。
ましてやラルフは同じ平民からも差別を受けているはぐれ者と称される身分。そんなはぐれ者ならば、貴族は自分たちの意見を押し付けること容易いであろう。真実を捻じ曲げるなどいくらでも出来る。
なぜなら彼らには罪有る者を罪無き者にし、罪無き者を罪有る者にする力があるのだから。
ラルフが実際ここまで理解出来てはいないが、自分の経験上、これから厄介事が起きようとしている予測は十分についた。
「私たちがあなたを守ります。事情聴取だってしているわ。シンシア様だって。あなたをきっと守ってくれるはず」
「確かに今回の件はどうにかなるかもしれません。でも次はそうも行かない」
「次って…」
「今回の件で俺の名は貴族にも広まるかもしれない。あの貴族の仲間が仕返ししてくるかもしれません。それにまた別の貴族が面白がってからかいに来るやもしれません。俺はこの国にいる限り遅かれ早かれ、淘汰されるでしょう。だから俺はこの国を出た方がいいんです」
「………」
イリーナはそれを聞いてラルフを説得する理由が思いつかなかった。寧ろラルフの言う通りだと思った。
今回の件でラルフの名は多少なり知れ渡るだろう。そうなれば面倒事に巻き込まれる可能性も出てくる。
その全部を守りきれるか?と問われれば…答えは否定せざるを得ない。
「いつ…発つの?」
「なるべく早くと思っています。明日とか…」
「明日!?」
イリーナは今日一番大きな声を出した。驚きのあまり椅子から立ち上がるほどに。
その椅子は勢いで後ろに倒れてしまった。
「ラルフ君それはいくらなんでも早すぎるわ。それに開拓者になったのにまだ何も説明出来てないわ」
「それはそうですけど…でも」
イリーナは腕を組んで一度考え込み、それからラルフに再度話しかける。
「分かった、とりあえず明日の朝もう一度ここに来てくれる?」
「朝ですか?というか、ここに来てもいいんですか?」
「あなたはもう開拓者でしょ?来て追い返されることなんてないわよ」
「あ…そうでした」
ラルフは自分が開拓者になったことを忘れていた。照れるように笑う。
「ラルフ君は普段はいつごろから活動を始めているの?」
「えっと…夜明けと共に活動を始めます」
「じゃあその時間にギルドに来て」
「分かりました」
傷の手当て、開拓者登録を終え、約束も取り付けた。
ラルフは部屋を退出しようとボロ袋に手を掛けた時、袋の中に回復草が入っていたことに気づく。
「あの…これ…買取りお願い出来ますか?」
ラルフは疑心暗鬼になりながら回復草をイリーナに見せる。
「もちろんよ。買取りさせてもらうわ」
イリーナはラルフの回復草を手に取る。
「相変わらず物が良いわね。ちょっと待ってて。今換金してくるから」
イリーナは部屋を出てラルフは1人になった。そしてすぐに戻ってきてラルフの前に報酬を置いた。
「20Jも!?」
ラルフは買取り額に驚いた。
回復草が10本10Jだと頭で理解していても実際に体験してみるとではわけが違う。
今までのラルフなら商品を回復草10本で、3Jの買取り額だった。しかし、これからは10本、10Jで買取ってもらえるのだ。
同じ質の物であるのにも関わらず、開拓者であるのとないのとではこうも差が出る。ラルフは開拓者になった事を改めて実感した。
立場の違いが、ラルフになんとも言えない表情にさせる。
イリーナもそのラルフの表情を見て察する。
「ちょっとやるせない?」
「えぇ…まぁ」
「そりゃそうよね。私もそう思う」
ギルドは開拓者で無い者は相手をしない。相手をしてもらいたければ開拓者登録をするしかない。
しかしそこには1000Jという決して安くない登録料が必要となる。
これは一種の試練のようなものであり、そしてつまはじきするものでもあった…ラルフのようなはぐれ者を。
社会は決して優しい世界ではない。
強者が弱者を支配し、貧困が当たり前のように存在する世界である。弱者にはどこまでも生きづらく、這い上がりにくい世界が出来上がっているのだ。
その世界をラルフは弱者として身を持って体験している。
そしてそんな弱い立場から、1つ這い上がったのだ。
「開拓者ギルドとしては開拓者の成果物は責任を持って買取りをする。しかし、その査定も当然厳しく行くわ。それに不正をすれば厳正に対処します。ラルフ君はそんなことしないと思うけど。心に留めておいて」
「はい、肝に銘じます」
ラルフは身が引き締まる思いになる。開拓者としての実感と責任がのしかかった気がした。
「じゃあギルドの外まで送るわ」
「ありがとうございます」
ラルフは部屋の外に出る。
広間には多くの開拓者たちがいた。先ほどの騒ぎもあり、ラルフの姿を見ると反応する者もいた。
「ラルフ君」
イリーナが手である方向を指し示す。そこには事情聴取を終えたシンシアと騎士団の姿があった。
シンシアはラルフを見て心配そうな顔をしていた。しかし彼女がラルフに近づくことは決してしない。
なぜならシンシアはラルフには何もしないと誓った。見守り続けると。
今回の件は感情を抑制できず咄嗟に動いてしまった。シンシアは内心、また自分の行動で迷惑を掛けてしまったのではないかと思っていた。
ラルフは黙ってシンシアを見つめていた。以前のギルドで起きた騒ぎの時のように。
シンシアは焦る。やはりまたラルフの怒りを買ってしまったのではないかと。
先ほどまでの力強い瞳をしたシンシアの姿は影を潜め、今は弱々しい表情をしている。
そしてシンシアの横にいるレオナルドもまたラルフを警戒していた。
「イリーナさん、少しだけいいですか?」
「えぇ、もちろん」
ラルフはシンシアの方へ向かってゆっくり歩み始める。
イリーナは余裕があるように返事をしたのはいいが、本当は余裕などなかった。双方がここで騒ぎを起こすことはないと分かっているが、それでも内心は穏やかではなかった。
ラルフはシンシアに近づいて行くと、案の定レオナルドがかばって前に出る。ラルフもレオナルドを見て表情を険しくする。
そして至近距離で対峙するまでに近づく。手を出せばすぐに相手に届く距離だ。
ラルフもレオナルドもお互いに目を反らさない。
「どけよ、お前に用はない」
「…何の用だ?」
「お前の後ろの女に用があるだけだ」
その場だけ張り詰める空気。
他の騎士たちもラルフに厳しい表情を向けている。
「レオナルド、どいて下さい。大丈夫ですから」
沈黙を破ったのはシンシアの一言だった。
レオナルドはシンシアの指示に従い、身を一歩引く。
だが、警戒は解いていない。いつでもラルフを止めることが出来るよう、重心が前のめりになっていた。
そんな中、シンシアは思い返していた。
(こうやって面と向かうのは私がラルフに命を差し出した時以来ですね)
シンシアは自分の鼓動が早くなるのを感じていた。
見守り続けると誓ったあの日からずっとラルフの背中だけを見ていた。
そのラルフが今、目の前にいる。そしてじっと自分の事を見つめている。
シンシアはラルフに見つめられるほど追い詰められているような感覚だった。胸の動悸を隠すのに精一杯で全身から汗が噴き出ており、平然としているのが限界で気が付けば口で呼吸をしていた。
そんな何か話さねばならないと必死に考える。
「ケガは大丈夫ですか?」「割り込んでしまってごめんなさい」
しかし、何を言ってもラルフの気分を損ねてしまうのではないかという思いが、出掛かった言葉をまた胸の奥へと押し込めた。
シンシアはこの刹那がひどく長い時間のように感じられた。
もしかしたら永遠に続くのではないか?と思い始めた時、ラルフが口を開く。
「さっきは助かった」
その言葉と同時にシンシアに頭を下げた。
「あっ…えっ?」
シンシアは驚きを隠せず思わず口に出てしまった。
「お前のおかげで、あの時助けてくれたおかげで俺は俺のままでいられた。それに前にギルドでひと悶着あった時もお前に助けられた。お前のおかげで俺は今、こうやってはここにいられる。それに念願の開拓者にもなることが出来た」
「いえ、そんな…」
シンシアは反応するのがやっとだった。
「俺はお前たちの事が許せない。それに変わりはない。だけど、助けてもらった事は感謝している。それが伝えたかった。ありがとう」
ラルフはもう一度シンシアに頭を下げた。
シンシアは自分の感情を抑えるのに必死だった。
1000の罵倒を浴びせられても文句を言えない立場である自分が「ありがとう」という言葉を受け取る事になるとは。
それ故に嬉しさを感じつつもどこか申し訳ないという気持ちが混じる、複雑でとても重みのあるものとなっていた。
それでも高鳴る胸がポンプとなり、涙が込み上げてくる。
しかし、それを表に出さぬよう努めた。
「開拓者になれたのですね?」
「あぁ…」
「ドブネズミのラルフが誇り高かったように、開拓者のラルフも誇り高くあるよう願っています。頑張って下さい」
シンシアはラルフに微笑む。
だがラルフは言われたことがいまいち理解出来ないでいた。
「…まぁ頑張るよ。とりあえず礼を言いたかったんだ。本当にありがとう」
そう言うとラルフは踵を返しギルドを後にする。
(ラルフ…おめでとうございます)
シンシアはその背中をずっと目に焼き付けていた。ラルフがこちらに振り返らないと判断し、そこでやっとこらえていた涙を流した。
イリーナはラルフを送った後、小さな紙に走り書きをし、それを持ってシンシアの元へ駆け寄る。
「シンシア様、改めて私からもお礼を言わせて下さい。ラルフ君を助けて頂き本当にありがとうございました」
「イリーナさんもラルフを助けようとしていたのは知っています。私がたまたま早く動いただけです」
「いえ、私だったらあの場を収めることは出来なかったでしょう。でも逆にシンシア様に多大なるご迷惑をお掛けすることになってしまって…」
「その点は気になさらないで下さい。あのような振る舞いを許しておけません」
シンシアは力強くきっぱりと言った。
「ありがとうございます」
イリーナは頭を下げた。
「用も済んだことですし、姫様…そろそろ戻りましょう」
レオナルドがシンシアに提言する。
「えぇ、そうですね。イリーナさん、それでは」
「あ…シンシア様。少し待って——」
イリーナはシンシアへ接近する。
「——無闇に姫様に近づかないでもらいたい」
レオナルドがそれを制止する。
「それじゃあレオナルド様が姫様の髪の毛についたホコリを取って下さいますか?男性が女性に触れるのは憚られるかと思いましたので」
少しイリーナは嫌味っぽく言っていた。ラルフの件でレオナルドのしたことに怒りを覚えていた。
この国のために、シンシアのためにラルフから奇跡の実を奪ったこと。
頭では理解出来ても、心は到底納得出来るものではなかったからだ。
「あら、レオナルド、私の髪にホコリがついてる?」
「えぇ…確かに」
「イリーナさん、申し訳ないけど取ってくださるかしら?」
「はい、かしこまりました」
イリーナはシンシアに近づき髪の毛についたホコリを取る。
その時、周りに気づかれないようそっとシンシアの手にメモを渡す。
「————!」
イリーナは頷き、微笑む。
だがその微笑みはその場を繕うだけのものだとシンシアにはすぐに理解した。
「これで大丈夫です」
「ありがとう、イリーナさん。それではレオナルド、城へ戻りましょう」
「かしこまりました」
シンシアたちはギルドを後にする。
ギルドを出て、すぐに隙を見てイリーナから渡されたメモに目を通す。
目を通す前から絶対にラルフにちなんだものだと直感が告げていた。
「————!」
シンシアは膝から崩れ落ちそうになる。やはり内容はラルフのことであった。
『ラルフ君はこの国を出ます。よろしければ一度お話を。私はギルドに泊まりがけで作業をしますので』
「そんな…」
シンシアが喜びを感じられたのは束の間であった。
一方ラルフはスラム街を通り、ある場所へ向かって歩いていた。
向かう途中、シンシアとの会話を思い出していた。
「それにしてもあいつはなんで俺の名前知ってるんだ?っていうか、なんだか開拓者目指していたのを前から知っているような口ぶりだったな」
不思議に思いながらもそれほど困ることではないと気にしないことにした。
そう結論付けた時、ラルフは花を売る少女に出会う。
「あのぅ、お花買ってくれませんか?」
「ん?」
ラルフは少女の全身を見渡す。
その少女は全身が土で汚れていた。きっと一生懸命に探したのだろう。
「…その花は魔界で取ったのか?」
「はい…こっちでは花なんてあまり見かけないから。それで…花、買ってくれますか?」
懇願するように見つめる少女。
「花ねぇ…」
普段のラルフなら花など絶対に買わない。買っても何も役に立たないからだ。
それに必要ならば自分で取ればいいだけの話。買うという選択肢は除外される。
…しかし、今日は違った。
どうしても花が必要な日であり、尚且つ開拓者となった今はお金を絶対に使わないという縛りがないのだ。
そして健気な少女にラルフはどこか応援したくなる気持ちが湧いていた。
「…いくらだ?」
「う~ん、1本1Jでいいです」
「た、高いな…ポーションの原料になる回復草10本で3Jだぞ?」
「そうなんですか?」
「あぁ、ただの花なんだから…3本1Jがいいところだぞ」
「…分かりました。じゃあ3本1Jでいいですから、買ってくれませんか?」
するとラルフはポケットから10Jを取り出し、それを少女に渡す。
「今日だけ1本1Jで買ってやる。だからお前が持っている10本全部寄こせ」
「え?いいの?」
「あぁ、どうしてもその花が必要なんだ」
「ありがとう」
少女は10Jを受け取ってとても喜んでいる。
ラルフはそんな少女に頭を撫でながら注意する。
「魔界はとても危険な場所だ。でも行くなとは言えない。生活がかかっているからな。でも絶対に無茶はするな。なるべくゲートから離れるな。分かったな?」
「うん」
「それと…俺たちのいるスラムじゃその花は絶対に売れない。そんな花を買う余裕がないからな。だから売るなら第三セクターにしろ。あそこならまだ買ってくれる奴がいるかもしれない。その代わり泥を払って、なるべくきれいな恰好で売れ」
「うん、分かった。お兄ちゃん、どうもありがとう」
そう言ってラルフは花売りの少女と別れた。
「10J…いきなり散財しちまったな」
しかし、ラルフの心はどこか晴れていた。
ラルフは目的の丘の上にたどり着く。
遮るものはなく、沈みゆく夕日がラルフを照らす。
この場所はラルフのお気に入りの場所であり、ラルフの母親の好きな場所でもある。そしてラルフの母親が眠る場所でもあった。
ラルフは墓標というには程遠い簡単な石が置かれた場所に先ほどの少女から買った花を供えた。
「母さん…」
ラルフは自然と涙がこぼれた。
「母さん…僕頑張ったよ。僕、やっと開拓者になったよ」
母の声が返ってこないと理解している。それでも自分の想いを伝えられずにはいられなかった。
母が最期に残した「生きて」という言葉。
何度もくじけそうになったが、その母の言葉を思い出し、耐え忍んでここまで生き抜いて来た。
開拓者はその証と言ってもいい。
「僕、これからは開拓者として頑張るからね」
涙を拭い、新たな決意を誓うラルフ。
返事はない。
しかし、それに応えるように心地よい風がラルフを祝福していた。
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